なぜ朴槿恵の髪型は40年も変わらないのか
朴槿恵がハンナラ党代表に就任した際、週刊誌「時事ジャーナル」(2004年4月20日)が、女性記者によるこのようなコラムを掲載している。
「私が彼女(朴槿恵のこと)を可能性のある独自の視点を持つ政治家として評価しかねるのは、おかしな理由に聞こえるかもしれないが、彼女のヘアスタイルのためだ」とし、時間もかかり、崩れるのを気にして車中で仮眠を取ることもままならない髪型に固執する人が、どうやって党を率いていくのかと疑問を呈した。
実際に彼女はこの髪型のために不便を被ったこともある。米国を訪問した2007年2月、空港の検査で髪の毛のヘアピンが多すぎて金属探知機に引っかかり、その場で24本ものピンが抜かれたのだ。
それでも彼女がこの髪型とともに守りたかったものは何なのか。
髪型にも、あの黒幕一家の意向が...
朴槿恵は40年間、髪型を変えていないとされているが、正確に言うと2度変えたことがある。
一度は2007年にハンナラ党代表を務めていたときだ。少し切った髪の毛をおろし、メディアでも「朴槿恵が髪型を変えた」と報じられた。しかし「支持者からの評判が悪かった」という理由で、元の「フカシモリ」に戻すまでにそう時間はかからなかった。
韓国で「出れば勝つ選挙の女王」と呼ばれるほどの支持基盤を朴槿恵が築き上げることができたのは、保守層から支持され続けている父・朴正煕の娘であるという面が大きい。母・陸英修の髪型を模倣することで、朴正熙支持者らのノスタルジアを呼び起こす効果を狙った可能性もある。もしかしたら朴正熙時代を思わせる髪型は、支持者だけでなく彼女自身の心の支えになっていたのかもしれない。
さらにさかのぼって政治家になる前の1988年11月、「週刊朝鮮」の取材で長年、髪型が変わらないことについて聞かれると、彼女はこう答えている。
「1年ほど前に一度変えたんですよ。でも大騒ぎになって。セマウム奉仕団の方々はもちろん、人に会う度に元の髪型のがいいと言われたんです」
「セマウム奉仕団」とは朴槿恵の黒幕とされている崔順実(チェ・スンシル)の父・崔太敏(チェ・テミン)が設立した団体だ。朴槿恵も自身もこの団体の名誉総裁だった。
つまりあの髪型にも、黒幕一家の意向が強く反映されていたというわけだ。
髪型すら自分の意思で変えられず、セウォル号事故ではその髪型が大統領の資質を問われることになった。
まさに髪に縛られた呪縛と言えるだろう。