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籠池理事長、退任の意向

 投稿者:mission  投稿日:2017年 3月10日(金)15時43分47秒
  籠池氏自ら、小学校申請を取り下げ。
今日の5時30分~会見だそうです。
公明党が噛んでなきゃいいのですが…



 

大山様へ② (人間革命第5巻 随喜)

 投稿者:mission  投稿日:2017年 3月10日(金)15時19分49秒
編集済
   あの日、それは今年の一月六日のことであった。

 戸田の自宅に伸一は呼ばれたのである。正午近くのことであった。誰も来ていなかった。ことのほか静かに感じられる。戸田は一切の書類の整理をするのであろうか、彼の部屋だけは慌ただしい空気が漲っていた。前年の夏からはじまった東光建設信用組合の至難な整理は、年を越したというものの、最悪の事態に追いつめられていた。閉鎖された組合の一切の書類は、戸田の自宅に運ばれてきたのである。

 大蔵省当局の心証はまだ悪く、悪辣な一部の債権者は、無謀にも戸田を告訴さえしていた。戸田は苦境の真っ只中にいた。寒い、暗い正月であった。

 伸一は、呼ばれて戸田の部屋に入った。机をはさんで戸田と向かい合った。相対する机の片側には、妻の幾枝が項垂れていた。戸田の憔悴した顔は、いつになく厳しい表情であった。

「この部屋に、誰も入れる出ないぞ」

 戸田は幾枝にこういって、伸一に呼びかけた。

「伸一、きょうはよく聞いてもらいたいことがある。私も最後の覚悟をしておかねばならぬ時がきた。それで一切の書類を処置しているわけだが、検察当局にこちらから出頭しようかと思っている。一つの非常手段だ。しかし、そうなると、相手のあることだ。私の身柄はどういうことになるやも知れぬ。あとの事を、いまここで明確にしておきたい。そこで…」 と、戸田がいいかけたとき、幾枝はわっと泣きだした。そして、嗚咽をこらえるように泣き伏した。

 戸田は憮然として幾枝を見ていたが、急に声をあらげて怒りだした。

「なんということだ!将軍が追いつめられて、最後の手段に出ようとしている大切な時に、女々しく泣くとは、いったい何ごとだ!」

 しかし、戸田の悲愁は、伸一と幾枝の二人には痛いほど胸に刺さった。

 戸田は怒りを静めながら、伸一を見すえて言った。

「考え違いをしてくれては困る。いま大事なのは後のことだ。そこで、伸一君、私にもし万一のことがあったら、学会のことも、組合のことも、また大東商工のことも、いっさい君に任せるから、引き受けてくれまいか。そして、できることなら、私の家族のこともだ。幾枝、よく聞きなさい」

 瞬間、伸一の体に戦慄が走った。そして、異様な感動に身をふるわせた。二十三歳の青年は、驚愕と混乱に陥った。
そして、しばらく無言でいた。

「伸一君、君にとんでもないお土産を残すと思うかもしれないが、私がこの世に生まれた使命は、また君の使命なんだよ。わかっているね。何が起きたとしても、しっかりするんだぞ。私と君が使命に生きるならば、きっと大聖人様の御遺命も達成する時が来るだろう。誰がなんといおうと、強く、つよく、一緒に前へ進むのだ」

 伸一は、厳粛な時が流れているのを感じた。

 彼は、ふと思った。湊(みなと)川に向かう楠木正成は、その子正行(まさつら)に諭したが、いまの自分はその正行の立場にあることを、忽然と理解した。

 伸一は、うるんだ瞳をあげ、戸田をみつめて言った。

「先生、けっしてご心配なさらないでください。私の一生は先生に捧げて悔いのない覚悟だけは、とうにできております。この覚悟は、また将来にわたって永遠に変わることはありません」

「そうか。そうか。よろしく頼みます」

 戸田は、改まって頭さえ下げるのであった。

 伸一のそれからの活動は、まったく人知れぬところで行なわれた。まさしく奮迅の苦闘の連日だったのである。彼のいちばん苦慮したのは、戸田の健康状態であった。重病に近い戸田を案じつつ、伸一自身も高熱を発し、寒いアパートの一室で、食事もとらす、茶さえなく、一日呻吟していなければならぬ日もあった。しかし彼は、たじろぐことはなかった。深い使命を、真に体得したものの強さであろうか。


大山様、読まれてみて誤解は解けましたか?
【人間革命第5巻 随喜】は、先生が お若い時に執筆された文章です。
そして、戸田先生と池田先生しか知り得ない当時の光景、それも遺言の様な重大な場面なんです。
その様な箇所を切り文でスラスラ掲載されては、読む側に先生の本当の お心は伝わりません。
今の「大山」…ため息が出ます。

 

切り抜き

 投稿者:愉快な仲間達  投稿日:2017年 3月10日(金)15時10分39秒
  最近、「新・人間革命」の切り抜きを始めました
というのは、あまりに、その場しのぎのような表現が多く、全体像が全く掴めないからです

大山54
(北条新会長の挨拶)
「創価の新しい前進の歯車は、山本伸一が見守るなか、回転を開始していったのである」

しかし、その少し前の
大山48
「学会の支配を企てる僧の動きや、退転、反逆の徒の暗躍は、広宣流布を破壊する第六天の魔王の所為であり、悪鬼入其身の姿である
信心の眼で、その本質を見破り、尊き仏子には
指一本差させぬという炎のような勇者がいなければ、学会を守る事など、とてもできない
広宣流布の道も全く閉ざされてしまうに違いない
未来を見つめる伸一の、憂慮は深かった」

山本伸一の深い憂慮は、単なる杞憂で終わり、新会長と共に出発したのでしょうか?

自分的には、この杞憂は、「当たった」と思っています
故に「新・人間革命」
今後の展開に目が離せません
ので、初めて、切り抜きを始めました

「創価学会仏」
池田先生の晩年の同時放送は、弟子としてどう決意し、どう行動してきたのか?
先生、御自身の弟子の戦いを話して下さいました
それは、自分を「仏」として、仰ぎ見るのではなく、「立派な弟子」として、戦う人になって欲しいと思われていたのではないか?と思います

弟子として、決意、誓願した事を生涯貫く人が最後に、生きている間に「仏」となる事が、出来る
戸田先生が言われている
「幸福で幸福でたまらない境涯」になるのだと思います

故に、今のこの時に
先生の御健康、御長寿を祈る事
学会が先生直結の会になること
会員が先生直結の信心が出来る事
何よりも自分自身が、先生の直結の信心をしていく事

大事な事だと思っています


大白3月号
P47
「5.3目指し、地区の皆で力を合わせて頑張ろう
そうですね
その為にも、明確な目標が大切です
早速、皆で決めましょう」

いつの間にか、5.3ではなく、投票日が目標になっていたので、5.3を目標日にしたのは、嬉しい
しかし、内容は、?
地区で目標を決めるのではなく、家庭訪問等して、1人1人の話を聞いて、1人1人に自分で目標を立てさせて上げる
それが達成するように、応援するのが地区等
運動会みたいに、目標立てて、皆で頑張る!
というのは、もはや難しい
また、そういう目標の立て方は結局、数字
教団運営には都合がいいかもしれないが、教団運営の為に信心しているのではない
1人1人の会員が幸福になる為に教団はある
それぞれ抱えている問題を聞き、どうしたら勝利出来るか?
乗り越えていけるのか?
お題目に挑戦するか?
折伏?
と聞いて、個人の目標達成を目指す事が
「宗教の為の宗教からの脱皮であり
「独自性」ではないか?
自分は5.3目指し、まず1人1人に会い、悩みを同苦し、自発の目標設定を促し、応援していきます
そして、その人の悩みが解決するまで、祈り続けていきます

以前、先輩が教えてくれた事があります
「幹部は壇上に座っているから、幹部ではない
部員さんの宿命転換を祈り、応援する人が、幹部
自分の祈りで、部員さんの問題を解決してこそ、幹部」
今日から、再び、これを自分の戦いとします




 

【人の言葉と一念三千】5/26

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 3月10日(金)14時55分27秒
編集済
  確かに

「法門を理解しても信心がない者は絶対に成仏しない。
法門が理解できなくても信心のある者は成仏できる(趣意)」(一四四三頁)と、

御書にはあります。

しかし

「解らない人は法門の研鑽をしなくても解る人に任せればよい」などとは、

どこにも書いていない。また

「末代の凡夫は法門を少々心得てはいるけれども、
僧(法華経の行者)をあなどり、法門をないがしろにして悪道に堕ちる(趣意)」(同頁)

ともある。さらに

「今は仏はいない。
だから仏法を解悟(迷いから解き放たれて真実の道理を悟る)した
智慧(善知識)を仏として敬うべきである。

(中抜)後世を願う者は、名聞名利を捨てて、いかに身分が卑しい人であっても
法華経を説く僧がいたならば、生きた仏のごとくに敬いなさい。

これは我見ではなく、まさしく経文にある通りだ(趣意)」(一四四四頁)

と書いてある。また、法門が理解できなければ

「法華経を説く僧を解悟の智慧(善知識)とたのんで法門をたずねなさい(趣意)」(同頁)

とも書いてある。さらに

「何としてもこの経の心を知っている僧に近づき、
いよいよ法の道理を聴聞して信心の歩を運んでいきなさい(通解)」(一四四〇頁)と、

大聖人は言い切っています。要するに

〝教学を学ぼう〟とする求道心のない者は、信心していても悪道に堕ちるということです。

また

「法門を心得ている人のしるし(証拠)というのは、どんな行動をしている人かというと、
僧(法華経の行者)を敬い、経文を崇め、仏を供養している人(趣意)」(同頁)とあります。

青年世代の時は、まわりから〝きちがい〟と言われるぐらい教学の研鑽をしてください。

そうでなければ、後悔するし、悪を見破ることなど、到底できないと思います。

「信・行・学」の三つを実践しない信仰者が、いくら立派なことを主張しても、しょせん口だけです。
 

【人の言葉と一念三千】4/26

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 3月10日(金)14時54分50秒
  大聖人の立正安国論が、現代に至ってもなお、世界平和実現のための
指南書なのかというと、武器を用いず、経文を根本に道理を尽くし、

