村上春樹の新作が出ると、レコード会社、CD販売店のクラシック音楽担当者は忙しい。
ページをめくっていき、クラシック音楽のどの曲が出てくるかを調べなければならない。
その作業は、しかし、そう難しくはない。クラシックの作曲家は外国人なので、カタカナの人名を探していけばいい。
もともと村上春樹作品は小説の中で主人公が音楽を聞くシーンが多い。それも「静かなクラシック音楽が聞こえてきた」というような曖昧な書き方ではなく、誰の何という曲で誰が演奏しているのか具体的に書かれてるのが特徴だ。
村上春樹の小説に出てきたことで、クラシックのCDが売れるようになったのは、『海辺のカフカ』からだ。
この作品ではベートーヴェンの「大公トリオ」の、往年の名盤であるルービンシュタイン、ハイフェツ、フォイアマンの三人による演奏が何度も出てきて、聞いたことのない人は、どうしても聞きたくなった。
それで、実際にCDが売れ出したのだ。
以後も、村上春樹が作中に登場させる作品・演奏は、どちらかというと、あまり知られていないもの、忘れられているものなので、クラシック音楽CD業界に思わぬ特需もたらしてきた。
『1Q84』ではヤナーチェクのシンフォニエッタという、よほどのクラシックマニアでなければ知らないような曲が出てきて、そのため「売れるはずがなかった」CDが売れて、クラシック業界での春樹神話が確立された。
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の時は、そのタイトルが先に公表されると、リストのピアノ曲《巡礼の年》が出て来るのではないかと業界は期待し、誰の演奏なのかと固唾を呑んで本の発売を待っていた。
そうしたら、ロシアのベルマンの演奏だった。このピアニストは「名ピアニストではあるが人気がなく忘れられていた人」だったので、とっくに国内盤は廃盤になっていて、輸入盤しかないという状況だった。そう簡単には儲けさせてくれない。
さて、『騎士団長殺し』である。
これもタイトルが先に発表されると、何の曲が登場するのだろうと、クラシック音楽業界は期待をこめて発売日を待った。
「騎士団長」というタイトルのクラシックの曲はない(と思う)が、騎士団長が出てくるオペラならある。モーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》である。
はたして、モーツァルトが関係してくるのか。期待は否が応でも高まった。
そして発売日。私もさっそく手に入れた。