カキタクナッタラ

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出力することを忘れないように何かを書きます

初めてケータイを持たせてもらった頃(90年代後半)のケータイ文化を振り返る

今週のお題 思い出

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今週のお題「おもいでのケータイ」

ということで、特定の機種に対する思い出を振り返ってみようとも思いましたが、昔のケータイ文化を振り返ったほうが話も膨らみそうなので、私が初めて携帯電話を持たせてもらった頃のケータイとはどんな感じだったか?について、あれこれ書いてみようと思います。


blog.hatena.ne.jp



目次

初めてケータイを持ったのは90年代後半

私が初めて親にケータイを持たせてもらった中学3年生の3学期頃、「携帯電話」ではなく「PHS(ピッチ)」でした。

学校や地域差などにもよると思いますが、当時通っていた学校で最も一般的なケータイを持つまでの流れはこんな感じでした。

・中2後半〜中3前半→ポケベル
・中3前半〜中3後半→携帯 or PHS
・高1→携帯


ケータイの前はポケベルだった

というわけで少し話はそれますが、ケータイを持たせてもらうまではポケベルを使っていました。(中3の前半)

ポケベルって今の10代や20代の人は体験を恐らくしていないと思うのでピンとはこないかもしれませんが、相手のポケベル番号に固定電話や公衆電話から通話をかけて通話中にダイヤルをすることで、番号の組み合わせからメッセージを作成して相手のポケベルに送信することができます。

メッセージの作り方は例えば「11」とダイヤルすると「あ」という文字が作れます。「12」「い」「32」なら「し」です。

例えば「1112324493」とダイヤルすると「アイシテル」というメッセージを作成することができます(笑)

そんなポケベルで何するのかというと、ほとんどは相手のポケベルに「テルして」というメッセージを送って、相手から家の固定電話にかけなおしてもらうためのものでした。たまに「なにしてるの?」などといった簡単なコミュニケーションもとったりした記憶はありますが…。

今思えば決して便利なものではなかったので、初めてケータイを持った日からポケベルを使うということは一切なくなりました。


通話とショートメールしかなかった

ケータイの話に戻ります。私が中3の頃に初めて持たせてもらったPHSDDIポケットのものだったと記憶しています。今ではケータイ(スマホ)でインターネットも当たり前のように使えるし、アプリでいろんなことができるようになりましたが、当時のケータイはあくまでも通話機能とショートメール機能しかありませんでした。

通話も今のようにかけ放題プランのようなものはなかったので、友達と長電話していると通話料が青天井でかかりますし、メールでメッセージを送るのにもお金がかかりました。無駄に使いすぎて親によく怒られたものです。(高校になってからは自分で払うことになりました)

物理的に伸ばすアンテナがついていた

昔のガラケーというと、必ず本体にはラジオのアンテナよりも安っぽい伸縮可能なアンテナがついていました。

今よりも電波の掴みが悪く、通話をする時はこのアンテナを伸ばしていないと通話が切れる印象を持っていたので(実際のところ、あのアンテナに意味があったのかは不明)電話をする時は必ずアンテナを伸ばす、何もない時でもアンテナをよく弄っていたため、やたらとアンテナ部分だけがすぐに摩耗していったものです。

光るアンテナというものがあった

このアンテナ部分は簡単に着脱することができたので、当時は今でいうスマホのケースみたいにアンテナを(光るアンテナ)にするのが流行っていました。

光るアンテナというのは「受発信をする時や通話中にアンテナの先端部分が光る」ただそれだけのものなんですが、特に中高生はそういうのを弄りたくなるもので光るアンテナにしている若者は多かったと思います。

ちなみに、この光るアンテナは基本的に純正品ではないので、それによって何か問題が生じても(電波の掴みが著しく悪くなったとか)メーカーの保証は効かないものでした。


着メロ(着信音)は単音だった

今では実際の音声データを着信音に設定できるのはもう当たり前になっていますし、10年くらい前でも着うたフルのようなものは既にありましたが、私がケータイを持たせてもらった当時のケータイは単音しか着メロに設定することができませんでした。

しかも、着メロの設定は少し前のガラケー文化で当たり前だった「着メロサイトで簡単に設定できる」ものではなく、自分でケータイにメロディーを手入力して設定するというものでした。

