「計画死は、私に言わせれば、基本的人権のひとつである」── 末期がんのプログラマー兼文筆家が、人生の終わらせ方について語るAMA(なんでも聞いて)。
元スレ:(2016/05/10)
(訳注:以下、OPのブログ記事『A protocol for Dying』からの翻訳引用文をはさみます)
Q. 調子はどう?
A. 正直言って、かなり良い。ほとんどはどうにか元気でいる。診断と近い将来この世を去るという現実に研ぎ澄まされている。私の頭脳は今とても活動的だ。先週は新刊『Social Architecture』を書いた。未出版の文章を集め、形になるよう編集し、体裁を整えて、出版したんだ。全部で1時間半かかった。
だから、かなりうまくいってると言おう。:)
Q. やあ、僕もだよ!あと約2週間でこの世を去る。ユーザー名(14_days_left)でわかるよね。これまでのあなたの最大の功績は?
A. うーん、最も満足しているのは、子どもたちの父であれたこと、著作、たくさんの素晴らしい人たちと仕事ができたことだよ。
Q. 医者に行って調べてもらおうと思うほどになにかがおかしいと気づいたのはいつ?
A. 空咳が止まらなかった。最終的にこれはインフルエンザじゃないと気がついた。体重が減り、ろくに眠れなくなり、仕事もストップした。私のGitHubプロフィールで、文字通りそれが見てとれるよ。

Q. 亡くなる時ってどんな感じか考えてる?あなたの肉体が通過するプロセスがどんな感じか。技術面の調査をした?
A. あぁ。死のタブーを、とりわけ、生と死の間に未だに存在する沈黙と感情の壁を打ち破るとしよう。:)
そう、それがどのようなものか、私はかなり良い考えを持っている。最初の注射で眠りにつき、ほぼ昏睡状態となる。次の注射から5分後、心臓が止まる。
一瞬だ。つかの間の、バラ色。そして、白。意識が機能しなくなってから脳が完全にシャットダウンするまではもう数秒かかるだろうが、そこにはなんの「感情」も起こらないだろう。
Q. 最期の時は誰かにそばにいて欲しい?
A. そこにいたいと望む人には立ち会わせるつもりでいる。私にはどうすることもできない個人的選択だ。子どもたち、あの子たちには願わくはいて欲しい。死を目の当たりにすることで、その不可解性やそれに対する恐怖心を失くせるだろうから。
Q. 子どもたちにはどう知らせたの?わかってもらえた?胸が張り裂けるようだった?
A. これについては『A Protocol for Dying』に書いてある。最初のスキャン結果が出たとき、腫瘍医が家に電話をしてきた。彼女の所見では、写っているのは癌で、両肺が「癌でいっぱい」だと教えてくれた。そのときに子どもたちにその知らせを告げた。胸が張り裂けるようだったよ。一瞬だったがね。
それ以来私たちは心を落ち着かせ、今では泣き叫ぶことも嘆き悲しむこともない。子どもたちはまだよく理解していない(いったい誰ができるだろう?)。だから、大きくなってから完全に理解するためのツールを与えておくことが重要なんだ。
Q. 家族はあなたを愛していて、決断をサポートしてくれてるとのことだけど、あなたの亡くなりかたについて家族と話し合ったことがある?彼らがあなたの決断を支持しながらも、別の選択をすることを願っているんじゃないかと心配してる?
A. そのプロセスは私の父のときに経験したんだ。父は今年のイースターに安楽死した。家族全員が、それがどれほど効果的かはっきりとわかっていた。社会関係を共有する人々、家族、友だちの観点から見ても、技術的な細部から見ても。葬儀の重く悲惨で、ショック状態の空気とはまったく違う。劇的場面も苦しみもなく、別れとつかの間の悲しみがあるだけだ。
おそらくその経験がなければ、確信は今ほど大きくはなかっただろう。個人的には、決断を下すことにもっと悩んだだろう。だが父のときの経験を経て、私たちは全員一致で賛成した。それに正直に言うと、衰弱し、多臓器不全に苦しみ、「信条」を失っていく私を見る方が良いと言う人がいたら、私はおそらく彼らに目の前から立ち去って、二度と話しかけないでくれるよう頼むよ。
