韓経:【コラム】原本のない韓国社会の悲劇

韓経:【コラム】原本のない韓国社会の悲劇

2017年03月10日14時39分
[ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版]
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  「カントの本に本当にそのような文章がある?国内の専門家に聞いてみたところ、初めて聞く文章なんだって。余計なことをしたじゃないか…」。友人の不機嫌な口調の答えを聞いてもう一度本を開いた。確かにある。私の目には見えるが、一生勉強したという専攻者の目は見えないとは理解し難い。

  カントの『永久平和のために』の中で「そもそも国家権力が支配するすべての力の中で最も信頼できるのはお金」という文章だ。彼が71歳である1795年に書いた本の中心命題がこの部分にある。戦争を防止して永久平和を実現するためには国家間の友好通商と交易拡大という商業精神が最も重要だということだ。ここで国際連盟論が芽生えた。「マクドナルドが進出した国同士に戦争をしたことはない」という理論の根元でもある。

  いったい専攻者さえ原典をまともに読んでいないとは!ひょっとして目に入るところだけを読み、残りは大したものでないと考えたのだろうか。『純粋理性批判』でも『人倫の形而上学』などの高邁な哲学でなく、「お金」という世俗の用語が出てあえて飛ばしたのだろうか。結局、何ページ何行目にその部分があるということを確認させてから友人は安心して電話を切った。翌日、「その方から『今まで何をしていたのだろう』とのことに気付かせてもらって感謝するんだって」と言われた。

  原本をいちいち読むことほど大事なことがもう一つある。原本を確認することだ。一昨日、発表された『熱河日記』版本の比較研究結果、草稿本とその後の筆写本がそれぞれ異なるということが明らかになった。草稿には寄生虫を防ぐために鶏翼の間の毛を抜く現地の風習が生々しく描写されているが、修正本ではこれを墨で消した跡が発見された。清の少女が可愛いという部分も抜けており、天主教に関する内容も削除された。正祖のの文体反正、天主教迫害のためだろう。それでも40種に近い各所蔵本を比較して正本化するというのは嬉しいことだ。

  インターネット時代の副作用も問題だ。詩人らは正体不明の詩が自身の名前がついたまま飛び交っていることに対してどうすればいいかと嘆く。詩語や行の交換を勝手に変えたのは普通だ。数行が丸ごと省かれたり、内容を付け加えたりしたものも多い。タイトルが変えられた例はご愛嬌だ。そのため、「インターネットからコピペするのではなく、どうか詩集から原文を探して読んでほしい」という声まで出てくる始末だ。

  メディアの弊害はどうだろうか。具体的な法案の内容や検察の捜査発表、裁判所判決を原文の通りに読み終わって分析してから報じるべきだが、必要なところだけを取り出して抜粋・引用・再解釈する場合が多い。政治・社会的宣言文や声明書のように色のある文章はなおさらだ。

  日常生活に直結する契約書は最後までも読まない。最近、自殺保険金の騒ぎもそうだ。約款が間違って入っているとか、発案者が外国のものをそのままコピーしたとか、笑えないニュースが多い。

  このような社会では「偽ニュース」が幅を利かせる。実際に無い話を作り出すことより悪いのは「悪魔の編集」だ。断章取義とは、詩文の一部を取り出して隠された意味を生かすことを言うが、これを悪用して個人や社会を病ませればそれは毒薬に他ならない。最近、学生たちを相手にした「偽読書」まで登場した。大学入試選考向けに本を要約するか、読書感想文を代筆するとは、なぜここまできたのだろうか。韓国社会全体の悲劇に他ならない。
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