ストレンジカメレオン
人は様々な顔を持っている。
自宅だったり、職場にいるとき。
友人と一緒の時や恋人と過ごすとき。
一貫して同じ自分で居られる人なんて、めったにいない。
みんな、その役割に応じた自分をうまく演じている。
では、その役割を演じられない者はどうなるか?
素直な自分を愛してもらえるケースもあれば、そうでない場合も往々にしてあるでしょう。
社会から脱落してしまう人間は必ず存在する。
それはヒトという種が、社会という群れで暮らしている以上、避けられないことです。
だが、本当のところはどうか。
上手に生きるためには自分を殺すことも必要ですが、果たしてそれが正解なのでしょうか。
私は正解だと思います。
人はいつだって聖者でいたい生き物。
原因を他人に求めます。
子供の世界は狭い。
学校ではいつまでたっても「いじめ」は無くなりません。
いじめられる方が悪いなんてことは無し、いじめられる者にも原因があるとも思いません。
だけど、当事者たちは違う。
群れから異物を排除するとき、彼らは自分たちを正当化する。
臭い 太い 醜い…
だからいじめられても仕方がないのだと…
本当は理由なんてどうでもよいのです。
他人を攻撃し優越感に浸りたいが、悪者にはなりたくない。
そんな心理が働いているだけ。
それは、大人になっても変わりません。
いじめという表面的な事象は起きないものの、陰口の的になったりするのは珍しくありません。
ただ、子供とは違って自分の力で環境を変えることが可能なので、問題にならないうちに自ら職場を去ったりしているケースも多いでしょう。
では、人はどうあるべきなのか。
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自分を殺すしかないと、私は思います。
それはカメレオンのように、相手に合わせて自分を変えること。
自分の心に沿って生きれたら、どれだけいいでしょう。
しかし、いくら綺麗ごとを言ったところで、人間の持つ排他性からは逃れることはできません。
ならば、他人から排除されないように務めることです。
それが群れのなかで生きていくための処世術です。
それが出来ない人は、茨の道を進むしかありません。
the pillowsの「ストレンジカメレオン」という曲のフレーズにこんなものがあります。
勘違いしないでね 別に悲しくはないのさ
抱き合わせなんだろう 孤独と自由はいつでも
そう、自由は孤独と隣り合わせなんです。
会社を辞める人、興す人。
フリーで働く人。
組織に属さない者には、それ相応の能力が求められます。
それが出来ない人は、周りから浮かないように、攻撃されないように生きなくてはいけません。
ですが、自分を殺すと心が死んでゆきます。
なので、何処かで自分を出せる空間を持っておきたい。
自宅だったり、職場にいるとき。
友人と一緒の時や恋人と過ごすとき。
文章を書くことだったり、歌を歌うことでも構いません。
何処だっていい。
心を取り戻せる場所さえあれば、人は生きていけます。
今回は”自分を殺す”ことが正解と書きましたが、一番いいのは自分らしく生きることに決まっています。
排他されないためには、自分を殺すことも必要だということです。
同時に、自分を殺さないで済むようになることも必要です。
相手を気遣い、感謝することを忘れてはいけません。
そして、能力を高めるために自分を磨くこと。
まわりの色に馴染めない出来損ないのカメレオンでは、辛い世の中です。
そのために、私たちは何よりも誠実であるべきなのです。
おわり。
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