[Alex Tabarrok, “India is a much more Entrepreneurial Society than the United States (and that’s a problem),” Margianl Revolution, March 9, 2017]
インドはアメリカよりもずっと起業が盛んだ.そう聞かされると意外かもしれない.なにしろ,インドは貧しい国だし,起業が盛んだというと豊かさがたいてい連想されるものだからだ.だけど,このつながりは明白な事実ではない.インドにいる誰もがお金儲けに邁進しているし,機会にも開かれている.誰か雇って WiFi をつなぎ直したり自転車を修理したり映画をつくったりしたい? だったらものの数時間でやってくれる人は見つかる.どんなことを聞いても,「できるよ,俺らにはできる!」というのがおきまりの返事だ.もちろん,なかには法律違反になってしまう場合もあるけれど,それでもよければ,やってやれないことはない.「なせばなる」精神はとりわけムンバイではいたるところに浸透しているとはいえ,インドの他の地域でも事情は変わらない.
インド人が起業家精神にあふれているのはなぜかというと,彼らはじぶんのために働いているからだ.全体を見ると,インド人の95パーセントは自営業だ.一方,アメリカでは自営業者はたった10パーセントでしかない.おそらく,だからこそ全米科学アカデミーが出した移民に関するレポートでは,「アメリカ生まれも含めた他のどんなグループと比べても,インド系移民がもっとも企業精神に富んでいる」と言われているんだろう.
だが,この雇用統計を裏返してみれば,アメリカ人のおよそ90パーセントは会社に勤めているのに対して,会社に勤めているインド人はたった5パーセントにすぎないわけだ.そう考えると,問題が見えてくる.インドにおける起業は,選択の結果ではないんだ.インドで起業が盛んなのは,インド経済がうまくいっていない帰結だ.Goldchlag といっしょに出した Cato 論文でも書いたように,インドに限らず,発展していない国ほど起業は多くなる.
起業とは自営業のことだと定義すると,貧しい国ほど起業はずっと多い.貧しい国の人ほど起業家にならざるをえない.なぜなら,〔もっと豊かな国と〕比較して仕事が少ないからだ.つまり,大勢の従業員を雇う会社があんまりないからだ.さらに,自営業で働いている人が誰でも起業に向いた技能や気質の持ち主とはかぎらないものの,起業すなわち自営業と同一扱いするのは,べつに定義によるペテンにはならない.あまり発展していない国に旅行すると,驚く人がよくいる.色眼鏡をかけずに見ると,そうした国の方がずっと市場指向で力動的で起業に前向きに見えるからだ.それどころか,自分の国にいたときよりも,途上国に旅行したときの方が実際の市場を訪れることが多い.街の市場を訪れると,皮膚にぴりぴりくるほど盛況な喧噪に包まれる.そこにあるのは,本物の起業精神だ.途上国の人たちの方が起業にずっとなじんでいるのが,アメリカへの移民の方が生まれながらのアメリカ人より2倍も新しい会社をおこしやすい理由の1つなのだろう.(Fairlie 2013)
途上国の問題は,起業する人がいないことではなくて,起業家たちが会社を大きくして大勢の人を雇うまで成長できないことにある.
インドの会社規模の最頻値は従業員1名で,平均値は2をかろうじて上回っているにすぎない.一方,アメリカ起業では,従業員数の平均値は20に近い.たしかにこの数字はインドの20倍も大きいけれど,これだけを見ていると現実のちがいを見誤ってしまう.アメリカには小さい会社もたくさんあるけれど,〔インドのような国との〕なによりのちがいは,大勢を雇う大企業もアメリカにはあるという点だ.というか,アメリカの労働者の半分以上が従業員500名を超えるごく少数(0.3%)の会社に雇われている.
アメリカの労働者の大半は,大きな会社に勤めている.ところがインドでは,雇用に関するかぎり大きな会社なんてものの数に入らない.これはものすごい問題だ.大きな起業ほど,より生産的なものだからだ.植民地時代も独立後も,インドは企業が大きくなる途上にあれこれの障壁をつくってきた.そうした障壁は,近年になってようやく壊れ始めたばかりだ.『インドは成長できるか?』(Can Indian Grow?) で,Anantha Nageswaran と Gulzar Natarajan はインド経済の見通しが良くて有用な要約をしてくれている.彼らによると,重要問題には次のようなものがある:
独立前のインドの植民地支配者たちは,インド産の原材料を輸出して自国企業の養育に利用してインドの事業の芽をつぶした.独立後の30年間に,インド経済の要衝を国家が占めて以来,民間部門で十分に多くの大きな企業をつくりだしてはぐくむ能力が形成されたことは一度もない.さらに,独立後の法と規制の枠組みでは小さな会社が優遇された:特定品目の生産は小規模産業だけができるように限定され,効率や規模よりも労働者保護の方が強調された.外国の貿易企業によって支配されるというインドの経験ゆえに,いまなお大企業に対する疑心は消え去っていない.
その結果として,インドでは小さな企業が大きくなっていかない:
インド企業の大半は非公式部門ではじまり,けっして大きく成長せず,もっと悪いことに,時間経過とともに規模を縮小させていく:2013年の International Finance Corporation 研究によれば,インド・メキシコ・アメリカで設立35年の会社の規模を起業時と比較したところ,インドでは規模が4分の1に縮小し,メキシコでは規模が2倍に,アメリカでは10倍に拡大していたという.これは非常に悩ましい問題だ.年を重ねていくにつれて,企業は大きくなり従業員を増やすと予想されるものだ.インドの経験はこの予想と真っ向から反しているところを見るに,インドの企業エコシステムにはなにかひどい支障がある.
他のどんな生産要因もそうであるように,起業精神も割り当てをまちがうことがある.インドはすばらしい起業精神を持ち合わせているが,彼らの勤勉さも創造力も冒険心も,ささやかな寸止まり企業づくりに無駄づかいされている.
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