Q. 私はクリスチャンです。あなたを勧誘しようとしているわけではなく、純粋に興味があって質問します。あなたは神を信じますか?亡くなった後に神とまみえると思いますか?こういった分野について考えたことはありますか?
A. 私は人間中心主義者(無神論者)で、一致協力した人々の力を信じているよ。それが実際、現実に即しているように思える。神や精霊、いや、そういうものは私が物事を理解するために使っているモデルのパーツじゃないんだ。
└(質問者) 興味深いですね。ご回答に感謝します。もしこう言って意味があるのなら、私はあなたのことを考え、あなたのために神に祈ります。ここで経験を話してくれてありがとう。:)
└(OP) どういたしまして。:)
A. 子どもたち……私たちの最高の時間は、一緒にキャンプに行ったときだ。私と、あのワイルドギャングたちとでね。去年は3回キャンプをした。チャンスがあれば毎回、家を離れて、車いっぱいに物をつめこんで、フランスまで行って、テントに入るんだ。
Q. お子さんたちはあなたの跡を継ぐつもり?それとも他の道へ進む目標を持ってる?
A. 子どもたちは、私の生活や仕事の詳細に関心を持つには幼すぎる。成長するにつれて自分たちの道を見つけるだろう……願わくは、幸せな道を。
Q. 病気のことお気の毒に思います。診断があなたの日々の生活を劇的に変化させましたか?
A. あぁ、変化は劇的だったよ。例えば、私はずっとフリーソフトウェアコミュニティーに深く関わってきた。始めにやったことのひとつが、自分が抱えている全責任と全財産を調べること、それらのための安全な家を見つけようとすることだった。そして見つけた。今ではコミュニティーからほとんど退いているよ。例えばここ数年間私のメインフォーカスだったZeroMQコミュニティー。他の人たち、友人たちが引き継いで監督している様子を目にして、とても気分が良かった。
「来月なにをしなければいけないか?」への集中がすべてを変えた。
それに今は体力が衰えてしまって、例えば、家から遠くへ行くこともかなわない。だから友人たちや家族の我が家への訪問を歓迎しているよ。昔はめったにしなかったことだ。
Q. 子どもたちのために何かを記録したり、本にしたり、その他のデジタルかアナログの資料にしておこうと思っていますか?もしそうなら、なにをどんな形にしますか?
A. うーん、いい質問だね。ここ数年、子どもたちが読んで考えられるように、計画的に資料を蓄積してきた。それが私が物書きになった理由の一部であり、『The Psychopath Code』のような本を書いた主な理由でもある。例えば、娘が生まれてからずっと、彼女に宛てて日記を書き続けている。印刷して本にして、娘にあげるつもりだ。USBは失くしてしまうだろうから。本の方が安全に保管できる。
だが子どもたちへの一番の贈り物は、数年間で彼らに教えてきたことだと思う。自分の力で信ずる道を進んで行くこと、いじめっ子たちに立ち向かうこと、恐れを抱かず世界を探検すること、混沌を脱し秩序を創造する責任を負うこと。子どもたちは幼く、私を忘れてしまうだろう。一番年少の子(5歳)は特に。だが過去数年(と可能な限り一緒に過ごしてきた瞬間、様々な経験)が子どもたちの心の奥底に存在し、それが私から彼らに与えた最大のリソースであると信じたい。
まさにこれが、来たる死への対処が、彼らが注意深く見つめ、そこから学ぶことのできるものだ。学ぶ気があれば、万事が授業となる。
Q. 子どもたちが人生の節目節目に開けて読む手紙を残そうと考えたことある?
A. 手紙を書こうとは考えていないよ……あの子たちのことは私がよく分かってる。手紙を見つけたら、一度に開封して、よく理解できず、すべて失くしてしまうだろう。それが私が本を書いた理由の一部なんだ。失くすことのない物を子どもたちに残すためだよ。
Q. 子どもたちの将来のビッグイベントで流すための動画を詰め込んだ大量のUSBメモリを誰かに託して、子どもたちへ配ってもらうのはどう?
A. それにはたくさんの組織化が必要なようだし、脆弱性がある。
「大学卒業おめでとう!」
「あー、親父。あんたがこの世にいないのはわかってるけど、俺、1年で退学した後バンド始めて、今日本でツアー中なんだ」
それになんだか……子どもたちの人生への強引な介入は不自然に思えるんだ。場所や出来事の写真を撮ることが、どれだけ人の記憶をまったく歪めてしまうか、知っているだろう?記憶というのは繊細で、私に言わせれば、それ自身のスペースを必要とするものなんだ。
Q. 「ハッピーバースデイ」動画を事前に撮りためておくのは病的かな?それともいいアイディア?けど、他の人もコメントしてた「Verkoop de huid niet voor de beer geschoten is.(クマを撃つ前に毛皮を売るな)」に賛成するよ。:-)
A. ある観点から見ればいい考えだ。だがまったくもって空虚で無意味に思えるよ。
一般的な目安として:映画の中でクールに見えるかもしれないものは、すべてがくだらない。
Q. 人生の物事(家族、将来の愛する人、常に考えてなきゃいけないこと、などなど)に思いを巡らせている25歳に、どんな知恵を授けてもらえますか?
A. うーん、人はみなそれぞれ違う。だから誰かに合うものが、他の誰かにも合うとは限らない。
こう言うとしよう。仕事に励みなさい。幸せでありなさい。人やプロジェクトの些細なリスクを取ることを恐れてはいけない。それと、サイコパスに関する私の本を読みなさい。あれに書いたことが君の役に立つかもしれない。
└(質問者) 僕は元恋人がサイコパスだったとかなりの確信を持ってます。だから絶対あなたの本を読みます!ありがとう!