当時はコンビニに「着メロを作るための本」が売っていて、その本を読めば流行の曲を手入力して着メロに設定することができたので、皆よくコンビニでその本を立ち読みしながら、好きな曲を着メロに設定していたものです。

着メロはその後、私が高1の秋か冬くらいに初めて「3和音」のものが登場して、そこから何年かごとに「16和音」→「着うた」→「着うたフル」と進化していき、現在に至ったと記憶しています。

画面はモノクロだった

今でこそカラー液晶は当たり前になっていますが、私が初めて持たせてもらったケータイはモノクロでした。そしてバックライトの色が緑かオレンジのどちらかに設定で選べた記憶があります。

今思うと、カラー液晶のケータイが完全に浸透するまではけっこう時間がかかったんじゃないかと思います。たしか私が18〜19歳くらいの頃に、ようやく誰しもがカラー液晶のケータイを使うようになったと思うので、初めてケータイを持ってから3〜4年はモノクロが主流だったということになります。

iモードやez webといったインターネット

私が初めて持たせてもらった当時は通話とショートメールくらいしか機能はありませんでしたが、iモードはその直後の私が高1の時に始まって、クラスにはiモード対応のケータイを使っている友達もいました。

私はドコモのケータイを使ったことがないので、初めて使ったケータイのインターネットサービスはTU-KAのez webでしたが、たしかそれが高2か高3くらいの出来事でした。

今の子たちは中3くらいにもなれば、既にインターネットを使いこなしてアプリでゲームをしたりSNSでアカウントを持っていたりするので、本当にここ20年以内でケータイ文化はここまで進化したかと感心させられることばかりです。

写メールという技術革新

今の子たちは「写メ」という言葉を使わないという記事を以前に読んだ記憶があります。(インスタ(インスタントカメラの意)とか言うらしい)写メールサービスが始まったのは私が高1の頃です。

当時はJ-PHONE(現ソフトバンク)という会社があって藤原紀香さんが写メール対応のケータイや和音対応のケータイCMに出演していた記憶があります。

この頃はチェキが流行っていたり、プリクラもシールタイプのもので写真のやりとりはいわゆる「紙媒体」のみでした。それが印刷をしなくても写メールで簡単に友達と写真をやりとりできるようになったわけですから、それはそれは「革命的」でした。

PCとデジカメがあればEメールで撮影したデータのやりとりをすることはできますが、当時の同世代でPCを持っている友達はほとんどいなかったので(今みたいに家電化していなかったし、回線速度も遅かったし、本体も高かった死)写メールというのは本当にそれまでの文化を大きく変える存在だったと思います。

パカパカ(二つ折り)が流行った

私が初めてケータイを持たせてもらった頃は、パカパカタイプのケータイは存在せずストレートタイプばかりでしたが、それから1年半くらいすると(私が高2の頃は)一気にパカパカが普及して浸透していきました。

パカパカ全盛期はほとんどストレートタイプを使っている友達はいなかったと記憶しています。ドコモが比較的パカパカの登場が早くて、非ドコモユーザーの私は早くパカパカを使ってみたくてやきもきしていたことを憶えています。

そういえば今でもガラケーを使っている人は、かなりの割合でまだパカパカを使ってますよね。

おわりに

あれから20年弱、あっという間にケータイという文化は当時の自分が想像もつかないところまで進化していきました。私が学生の頃はPCですら一家に一台という感じでは全くありませんでしたが、今やスマホが便利すぎてPCが使えない若者が増えてきているとまで一部で囁かれている時代です。

ケータイの登場であれだけたくさんあった街中の公衆電話や電話ボックスも今じゃなかなか見られなくなりました。(スマホが故障した時とかはちょっと不便)

それに昔は固定電話以外で「いつでもどこでも」通話ができるだけでも有難かったものですが、今は通話なんてほとんどしない(通話が嫌い)という人もかなり増えてきています。(私もその中の1人)

この産業は本当にここまで目まぐるしく進化していき、これから先もまだまだ想像を超えるような進化があるのかと思うと、なんだかワクワクしますね。


でででーさん
d3dayo.hateblo.jp