◇郡山の自宅~いわきの双葉中…娘、弱音吐かず
東京電力福島第1原発事故で避難し、往復約200キロを父のマイカーで通学した福島県双葉町立双葉中学校3年の浪江侑加(ゆうか)さん(15)が13日、卒業式を迎えた。長距離通学となった2年生からの2年間、一日も寝坊せずに通学した。4月からは自宅近くの高校に通うため、親子での登下校はこの日が最後。「パパと仲良くなれる大事な時間だった。ちょっと寂しい」と話した。
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式では真っすぐ前を向いて一歩ずつ踏みしめるように登壇し、卒業証書を受け取った。表情を崩さなかった侑加さんだが、式の後に担任から「3年間よく通ってくれたね。お父さんにも感謝しなきゃ」と言葉を掛けられると涙があふれた。夫婦で式を見守った父克彦さん(54)は「ごくろうさま」と心の中でねぎらった。「娘の成長を見られたし一緒に過ごせてよかった」
侑加さんは双葉町で生まれ育った。原発事故で避難指示区域となり、祖母と父母、姉の一家5人でいわき市に避難。町が同市に開設した仮設の双葉中に進んだ。
避難指示解除のめどが立たず、克彦さんは約100キロ離れた同県郡山市に新居を建て、同市内の会社に転職することにした。双葉中に通うのは家が建つまでの1年間だけの予定だった。
だが、侑加さんは双葉中に通い続けたいと強く希望した。克彦さんも、引っ込み思案だった娘が伸び伸びと成長する姿を見て「2年生になっても通わせよう」と決めた。転職をあきらめ、いわき市での勤務を継続し送迎することにした。
起床は午前5時。3年生の後半になると、父子で夜遅くまで受験勉強に取り組むこともあった。助手席の侑加さんはいつも寝息を立てる。帰り道は部活動のバドミントンや受験勉強が話題になった。
夢は看護師だ。避難所で体調を崩したときに助けてくれたのが、看護師だった。「いろんな人の善意に支えられた。今度は自分が人を支えたい」
この2年間「自分で決めたことだから」と弱音をはかずに通学した。でも自分の努力だけではないと分かっている。「朝早く起きてご飯を作ってくれたお母さんや、送り迎えをしてくれたお父さんがいなかったら今はない」。そんな感謝の思いを込めた手紙を式の後に父に渡した。「家に帰るまで開けないでね」。家族を乗せ、黒いミニバンが学校を後にした。【高井瞳】