└(OP) 参考までに、他者にレッテルを貼ることには慎重になりなさい。とりわけ君が個人的に関わっているか、関わっていた人に対しては。君の直感が間違っているとは言っていない……直感が最良のツールであるのはよくあることだから。
Q. 私は乳癌患者です。何年も化学療法を受けてきました。今あなたの人生の功績に少し圧倒されていることを認めざるをえません。子どもはおらず、本を書いたこともなく、私があとに遺していくものは何一つありません……自分の人生を無意味だったと感じているわけではありません。家族や功績をのぞいた場合、あなたにとっての人生の意味の本質とはなにかを教えていただけないでしょうか?
A. これまでにやり遂げてきたことで人生を要約できて幸せだ。だが私が思う真実は、人間は他者を通して生きているということだ。すべての会話の中で、すべての交流の中で。多くの対話の、そのひとつひとつが両者に変化をもたらす。それこそが人生の意味なのだ、と私は思う。
Q. なにか後悔はある?
A. 心当たりはないよ。私たちはみな最善を尽くしている、そうだろう?たとえそう見えないときでさえ、一人一人が常に、どんなゲームであれ全力で戦っている。私はそう思っている。だとしたら「後悔」は的外れな感情だ。「たられば」を願うのも同じことだよ。
Q. 最期の日々をどう過ごしたいですか?
A. 最期の日々は、とっぷりドラッ グ漬けにして欲しいね。:)
Q. ベルギーのようなシステムを獲得するために、アメリカ人の僕にはなにができるでしょうか?自分の体が激痛の中シャットダウンしていく前に、自分で人生を終わらせることができると知れたら、きっと今より幸せになれると思うんです。
A. おそらくこのAMAで最高の質問だね。トップコメントになるべきだ。
州レベルで取り組みなさい。計画死は、私に言わせれば、基本的人権のひとつだ。気分を晴れさせるドラッ グを自由に手に入れられることと同じく。つまりそれは個々の自由の問題、苦痛を味わわない選択、他人に定められた過酷な「道徳的」慣例からの解放だ。
そのために戦いなさい。団体を見つけて参加し、時間と資金をつぎ込み、自分の持っている能力で協力しなさい。幸せな話も、悲しい話も、リアルな当事者たちの体験談を語ることだ。「Death Panel(訳注)」などというおぞましい嘘に、患者と家族が立ち向かうこと。立法者のもとに、州レベルで、繰り返し繰り返し、理解されるまでこの問題を持ち込むこと。
(訳注:「死の審査会」=米共和党のサラ・ペイリン氏がオバマ大統領の医療保険制度改革法案に対し行った発言。)
└・オレゴン州では既に合法だよ。ベルギーのシステムと比較してどうかは分からないけど。
(訳注:素晴らしいスレッドを立てた人やコメントをした人に贈ることができる特典)
OPはこのAMAの5ヶ月後、2016年10年4日に、ご自身の意思で息を引き取りました。最後のツイートがこちらです。
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元スレ:(2016/05/10)
(OP)
ライターでフリーソフトウェア開発者のPieter Hintjensだ。癌で死に至ろうとしている。AMA(なんでも聞いてくれ)!
略歴:最新著書は『Social Architecture』、オンラインコミュニティー立ち上げの指南書だ。その他の著作は『The Psychopath Code』、『Culture & Empire』、『ZeroMQ』(オライリー)。GitBookで無料で読めるよ。17歳のころからプログラミングをしている。2007年にZeroMQ(あらゆる言語で書かれたハイパフォーマンスな分散型ソフトウェア向けフリーソフトウェア)コミュニティーを立ち上げ、優しい独裁者となった。
5年前に胆管癌になった。先月のCTとPETスキャンと細胞診で、両肺への転移が発覚した。侵襲性の強い癌で、化学療法はあまり(あるいは全く)効果がない。だからこの世を去る準備をしている。現実的な方法で、つまりプロジェクトを徐々に終わらせ、幼い子どもたちに変化への準備をさせ、死を計画している。
私の国ベルギーでは安楽死が合法で、状況が悪くなればそれを利用するつもりでいる。誤解のないように言っておくと、いつ実行するかはまだ定かじゃない。化学療法が効くかもしれない。友人や家族や猫たちからの愛が私を魔法のように癒すかもしれない。今の私に分かっているのは、両肺が毎週少しずつ悪くなっていること、そして腫瘍医が希望があるふりをしようとすらしていないこと。
証明:私のブログ記事、『A Protocol for Dying』に入院中の概略報告書のスキャンを載せてある。下にスクロールして。フランス語で私の癌とFOLFOX療法について説明されている。ブログのホームからこのAMAへリンクもしておいたよ。

ライターでフリーソフトウェア開発者のPieter Hintjensだ。癌で死に至ろうとしている。AMA(なんでも聞いてくれ)!