対話を通して「正は正・邪は邪」と為政者に訴えているからです。

立正安国論は末代の弟子たちに、その勢力と戦うために
道理を立て、対話という戦いの方途を示しているようにも見えます。

ましてや「教義論争や思想戦」において、弟子がもっとも心すべきは、
大聖人が示した「経文を根本とする」ということです。

これが出来ないならば

〝低い境涯で、単なる我見と感情で主張しているだけだ〟

と喝破されてもしかたがないと思う。

第二次宗門問題、勃発当時の青年部は、現場の会員が安心して学会活動できるように、
坊主や法華講から攻撃されないように、誰に賞賛されずとも、

懸命に教学を研鑽し、ひたすら坊主や
法華講と教義論争をして陰から会員を守ってきました。

法華講が「もうこの地域の会員宅を訪問するのは嫌だ」というくらい、徹底して
現場に駆けつけ、道理を立てて対論し、坊主や法華講から会員を守ってきたのです。

しかし、末端会員のほとんどは、そういう事実を知りません。
幹部も言わないし、言おうともしない。

彼らはライン役職を全うしながら同志を励まし、
題目を上げ抜いて仏道修行を貫き通してきました。

もし今の青年部の中に「教学があっても信心がなければ・・・」などという者がいたと
するならば、あまりにも信心がわかっていない証拠であると断言できます。

徹して教学の勉強もせず、仏敵との攻防戦もしない
中途半端な教学部員に、そんなことを言う資格はない。
 

【人の言葉と一念三千】3/26

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 3月10日(金)14時54分14秒
  御書には

「功徳とは六根清浄の果報のことをいうのです。
(中抜)功徳とは即身成仏であり、また六根清浄のことです。

法華経の経文に説かれるように修行することが、
六根清浄であると心得ていきなさい(通解)」(七六二頁)とあります。

簡単に説明すると、

経文通りに仏道修行を貫けば、物事の本質(正は正、邪は邪)と
人の境涯が正確に判断できるようになり、

自在の大境涯を得ることができるということです。たとえば、

菩薩の境涯の人は、法眼が具わってきますから、経文を見れば
人々を救済する無量の法門であると見、仏の境涯の人は、仏眼が具わり経文を見て、

一々の文字を金色の釈尊・常住不変の生命の輝きをもつ仏であると見えるのです。

反対に、修羅の境涯は「諂曲なるは修羅」(二四一頁)ですから、心がひねくれ争いを好む生命です。

だから何を言っても聞く耳を持ちません。
正といえば邪、邪といえば正と天邪鬼(あまのじゃく)のようです。

それが修羅の境涯の特徴です。大聖人も

「邪見にとらわれた者は、このように尊い〝経〟を低い爾前権経と同等視して破る(通解)」(同頁)

といっています。つまり、

邪見にとらわれた者は我見と感情のみで対話し、仏法を破るということです。

そういう人にとって「経文を根本に・道理を正して」などという理屈は関係ないのです。
 

【人の言葉と一念三千】2/26

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 3月10日(金)14時51分55秒
編集済
  まず、冒頭に述べた

「なぜ〝同じ話や文章〟を読んでも、その人によって感想や理解度が違うのか」

を考えていきましょう。

日蓮大聖人は
「この経(法華経)の文字は一字一字、ことごとく
生きている仏(因行果徳を備えた仏)である。
しかしながら、我々凡夫は肉眼なので、ただ文字と見るのです。

たとえば餓鬼界の者はガンジス川の水を火と見、人間は水と見、天人は苦悩を癒す水と見る
・・・同じ水でも見る者の〝果報〟によって見方は別々である(通解)」(一〇二五頁)

と述べています。

そして

「これと同じように、この経の文字は盲目の者は見ることができず、
肉眼の者は文字と見、二乗は虚空と見、菩薩は無量の法門と見、
仏は一々の文字を金色の釈尊と見るのです」(同頁)

と訴え

「経にある即時仏身(※即身成仏)とは、このことを言っているのだ」(同頁)

と結論付けました。

どういうことかというと、

即身成仏とは〝一念の変革〟であり、人間革命という意味です。
人間革命とは何かというと、境涯革命のことです。

そして、同じ文字、同じ物を見てもそれぞれ見方が違うのは、その人の境涯によるのです。

物や文字をどのように見、どのように受け止めるかは、
見る者の〝果報〟によって別々です。

果報とは、過去の業因によってもたらされた現在の生命境涯のことです。

つまり、その人の果報は十界に現れ、

十如是にその全体が包み隠さず〝功徳〟となって現れるのです。
 

【人の言葉と一念三千】1/26

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 3月10日(金)14時51分13秒
  人間の生命とは不思議なもので〝同じ話や文章〟を読んでも、
その人によって受け取る感想や理解度、また筆者の意図する事とはまったく違う、

いわゆる「読み違い」などが起こる場合があります。
いったいなぜこんなことが起こるのでしょうか。

御書には「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(御書一八九頁)とありますが、
仏法の要である一念三千論(生命論)を学ぶにあたって、その基礎ともなる

「十界論・十界互具論」をしっかり学び、命で体得している人なら

「人にはそれぞれ異なった個性や経験値などがあり、感情の起伏もさまざまである」ことは

容易に理解できるし、それが〝生命の姿である〟ということも当たり前に理解でき、
なにも不思議ではないと感じているでしょう。

では、仏法の極説中の極説である生命の本質を説いた「一念三千」とは何なのか。

この生命の理(ことわり)を解明していくことで、
すべての現象の本質が明らかになっていくのではないかと考えます。

しかし、生命を主体的にとらえ、そこから普遍の哲理を鋭く見出し、
壮大な生命哲学を分かりやすく説くことは至難です。

それに大聖人や天台が一生を費やして説いた生命の本質(一念三千)を、
わずか数枚分の文章で明らかにできるなどとは思いません。

だからここでは、皆さんが教学を研鑽する時に、少しでも思索の参考になるように、
なるべく平易な言葉を選び、生活に即して考察していきたいと思います。
 

大山様へ

 投稿者:mission  投稿日:2017年 3月10日(金)14時50分6秒
編集済
  昨日9日「創価学会仏」に引き続きの今日の「大山」なんで、大山様が『余りにも唐突』『公私にわたって弟子が面倒をみる→創価学会仏』と感じられた事は当たり前だと私も思います。

「創価学会仏」から繋げ実に奇妙に先生の言葉を はめ込んでますが、池田先生が書かれた文献は違うんです。
こんな文章にしたら、購読されてる友人も?ってなりますょ。
私だって『はぁ?ハラダKに何かあれば引き受けんの?それが創価学会仏の使命かいな』と口を衝きましたから(笑)

池田先生が回想された この場面は
【人間革命 第5巻 随喜】当時を詳しく。
【新*人間革命 厳護14・2010年12月23日*聖教】簡単に書かれておられます。

「将軍の妻」→【人間革命 第5巻 随喜】に
【…と、戸田がいいかけたとき、幾枝はわっと泣きだした。そして、嗚咽をこらえるように泣き伏した。
戸田は憮然として幾枝を見ていたが、急に声をあらげて怒りだした。
「なんということだ!将軍が追いつめられて、最後の手段に出ようとしている大切な時に、女々しく泣くとは、いったい何ごとだ!」
しかし、戸田の悲愁は、伸一と幾枝の二人には痛いほど胸に刺さった】
とあります。
戸田先生自身の事では無く、歴史上の(池田先生は そう受け止めています)人物に重ね合わせて。
「家族の事もだ」→当時、戸田先生が検察局に逮捕された後の「家族」をです。

今日の「大山」は、簡単に書かれた【新*人間革命 厳護】の抜粋ですが、そこには全く「将軍の妻」とは書かれてませんし、最後の「…しっかりするんだぞ」の後には、まだ戸田先生の言葉は続きます。
     ↓
     ↓
【「…しっかりするんだぞ。私と君とが、使命に生きるならば、きっと大聖人の御遺命も達成する時が来るだろう。誰がなんと言おうと、強く、強く、一緒に前へ進むのだ!」

伸一は、潤んだ瞳を上げ、戸田に言った。
「先生、決して、ご心配なさらないでください。私の一生は、先生に捧げて、悔いのない覚悟だけは、とうにできております。この覚悟は、また、将来にわたって、永遠に変わることはありません」

この日の日記に伸一は綴った。
「先生は、正成(まさしげ)の如く、吾れは、正行(まさつら)の如くなり。
奥様は、落涙。
此の日の、感動、厳粛、感涙、使命、因縁、生き甲斐は、生涯、忘るることはない。
後継者は、私であることが決まった」
真実の師弟の絆は、最も激しい逆風のなかでこそ、燦然と金色の光を放つのだ。】

↑この文章は簡単に書かれた方の【新*人間革命 厳護14・2010年12月23日*聖教】です。
後から詳しく書かれた【人間革命 第5巻 随喜】を投稿しますから、池田先生の お心を読み取って下さいね。

?
 

あっちもこっちも(笑)

 投稿者:太ちゃん@平らかなるは人編  投稿日:2017年 3月10日(金)14時48分30秒
編集済
  夕べコメントが消されたような、この掲示板でかく乱してる変な人。
普通の学会員さんにはまるで相手にされない反板(笑)。
さらには「ブログ村」ではデタラメ話でもって僕の印象操作をしようとしてる「特殊」な人(笑笑)。
やはり反板からブログ村へ出張してる人にしか見えないね。
話が支離滅裂すぎて「狂気」というしかないね。
この「狂気」は反板そのもの。

ほんと「あっちもこっちも」ですねぇ。
池田先生の陣頭指揮時代には、こういう「特殊」な学会員さんはごく例外的にしかいなかったのだけどね。
今じゃ「あっちもこっちも」だよまったく。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

真剣勝負!

 投稿者:男子部Nメール  投稿日:2017年 3月10日(金)14時39分53秒
  こんにちは。

私は先日、戦う元職員の三名と会いました。

皆さん、明るく元気いっぱいでお互いに何でも語りあい素晴らしい懇談会になりました。

懇談の中では、特に壮年さんとの生命と生命の打ち合いが凄かったです。

壮年さんからは、「自分なりの純粋の心にも魔がつけ込むので言わせもらいますが、今まで本部に居たのだから自分達の命の中にある秋谷と原田の命を斬るんです!」と厳しく訴えました。

壮年さんは更に「それこそ仏敵である天魔と戦う上で、同時に斬るべく己心の魔ですよ」と明確にしました。

三名の同志は、素直に聞き「自分達は、まだ未熟ですので、これからも指導激励をお願いします。今日は富士宮に来て本当に良かったです」と歓喜し決意を改にされていました。

最後に、戦う三名に対して、「あなた方は、勇気を出し自らの全てを明らかにして戦いを起こしたのだから、共に池田先生の弟子として、どこまでも真っ直ぐ仇討ちの戦いをやり抜いていきましょう!」と甘えをも斬るが如く語りました。

今日の集いで「人は石垣、人は城だね。どこまでも先生の御健康を祈りきり、先生を護り抜きましょう!」と全員で確認しあいました。

本当に、晴天で暖かく歓喜溢れる最高の一日となりました。

ありがとうございました。
 

Twitterより、籠池氏、コンサルタントのミス? コンサルタントって誰?冬柴大?

