読書の秋到来!映画よりずっとおもしろい
スティーブン・キングを読め!
この記事のポイント
- なぜスティーブン・キングを読まないの!?
- 日本人がもっとも不得意な概念「善と悪」を描く
- ゴミ箱から復活した出世作『キャリー』
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┃なぜスティーブン・キングを読まないの!?
スティーブン・キングって、本当に才能がある。でもあまり読まれてないんですよ。
映画を見た人は多いのに、原作を読んだって人ほんとにいないんです。『シャイニング』『スタンド・バイ・ミー』『グリーンマイル』
『ショーシャンクの空に』もスティーブン・キングですよ?こんなに多いのに、あまり読んだ人がいない。
マイケル・クライイントンも同じなんですね。『ジュラシック・パーク』を見た人はすごくいるのに、読んだ人はあまりいないんですよ。ただ、マイケル・クライントンに関しては「みんなもっと読めよ!」とは思わないんですけど、スティーブン・キングに関しては「なんでみんなもっと読まないのかな?」と思うんです。
なぜみんなキングを読まないのか。
日本人に不得意な概念を扱ってるんです。それは何かっていうと「善と悪」。キングの小説の中には、必ずといっていいほど善と悪という概念が出てくる。
最後には必ず善は勝つんだけど、代償を要求する。つまり何かが犠牲になる。
正義が勝つために最も大事なものが犠牲になるという、交換的な話になってるわけですね。
そういう善と悪は、僕らの中にはない。
貞子がなぜ貞子になってしまったのか。彼女が悪の世界にいったからでなくて、かわいそうだから。自分の恨みつらみの世界に閉じ込められてこんな風になったという、同情の余地のあるもの。お岩さんだってそうなんですよね。人間の恨みとは恐ろしいという話から、どうやればその恨みを鎮めてもらえるんだろうという、ある種のカミとして僕らは祀る話になる。
このカミっていうのは、キリスト教的な神でなくて、「たたり神」的なもの。稲を豊かに実らせてくれるのもカミであれば、お盆の時期に川で泳いだら足を引っ張ってくる怖いものもカミである。善悪でなく、人間の手が届く、届かない、怖い、怖くないという風な超自然的なものをいうんです。
最後には必ず善は勝つんだけど、代償を要求する。つまり何かが犠牲になる。
正義が勝つために最も大事なものが犠牲になるという、交換的な話になってるわけですね。
そういう善と悪は、僕らの中にはない。
┃日本人がもっとも不得意な概念「善と悪」を描く
キングの世界観はキリスト教的なもので作っているので、善と悪が出てくる。
『キャリー』もそうです。
小説の『キャリー』は映画版と違って、もっと青春ストーリーなんですね。
キャリーっていうのはいじめられっ子なんだけど、なんでいじめられるのかというとお母さんが、狂信的なキリスト教の信者なんです。それもカルト的なキリスト教の信者。娘に対して、お前は男の穢れた血で生まれてきた、とずっと教えてる。だから、生理があってはいけないみたいなことを言う。
キャリーにほかの友達よりずっと遅れて生理が学校であったとき、自分の足から血が出てるのがなんでかわからない。周囲の女の子からタンポンとか投げつけられ、いじめられるシーンから始まるんです。
いじめられるキャリーを書きながら、キングはいじめた女の子の方にも感情移入して書きます。いじめた方にも「あんな子いじめていいのよ」というグループと「あれはやりすぎじゃないの」というグループに分かれていき、主役のひとりが「やりすぎだったんじゃないか」と考えはじめるんですね。
やりすぎだと考えた子が、キャリーっと友達になりたいと思うんだけど、でもあんなことしたから無理だと思う。それで自分のボーイフレンドに、ブロムに誘ってあげてと頼むんです。その男の子はとても素敵な子なので、キャリーは喜ぶと考える。
男の子は「なんで俺がキャリーを誘わなきゃいけないんだ?」と言うので、その子は「私は何か失わないといけない気がする」と。キングの世界観はキリスト教的なもので作っているので、善と悪が出てくる。
ここにもキングの、何か善なることをするには、何か失わなければならないっていうテーマが流れてるんですね。
男の子は最初義務感というか、責任感でキャリーを誘うんだけど、そのうち徐々にキャリーがきれいに見えてくる。キャリーがきれいになるのではなく、その男の子にとってきれいに見えてくる。
キャリーがきれいに見えてくればくるほど、キャリーのお母さん、キリスト教カルト宗教を熱狂的に信じてるお母さんからしてみれば、昔自分が犯してしまった過ちがよみがえる。男とつきあってキャリーを産んでしまったという罪が反復されるわけです。
人間の罪悪感、何を罪とするのか?みたいなことが複雑に折り重なり始める。
キャリーをいじめていた子のひとりが罪悪感を感じていじめるのをやめると、まだいじめている子たちはムキになるんですね。自分の行為が悪いことになってしまうから。ここにも罪が発生する。
なので「もっとキャリーをいじめよう」ってなるんだけど、それについていけない人がバラバラ出てきて、一番悪い女の子は、もっと悪いことをしてキャリーを徹底的に落とさないと自分の座が危うくなってくる。
それが、最後のパーティの夜の惨劇にジワジワジワジワと近づいてくる。
┃ゴミ箱から復活した出世作『キャリー』
これ、読んでてうまい!と思って。
これデビュー作ですよ?
これ書いたとき、キングは高校の先生やりながらクリーニング屋でバイトしてて、10年間何書いても売れない。1日に30分とか40分くらいしか書く時間がない、でも書かないと気が狂う!とガーッと書いたものが『キャリー』
最初はこんなもんダメだと思ってゴミ箱に捨てたけど、奥さんが読んで「これ、おもしろいわよ」と言ったので出版社に出してみたら一発で通った。
それどころか、2週間後にブライアン・デ・パルマから電話があって「映画にしたい」と言ってきた。
急にバーンとサクセスロードをかけ上がっていったそうです。
キングはホラーを書くのに、とことん人間を書いてから徐々にキャリーに起きてくる現象というのを書く。
キャリーが追い詰められて、どれほどお母さんから自由になりたかったか、普通の女の子になりたかったか。
クラスの中に溶け込みたかったか。
これを後ろから押してくるのが超能力なんですね。その力はキャリーの救いでもあり、呪いでもある。
善を成すためにには大きな犠牲が発生するという、すごい大きなテーマを語ってるんですね。
ライター / 構成:歴史のカオリ