総本山第六十五世・日淳上人は、
「仏法に於(おい)ては法華経寿量品の文底の南無妙法蓮華経が肝心の要法であって、此(こ)の要法は日蓮大聖人の所有遊(あそ)ばされるところである」(日淳上人全集981頁)
「題目を主として御本尊を忽(ゆる)がせにする者が多いのであります。(中略)元来かような考へは南無妙法蓮華経は法であるとのみ考へるからでありまして宇宙に遍満(へんまん)する妙法の理が題目であるとするからであります。此は大変な誤りで南無妙法蓮華経は仏身であります。即ち法報応(ほっぽうおう)三身具足(さんじんぐそく)の当体であらせられ報身中に具し玉(たま)ふのであります。妙法の理は天地の間にありましてもそれは理性(りしょう)であります。実際には仏の御智慧のうちにのみ厳然として具(そな)はり玉ふのであります。」(日淳上人全集982頁)
「久遠本有(くおんほんぬ)の妙法蓮華経は大聖人の具有(ぐゆう)し玉ふところであります。大聖人はその御境界を観心(かんじん)の本尊として建立し玉ふたのであります。くれぐれも此の報身を離れた妙法を以(もっ)て御本尊と考へてはならないのであります」(日淳上人全集1004頁)
等と、明確に御教示されています。
池田大作の唱える妙法観は、日蓮正宗本来の正しいそれと比べれば「まったく似て非なる邪説」となります。大聖人様の御内証を離れた「宇宙の根本法則」だの「宇宙に遍満する法」だのを求めても、そんなものは存在不明であり、実体がありません。
ましてや、「池田先生と呼吸を合わせるように唱題するんだ」などと指導するに至っては、それのどこが日蓮大聖人の仏法なのかと、学会員は違和感を感じないのかと、不思議でなりません(「先生と呼吸を合わせる唱題」というのは、私が学会時代に受けた迷指導です。破門のずっと以前からそんな調子でした)。
創価仏法で説く「宇宙の根源法」なるものは、日蓮大聖人の妙法ではありません。それをはっきりと認識しなければ、どこまでいっても邪見に堕(だ)します。創価学会は昔から、日蓮正宗の教義ではないものを学会員に教え込んでいたのです。