略歴:最新著書は『Social Architecture』、オンラインコミュニティー立ち上げの指南書だ。その他の著作は『The Psychopath Code』、『Culture & Empire』、『ZeroMQ』(オライリー)。GitBookで無料で読めるよ。17歳のころからプログラミングをしている。2007年にZeroMQ(あらゆる言語で書かれたハイパフォーマンスな分散型ソフトウェア向けフリーソフトウェア)コミュニティーを立ち上げ、優しい独裁者となった。
5年前に胆管癌になった。先月のCTとPETスキャンと細胞診で、両肺への転移が発覚した。侵襲性の強い癌で、化学療法はあまり(あるいは全く)効果がない。だからこの世を去る準備をしている。現実的な方法で、つまりプロジェクトを徐々に終わらせ、幼い子どもたちに変化への準備をさせ、死を計画している。
私の国ベルギーでは安楽死が合法で、状況が悪くなればそれを利用するつもりでいる。誤解のないように言っておくと、いつ実行するかはまだ定かじゃない。化学療法が効くかもしれない。友人や家族や猫たちからの愛が私を魔法のように癒すかもしれない。今の私に分かっているのは、両肺が毎週少しずつ悪くなっていること、そして腫瘍医が希望があるふりをしようとすらしていないこと。
証明:私のブログ記事、『A Protocol for Dying』に入院中の概略報告書のスキャンを載せてある。下にスクロールして。フランス語で私の癌とFOLFOX療法について説明されている。ブログのホームからこのAMAへリンクもしておいたよ。
2006年、ベルギーは規則に従った安楽死を部分的に合法化した。2015年12月現在、ベルギーは世界で最も先進的な幇助自殺法を備えた国である。
- 患者は成人であり、「緩和不可能な耐え難い肉体的もしくは精神的苦痛に絶え間無くさらされている不治の状態」にある。
- 患者は長期的に医療を受けている必要があり、安楽死/医師による自殺幇助は永住者にのみ許可される。
- 複数回の要求が、委員会によって審査され、2人の医師によって承認される必要がある。
2014年にベルギーは世界で初めて、不治の病にかかった子どもが自分たちの行動の影響を理解している場合、要求に応じて安楽死を認める国となった。Wikipediaより翻訳引用
(訳注:以下、OPのブログ記事『A protocol for Dying』からの翻訳引用文をはさみます)
Q. 調子はどう?
A. 正直言って、かなり良い。ほとんどはどうにか元気でいる。診断と近い将来この世を去るという現実に研ぎ澄まされている。私の頭脳は今とても活動的だ。先週は新刊『Social Architecture』を書いた。未出版の文章を集め、形になるよう編集し、体裁を整えて、出版したんだ。全部で1時間半かかった。
だから、かなりうまくいってると言おう。:)
Q. やあ、僕もだよ!あと約2週間でこの世を去る。ユーザー名(14_days_left)でわかるよね。これまでのあなたの最大の功績は?
A. うーん、最も満足しているのは、子どもたちの父であれたこと、著作、たくさんの素晴らしい人たちと仕事ができたことだよ。
Q. 医者に行って調べてもらおうと思うほどになにかがおかしいと気づいたのはいつ?
A. 空咳が止まらなかった。最終的にこれはインフルエンザじゃないと気がついた。体重が減り、ろくに眠れなくなり、仕事もストップした。私のGitHubプロフィールで、文字通りそれが見てとれるよ。
(訳注:GitHubの活動状況が示された表。灰色のマスが活動なし)
Q. 亡くなる時ってどんな感じか考えてる?あなたの肉体が通過するプロセスがどんな感じか。技術面の調査をした?
A. あぁ。死のタブーを、とりわけ、生と死の間に未だに存在する沈黙と感情の壁を打ち破るとしよう。:)
そう、それがどのようなものか、私はかなり良い考えを持っている。最初の注射で眠りにつき、ほぼ昏睡状態となる。次の注射から5分後、心臓が止まる。
一瞬だ。つかの間の、バラ色。そして、白。意識が機能しなくなってから脳が完全にシャットダウンするまではもう数秒かかるだろうが、そこにはなんの「感情」も起こらないだろう。
Q. 最期の時は誰かにそばにいて欲しい?
A. そこにいたいと望む人には立ち会わせるつもりでいる。私にはどうすることもできない個人的選択だ。子どもたち、あの子たちには願わくはいて欲しい。死を目の当たりにすることで、その不可解性やそれに対する恐怖心を失くせるだろうから。
Q. 子どもたちにはどう知らせたの?わかってもらえた?胸が張り裂けるようだった?
A. これについては『A Protocol for Dying』に書いてある。最初のスキャン結果が出たとき、腫瘍医が家に電話をしてきた。彼女の所見では、写っているのは癌で、両肺が「癌でいっぱい」だと教えてくれた。そのときに子どもたちにその知らせを告げた。胸が張り裂けるようだったよ。一瞬だったがね。
それ以来私たちは心を落ち着かせ、今では泣き叫ぶことも嘆き悲しむこともない。子どもたちはまだよく理解していない(いったい誰ができるだろう?)。だから、大きくなってから完全に理解するためのツールを与えておくことが重要なんだ。
子どもたちへの説明私の子どもたちは現在12歳、9歳、5歳だ。痛ましい、などなど、などなど。彼らは父親なしで成長していく。それは事実だ。彼らのDNAの中の、会議での長ったらしいスピーチを収めたYoutube動画の中の、そして著作の中の私を携え、子どもたちは成長していくだろう。子どもたちにはゆっくりと、数年にわたって、何度もこのように説明してきた。「いつの日か、私は死ぬ。まだまだ先のことかもしれないし、もうすぐかもしれない。私たちはみな死ぬ。あぁ、お前でさえもだ、幼いグレゴール。それは人生の一部なんだ」
LEGOの箱を思い浮かべてごらん。お前たちはLEGOで家を作る。それをそのままとっておく。新しい家を作り続けて、古い家はひとつもくずさない。何が起こる?「箱が空っぽになるよ、パパ」あぁ、正解だ。そしたら新しい家を作り続けられるかい?「ううん、できない」さて、私たちはLEGOの家みたいなものだ。人が死んだら、そのピースは箱に戻る。私たちは死に、新たに赤ん坊が生まれる。それが輪廻というものだよ。「A Protocol for Dying」より翻訳引用
Q. 家族はあなたを愛していて、決断をサポートしてくれてるとのことだけど、あなたの亡くなりかたについて家族と話し合ったことがある?彼らがあなたの決断を支持しながらも、別の選択をすることを願っているんじゃないかと心配してる?
A. そのプロセスは私の父のときに経験したんだ。父は今年のイースターに安楽死した。家族全員が、それがどれほど効果的かはっきりとわかっていた。社会関係を共有する人々、家族、友だちの観点から見ても、技術的な細部から見ても。葬儀の重く悲惨で、ショック状態の空気とはまったく違う。劇的場面も苦しみもなく、別れとつかの間の悲しみがあるだけだ。
おそらくその経験がなければ、確信は今ほど大きくはなかっただろう。個人的には、決断を下すことにもっと悩んだだろう。だが父のときの経験を経て、私たちは全員一致で賛成した。それに正直に言うと、衰弱し、多臓器不全に苦しみ、「信条」を失っていく私を見る方が良いと言う人がいたら、私はおそらく彼らに目の前から立ち去って、二度と話しかけないでくれるよう頼むよ。
死にゆく人への話しかけ方
死期が迫っている人間(彼を「ボブ」としよう)に話しかけるのは、ひどく気まずいことかもしれない。ここでは他者(彼女は「アリス」と呼ぼう)がボブに言わない方がいい主な発言を挙げていこう。
- 「頑張って!望みはあるはず。戦わなきゃ!」すでにボブは出来る限り戦っていると考えてさしつかえないだろう。しかしそうでなかったとしても、それは完全にボブの決めることなのだ。
- 「なんてこと。とても悲しい。どうか死なないで!」これは一度うちの娘が発した言葉だ。私は事実に反論は不可能なのだということをやさしく説いた。死は意見ではない。事実に腹を立てたり悲しんだりすることは、時間の無駄である。
- 「あなたなら病気に勝てる!先のことはわからない!」これはアリスの希望を表したものである。間違った希望は薬ではない。良い化学療法の薬や精神安定効果のある鎮痛剤、これが薬である。
- 「代替療法があるって噂を聞いたの」これは私からアカウントBANされる発言だ。幸運にも数回しか聞いたことがない。奇跡的回復法があるとしても、そのコストとそれを探すストレス(他者の)は身勝手で分不相応だ。知ってのとおり、成功のチャンスは宝くじ方式だ。人間は生き、死ぬのだ。
- 「聖書のこの章をお読みなさい。きっとあなたの力になる」これは失礼かつ攻撃的だ。もちろん的外れで傲慢でもある。もしボブが宗教的助言を欲しているのなら、行きつけの教会の神父と話すだろう。もしそうでないのなら、そんな話をするべきではない。これもまた私のアカウントBAN対象だ。
- つまらない質問に従事すること。これは受動的捕食だ。ボブに何度も何度も、「起こしちゃった?」のような、ささいでバカバカしい質問に答えるよう頼むこと。ボブはのらくらした世間話をしたいムードではなさそうだ。そんなものよりも、そばにいる人たち(物理的に)や興味深いことを求めている(後述)。
なによりしてはいけないのは、ボブに電話をかけ、電話口で泣き崩れることである。もし泣きそうになったなら、電話を切り、10分待って、再度かけ直しなさい。泣くことはかまわないが、ボブにとっては、何よりも暗い自己憐憫の脅威が不気味に迫ってくる。私は感情をコントロールする術を学んだが、他の「ボブたち」のほとんどは不安定になるだろう。「A Protocol for Dying」より翻訳引用
