2017年03月13日

謀略国家アメリカの正体C

 ●憲法・日教組・大新聞が反日主義の元凶
 テレビの討論番組で「反日主義のどこがわるい」と居直った若者が、日本という国家自体が憲法違反だという珍論をくりだした。
 そして、左翼憲法学者の論を借りてきて「国家を監視するのが憲法」と主張した挙げ句、「憲法は国体」と言い放った。
「国家は悪である」というルソーの革命思想と大統領の権力を憲法で制限するアメリカ民主主義、そして、国家主権が否定されている戦後憲法の三者を組み合わせて、珍妙なる理屈をこねたわけだが、それが反日主義の論法である。
 反日思想を培養したのは日教組と大新聞である。
 日教組教育をうけ、朝日新聞を読んでいるとほとんどが左翼か反日主義者になってしまう。
 くわえて、日本国憲法は、国家主権を否定して、国民主権を謳っている。
 戦後、日本から伝統国家の精神が消えたのは、憲法が共和制(革命国家)のものになっているせいでもある。
 17世紀のイギリス革命から20世紀のロシア革命にいたる200年ほどのあいだヨーロッパでは革命の嵐が吹き荒れた。
 この理論的支柱となったのがロック(アメリカ独立戦争)とルソー(フランス革命)そしてマルクス(ロシア革命)だった。
 遊離した国家と人民の関係をむすびなおそうとしたのが社会契約説である。
 万人の万人に対する闘争を避けるために国家が必要としたホッブスの半世紀後にロックが人民の抵抗権を、百年後にルソーが直接民主主義を、20世紀になって、マルクスが暴力革命によるプロレタリアート独裁を唱えた。
 戦後、革命の経験も必要もなかった日本でヨーロッパの革命思想が流行したのは、じつに奇妙な話で、よほど、西洋の真似をしてみたかったのであろう。

 ルソーの人民主権(直接民主主義)は、議会に収容することできない人民の意思を一般化して、一人の独裁者にゆだね、ロックは、人民の主権を議会や三権分立に委託した。
 前者がナポレオンやヒトラー、スターリンなら、後者がアメリカの大統領というわけだが、アメリカの場合、大統領と議会、憲法が三つ巴の関係で、ルソーとロックがごちゃまぜになっている。
 首相公選制や国民投票、地方分権は、革命国家の政体であって、伝統国家である日本にはそぐわない。
 ロックやルソーをもちださずとも、日本には、万人の戦争を避けうる国体と国家の二元構造があって、その伝統が天皇の存在である。
 先の若者は、革命思想を吹き込まれて、伝統のなんたるかを知らなかったのであろうが、戦後、日本では、革命を進歩的、改革ともちあげ、伝統を守旧的、反動、右翼と悪し様にいう風潮がはびこってきた。
 さらに大きな誤りは、民主主義を文化の領域にまでひろげて、歴史の否定をおこなったことである。
 社会常識や習慣などの文化的規範に法の範疇にある自由や平等、人権や民主主義をもちこみ、いらぬ混乱や摩擦をひきおこしているのである。

 日本というクニは、国体と政体の二本の柱からできている。
 国体は、歴史にもとづく文化の系統で、政体は、政治をおこなう権力の系統である。
権力(政体)に正統性を授けるのは、権威(国体)という文化構造である。
 したがって、伝統国家には憲法が要らない。
 イギリスが憲法をもたないのは伝統国家の体裁をとっているからで、文化の歴史的蓄積ができているため一般的慣習法(コモンロー)ですべて足りるのである。
 ところが、歴史のないアメリカには、歴史に培われた社会規範がない。
 したがって、なんでも裁判で決着をつけなければならない。
 そこにアメリカが過剰な法治主義に陥っている原因がある。
 多数決(民主主義)と法だけで決着のつくのは文化果つる野蛮な地で、戦争や軍事力を背景にした「力の支配」だけがまかりとおるのである。
 アメリカがアメリカたりえているのは、超軍事大国にして、国家の仕組みが軍産複合体という臨戦体制になっているからで、日本は、どうあがいても、アメリカのような国になれず、なる必要もない。
 アメリカは自由の国といわれるが、その自由は、ジャングルの自由で、武器の携帯がゆるされているのは、自由のリスクは、命がけでまもらなければならないからである。
 日本では、あらゆる権利が憲法で保障されているが、反対給付の自己責任や義務はほとんどない。
 それでも、日本で「万人の戦争」がおきないのは、自由には節度、平等には分相応、人権には人格という常識や良識、社会通念がはたらいているからである。
 その意味で、日本は、文化的には伝統国家だが、政治的には、新興国並みである。
 民主主義と法だけを社会規範とする新聞論説など幼稚園並みといってよい。
 アメリカで、民主主義と法だけですべて片がつくのは、それ以外の社会的な規範がないからで、自由と個人主義のリスクと自己責任は、日本人が想像できないほど大きい。
 国家は悪だ、武器を捨てれば平和になると叫ぶ反日主義は、恥ずべき「甘えの構造」なのである。
posted by office YM at 13:30| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする