韓国の文化政策が総体的な危機に直面している。昨年秋の崔順実(チェ・スンシル)国政壟断事件以降、すべてのことが停止した状態といっても過言でない。文化が政治権力の侍女に転落したのは今回の政権に限られたことではない。文化人ブラックリストが限度を越えたのは事実だが、歴代政権でコードに合う人物が文化権力を独占し、烙印を押された人たちが見えざる「ふるい」に掛けられていたのは公然の秘密だ。
何が問題の根源なのか。政治権力が文化を認識する誤った態度にある。その気になればいくらでも文化領域に手を入れることができると錯覚している慢性的な臆見(doxa)が権力者の脳裏にあるからだ。文化が政治権力に隷属することで引き起こされる悲劇は随所に見られる。
光州(クァンジュ)のアジア文化殿堂とソウルの東大門(トンデムン)デザインプラザ(DDP)を考えてみよう。この2カ所はともに文化的な惨事といっても過言でない。天文学的な国税が投入された建築物と空間にもかかわらず、生産されたコンテンツ水準、国民の使用頻度に基づく文化芸術の公共性、文化産業レベルでの経済的効果、国際的な認知度と影響力などすべての側面で成果はみすぼらしい。こういう惨憺たる状況と招いた根本的な原因の一つは、政権交代するたびに最初のビジョンと計画を随時変更し、文化政策の断絶を引き起こしたからだ。事業の性格と機能に対する徹底的な省察と検証なく、速戦即決で進めたことも関係している。
昨年夏に光州のアジア文化殿堂を訪問したが、訪問客が少なく閑散としていた。DDPはどうか。ショッピング施設を目標とする営利追求空間なのか、市民のための非営利複合文化空間なのか分からないほどだ。デザインがすべてであるかのようにそれらしきスローガンで国民を幻惑させた製作者は、どんな目標意識を持ってこの空間を作ろうとしたのか憤りさえ感じる。デザインは目に見えない総体的人間活動と創意的アイデアの集積体という点で、特定の空間でデザインを研究したり生産するというアイデアは典型的な机上の空論であり後進国的な発想だ。
この部分で筆者は20世紀の文化政策の典範であり世界複合文化芸術空間のメッカといえる仏パリのポンピドゥーセンターを思い出す。ここは先月初めに開館40周年を迎えた。40年の歳月の間、ポンピドゥーセンターに対する総合評価は、フランスを越えて世界で現代文化の創造に決定的な役割をし、一種の「ポンピドゥー効果」を創造したというものだ。この現代文化芸術の名所は人文学と芸術に造詣が深かったジョルズ・ポンピドゥーが1969年にフランス大統領に当選して構想した空間だ。開館当時にはあまりにも馴染みのない建築物のため「脱現代性」の宣言と受け止められたが、さまざまな芸術的表現の出会いの場の創出というユートピア的なモデルは今日まで固守されている。現代芸術の傑作を所蔵する美術館をはじめ、すべての市民に開かれた情報図書館(BPI)、映画館、公演舞台、先端の前衛音楽研究所のほかにも、人文知識、芸術、テクノロジー、実践の創発的融合空間としての産業創造センター(CCI)がある。
50余年前に政治指導者がこのような創意的な文化複合空間の青写真を提示したという事実に「文化大統領」ポンピドゥーを敬慕するしかない。注目すべき事実は、ポンピドゥーセンターはこの半世紀間、フランスの政権の変化と関係なく最大限の自律を与えられたという点だ。昨年フランス政府はポンピドゥーセンター全体予算の58%に相当する1億3500万ユーロを支援した。ポンピドゥーセンターは6つの地方分館を開館したが、その一つが2010年に開館したポンピドゥーメッスだ。ここは文化の脱中央集中化と地方の文化政策の自律性付与というフランスの文化政策が長期的な戦略の中で実現した成功事例として語られる。