Q. 私はクリスチャンです。あなたを勧誘しようとしているわけではなく、純粋に興味があって質問します。あなたは神を信じますか?亡くなった後に神とまみえると思いますか?こういった分野について考えたことはありますか?
A. 私は人間中心主義者(無神論者)で、一致協力した人々の力を信じているよ。それが実際、現実に即しているように思える。神や精霊、いや、そういうものは私が物事を理解するために使っているモデルのパーツじゃないんだ。
└(質問者) 興味深いですね。ご回答に感謝します。もしこう言って意味があるのなら、私はあなたのことを考え、あなたのために神に祈ります。ここで経験を話してくれてありがとう。:)
└(OP) どういたしまして。:)
Q. 子どもたちとの一番お気に入りの思い出はなんですか?(彼らの誕生は別として)
A. 子どもたち……私たちの最高の時間は、一緒にキャンプに行ったときだ。私と、あのワイルドギャングたちとでね。去年は3回キャンプをした。チャンスがあれば毎回、家を離れて、車いっぱいに物をつめこんで、フランスまで行って、テントに入るんだ。
Q. お子さんたちはあなたの跡を継ぐつもり?それとも他の道へ進む目標を持ってる?
A. 子どもたちは、私の生活や仕事の詳細に関心を持つには幼すぎる。成長するにつれて自分たちの道を見つけるだろう……願わくは、幸せな道を。
関連記事:【偉大な両親】ハリウッドスターの息子だけど、なんか質問ある?【息子の苦悩】
Q. 病気のことお気の毒に思います。診断があなたの日々の生活を劇的に変化させましたか?
A. あぁ、変化は劇的だったよ。例えば、私はずっとフリーソフトウェアコミュニティーに深く関わってきた。始めにやったことのひとつが、自分が抱えている全責任と全財産を調べること、それらのための安全な家を見つけようとすることだった。そして見つけた。今ではコミュニティーからほとんど退いているよ。例えばここ数年間私のメインフォーカスだったZeroMQコミュニティー。他の人たち、友人たちが引き継いで監督している様子を目にして、とても気分が良かった。
「来月なにをしなければいけないか?」への集中がすべてを変えた。
それに今は体力が衰えてしまって、例えば、家から遠くへ行くこともかなわない。だから友人たちや家族の我が家への訪問を歓迎しているよ。昔はめったにしなかったことだ。
ボブの義務
やらなくてはいけないことがあるのはアリスだけではない。ボブもまたこのプロトコルに従う責任がある。ボブには少なくとも、以下の仕事がある:
- 幸せでいること。陳腐に聞こえるかもしれないが、本質である。もしボブが不機嫌に落ち込んでいるつもりなら、アリスは彼に話しかけるたびに惨めな気持ちになるだろう。
- 言うまでもないが、身辺整理をすること。私はこれまで数年間この世を去る準備をしてきた。だからいつでも自分を簡単に処分できるようにしてある。家族面では、それはできない。仕事面では、あぁ、数年かけてZeroMQコミュニティーの重要な役を退いてきた。
- 全てのストレスとコストをできる限り取り除くこと。例えばベルギーでは安楽死が合法だ。すでに主治医に準備を頼んである(いや、まだ!時が来たら……)。周りには死ぬ前に別れを言いに来てくれと伝えた。後ではなくて。葬式は不要だ。体は大学に提供する、大学側が欲しいなら。
- 現実的でいること。希望は薬ではない。すでに説明したとおり。もし医者と交渉するつもりなら、実用主義でみんなの興味のあるものにしよう。私は主治医に実験的な化学療法を好きなだけ試していいと言った。彼らのデータのためだ。それは私にできる最低限のことだったが、おかげで余命が5年以上延びた。
- 厳しい最悪の状況を当然と仮定すること。腫瘍医がスキャンを見た時、すぐに私に電話して、彼女の意見では癌で、両肺のいたるところに拡がっていると教えてくれた。私は受話器を置き、子どもたちに告げた。翌週子どもたちの学校に電話し、最悪を予想して欲しいと言った。その後弁護士に、その後公証人に。10日後に細胞診で癌が正式に判明した。最悪の状況と決めてかかったおかげで、深く悲しみ、準備するための10日以上の余裕が持てた。
- 他者と正直で率直な関係を築くこと。深い悲しみは時間を要すが、ボブと彼の死について語ることができれば、はるかに容易に処理していける。死は恥ずべきものでも、失敗でもないのだ。
