731部隊(12) | ネットで見かけたトンデモ議論(2) 「破傷風毒素並芽胞接種時に於ける 筋『クロナキシー』に就て」 |
松村高夫『七三一部隊作成資料 解説』 資料2 「破傷風毒素並芽胞接種時ニ於ケル筋『クロナキシー』ニ就テ」は、破傷風毒素と芽胞を人間の足背部に接種し、発症時の筋肉の電位変化(「クロナキシー」)を測定した実験報告である。表紙には、診療部の永山中佐、池田少佐、荒木技師」の名前が記されている。対象とされた人間は一四名で、全員を死に至らしめている。 破傷風芽胞三CCを皮下注射された「九九一号」は一〇日余で死亡しているが、その間の経過を観察している。 毒素接種のばあいは、体内に入って毒素を産生する芽胞よりも「経過極メテ電撃性ニシテ」、毒素一〇〇MLD(致死量の一〇〇倍)を接種された「六九一号」は、接種五日後に死亡したこと、毒素一〇MLDを接種された「五九五号」 は、七日後に死亡したことが付表で示されている。 それ故、毒素一、〇〇〇MLDを接種された三名、毒素一〇〇MLDを接種された他の三名、また芽胞をより多い五CC接種された一名も死に至ったことは確実である。(P10) |
※本資料が発見された経緯は、大変興味深いものです。「「神田、古本屋の片隅に」 −「731部隊作成資料」発見の経緯−」に、当時の新聞記事等をまとめました。
731部隊の人体実験・細菌戦は嘘(全て作り話)2・松村高夫の『破傷風毒素並びに芽胞接種時に於ける筋「クロナキシー」に就て』の怪 「731人体実験あった派の資料によれば、いわゆるマルタの番号は1001番から始まっていたと記憶している。」 「クロナキシーの実験は第二章にあるように、一〇二六番のみが1001以上の番号になっている」 「しかも、この一〇二六番は『予防接種実施』と書いてある。」 「ということはこの『人間』は痛くも痒くもなかったでしょう。当たり前ですね。」 「で、1001以下の番号は一体誰なのかというと、おそらく『馬』でしょう。もちろん馬も人間同様に破傷風に罹ります」 「さらに決定打」 「第二章に『潤背筋』と書いてありますが、こんな名前の筋肉は人間には無いですが、馬にはあります」 (以下略) |
毎日新聞 1984年8月15日(水) 19面 「関与していない」登場の元少佐 チリ紙交換から古書市場に回った段ボール箱の資料は、書類などと分別され、報告書類を中心に二箱に詰め替えられ、神田の古書店に回されたらしい。二段の段ボールの中で、七三一部隊関連とみられるのはA元少佐の名が書かれた報告書がほとんどだった。 A元少佐は、滋賀県の長男宅にいたが「石井部隊のことは一切しゃべりたくない。会いたくもない」と言い、高血圧や戦傷の後遺症などで休養中だった。このため、長男を通じてコメントを求めたところ「破傷風の実験は上官の指導でやったこと。他の論文はすべて私のもの」と認めた。 しかし、「きい弾(イペリット弾)の報告書については「私は十七年に七三一部隊に呼ばれたので、実験に加われるわけがない。関与していない」と否定した。 「担当」と書かれていることについては「極秘書類には担当者名を書かない。そこだけ毛筆で書かれていることからもわかる通り、書類を保管する人が書き入れたのではないか」と答えている。 |
「731人体実験あった派の資料によれば、いわゆるマルタの番号は1001番から始まっていたと記憶している。」 「クロナキシーの実験は第二章にあるように、一〇二六番のみが1001以上の番号になっている」 「しかも、この一〇二六番は『予防接種実施』と書いてある。」 「ということはこの『人間』は痛くも痒くもなかったでしょう。当たり前ですね。」 「で、1001以下の番号は一体誰なのかというと、おそらく『馬』でしょう。もちろん馬も人間同様に破傷風に罹ります」 |
秦郁彦『日本の細菌戦』(上) したがって、犠牲になったマルタの総数も混沌としてつかみにくい。ハバロフスク裁判で川島清軍医少将(七三一部隊第四部長)が述べた「五年間に約三千人」が定着しているようだが、そんなに多くはなかったとする反論もある。 佐々木義孝は実験や解剖の能力は、せいぜい一週に二人くらいが限度だった、と『世界日報』(一九八二・一〇・一七)の記者に語っている。マルタ解剖班に四年勤務した胡桃沢正邦技手は、「三千人は誇大にすぎる。マルタにつけた番号が一〇〇一から始まっていたので誤認したのではないか。多くても七〜八百人だろう」と語る。 佐々木の主張するペースだと年に一〇〇人程度だから、安達実験場などの集団処理をふくめても、千人を越える規模には達しないと思われる。(P552) (『昭和史の謎を追う』(上)所収) |
郡司陽子『【真相】石井細菌戦部隊』 七棟二階の奥にレントゲン室があった。新参の「丸太」は、ここで裸にされて、全身写真をとられた。全員、胸のところに、墨で四桁の番号を記入されている。この番号が、「丸太」にとって、残された短い生涯の最後の「名前」となるのだ。 番号は〇一〇〇番からスタートしていた。わたしが「丸太」の全身写真を撮るようになった昭和十七年五月の時点では、〇七〇〇番台だったから、すでに七〇〇人(部隊では、一本、二本とかぞえた)ほどの「丸太」が送りこまれていたことになる。昭和十八年末には、一〇〇〇番台となった。 翌十九年には、一五〇〇番となり、再び〇一〇〇番にもどった。そして終戦の年の七月には、一四〇〇番台になっていたから、連行されてきた「丸太」の総数は、約三〇〇〇人ということになるだろう。これら「丸太」のうち、一人の生還者もなかったのだ。 「丸太」が最初に部隊に連れてこられたのが、昭和十四年というから、五〜六年間で一五〇〇人、残りの一年余りでさらに一五〇〇人ということになる。 わたしの記憶でも、はじめのうちは、一回に一〇数人の「丸太」を撮影していたのが、あとの方になると、一回に数十人と数がふえていった。 「丸太」は全身撮影がすむと、二、三日後に、胸部だけのレントゲン撮影をされる。おそらく、医学的実験に際して、それぞれの既往症や、健康状態を、より正確に事前に把握しておくための措置だったのではないか。(P23-P24) |
「第二章に『潤背筋』と書いてありますが、こんな名前の筋肉は人間には無いですが、馬にはあります」 |
子どもの健康と体力 福井大学教育地域科学部教授(教育学博・医博) 戎利光 筋力低下 背筋力(平成10年度から改正された新体力テストでは測定されていない)の低下は,姿勢の悪化・腰痛・直立姿勢持続性の低下・労働能力や労働意欲の低下などを招くといわれている。つまり,背筋力は重要な筋力であることがわかる。 さらに,背部の筋肉には浅背筋(僧帽筋・潤背筋・肩甲挙筋・菱形筋)と,これに覆われてその深層にある頸・背・腰部の深背筋とがあるが,背筋力はこれら躯間伸筋の外腎筋群や下肢伸展筋や手指屈筋等の共働作用の総称であるという指摘(松井ら,1985)もある。 |
(2016.7.23)
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