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月10日(金)12時50分2秒
  籠池理事長、愛知の推薦入学枠巡り釈明 「我々のコンサルタントの書きミス…」
asahi.com/sp/articles/AS…

←いよいよ、「補助金申請コンサルタント」(!?)のせいにしてきましたね。
 

人生の座標から~

 投稿者:うーこメール  投稿日:2017年 3月10日(金)12時49分46秒
  人間は、自分が経験したときに、先人の行動がいかなるものであったか、よく理解できるものである。その敬愛の思いこそ、いわば先人へ捧げる勲章なのである。  

??

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2017年 3月10日(金)12時22分56秒
  ??

もう少し詳しくお願いね~w

↓↓↓↓↓
 

追伸・公私混同のひどい話

 投稿者:大山  投稿日:2017年 3月10日(金)11時05分19秒
  外部購読の友人からも、同様のメールを今、頂きました。

創価学会組織は、そういうところなのかと。上も下も皆で「師弟」という言い方でやっているのかと疑われました。言葉が足りないのか、大変に不思議な小説になっていると思います。
 

不思議ですよね

 投稿者:賢くなりたい婦人部  投稿日:2017年 3月10日(金)10時47分7秒
  ………………………………………………………………………………………………

妻とともに、先生が言われたことを、
毎日、夜遅くまで書き残してきた。
今もすべて、大切に残してある。
それほど、私は、師匠の仰せを大切にしてきた。
この魂を忘れたら、学会は無軌道になる。

牧口先生の指導は、もらさず戸田先生が残された。
戸田先生の指導は、もらさず私が残した。
師匠の精神を伝え残すことが、未来のために重要であるからだ。

どんな組織であれ、経済的に豊かになり、社会的に認められると゛自分は大したものだ″と思い込む人間が出てくる。そうなったら危ない。


…………………………2007/11/8本部幹部会・関西総会………


この文言、何度も何度も出てきますよ。
(2006/4~ご指導)なぜ本にしない?
不思議です。


 

公私混同のひどい話

 投稿者:大山  投稿日:2017年 3月10日(金)10時05分40秒
  「私に、もし万一のことがあったら、学会のことも、組合のことも、また、大東商工のことも、一切、君に任せるから、引き受けてくれまいか。
そして、できることなら、私の家族のこともだ」

???

「私の、この世に生まれた使命は、また君の使命なんだよ。わかっているね。何が起きたとしても、しっかりするんだぞ」

???

あまりにも唐突で、公私の区別無く本当にこんな言い方を戸田先生が山本伸一に対して言われたのでしょうか。

公私にわたって弟子が面倒をみる、これが創価学会仏の道なのか、今これからの創価学会組織を憂いてしまいました。これからは何でも有りですか。

第4代、第5代、第6代といかなる事態になろうが、共に広宣流布の大使命に生き抜いてこそ師弟だとは、公私に関わらず、全ての責任を弟子が面倒をみること。私は理解出来ません、申し訳ありませんが。
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、本日も「3・16」の記載がありませんデスた~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 3月10日(金)09時02分40秒
  おはようございます。原田怪鳥様、京都での幹部会以来、御姿が見えませんが、ナニしてらっしゃるんデスか~(笑)

祇園で芸者さん挙げてどんちゃん騒ぎでもしたんデスか~(爆)「直弟子」の怪鳥様、「境」は役職に託された使命なんデスから~、

処分ばっかりしてないで、もっと前面にでましょ~う(笑)


さて、本日の「新・人間革命」大山五十七、

>学会は、「創価学会仏」なればこそ、永遠なる後継の流れをつくり、広宣流布の大使命を果たし続けなければならない<
(新・人間革命」大山五十七より引用)

広宣流布の使命を果たし終わった時、はじめて未来の人が、過去を見すえるにあたって、「創価学会仏」と呼ぶであろう、じゃないんデスか~?

なぜ、現在の「組織」に無理矢理当てはめようとするのか? さっぱり理解出来ませ~ん(笑)

御書には「人の振る舞いにて候いけるぞ」とありますよねぇ~(笑)

仏の行動はその人の振る舞いに帰結するものであって、「組織」に帰結するものではありませ~ん(笑)

師匠が前面に出られない今、執行部も道を外し、公明も道を外し、今のままでは「求心力」が保てない。

逆らう者を、査問・処分・除名しても、キリが無く、このままでは「体制」が保てない。

だから、苦し紛れに「創価学会仏」などと「組織」を名称化して、「組織」を前面に出すことによって「求心力」を保とうとする。

小生には、こんな風に感じられるのデスが、いかがですか~(笑)

後は、「人間革命」の蒸し返しデスね~(笑) もっと背景やエピソードを描いていかないとドンドン矛盾したものになっていきマスよぉ~(笑)

明日からの執筆チームの皆さん方の奮闘を期待しないで待ってまぁ~す(爆)


 

創価学会仏が非暴力主義を否定した事実

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 3月10日(金)08時40分25秒
編集済
  〈小説「新・人間革命」〉 大山 五十七

学会は、「創価学会仏」なればこそ、永遠なる後継の流れをつくり、広宣流布の大使命を果たし続けなければならない。

~~~~~~~

9・19安保法制の採決は、創価学会仏としての最大の汚点。
実際に多くの幹部は、池田先生の非暴力主義を差し置き、安保法制の肯定をしました。

そのために、仏敵からどれほど池田先生が、誹謗中傷を受けている事か(怒)
池田先生に弟子がご迷惑をおかけした事実は、まさに師敵対行為と厳しく断じます。

「トインビー対談(21世紀への対話)は古い。あくまで理想論だ。」と時流に流された幹部の言葉が、今も自分の胸に怒りと共に焼き付いている。
池田先生の言葉(理想)を実現してこそ、弟子と言えるのではないでしょうか。

また、安保法制に反対する会員を査問し処分した事実も、創価学会仏として永遠に残る汚点です。
「公明党を批判する者は反逆者」とレッテルを貼った行為のどこが「仏」のふるまいなのだろうか。
皆成仏道に対する、真逆のふるまいを厳しく断じます。

これまでの事実から見れば、原田執行部の目指す後継者づくりとは、公明党の支援において池田先生の平和思想を差し置ける人物を増やす事。
それは、権力の魔性に逆らわない人物を増やす事でもあります。

だからこそ「池田先生を見失うな!」と強く強く叫びます!!
 

わが友に贈る 2017年3月10日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 3月10日(金)06時50分54秒
  寒暖の差が
激しくなる時期。
1枚羽織るなど
体調管理を賢明に。
油断なく健康人生を!
 

分身散体!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 3月10日(金)06時02分17秒
   おはようございます。

 寝たきりオジサンさん、エアコンゲットおめでとうございます(笑い)。

 「分身散体」の戸田先生の指導、本当にわかりやすいです。こうでなければいけませんね。難しいことを易しく語る。池田先生もそうです。

 とりわけ次の段が、ものすごく感銘しました。
>私なら私の心と同じ心にできているのを分身体というのです。奉安殿の(現在は正本堂の)大御本尊様、ここの客殿の御本尊様、私どものいただいている常住御本尊様、あなた方が拝んでいる御形木御本尊様、それぞれ違うのです。違うのですが、こちらの信心の仕方で少しも違わない結果を出せるのです。すべてそれは信力の問題です。あなた方の御本尊様の力をいえば、釈尊時代からある仏と菩薩とを、みないっしょにしたその功徳の何億倍と違ってくるのです。釈尊時代にもその前にも仏はいたでしょう。それらの三世の諸仏の功徳がぜんぶ出ているのです。これは観心本尊抄に「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(御書全集二四六㌻)ときちんと出ています(投稿者:寝たきりオジサン   投稿日:2017年 3月 9日(木)19時06分35秒)<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/65859

 「法」を下げてしまってはとの思いもあるのですが、ついつい私たちは格好をつけて語ってしまいます。それでは易しいことがかえって難しくなります。
 当然、当時の幹部も聞き及んではいたのでしょうが、地方の私たちには届いて来はしません。この指導が届いていれば、当時の未来部の“前野”がいかに広がったことでしょう。

 「法華経の智慧」の池田先生の「この宇宙は巨大な仏なんです」の言葉を思い起こします。また、中古天台思想に陥ってはいけませんが、「五仏同道」もそうでしょうか。私たちは「妙法蓮華経」という“仏”の大地に芽吹く草木のようなものといえます。春に新芽が芽吹くように、「妙法」への「信」あれば、いつでも、どこでも「分身散体」として「仏」と生じることができる、と読み開くことができます。
 貴重な戸田先生の指導のアップ、深く感謝いたします。


 

池田先生の女性に贈ることば365日より

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 3月10日(金)00時24分24秒
  三月十日

生きることは戦いである。人生は、自分自身との

戦いである。負ければ、この人生を存分に生きた

との喜びはない。悔いと苦悩を残すだけである。

私は、私らしく勝ったと、自分に胸を張れる

人生でありたい。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 3月 9日(木)23時40分28秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
皆様が健康でありますように
おやすみなさい
 

同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 3月 9日(木)22時56分51秒
  23時に開始致します。よろしくお願い致します。
池田先生、奥様のご健康を祈ります。
 

名声に傲り同志を見下すものを許すな

 投稿者:賢くなりたい婦人部  投稿日:2017年 3月 9日(木)22時49分39秒
  ……………………………………………………………………………………………

「うそのお偉方はすさまじくて寄りつけない。

彼はそのいんちきを知っているから、隠れている。

少なくとも正面切って出てこない。

姿を見せても、ただ人を欺くに必要なだけ、

自分の正体を即ち本当の卑賤ぶりを見られないために

必要なだけ、にしておく。

本当の偉い人は、物事にとらわれず、優しく、

親しみやすく、庶民的である。」

                                                 (ラ・ブリユイエール)




「和合僧を尊重して我見や増上慢の幹部を叱り飛ばし、

異体同心の理想的な広宣流布の前進へと戦う人こそが

信心強盛な仏法者である。」(戸田先生)


婦人部の皆様方が先頭に立って、

聡明に、毅然と、学会精神の神髄を堅持して

世界第一の和合の世界を厳護していただきたい。


……………………………2007/11/28各部合同協議会…………………
 

無題

 投稿者:同志の歌(正義の師子同盟)  投稿日:2017年 3月 9日(木)21時09分21秒
編集済
  先日ブログの三名に直接会って話をしました。

金銭の話もし、特に注意しよう、また、本部に戻って何ができるのかと本音で打ち合いました。

彼等は、真剣に、自分達の話を聞いてくれました。

何処までいっても、弟子の自分達が決意し、自分に打ち勝つ信心で仇討ちをと誓い会うことができました。

今後も、天魔打倒の祈りで戦う同志の絆ができたと思っています。

人は、桜梅桃李です。それぞれの使命を自覚し、先生の弟子として真剣に祈り、戦いきる、ことに尽きるとおもいました。
 

「安倍晋三記念特別枠」とは

 投稿者:感性  投稿日:2017年 3月 9日(木)21時08分12秒
  「九州北部」限定のはずが首相の地元「山口県」も対象に 早大の新たな推薦入試はまるで安倍晋三記念特別枠@日刊ゲンダイ
http://blogs.yahoo.co.jp/akaruria/35208006.html

荒船清十郎の深谷駅急行止め事案や大野伴睦の新幹線駅「岐阜羽島」事案に並ぶのですかね。
http://blog.goo.ne.jp/jiten4u/e/2149745983517f6820fe3e85c5f98839
 

他にもこういう洞察もありますね

 投稿者:太ちゃん@平らかなるは人編  投稿日:2017年 3月 9日(木)21時03分58秒
  新・人間革命 2017年3月9日
大山五十六
より

▼▼▼▼▼▼
戸田城聖は、

「これは、威音王仏(いおんのうぶつ)の名を冠(かん)した

『組織』

『和合僧団(わごうそうだん)』

とはいえまいか」

と鋭(するど)く洞察(どうさつ)していた。
▲▲▲▲▲▲


戸田先生は組織の別の側面も鋭く洞察してますね

http://6027.teacup.com/situation/bbs/65159
人革第12巻後継の章より「敵は内部だよ」 投稿者:臥子龍
より

▼▼▼▼▼▼
 また、理事室をはじめ幹部たちが、挨拶にやってくると「今のうちに何でも聞いておけ」といいながら、一つ一つの質問に、全魂をこめて指導するのであった。

 ある時、報告にやってきた参謀の滝本欣也が、戸田にたずねた。

 「先生が一日の落慶法要でいわれましたように、御書も発刊され、大講堂も建立された今、学会は身延をしのぎ、もはや、敵はなくなったと思います。これからの学会は、何を敵として進んでいけばよいのでしょうか」

 戸田は、横になっていたが、質問を聞くと、布団の上に起き上がった。

 そして、滝本の顔を見て、言下に答えた。

 「敵は内部だよ」

 実は、そのころ、学会員同士の共同事業の失敗や金銭貸借から、怨嫉が起こり、それが組織での人間関係に亀裂をもたらすという、由々しき事態が生じていた。

 また、一部に、学会の組織を利用して、保険の勧誘や商品の販売を行う者があり、いたく戸田を悩ませていた。

 ことに、それを行った者が幹部である場合には、会員は無下に断ることもできず、不本意ながらも、勧めに応じてしまうというケースも、少なくなかった。

 戸田は、広宣流布の組織である学会が、個人の利害によって攪乱されることを深く憂慮し、それらの行為を、「信心利用」「組織利用」であるとして、厳しく戒め、固く禁じていた。

 学会の組織は、広宣流布という聖業の成就のための組織である。

 戸田が会長に就任してから七年に満たない短日月のうちに、学会がこれだけ大きな飛躍を遂げたのも、どこまでも清浄に、いっさいの不純を排して、厳格な運営が行われ、広布の聖業に向かって邁進してきたからにほかならない。

 その組織が、私利や私欲によって利用されれば、学会の崇高な目的は汚され、異体を同心とする同志の団結も破壊され、広宣流布は根底から蝕まれることになるだろう。

 戸田城聖は、まさに、佐渡御書に仰せの、「外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食」との御聖訓が、現実となりつつあることを、強く実感せざるをえなかった。

 学会は、信仰によって結ばれ、相互の信頼を基調とした善意の人の輪である。同志というだけで人を信じもし、安心もする。困っている人にはなんらかの手を差し延べてあげようとする思いも強い。

 それだけに、悪意の人に、利用されかねない面があることも事実であった。いわば魔は、会員の信頼と善意に、巧妙に付け入ってきていたといってよい。

 戸田は、それを防ぐために信仰のうえで知り合った同志間の共同事業や金銭貸借、また、組織を利用しての商売を厳禁し、学会の鉄則としたのである。

 そして、これを破り、会員に迷惑をかけた幹部は、解任も辞さぬ決意をしていた。

 彼は、邪悪の付け入る余地を、微塵も与えまいとしていたのである。

 しかし、自己の利益のために学会の組織を利用しようとする者は、今後、学会が大きくなればなるほど、さらに、出てくるであろうことを、彼は予見していた。

 それゆえに、戸田は、今後の学会の敵は何かという滝本欣也の質問に、即座に「敵は内部だ」と答えたのである。

 しかし、それは同時に、滝本自身に対する、戸田の警鐘でもあった。
▲▲▲▲▲▲


全国的な査問・除名・活動停止を行うのが「和合僧団」なんですか??

本日の新・人間革命は、『和合僧団(わごうそうだん)』を徹底的にぶっ壊してきてる事実から注意を背けることを目的とした戸田先生利用でしょうがさ
現実逃避を会員へそそのかした悪行じゃないですかまったく

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

エアコンゲット!

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 3月 9日(木)21時02分37秒
編集済
  今日夫婦で家電量販店に行ったついでに今のうちに
エアコン買っておこうか、ってなってエアコンを
見ていたのですが速攻で店員さんにつかまりすぐに
値段交渉(笑)

「あれ?そういえば部屋にエアコンの穴はあったけど
コンセントが無かったよね?」

という話になってその場は保留で家に帰って見てみたら
ホントにコンセントが無い!

管理会社に電話して「無いんですけど・・・」って電話
したら「えっ!?部屋にエアコンありませんでしたか!?」

ってなって「わかりました!こちらでエアコンつけさせて
いただきます!」という事でただでエアコンをつけてもらえる
ようになりました!ちなみに12畳の部屋です。

いや~功徳でした!ラッキー!^^
 

そんなに学会嫌いなのに積極的に関わるのはなぜ?(笑)

 投稿者:太ちゃん@平らかなるは人編  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時54分30秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/65873

以前に、この掲示板とシニフィエさんとでトラブルがあったことから、そちらの方々とこの掲示板とで喧嘩するようそそのかした『策』ですかねぇ?
以前のトラブル当時、こういう乱入する人はいませんでしたけどね?

「第三者」を利用した喧嘩に仕向ければ、どっちが倒れようが4人組にはなんらデメリットはないってか?(笑)

あのな、あちらさんは学会を毛嫌いしてるのに、こうまで積極的に関わりたい人なんていないっての(笑)

追伸:
掲示板の話題と関係ない、実質かく乱状態でしかない。
削除でよろしいのでは?

追伸2:
話したついで。
その後、あちらさんのブログにて「同士討ち」の状態になったようなんですけどね。
おそらく工作員がそのようにそそのかしたのでしょうねぇ?
「同士討ち」に仕向けようと、この掲示板でも過去から常習的に何度も行われてきてますもんね。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

たぶん多重ハンドルだよ

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時49分14秒
編集済
  昨日きてた
アンポンタンだよww

正体みたり
反学会www

複数の仲間でやってるんだろうね
だいたいわかるよね~

癖があるからね~www
 

Twitterより。森友の滅茶苦茶、喚問を妨害する人々こそ犯人。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時46分26秒
編集済
  森友の滅茶苦茶はもうわかった。問題はこんな凄まじい学校の名誉校長を引き受けた安倍昭恵氏の道義的責任と、8億円を値引きした「主犯」は誰かである。そっちの見地で籠池氏の証人喚問が必要なわけだから、それを妨害する人々こそ「犯人はおまえだ」って事だよ。  

変なのが乱入してるけど

 投稿者:太ちゃん@平らかなるは人編  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時45分5秒
  掲示板の趣旨と関係ないですし削除でよろしいのでは?

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

Twitterより。竹谷議員も籠池氏の参考人招致に反対。トホホ。民衆の思いとは逆行。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時44分51秒
  公明党の竹谷議員も籠池氏の国会予算委員会への参考人招致に反対してるのか!
個人的見解というよりは、党としての態度を代弁せざるを得ないんだろうな~~。本人も同意なら論外だが。
有能な人を学会総体で当選させて議員活動に専念させているんだろうけど、結局民衆の思いとは逆行する役回り
 

Twitterより。私は創価学会員、公明党支持、南京事件は捏造だ。とのたまう活動家が。日本会議化している。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時42分14秒
  私は創価学会員です、支持政党は公明党です、とのたまう公明党の支持層の、南京事件は捏造だ、村上春樹許すまじみたいな怪気炎をfacebookで見かける。しかし、これ「たまに」ではなく「よく」あるです。一体ぜんたい、どうなってしまったのだろうか。日本会議化してるのか?  

Twitterより。アベ友学園、籠池、維新の松井、公明党の石井国交大臣

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時37分0秒
  【アベ友学園43】籠池理事長がもっともコケにしたのは国土交通省だ。大阪維新の松井知事が「詐欺師」から逃げ出しても、国土交通官僚出身の石井大臣が、籠池がバカにしても、何一つできないことを見越しているのだ。公明党が「史上最低のアベの下駄の雪」であることが証明され続ける。  

新しい会員の人は、三代のあとの会長が立派な人だと勘違いしないように。新・人間革命 大山の章

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時33分40秒
  新しい会員の人は、あの新・人間革命読んで、三代のあとの四代めの会長が立派な人だと勘違いしないようにしてください。  

Twitterより。新・人間革命を 自分達の言い訳、言い逃れに利用する人達を私は容認しない。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時31分35秒
編集済
  新・人間革命を、自分達の言い訳・言い逃れの小説にする人達の行いを、私は容認しない。  

かつての聖教新聞

 投稿者:太ちゃん@平らかなるは人編  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時29分3秒
編集済
  かつての聖教新聞では、連日のように宗門の悪口を紙上座談会にて行われていたね。

この掲示板でハッキリしたことは、最高幹部たちの裏切りの事実に注意が向かないよう、宗門へ責任転嫁していた実態が浮き彫りとなったね。
宗門へ敵対心が向くようにした、裏切りの事実の隠蔽工作。

同様に、会員が最高幹部の腐敗に注意が向かないよう、共産党をロコツに敵視するようそそのかしての公明党支援活動。

手口がこうもワンパターンとはね。


http://6027.teacup.com/situation/bbs/65860
http://6027.teacup.com/situation/bbs/65858

↑コレもそういうものなんじゃないのか?

追記:
と、コメントしたそばからさらにかく乱ですねぇ
http://6027.teacup.com/situation/bbs/65864

そんなに宗門に関心あるならこういうものでも出しますかね
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12726/1443666726/
一般会員を不当に除名!富士宮特区編 コメント2より


平成3年より、調子に乗った日顕宗坊主や妙観講が、富士宮で虻や蚊のようにしつこく飛び回っていた。
連日、学会員宅に押しかけたり電話をしたりして、池田先生や学会の批判をしまくっっていた。

彼は、この嫉妬に狂った批判と攪乱をしまくる輩共を徹底的に厳しく呵責し、学会員宅から追い払っていた。
破邪の題目を上げ抜く中で、仏敵と闘い、三変土田していく上で最も大事な事を観念ではなく生命で実感していた。
しかし、日顕の天魔としての出現と、それとの真っ向からの闘いは、次の、
獅子身中の虫たる内部からの天魔の旬動の始まりだった。

平成11年。
ある日彼は学会員に嫌がらせを続ける坊主や妙観講の実態を警察にも知らせる為に警察署に行った。
これは事前に日顕宗らの方が警察に学会や会員のデマ情報を通報していたからだ。

彼は警察にすべて事情を説明した。
警察は事実をほぼ分かっていた。
分かった上で警察は言った。

「あなた方学会員が大石寺の坊さんの所へ行くと、必ず警察に通報があるが、
富士宮の学会の責任者と大石寺の責任者とは付き合いがある。あなた方が大石寺に正しい主張をしても
双方は通じているのだから…」

真剣に邪悪と闘ってきた彼にとって、その事実には驚くと共に言い知れぬ怒りが込み上げた。

日顕宗の役僧と学会の幹部が、裏ではつながっているというのである。

これほどの裏切りがあるのか?

警察が教えてくれた事が実際に起きた。
当時、O元副会長は彼を国際文化会館(現池田文化会館)に呼び出して、こう言った。

「もう日顕宗への破折は幕を下ろしてくれませんか。これだけ攻めればいいでしょう。
お願いです一時止めてください」

媚びるような声と、狐のような目でそう懇願した。

日顕宗の本拠地で闘う富士宮の全会員を統率するOが、臆病でずるがしこい本性を出し始めた。
そればかりか、表向きは、「行くな」という日顕宗の寺まで指名し、
地元墓園の職員幹部Hや会館職員O、Sを通じて本部とも連携を取り出したのである。

これまで、いくら仏法の使命と正義感で邪悪な坊主共を破折し闘ったとしても、
これでは逆に内部の不正者に貶められるのも無理ないのである。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

Twitterより、聖教新聞に電話で聞いてみた。森友の件なぜ掲載しないの?座談会で公明擁護とは。元が腐るからか?

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時22分2秒
  聖教新聞社にTelし社会面に森友学園の件ナゼ掲載ないのかと。翌日と翌々日、11面ニュース欄に小さく掲載(森友学園小、開校延期、不認可も視野)事実関係はすぐ変わるから確認できた内容のみ載せると。今日はニュースもナシ、紙面座談会で公明擁護。  

Twitterより、公明党に電話で聞いてみた、えー知らないの?混迷党か

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時18分39秒
  今公明党本部に電話をしてみた
電話に出た広報のひと
2016年4月核兵器使用保有容認閣議決定を知らなかった
公明党の職員も見るな聞くなと言われてるのか
 

戸田先生指導:御本尊に関する質問

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時06分35秒
  質問:奉安殿の(現在は正本堂の)大御本尊様、あるいは客殿の御本尊様、御形
木御本尊様といろいろありますが、これらの御本尊様に違いがあるかどうか、お
うかがいいたします。

戸田先生:むずかしい問題です。がっかりすると悪いし、よほど信心のしっかり
している人であれば、きちんとわかってくれることなのですが、初信の人だと説
明の仕方がヘただと、ふと迷ってしまうのです。気が弱ります。御本尊様には違
いがあります。仏法の上で分身散体ということがあります。私なら私の心と同じ
心にできているのを分身体というのです。奉安殿の(現在は正本堂の)大御本尊
様、ここの客殿の御本尊様、私どものいただいている常住御本尊様、あなた方が
拝んでいる御形木御本尊様、それぞれ違うのです。違うのですが、こちらの信心
の仕方で少しも違わない結果を出せるのです。すべてそれは信力の問題です。あ
なた方の御本尊様の力をいえば、釈尊時代からある仏と菩薩とを、みないっしょ
にしたその功徳の何億倍と違ってくるのです。釈尊時代にもその前にも仏はいた
でしょう。それらの三世の諸仏の功徳がぜんぶ出ているのです。これは観心本尊
抄に「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持す
れば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(御書全集二四六㌻)ときちんと出
ています。

質問:御本尊様は一つだといわれておりますが、いろいろ違った御本尊様があり
ます。どういうわけですか。また懐中御本尊様とはどういうものですか。

戸田先生:御本尊様は一つしかありませんが、無量義経に分身散体の法というの
があります。この分身散体の法というのは、日蓮正宗を除いて日本広しといえど
も絶対に説いておりません。分身散体の分け方により種々分けられますが、すべ
て一閻浮堤の大御本尊に帰一するのです。いま、懐中御本尊といいましたが、ふ