「A Protocol for Dying」より翻訳引用
Q. 子どもたちのために何かを記録したり、本にしたり、その他のデジタルかアナログの資料にしておこうと思っていますか?もしそうなら、なにをどんな形にしますか?
A. うーん、いい質問だね。ここ数年、子どもたちが読んで考えられるように、計画的に資料を蓄積してきた。それが私が物書きになった理由の一部であり、『The Psychopath Code』のような本を書いた主な理由でもある。例えば、娘が生まれてからずっと、彼女に宛てて日記を書き続けている。印刷して本にして、娘にあげるつもりだ。USBは失くしてしまうだろうから。本の方が安全に保管できる。
だが子どもたちへの一番の贈り物は、数年間で彼らに教えてきたことだと思う。自分の力で信ずる道を進んで行くこと、いじめっ子たちに立ち向かうこと、恐れを抱かず世界を探検すること、混沌を脱し秩序を創造する責任を負うこと。子どもたちは幼く、私を忘れてしまうだろう。一番年少の子(5歳)は特に。だが過去数年(と可能な限り一緒に過ごしてきた瞬間、様々な経験)が子どもたちの心の奥底に存在し、それが私から彼らに与えた最大のリソースであると信じたい。
まさにこれが、来たる死への対処が、彼らが注意深く見つめ、そこから学ぶことのできるものだ。学ぶ気があれば、万事が授業となる。
Q. 子どもたちが人生の節目節目に開けて読む手紙を残そうと考えたことある?
A. 手紙を書こうとは考えていないよ……あの子たちのことは私がよく分かってる。手紙を見つけたら、一度に開封して、よく理解できず、すべて失くしてしまうだろう。それが私が本を書いた理由の一部なんだ。失くすことのない物を子どもたちに残すためだよ。
Q. 子どもたちの将来のビッグイベントで流すための動画を詰め込んだ大量のUSBメモリを誰かに託して、子どもたちへ配ってもらうのはどう?
A. それにはたくさんの組織化が必要なようだし、脆弱性がある。
「大学卒業おめでとう!」
「あー、親父。あんたがこの世にいないのはわかってるけど、俺、1年で退学した後バンド始めて、今日本でツアー中なんだ」
それになんだか……子どもたちの人生への強引な介入は不自然に思えるんだ。場所や出来事の写真を撮ることが、どれだけ人の記憶をまったく歪めてしまうか、知っているだろう?記憶というのは繊細で、私に言わせれば、それ自身のスペースを必要とするものなんだ。
Q. 「ハッピーバースデイ」動画を事前に撮りためておくのは病的かな?それともいいアイディア?けど、他の人もコメントしてた「Verkoop de huid niet voor de beer geschoten is.(クマを撃つ前に毛皮を売るな)」に賛成するよ。:-)
A. ある観点から見ればいい考えだ。だがまったくもって空虚で無意味に思えるよ。
一般的な目安として:映画の中でクールに見えるかもしれないものは、すべてがくだらない。
Q. 人生の物事(家族、将来の愛する人、常に考えてなきゃいけないこと、などなど)に思いを巡らせている25歳に、どんな知恵を授けてもらえますか?
A. うーん、人はみなそれぞれ違う。だから誰かに合うものが、他の誰かにも合うとは限らない。
こう言うとしよう。仕事に励みなさい。幸せでありなさい。人やプロジェクトの些細なリスクを取ることを恐れてはいけない。それと、サイコパスに関する私の本を読みなさい。あれに書いたことが君の役に立つかもしれない。
└(質問者) 僕は元恋人がサイコパスだったとかなりの確信を持ってます。だから絶対あなたの本を読みます!ありがとう!
