2017年3月11日05時00分
どんなに言葉を並べても、書き尽くせない体験というものがある。東日本大震災と福島第一原発事故がそうだった。だからこそ、というべきだろう。あの惨状を当時三十一文字に託した地元の人たちがいた。
《ふるさとを怒りとともに避難する何もわりごどしてもねえのに》津田智
戦後を代表する民俗学者で歌人でもある谷川健一さんは、亡くなる前年の12年、そうした約130首を選んで詩歌集「悲しみの海」を編んだ。
震災から6年。
いまも約8万人が避難する福島で広がるのは、県内と県外、避難者とその他の県民、避難者同士という重層的な「分断」である。
朝日新聞と福島放送が2月末におこなった世論調査で、福島県民の3割は「県民であることで差別されている」と答えた。
《「放射線うつるから近くに寄らないで」避難地の子に児らが言はるる》大槻弘
同じデマがまだ聞こえるという事実が、心を重くする。
■外と内の「壁」
原発、放射線、除染、避難、賠償……。これらは福島を語るうえで避けて通れない。そして語る者の知識や考えを問うてくるテーマでもある。福島問題は「難しくて面倒くさい」と思われ、多くの人にとって絡みにくくなっている――。社会学者の開沼博さんが2年前に指摘した「壁」はいまもある。
県内では、沿岸部の3万2千人への避難指示がこの春、一斉に解除される。一方、2万4千人はいまだ帰還のめどがたたない。自主避難者への住宅無償支援は打ち切られる。
戻る。戻らない。戻りたくても戻れない。
避難者間の立場や判断の差が再び表面化し、賠償額の違いへの不満などから「あの家は……」と陰口がささやかれる。早稲田大の辻内琢也教授の調査では、首都圏の福島避難者のストレスは今年、上昇に転じた。
■「もやい直し」の試み
この国の戦後を振り返ると、同じような分断とそこから立ち直ろうとする系譜に気づく。
熊本県水俣市。
チッソの排水を原因とした水俣病では、被害者とその他の市民が激しく対立し、「ニセ患者」「奇病御殿」などと中傷の言葉が飛び交った。そう言う人たちも地元を出ると、水俣というだけで差別された。
民俗学者として各地を歩いた谷川さんは、その水俣で生まれた。「『お国はどこですか』と聞かれて『水俣病の水俣です』と答えるときの引き裂かれるような苦痛は、育ったものでなければ分からないでしょう」
ふるさとを「福島」と言えずに「東北」とにごす避難者のせつなさに、きっと寄り添い続けただろう。
分断の克服をめざして、水俣市が約20年前に提唱したのが「もやい直し」だった。
船と船を綱でつなぎあわせるように、人のきずなを結びなおす。ごみ分別や森づくりなど住民が集まる機会を行政が仕掛け、思いがひとつになる小さな体験を重ねていく。「大切なのは、意見の違いを認めたうえで対話することだ」と当時の市長だった吉井正澄さんは言う。
成果は道半ば、である。水俣病の公式確認から61年。だが風評は消えない。今年1月には、県内の小学生が水俣市のチームとのスポーツの試合後、「水俣病がうつる」と発言していた。
「市民が必死に努力しても、簡単には解決しない」と水俣病資料館語り部の会の緒方正実会長は言う。「いま起きていることと向き合い、課題をひとつずつ減らしていくしかない。それが水俣からのメッセージです」
■復興に必要なもの
谷川さんは終生、沖縄の島々を愛した。ここもまた米軍基地をめぐる「分断」の地である。
米軍専用施設の71%が国土面積の0・6%の県に置かれ、その中で「平和だ」「経済だ」と対立してきた。
しかし各地の風土は多彩な魅力を持っている。それを知る谷川さんは、たとえ地元に良かれという「正義感」からでも、福島=原発、沖縄=米軍基地といったキーワードばかりで語られることを好まなかった。「(外部の支援者は)『水俣病の水俣』しか関心がない。水俣そのものの存在が忘れられるという事態が起こったのです」。重い言葉である。
地元不在の一面的な議論ばかりでは、福島を「難しくて面倒くさい」と思っている多くの人々を引き寄せられない。その結果、全国で共有すべき問題が、特定の地域に押しつけられたままになる。メディアにも向けられた言葉として受け止めたい。
《世界的フクシマなどは望まざり元の穏やかなる福島を恋う》北郷光子
福島沿岸部の復興は、まさに始まったばかりだ。ともに長い道のりを歩き、寄り添い続ける。そういう心を持ちたい。
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