ポンピドゥーの事例は、政治権力の軸が左右に振れるたびに文化が真っ先に「餌食」になる韓国の悲しい実情と対照的だ。今後の新政権でいかなる文化政策よりも先にするべきことは、文化の主権と自主権を宣言して保障し、それを実践に移す具体的な行動プランを提示するというものでなければいけない。
キム・ソンド/高麗(コリョ)大教授・言語学
何が問題の根源なのか。政治権力が文化を認識する誤った態度にある。その気になればいくらでも文化領域に手を入れることができると錯覚している慢性的な臆見(doxa)が権力者の脳裏にあるからだ。文化が政治権力に隷属することで引き起こされる悲劇は随所に見られる。
光州(クァンジュ)のアジア文化殿堂とソウルの東大門(トンデムン)デザインプラザ(DDP)を考えてみよう。この2カ所はともに文化的な惨事といっても過言でない。天文学的な国税が投入された建築物と空間にもかかわらず、生産されたコンテンツ水準、国民の使用頻度に基づく文化芸術の公共性、文化産業レベルでの経済的効果、国際的な認知度と影響力などすべての側面で成果はみすぼらしい。こういう惨憺たる状況と招いた根本的な原因の一つは、政権交代するたびに最初のビジョンと計画を随時変更し、文化政策の断絶を引き起こしたからだ。事業の性格と機能に対する徹底的な省察と検証なく、速戦即決で進めたことも関係している。
昨年夏に光州のアジア文化殿堂を訪問したが、訪問客が少なく閑散としていた。DDPはどうか。ショッピング施設を目標とする営利追求空間なのか、市民のための非営利複合文化空間なのか分からないほどだ。デザインがすべてであるかのようにそれらしきスローガンで国民を幻惑させた製作者は、どんな目標意識を持ってこの空間を作ろうとしたのか憤りさえ感じる。デザインは目に見えない総体的人間活動と創意的アイデアの集積体という点で、特定の空間でデザインを研究したり生産するというアイデアは典型的な机上の空論であり後進国的な発想だ。
この部分で筆者は20世紀の文化政策の典範であり世界複合文化芸術空間のメッカといえる仏パリのポンピドゥーセンターを思い出す。ここは先月初めに開館40周年を迎えた。40年の歳月の間、ポンピドゥーセンターに対する総合評価は、フランスを越えて世界で現代文化の創造に決定的な役割をし、一種の「ポンピドゥー効果」を創造したというものだ。この現代文化芸術の名所は人文学と芸術に造詣が深かったジョルズ・ポンピドゥーが1969年にフランス大統領に当選して構想した空間だ。開館当時にはあまりにも馴染みのない建築物のため「脱現代性」の宣言と受け止められたが、さまざまな芸術的表現の出会いの場の創出というユートピア的なモデルは今日まで固守されている。現代芸術の傑作を所蔵する美術館をはじめ、すべての市民に開かれた情報図書館(BPI)、映画館、公演舞台、先端の前衛音楽研究所のほかにも、人文知識、芸術、テクノロジー、実践の創発的融合空間としての産業創造センター(CCI)がある。
50余年前に政治指導者がこのような創意的な文化複合空間の青写真を提示したという事実に「文化大統領」ポンピドゥーを敬慕するしかない。注目すべき事実は、ポンピドゥーセンターはこの半世紀間、フランスの政権の変化と関係なく最大限の自律を与えられたという点だ。昨年フランス政府はポンピドゥーセンター全体予算の58%に相当する1億3500万ユーロを支援した。ポンピドゥーセンターは6つの地方分館を開館したが、その一つが2010年に開館したポンピドゥーメッスだ。ここは文化の脱中央集中化と地方の文化政策の自律性付与というフランスの文化政策が長期的な戦略の中で実現した成功事例として語られる。
ポンピドゥーの事例は、政治権力の軸が左右に振れるたびに文化が真っ先に「餌食」になる韓国の悲しい実情と対照的だ。今後の新政権でいかなる文化政策よりも先にするべきことは、文化の主権と自主権を宣言して保障し、それを実践に移す具体的な行動プランを提示するというものでなければいけない。
キム・ソンド/高麗(コリョ)大教授・言語学