└(OP) 参考までに、他者にレッテルを貼ることには慎重になりなさい。とりわけ君が個人的に関わっているか、関わっていた人に対しては。君の直感が間違っているとは言っていない……直感が最良のツールであるのはよくあることだから。
関連記事:【人間社会の捕食者】サイコパスだけど、なんか質問ある?【暴力+心理操作】
Q. バケットリスト(生きてるうちにしておきたいことリスト)みたいなものがある?
A. 人生でたくさんのことをやってきた。子どもたちと一緒に家で過ごすのはとても気分がいいよ。ちょっと前に書いたみたいに、既に愛を手にしているなら、誰がバケットリストなんか必要とするだろう?
本をもう一冊書き上げたいとは思っているけどね。
A. 人生でたくさんのことをやってきた。子どもたちと一緒に家で過ごすのはとても気分がいいよ。ちょっと前に書いたみたいに、既に愛を手にしているなら、誰がバケットリストなんか必要とするだろう?
本をもう一冊書き上げたいとは思っているけどね。
関連記事: 【美しき世界を】失明するから旅に出たけど、なんか質問ある?【記憶の中へ】
Q. 私は乳癌患者です。何年も化学療法を受けてきました。今あなたの人生の功績に少し圧倒されていることを認めざるをえません。子どもはおらず、本を書いたこともなく、私があとに遺していくものは何一つありません……自分の人生を無意味だったと感じているわけではありません。家族や功績をのぞいた場合、あなたにとっての人生の意味の本質とはなにかを教えていただけないでしょうか?
A. これまでにやり遂げてきたことで人生を要約できて幸せだ。だが私が思う真実は、人間は他者を通して生きているということだ。すべての会話の中で、すべての交流の中で。多くの対話の、そのひとつひとつが両者に変化をもたらす。それこそが人生の意味なのだ、と私は思う。
アリスがボブを幸せにできるかもしれない話を挙げていこう。なにより大事なのは、幸せ以外のどんな感情も見せないこと、そしてボブが対処しなければならない新しい物事を持ち込まないことである。
- 一緒に経験した昔の冒険話。あの時のこと覚えてる?おやおや、そうだね、そんなことをしたね……とても楽しかったね!
- 臨床上の詳細。ボブ、彼はベッドに伏せっている。おそらく介護のルーチン、スタッフ、薬、そして何よりも病気に取り憑かれている。手分けしなければいけないボブの仕事は簡単に思いつける。
- 技術的な詳細についてボブに協力する。身辺整理は複雑で、多くの手と頭を必要とするものだ。
- 「あなたの本を買ったの」どうやらボブは私と同じく物書きのようだ。アリスは気を使って買ってくれたのかもしれないし、心から欲しくて買ったのかもしれない。どちらにしろ、これはボブを笑顔にする行為だ。
「A Protocol for Dying」より翻訳引用
Q. なにか後悔はある?
A. 心当たりはないよ。私たちはみな最善を尽くしている、そうだろう?たとえそう見えないときでさえ、一人一人が常に、どんなゲームであれ全力で戦っている。私はそう思っている。だとしたら「後悔」は的外れな感情だ。「たられば」を願うのも同じことだよ。
Q. 最期の日々をどう過ごしたいですか?
A. 最期の日々は、とっぷりドラッ グ漬けにして欲しいね。:)
Q. ベルギーのようなシステムを獲得するために、アメリカ人の僕にはなにができるでしょうか?自分の体が激痛の中シャットダウンしていく前に、自分で人生を終わらせることができると知れたら、きっと今より幸せになれると思うんです。
A. おそらくこのAMAで最高の質問だね。トップコメントになるべきだ。
州レベルで取り組みなさい。計画死は、私に言わせれば、基本的人権のひとつだ。気分を晴れさせるドラッ グを自由に手に入れられることと同じく。つまりそれは個々の自由の問題、苦痛を味わわない選択、他人に定められた過酷な「道徳的」慣例からの解放だ。
そのために戦いなさい。団体を見つけて参加し、時間と資金をつぎ込み、自分の持っている能力で協力しなさい。幸せな話も、悲しい話も、リアルな当事者たちの体験談を語ることだ。「Death Panel(訳注)」などというおぞましい嘘に、患者と家族が立ち向かうこと。立法者のもとに、州レベルで、繰り返し繰り返し、理解されるまでこの問題を持ち込むこと。
(訳注:「死の審査会」=米共和党のサラ・ペイリン氏がオバマ大統領の医療保険制度改革法案に対し行った発言。)
└・オレゴン州では既に合法だよ。ベルギーのシステムと比較してどうかは分からないけど。
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(OP)
見知らぬ人、redditゴールド(訳注)をありがとう!初めてredditでもらったゴールドだ。誇りに思うよ。今FOLFOXを注入されているところだ。今後も回答を続けるよ。病院にWiFiがあってよかった。
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(訳注:素晴らしいスレッドを立てた人やコメントをした人に贈ることができる特典)
(安楽死するよ。出発予定時刻は午後1時。言い遺すことは、なにもない。)I'm choosing euthanasia etd 1pm.
— Pieter Hintjens (@hintjens) 2016年10月4日
I have no last words.
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積極的安楽死が認められるようになればいいな。