ところに入れるなのはなんでも懐中ですが、これはお守り御本尊といって、われ
われが身をもって守る御本尊であります。むかしは功労のあった人に御下付され
ましたが、現在も功労によっていただけます。純真に信心に励んで、お守り御本
尊を受けられるようになりたいものです。

質問:弟の御本尊様と私のと、家に二体の御本尊様があるが、それでよいでしょ
うか。

戸田先生:いろいろ家庭的な事情がありませんか。御本尊様のことだけの返答で
いいですか。(ハィ)二体の御本尊様をまつる必要がありませんから、あなたの
御本尊をかざって、弟の御本尊は将来家庭をもつときまで、仏壇の中なり大事に
おしまいしておけばいいのです。ただし、長期にわたる場合は、一度寺院ヘご返
納したほうがよいと思います。いずれにしても、状況によって違いますから、先
輩とよく相談するように。

質問:御本尊様をそまつにした場合、いろいろの罰を受けると聞いています。た
とえば錐で穴をあけたりした場合、七つあければ、それと同じように、自分が与
太者にどうとかされるとか、夫が傷を受けるとかという話が、一部いわれており
ますが...。

戸田先生:御本尊様をおそまつにするということは、仏罰をこうむります。しか
し、あなたのいうように、御本尊様をそまつにしたら、愛する夫がヤクザに乱暴
されるとか、御本尊様に七つ穴をあけたら、自分が七つ穴をあけられるとか、そ
ういうふうに、さもわかったようなことをいう人はおかしい。そんなばかなこと
はありません。それなら仏罰はないか。あります。ありますが、その仏罰は、こ
んなものが出るとか、あんなものが出るとかは、いえないのです。

ただその人が、幸福になれないということはたしかです。この御本尊をそまつに
した人は、ひどいものです。その貧乏な姿を、見せにきます。不幸になった姿を
見せにきます。それを、乱暴されるとか、なんとかというのは軽率です。そうい
う場合もあるかもしれませんが、それは、その人のもっている不幸をば、とくに
現してくるのですから、どういう形で出るとはいえません。御本尊をそまつにし
た人は、ひじょうに気の毒です。じつに気の毒です。ですから、かわいそうだと

思って、よく、こんこんと改めて信心するように、教えておけばよいのです。あ
まりくどく、御本尊様をそまつにした者を追いかけてもだめです。いまに姿を現
してきますから、そのときに折伏してあげればいいのです。私は、いまから二十
五年前くらいに、三人の方に御本尊をお持たせした。女の人です。しかもそれは
常住御本尊様でした。二人の人はごくまじめに信仰を続けてこられた。一人は、
ともかく聞くところによれぱ、一億からの財産をつくられたそうです。もう一人

の方も、りっぱな生活をしておられます。いま一人の人が御本尊様をそまつにし
ています。そまつといっても、不敬したわけではないのです。ただ拝まなくなっ
てしまったのです。ありがたいと思わなくなってしまったのです。どうですか、
二十二、三年たってから、一昨年でしたか、私のところヘ、御本尊を持って、出
てきたではないですか。私はなにもいわずに、すぐ「あなたは幸せですか」とい
った。「幸せではない」という。もう、それこそみすぼらしい姿なのです。私は

まえにその人を、総本山での夏季講習会にいっぺん連れていったことがあるので
す。そのときの喜びというものは、ひじょうなものでした。年をとった人ですが、
女学生にかえったみたいな姿でした。私はその姿をまざまざと目で見ているので
す。「あなたは、あのときの幸せをすっ飛ばしてしまったね」といってあげまし
た。もうぬけたみたいな顔になってしまっているのです。そして、蹌踉としてや
せ犬みたいなかっこうで、私の前ヘわざわざ御本尊を持って現れたのです。

これは恐ろしいものです。ほんとうに恐ろしいものです。そういうふうな現証は、
かならずあるのです。さきほどのように、どうなるこうなるなどと決定したよう
なことは、いうものではありません。ただ仏罰の恐ろしいというだけは、いって
おかなければなりません。ある男ですが、これは御本尊を受けて、少しも拝まな
いで、ゴミだらけにしておいた。それが、犬のような生活の姿を、わざわざ私に
見せにきた。ひどいものです。だからじっと見ていなさい。いらないことをいう

必要はありません。ただひとことだけ「御本尊をそまつにしたら仏罰がでますか
ら、よく考えておやりなさい」とやさしくいって、現証を見ておきなさい。それ
が一つの折伏です。罰はかならずでます。あたるのではない。でるのです。罰と
いうのは、その人の生命の状態が生活に現れるのですから「罰をあててやるぞ」
などというものではありません。
 

世界はなぜ名誉会長を讃えるのか

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 3月 9日(木)17時36分17秒
  聖教新聞2011年9月22日

◇「物づくり」と「人づくり」の共鳴

わが国とグラスゴー大学との緑は深い。幕末期から明治期、日本の近代化を開いた外国人技術者の中に、多くのグラスゴー出身者がいた。その一人がヘンリー・ダイアー。日本の工業教育の中心となる
工部大学校(東京大学工学部の前身)の初代校長を務めた人物である。

彼が日本にもたらした「エンジニアの思想」――それは物をつくる技術を尊び、現場で拝して働く人を讃える思想であった。

江戸期の日本は、士農工商の身分制度によって社会体制を維持しており、職人たちは低い地位に留められていた。グラスゴーの新思想は、科学技術の導入と共に、日本の旧制度の壁を破り、新しい創造性の緑野を聞く力となったのである。

スコットランドでは、19世紀末という早い時期から、「名誉博士」の制度が生まれている。身分や肩書ではなく、実際に何をしたか。何を残したか。大学の教員ではなくても、社会のため、人のために貢献した人物を正し顕彰したい。この“スコッチ精神”の結晶ともいうべきものが「名誉博士」であった。

それを物語るエピソードがある。1990年、マンロー博士が初来日した。創価大学や学会本部を訪問し、関西の学会員の前で講演も行った。帰国の際、博士が関係者に語った。

「私が関西でお会いした創価学会の方々は、だれもが、平和を愛する立派な人々でした。しかし学会は常に中傷されています。事実に反する不当な評価に、どうして抗議しないのですか。私は行動します。私の見た事実をもとに」と。

この4年後、SGI会長への名誉博士号の授与式が挙行されている。創価大学との友好の歴史も光る。1987年以来、創価大学からグラスゴー大学に約270人の学生が留学。卒業生は学術界や経済界などで顕著な活躍を見せており、彼らの学問と生活への真摯な姿勢がグラスゴー大学の関係者に感銘を与えたことも事実である。

「物づくり」の殿堂が何より讃えたのは、SGI会長の「人づくり」への貢献献であったに違いない。ここに、21世紀への鍵があると。グラスゴーの名誉学位には、「新しい時代を切り開く人」を顕彰する伝統がある。
 

法華経の智慧観世音菩薩普門品より

 投稿者:臥子龍メール  投稿日:2017年 3月 9日(木)17時35分1秒
編集済
  国家主義の″毒″を見破れ

斉藤 ″毒″というと、思い出すのは、ユダヤ人への迫害の歴史を探求した学者の言葉です。
どうして文明国ドイツで、ヒトラーのような人間が首相になれたのか? どうして「ユダヤ人こそ一切の悪や不幸の根源で、迫害するのが当然」などという荒唐無稽な思想に人々が染まってしまったのか? それは「反ユダヤ主義の毒を少しずつ服用させられていたおかげで、ヒトラーという致死性薬物にまで免疫になっていた、ということなのだろうか」「何世代もつみ重なった激しいユダヤ人排斥主義の効果のせいで、彼らの倫理感覚、少なくともユダヤ人に関する倫理感覚が退化してしまっていたからなのだろうか」(ルーシ・S・ダビドピッチ『ユダヤ人はなぜ殺されたか・第1部』大谷堅志郎訳、サイマル出版会)
″少しずつ毒に慣れさせていく″というお恐ろしさを強く感じます。

池田 日本も同じです。人権感覚がますます狂ってきている。民衆を国家の犠牲にして恥じない国家主義が強まっている。危険です。だからわれわれが立ち上がる以外にない。

遠藤 日本国憲法の根底には、いわば「ソフト・パワーで平和を創造していこう」という理想があると思うんですが、それが踏みにじられようとしています。

須田 侵略戦争の正当化も、すごい勢いで進められていますね。とくに、若い世代に対して影響力の強いメディアでも、それが顕著で、危険な限りです。

斉藤 その一方、″抵抗の精神″がなくなり、いよいよ「長いものには巻かれよ」という雰囲気になっている。マスコミもそうです。現状追随の卑劣な国民性が、つくづく、なさけなくなります。

日本の宗教は「権力の奴隷」

池田 日本人に「権力に抵抗する精神」が弱い根本は、宗教が骨抜きにされてきたからです。これは福沢諭吉が明快に論じている。

遠藤 『文明論之概略』の中の「僧侶は政府の奴隷」なりという強烈な言葉を覚えています。(以下、同書より引用・参照。引用は現代語訳)

池田 彼は「宗教は人間の心の内部で働くものであるから、最も自由、最も独立してあるべきで、微塵も他から制御されず、微塵も他の力に頼らないで、社会に存在すべきはずであるのに、我が日本においてはそうではない」と嘆いている。(現代語訳)

仏教も、はじめから権力者の庇護を頼み、権力者にすり寄り、権力の余光を借りようとし、はなはだしいのは政府から爵位(貴族の階級)をもらって喜んでいる僧侶がいる、と。

寺がいっぱい建って、仏教が栄えているように見えても、それは「権力の威光」を借りたものであって、独立した「宗教の威力」によるものではない、と。

近年(明治五年)は、政府が僧侶の肉食妻帯を許した。これはつまり″宗旨を守って肉食せず妻帯しなかった″のではなく、″政府が禁じていたから、しなかった″──実際は陰で相当していたわけだが──ということであろう。

これでは「僧侶が政府の奴隷であるだけでなく、日本国中、すでに宗教はないと言ってよい」と、痛烈です。

斉藤 人間の「心の独立」の支柱となるべき宗教が、こうですから、日本人に″権力と戦う精神″が弱いことも当然です。

池田 だからこそ、私たちの運動が、日本の根本的な文化革命、人間革命、精神革命なのです。日蓮大聖人は、″権力の奴隷″の僧侶たちから総攻撃を受けながら、権力者自身をも「わづかの小島のぬし」と見おろしておられた。世間は有上道、仏法は無上道。どんな権力者といえども、妙法にはかなわないし、謙虚に正義を求めていくべきだという信念であられた。

先ほど牧口先生の価値論の話が出た。「人を救い、世を救ってこそ宗教だ」という牧口先生の叫びは、まさに日蓮大聖人直結です。宗教の源泉から、社会へ社会へと精神的水流を送り続けていく。社会とかかわり続けていく運動です。それが観音菩薩の三十三身の精神でもある。

斉藤 経文に挙げられていない姿も含めて、「あらゆる姿で」ということですね。

池田 だから、どんな立場の人でも、尊敬していかねばならない。その人が仏菩薩の現れかもしれない。仏菩薩の働きをする場合がある。立場や職業や見かけで、人を判断しては絶対にならない。

「宗教なき政治は『死体』」──ガンジー

須田 法華経は「社会に向かっていく」経なんですね。

池田 「向かっていく」のです。宗教という根源的次元から、社会を常に浄化し、リフレッシュし、蘇生させていく。

宗教と政治についても、ガンジーはこう言っている「宗教の欠如した政治は、国家の首を吊るロープであります。いつの場合でも、政治は宗教の説く真理の道にしたがって進むべきであり、一方、政治を忌み嫌う宗教は、宗教の何さえ値しないものです」(ハリーバーウ・ウパッデャイ『バープー物語』池田運訳、講談社出版サービスセンター)

斉藤 その通りだと思います。

池田 福沢諭吉は、日本の宗教は「政府の奴隷」と言ったが、ガンジーは反対に、宗教的精神によって政治を道徳的な慈愛あふれるものに変えよと言っているのです。

日本でも聖徳太子の十七条憲法には「篤く三宝を敬へ」とある。政治的権威も、普遍的な真理に従っていくべきだという思想があった。

宗教の中には、権力に協力し、「権力の奴隷」になる宗教がある。また「政治とは一切、かかわらない」と閉じこもる宗教もある。これもまた消極的に、権力の悪を助長し、野放しにすることになる。

「権力と一体化して権力者を助ける」のでもなく、「政治から身を引くことによって権力者を助ける」のでもない。第三の道。

それが日蓮大聖人の「立正安国」です。
正法という″永遠の真理″の側から、現実へ常に「向かっていく」「かかわっていく」「変革していく」。これこそが、権力の奴隷にならない唯一の宗教の道なのです。だからこそ、この道には弾圧がある。難がある。だから本物なのです。


「経済にも倫理を」──アマーティア・セン氏

斉藤 観音品ということで「現世利益」が話題になったわけですが、″現実生活上の価値″を否定する観念的な宗教観では、社会へ脈動はありません。かといって、安易な「ご利益信心」もまた、民衆の内面を開拓することはなく、「わが身を犠牲にしてでも、社会を変革していく」という力を与えることはできません。

両者は、両極端のようでいて、ともに権力者にとって都合のよい宗教になっていると思います。

池田 日本では、僧侶だけが「権力の奴隷」になってきたのではない。ほとんどの知識階層も、財界人も、民衆も、同じであった。

本来は、権力者・指導者は「民衆の手足」です。民衆の手段です。民衆の公僕です。僕です。それが反対になっている。

遠藤 口では「公僕」といっても、その「公」とは「民衆」のことではなく、「国家」とか「現体制」のことになってしまっている。民衆に仕えるのではなく、体制に仕えるのが「公僕」だという恐るべき錯覚です。

須田 やはり「国家は手段であり、国民の幸福こそ目的なのだ」という民主主義の基本を、徹底的に、日本人の腹の底に叩きこまなければ、何も変わりませんね。

池田 目に見えない精神的権威(宗教)をもたない人間は、目に見える権威(体制)に従いやすいものです。

「社会へ向かっていく」「脈動していく」という創価の仏法の舞台は、政治だけではない。三十三身とあるように、社会のすべての領域にわたる。
たとえば経済もそうです。

ガンジーは「正義の経済学」を論じた。「拝金主義を教え込み、強者が弱者の犠牲の上に富を増やすことを容易にする経済学は、誤った、荒涼とした科学である。それは死を意味する。これに対し、真の経済学は、社会的正義を象徴し、弱者を等しく含む万人の幸福を促進する」(「私の宗教の目標」梅田徹訳、『私にとっての宗教』所収、新評論)
「拝金主義」は強者を傲慢にし、弱者を卑屈にし、両者の魂をからっぽにする。

貧しき人々をはじめとする「万人の幸福」をどうするか。そこに智慧をしぼるのが経済学の真髄です。「正義の経済学」です。「経世済民(世を治め、民を済う)」という「経済」の本義にかなう道です.

斉藤 池田先生とともに今回、デリー大学の名誉博士になった方に、アマーティア・セン氏(英国ケンブリッジ大学教授)がいます。(一九九八年十二月十三日)
教授も「正義の経済学」を提唱しています。

池田 アジア人初のノーベル経済学賞を受けた方です。幼少期はタゴールの学園のある町で生まれ、タゴールが名づけ親だという。

斉藤 セン教授は九歳の時に、ベンガルの大飢饉を体験しました。約三百万人が餓死。その体験から「貧しき人々を救う」ための経済学を志したといいます。「経済に倫理を」と主張されています。

池田 すばらしいことです。
牧口先生の価値論も「美・利・善」というように、「利」を価値体系の中に、きちんと位置づけておられる。「善(公共の利益)」に背く「利」は「悪」であり、反価値であることを、はっきりさせている。

こういう「何のため」という価値観がなければ、経済活動も″金もうけのための金もうけ″″経済成長のための経済成長″というように、野放図に暴走してしまう危険がある。

遠藤 バブル経済が、まさに典型でした。

池田 その意味で、価値論は「正義の経済学」を志向しているといってよい。

須田 今、日本では″景気の回復″だけが論じられています。まるで景気が回復しさえすれば、すべて問題は解決するかのように。もちろん、それも極めて大事です。しかし社会の根底の価値観が変わらないままで、いまだに経済至上主義の夢を追っているとしたら、こんな不毛なことはありません。

斉藤 「第二の敗戦」と言われるバブル崩壊から″何も学んでいない″ことになります。
日蓮仏法は「誓願の仏法」

池田 そういう「哲学なき非文化国家」日本を、心豊かなヒューマニズムの国に変えていくのが、広宣流布の運動です。

ともあれ、日蓮仏法であっても「広宣流布」への戦いを忘れれば、これまでの利己主義の宗教と同じになってしまう。

須田 宗門がその典型です。

池田 広宣流布への不惜身命の「行動」があってこそ、わが小宇宙の生命が大宇宙と冥合し、祈りも叶うのです。と大聖人は「法華経の行者の祈りのかな叶はぬ事はあるべからず」と仰せだ。ならば、自分が法華経の「実践者」であるかどうかだけが問題になる。

日蓮仏法は「誓願の仏法」です。自分が自分の立場で、御本尊に「私は、これだけ広宣流布を進めます! 断じて勝利します!」と誓願することです。その「誓願の祈り」が出発点です。

観音品には、観世音菩薩の由来について述べたなかに「弘誓の深きこと海の如し」(法華経六三四ページ)とある。(広宣流布しようという誓いは海のように深い)
その結果、観音は「福聚の海無量なり」(法華経六三八ページ)という大境涯を得たのです。(無量のの福が聚まった海のごとき境涯)
日蓮大聖人は、この経文について「依正福智共に無量なり所謂南無妙法蓮華経福智の二法なり」と言われている。依正──周囲の境涯も自分自身も、無量の「福徳」と「智慧」にあふれてくるのだと。

人間には「智者タイプ」の人と、「福者タイプ」の人がいる。それはそれで個性なのだが、智慧があっても福運がなければ、努力は実らず、幸福な人生は創れない。

福運があっても、智慧がなければ、多くの人に信頼されることはむずかしいし、多くの人々を救っていくこともできない。両方、兼ね備えた人生が最高です。

広宣流布という人間性の真髄の軌道を生ききるときに、そういう「無上道の人生」になっていくのです。ゆえに一歩も退かず、押して押して押しきっていくことだ。遠慮してはならない。

全幹部が一兵卒になって、コマネズミのように動いて動いて、獅子王のごとく語って語って、魂魄をとどめた広布勝利の歴史をつくっていくことだ。その分だけ、自分自身の三世永遠の旅路が黄金に輝いていくのです。

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これが本として出版されたのが2000年8月です。(法華経の智慧第六巻)
国家主義に公明、学会本部は取り込まれたのでしょうか。
あれだけ言ってきたのにと先生の心中は如何に。

http://

 

◇池田名誉会長講義御書と師弟第1回三変土田(下)

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 3月 9日(木)17時10分25秒
  2008-12-12

信心の力で人生を勝ち開け

わが師・戸田先生は、よく言われました。「私は、信心のこととなると、強情な
までに辛抱強いんだよ」と。広宣流布は、巌窟王の如き執念をもって、たゆみな
く挑戦を続ける大闘争です。わが学会の闘士が、悪口罵詈の渦巻く中、どれはど
忍耐強く勇気と誠実の行動を重ねて、わが国土を変えてきたか。それは、まさし
く「三変土田」に通じます。三変土田──この婆婆世界の変革は、なぜ、三回に
わたって行われたのか。この点について天台大師は、婆婆世界を浄め、「方便土
」「実報土」そして「寂光土」にした、と意義づけています。

「方便土」とは「二乗」などが住む世界、「実報土」は「菩薩」が住む世界、「
寂光土」は「仏」が住む世界です。天台はまた、「三惑」という惑いを破ること、
すなわち一回目は「見思惑」を破ること、二回目は「塵沙惑」を、さらに三回目
は「無明惑」を破ることだ、とも論じています。この三惑に打ち勝って、仏の境
涯を顕す象徴とするのです。ともあれ、大事な点は、釈尊が、間を空けずに、二
度、三度と、連続して国土を変え続けたことにあります。第二波、第三波とうね
りを起こし続けてこそ、偉大な変革は成し遂げられる。

人間革命のドラマ

実は、もう一歩深く日蓮仏法から見れば、この挑戦を起こした瞬間、生命は大変
革を遂げています。一念が深く定まれば、三惑は瞬時に打ち破られるからです。
だから国土も変わらないわけがないのです。三変土田とは、狭い心のカラを決然
と破る「人間革命」の挑戦そのものなのです。そのために、妙法を朗々と唱え、
師の心をわが心として広宣流布の行動を勇敢に開始するのです。「いつか」では
ない。「今この時」が勝負です。

人類を結ぶ大瑞相

「文明論」の観点から言えば、三変土田は人類文明の共和の象徴です。十方世界
のそれぞれにいた仏が集まり、一つの仏国土の中に遍満し、融合する。虚空会の
舞台は、人種や民族、文化や国士の違いを超えて結び合う理想郷です。また「生
命論」から言えば、妙法は大宇宙の法則です。私たちが妙法を弘めるところ、全
宇宙の諸仏・諸菩薩が喜び来って、必ず、その人を讃え守護する。三変土田から
始まる虚空会の説法は、この約束といってよい。この法理を、現実の荒れ狂う世
界で展開しゆくのが広宣流布です。広布に生き抜くことは、貪・瞋・痴という三
毒に満ちた社会を、仏国土に大転換しゆく三変土田の戦いなのです。

さらに三変土田を「境涯論」から論ずれば、釈迦・多宝の二仏が、いかに無量無
辺の徳を具えていたかを示しています。三変土田は、三世分身の諸仏の統合の原
理でもある。全宇宙の仏菩薩が、法を求め、師を求めて、はるばる娑婆世界に来
下してきたのです。法華経を説く仏とは、それほどまでに広大無辺な慈悲と英知
に満ちた偉大な境涯なのです。それは、根底にある妙法の偉大さです。そして、
妙法に生き抜く創価の友も、この境涯を開いていけるのです。

今、世界中から多くの指導者が続々と、創価の城に来訪されております。中国を
はじめアジア各国、そしてキリスト教・イスラム教・ユダヤ教など諸文明を代表
する賓客が、創価の哲学と運動に、心から共感されております。妙法を根幹とし
た我らの人間主義に深い共鳴を示され、連帯していかれるのです。世界中の都市
からも、最高学府からも、名誉称号をお贈りいただいております。すごい学会に
なりました。この姿こそ、人類を結ぶ三変土田の大瑞相ではないでしょうか。

粘り強く現実変革に挑戦を!

満々たる生命力で

さらに、全国の津々浦々の学会の集いにも、地域の名士の方々が喜んで参加され
る時代になりました。我ら師弟の大城は、まさに千客万来です。皆様方のお力で
、「妙法独り繁昌せん」(御書502ページ)の御金言は現実のものとなったの
です。わが支部、わが地区、わがブロックで懸命に友を励まし、心を変えゆく対
話。その真剣な戦いは、すべて三変土田の栄えある勝利の劇です。小さな地域で
あっても、大変な地域であっても、ここがわが今世の黄金の晴れ舞台である──
この一念髄喜の心が一切を決めるのです。戸田先生は言われています。

「日本国中に、さかんなる力士のごとき人々が充満するならば、生産に、復興に
、文化に、芸術に、その最高度の能力を発揮するがゆえに、国土の再建は、うた
がうべくもない」「さかんなる力士のごとき」とは、一人一人が満々たる生命力
で躍動している様子です。「人間革命」に挑み、幸福の実証を勝ち示している姿
です。こうした勝利の活力が充満すれば、社会を大きく変えていける。やがて世

界の宿命をも大転換していけるのです。私は戸田先生の不二の分身となって、死
に物狂いで戦った。正義の叫びで、一人一人の心を一変させていった。その地そ
の地に、師匠の大生命を打ち込む決心で戦い抜きました。仏法の眼で見れば「娑
婆即寂光」です。国士も「心の一法」から出来する。わが一念から起こり、わが
一念に収まるのです。地震や台風や冷害などの災害に見舞われた地域の方々に、
私はこの三変土田の法理を語り、共に祈ってきました。

阪神・淡路大震災をはじめ、北海道、中越、東北、北陸などの大地震。長崎、三
宅島などの噴火。また沖縄、九州、四国、中国、中部など豪雨による被害……。
どの地でも、学会の同志の献身的な救援活動や復興の努力が希望と勇気を広げ、
地域の結束を強めました。「わが町の復興は、学会があればこそ」などの感謝と
感動の声が、私のもとにも数多く寄せられてきました。皆様は、見事に変毒為薬
してこられたのです。中国の高名な歴史学者であられる章開●(しょうかいげん)
先生(華中師範大学元学長)は、私との対談で、中国が雪害や大震災などの苦難

を乗り越え、本年、北京オリンピックを大成功させたことにふれ、こう述べてお
られました。「温家宝総理が被災地の人民のために『多難興邦(難が多いはど奮
起して国を興そう)』と揮毫したように、震災は全国人民、ひいては全世界の華
人(中国人)の心と力とを、祖国の復興という一点に向かわせました。全国の人
民が奮起し、心を一つにして困難を乗り越えようとした結果、千年に一度あるか
ないかの巨大な災難に打ち勝つことができました」と。

民衆の「心の力」は偉大です。それを無限に引き出す哲理が、一念三千の法理で
す。一人一人が地涌の底力を出せば、三世十方の仏菩薩にも勝る力が涌現する。
断じて宿命を転換するのだ!この国土世間を三変土田し、安穏にして天人が充満
する楽土を必ず建設するのだ!──これが大聖哲の御確信です。

必ず打開できる!

今、日本も世界も、大変な経済不況の中にあります。しかし、仏法では「一心の
妙用」(一念の不思議な力)を教えている。断じて負けない信心の一念があれば
、必ず必ず打開できることを確信していただきたいのです。私も妻も、全同志の
皆様方が厳然と守りに護られ、一人ももれなく勝ち栄えていかれるよう、一心不
乱にお題目を送っております。仏国土を開く儀式は、二度、三度と繰り返されて
成就しました。三変土田の挑戦は、粘り強く、繰り返すことが大切なのです。苦
しいときこそ、「強盛の大信力」(御書1118頁)で、祈りに祈り、何度でも
挑戦し、断じて断じて未来を勝ち開こうではありませんか。

詩聖タゴールは謳いました。「国は人間が創造したものです。国は土からできて
いるのではなく、人々の心でできています。もし人間が輝いていれば、国は顕現
されます」(我妻和男訳)今や妙法は世界192カ国・地域に広がりました。創
価の運動は「人類模範の善の連帯」と期待されております。私たちの“地涌の三
変土田”が、世界を大きく動かしつつあるのです。広宣流布の舞台は新段階に入
りました。大聖人の仰せ通り「二陣三陣つづきて」(御書911頁)、新しい人
材が勇み立つ時です。これこそ「青年・勝利の年」です。全国、そして世界の各
地で、創価の師弟の旗を掲げ、社会に貢献しゆくわが同志こそ、誉れも高き三変
土田の仏の大行進なり!私は心からこう賞讃したいのです。

池田名誉会長講義御書と師弟第1回三変土田下〔完〕
 

補足

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 3月 9日(木)16時48分2秒
  種子法廃止に続いて、水道法“改正案”が3月7日に閣議決定されたのを書き忘れていた。

新聞、テレビ等の主要メディアは両件とも殆ど触れることなく、興味本位で森友学園関連の報道を引っ張る。
17日か21日か、正確な日付はともかく月内には共謀罪も閣議決定されることだろう。

ネット社会の進展で「悪事千里を走る」利点も大きくはなったが、
市井に暮らす一人ひとりが拱手傍観していては災厄の芽を摘むことは出来ない。
 

人生の座標から~

 投稿者:うーこメール  投稿日:2017年 3月 9日(木)16時37分5秒
  一人は全体のために、全体は一人のためにこの自覚と思いやりは、殺伐とした人間関係が嘆かれ、危機打開へ展望のもてない今こそ求められよう。  

梶岡さん

 投稿者:ルネッサンス  投稿日:2017年 3月 9日(木)16時35分2秒
  以前、関西参与だった梶岡さんは、正木さんが理事長を辞任させられた時に、副会長を解任されたという話を聞いたのですが、理由を御存じの方がいらっしゃれば教えていただけないでしょうか? 正木派粛清の為? 今の主任副会長達は、相が悪い人が多いような。  

「人は変われど 関西の同志は変わらじ」

 投稿者:賢くなりたい婦人部  投稿日:2017年 3月 9日(木)16時24分5秒
  ……………………………………………………………………………………………」
私の小説『人間革命』の原稿は、

学会本部に永久保管されている。

その原稿の゛綴り″の第4巻の扉に、

私は、こいこ関西の地で、一文を書き記した。

「『人間革命』の此の原稿は

わが師 戸田城聖先生の真実の

大ロマンにして

弟子 池田大作が

確かに書き留めしもの也

一切の批難と謀略の言を

信ずること勿れ

わが門下に深く留む」

嵐のなかで迎えた昭和55年の5月3日、
私は、こう厳然と綴り、恩師に捧げたのである。


………………………………2007/11/8本部幹部会…………………

当然、『新・人間革命』の原稿も、学会本部に永久保管されますよね。


 

◇池田名誉会長講義御書と師弟第1回三変土田(上)

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 3月 9日(木)13時10分17秒
  2008-12-11

御聖訓心の一法より国土世間も出来する事なり(総勘文抄、563頁)

わが一念で仏の国土に!
世界を変えゆく生命の光

「大作、行ってこい!あの地に広宣流布の旗を堂々と打ち立ててくれ!」恩師・
戸田城聖先生の命を受け、私は若き日、電光石火で転戦しました。蒲田へ、文
京へ、大阪へ、山口へ、札幌へ、夕張へ。いずこでも、その地の「三変土田」
すなわち国土の宿命転換を祈り戦った。戦い走った。行くところ向かうところ、
私は大地に妙法をしみこませる一念で、唱題を重ねた。大地から地涌の菩薩を
呼び出す誓願で、対話を続けた。そして厳然と師の構想を実現してきました。

法華経に説かれる「三変土田」。その通りの実践が、我ら創価の同志の「人間革
命」の行動です。「三変土田」の本質は、一人一人の生命を変えることに他なら
ないからです。「正義」が勝てば、「国土」は変わる。ゆえに「三変土田」とは、
正と邪の熾烈な闘争なのです。創価学会の大興隆が大いなる力となって、日本は
敗戦の焦土から発展を遂げた。この点に、大歴史家のトインビー博士も刮目され

ておりました。妙法流布こそ、この地上を平和の楽土に転換しゆく根本のエネル
ギーです。皆様は、私とともに、この誉れの大使命を担って日夜戦ってくださっ
ている。それが、どれほどすごい人生であるか。大福徳の道であることか。「心
の一法より国土世間も出来する事なり」(御書563ページ)との御聖訓は、仏
法の奥義です。「一念」は即「三干」の次元に広がる。人間の「心の一法」の在
り方しだいで、国土が善くも悪くもなる。

人類の精神史は、この「心の一法」の探求の歩みでもあったといって過言ではな
い。戦争も、飢餓も、地球環境の間題も、煎じつめれば、すべて人間の「心の一
法」に帰着するからです。

国土にも「境涯」が

一念三千の法理に照らせば、国土にも「境涯」があります。「依正」──「依報
(環境)」と「正報(主体)」は不二ですから、そこに住む人間の境涯が乱れれ
ば、国土も荒んでしまう。人間の境涯が強く高く輝けば、国土も光を放っていく
のです。この青き地球を、平和と繁栄と幸福の光で包むには、「心の一法」を究
め、深め、磨いていくことが、絶対に不可欠です。科学技術や情報技術も、この
根本を疎かにすれば、人間の幸福に生かすことはできない。国土をも栄えさせゆ

く「心の一法」──その究極が、妙法への信心です。戸田先生は「広宣流布への
信心があるところが、仏の国土なのだ」と断言されました。わが尊き地域本部
(団地部・地域部・離島部・農村部)や社会本部(社会部・専門部)の方々をは
じめ、学会の同志の奮闘は、力強く地域を、社会を支え守っています。皆様方が、
一人ももれなく幸福と健康に輝く人生を勝ち飾ることが、そのまま一国の宿命転
換の道となる。庶民が立ち上がり、青年の熱と力を引き出すことが、国土全体の

繁栄につながります。その意味において、私とともに「"まさか"が実現」の歴史
を打ち立てた関西をはじめ、宿縁深き同志が、幸福・勝利の人生を歩んでおられ
ることが、私の何よりの喜びであります。古くから、「天下の台所」と呼ばれて
きた大阪。そして大関西。ある学者は、昭和二十年代から三十年代初頭の関西の
庶民の熱気が、日本の高度経済成長の推進力になった、と着眼されていました。
わが常勝関西が日本を動かしてきたのです。私がお会いした経済学者のサロー博

士や、アメリカのシーファー大使など、多くの識者も異口同音に感嘆しているよ
うに、関西の力は、まだまだ無限です。ともあれ、必死の一人の力は、百万軍に
勝る。「心の一法」を変革し、自分が変われば周囲が変わる。周囲が変われば世
界が変わる。混迷の闇が深いほど、仏法の智慧が光ります。勇気が光ります。私

たちの前進は、日本、そして世界の輝ける未来を開く前進です。ゆえに、断じて
歩みを止めてはならない。戸田先生は叫ばれました。「『仏法は勝負』である。
本当の仏法は社会での大闘争の中にある。仏法を現実社会の中で行じ、人間のた
め、国のため、世界のために戦ってこそ、真の大聖入門下であり、真の革命児で
はないか。これが創価学会だ」

3回にわたる浄化

さて「三変土田」とは何か。これは、今いる国土を仏国土に変えていくという変
革の法理です。法華経の見宝塔品第11に説かれています。「三変」とは、三度
にわたって変えること。「土田」とは、国土・土地・場所の意味があります。法
華経には「虚空会の儀式」が説かれます。すなわち、輝きを放つ巨大な宝塔が大
地から出現し、全宇宙から諸仏が集まって、虚空(空中)で釈尊の説法が行われ

ます。ところが、最初は、宝塔の中にいる多宝如来は姿を現しませんでした。宝
塔の扉は固く閉ざされたままです。この扉を開く条件として、諸仏が来集するこ
とが必要であった。そのためには「仏が集うにふさわしい国土(仏国土)に浄め
ることも必要となる。そこで釈尊が、三回にわたって国土を浄めたことを「三変
土田」というのです。一回日──釈尊は眉間から光を放って、無数の国士にいる

仏たちを見ました。それぞれの国土では、さまざまな仏と菩薩が妙音(みょうお
ん)をもって法を説いていた。この仏たちが、それぞれに従う菩薩に「私は今、
まさに婆婆世界の釈尊の所へ行く!そして多宝如来の宝塔を供養するつもりだ」
と告げる。宝塔が涌現したことを知るや、釈尊と多宝如来にお会いするために、
無数の仏たちが続々と結集してくるのです。無数の国土とは、現代的に言えば他
の無数の星々といえるかも知れない。宇宙のすみずみで活躍してきた諸仏が、弟

子たちを引き連れて、この地球上の霊鷺山に集ってくるのです。何と雄壮なスケ
ールでしょうか。この仏菩薩を迎えるために、釈尊は大地を瑠璃で彩り、宝の樹
で荘厳しました。芳しい香りが広がり、曼陀羅華で敷き満たされます。この浄土
に大宇宙から集まった諸仏は、一人ずつ「師子の座」に座る。これが一回日の儀
式です。二回目──最初の浄化が行われても、全宇宙からやってきた緒仏は膨大

な数で収まりきれません。そこで釈尊は、さらに八方のおのおの二百万億那由他
もの国土を浄めます。それら無数の国土は、すべてつながって、想像を絶する広
大な一つの仏国土が出現します。しかし、ぞれでも、全宇宙の仏が集まるには十
分な広さではなかった。三回目──二回目と同様に、八方のおのおの二百万億那
由他の国土を浄化し、すべての国土がひと続きとなった、さらに壮大な仏国土が
出現します。三回の浄化の結果、この娑婆世界と、合わせて八方の四百万億那由

他もの国土が全部一つの仏国土と化して、そこに十方の分身仏が満ちあふれるの
です。これで条件が整い、ついに宝塔の扉が開かれます。多宝如来が見守る中、
大衆が空中に導かれ、虚空会の説法が始まる。釈尊は大音声で告げました。「誰
か能く此の娑婆国土に於いて、広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり」未
来の弘教の呼びかけです。

未来を担う人材群

「三変土田」の本質とは、宇宙大の広がりをもって、無数の弟子が勇んで師のも
とに馳せ参じる荘厳な師弟のドラマといってよい。ここから、遠大な未来の広宣
流布へ誓願の人材群が打って出るのです。師弟こそ、一切の原点です。師弟こそ、
勝利の源流です。この虚空会の儀式の開幕は、法華経の「本門」への起点となっ
ています。久遠の師弟が織りなす「本門の舞台」を開いたのが、この「三変土田」
です。仏限・法眼で見れば、今、日本そして世界のあらゆる所で、仏国土が築かれ
つつあります。絢爛たる民衆凱歌の「本門の舞台」が実現しているのです。

いよいよ、「本門の弟子」が躍り出る時代が到来しました。
 

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