好きなことを仕事にして苦しむキリギリスと、好きなことを趣味にして楽しむアリと。__ドラマ『カルテット』

録画しておいた『カルテット』っていうテレビドラマのつづきを見てたんだけど、じっくり眺めてみると、あれだけの抜群の演技力と独特の雰囲気と美貌をかねそなえた満島ひかりという人は奇跡みたいな役者さんであるなあとあらためて感動すると同時に、ふつうなら絶対に人には見せたくないであろう醜悪な、けれど誰もが持っている素顔の一瞬の表情をちりばめてくる松たか子の女優としての才能に打ちふるえ、そこに松田龍平と高橋一生の笑いを誘うかろやかなる怪演が加わったカルテット(四人組)が、坂元裕二の小説じみたセリフの数々を唐突にぶつけ合うという展開は、軽井沢の山荘で夢見る音楽家たちが共同生活をするという現実離れした設定も手伝って、なかなかあまねく皆に受け容れられるドラマではないのかしら、という気がする。

数年前にクドカンの『ごめんね青春!』という傑作ドラマがあったんだけど、あ・れ・だ・け・おもしろかったのに、視聴率の最低記録をつくっちゃったっていうんだから、今さら言うことでもないのかもしれないけど、視聴率なんてもんはなんのアテにもならないのだなあと再認識する昨今でござる。

かつて永六輔が「視聴率なんてもんは、大鍋でこしらえたスープを小さなスプーンで味見しているようなもんです」って言っていて、うまいこと言ってるんだか言ってないんだかよくわからないながらも、たしかに視聴率というもののある側面は捉えているなあと印象に残っているんだけども、きっとこんなに笑えて切ない傑作ドラマ『カルテット』の視聴率もそれなりなんでしょう。

『カルテット』は脚本が抜群におもしろいので、坂元裕二という脚本家の過去の作品をウィキってみたんだけど、そうそうたる名作をたくさん書いているスゴイ人なんですね知りませんでしたごめんなさい。十九歳でデビューという早咲きっぷりもスゴイけど、二年後には柴門ふみ原作ドラマを手がけて、すぐに『東京ラブストーリー』でスーパーヒットして、その後もコンスタントに量産されている超売れっ子。

ただこうして彼の作品歴を俯瞰してみると、まず『東京ラブストーリー』という大ヒットで視聴率という部分では成功したんだけども、その後は優れた作品を生み出しながらも、だんだん視聴率というものから離れて、あるいはすこし離れざるを得ない状況になって、今の、視聴率よりも本当におもしろいモノを、という姿勢が感じられる『カルテット』に至っているのかなあ、という安くのんきな想像をしてしまう。

視聴率を蔑(ないがし)ろにして制作できるほどテレビの世界は甘くないのだけれど、『東京ラブストーリー』直後の『二十歳の約束』っていう牧瀬里穂と稲垣吾郎の伝説的大失笑作品(ぼく好きなのよ)を鑑みると、ヒットや視聴率に踊らされた時期だったのかなと邪推したくもなるし、対して数年前の『問題のあるレストラン』とかけっこうおもしろかったし、主戦場がテレビなので基本的には「作家性」よりも「ヒット性」に生きる方なんだろうけど、作家としての成熟というか、昨今のテレビ離れによるテレビ全体の視聴率低下も手伝って、創作の姿勢には経年の変化があったんだろうなと感じたわけです。

「ヒット性」の作家というのは言うまでもなく、視聴率を優先する、売れる作品を書く人ということで、「作家性」の作家というのは、もちろん売れたいけれど、それよりは自分のやり方で深く愛される作品を書きたい人、映画でいえばスピルバーグかキューブリックか、最近で言えばキャメロンかイニャリトゥか、みたいな売れ線かカルトかみたいな対立の構図は古今東西の表現活動において作家が常にその間のグラデーションを浮遊する問題なんだけど、なんでそんな話をしているかっていうと、ブログっていうのもそういう部分が共通するなあとあらためてさっきふとトイレで実感したからなのである。

ぼくはこのブログを五年くらい書いているんだけど、初期は自分がクールだと思うことや心が揺さぶられた体験をそのまんま書いていたんだけど、だんだんアクセスが増えて人気が出てくると、いつの間にかPV(視聴率)を気にして読まれる(売れる)記事ばかり書くようになって、しかも会社を辞めちゃってブログを食いぶちのひとつにしちゃったもんだから、ますますPV至上主義に陥って、それなりにPVと稼ぎは生まれても初期の楽しさやそもそもぼくは何のためにブログを書いていたのだったか?という原点を喪失して、まあひとことで言うとつまらなくなっちゃった時期もあったのである。

そんな混乱の時期には『二十歳の約束』みたいな失笑作品も生まれてしまうんだけど、そういう時期を経て、ぼくも最近はまた好きなことを好きなように書くようになって、こうして読みにくいのを承知で文体も定まらない無駄ばかりの長文駄文を書いたりしながら、ずいぶん楽しくなったなあと感じるのと同時に、そういうふうに自分らしく楽しく書くようになると、多方面からご連絡やお誘いをいただいたりして、PVで得るもの以外の世界が勝手に広がっていくという、心理カウンセラー心屋仁之助さんの言葉を借りれば「なんかしらんけど」、でもじっくり観察思索してみれば、至極当然の展開も生まれて、やっぱりありのままが一番なのだ、といういつもの結論に収束するのだけど。

そしてもちろん言うまでもなく、売れ線がダメ、PV(視聴率)至上主義がダメというわけじゃないし、あるいは逆に、売れなきゃダメ、人に受け容れられなきゃ自己満オナニー、という話でもなくて、なにかを表現しつづけたいと願う人は皆、自分の表したいことを自分の表したいやり方で表して、あまねく多くの人たちに届けたい(売れたい)、と思っているわけで、大事なのは、そこで自分が何をしたいのか?ってことを忘れないでいることではないでしょうか。

ぼくはブログを好きでビジネスにできている人はしあわせだなあと思うし、自分もブログから派生したお仕事をすることもあるので、ブログがビジネスやお金に直結しているのはぜんぜんいいと思うんだけど、そこはぼくが楽しめる「場所」ではないんだなあとようやくわかって、『カルテット』の台詞を借りれば、好きなことを趣味にして他の仕事をするアリと、好きなことを仕事にしようとこだわるキリギリスのどちらを選ぶのかどちらがしあわせなのか、というのは個人の選択と自由なんだけど、ぼくはブログは趣味で仕事は別の方が楽しめるアリだったのかなあと。そういえば永六輔さんは「一番好きなことは趣味にして、二番目に好きなことを生業にしなさい」とも言ってたなあ。それが絶対に正しいとも思わないけれど。

あと個人的にはどちらかというとブログで食っている人よりなにかべつの仕事をしながら書いている人のブログの方が好きというかおもしろく感じるケースが多い。そう考えるとブログの原点っていうか存在意義というかはやっぱり、自分の体験を分かち合う、ことなのだ。完全にニュースや情報に特化したブログもあるけど、ああいうのは個人が運営している情報メディアであってもはやブログという呼称とは完全に異なる類いのものである。で、なにか仕事をしている人のブログがおもしろいのは、自分が就いていない仕事を追体験したり、専門家でなければ知り得ない知識や情報を知ることができるからで、もっと広く言えば、ぼくが引っ越しとか生活の買い物をするときに参考にする「ももねいろ」っていうブログなんかは、「主婦」という仕事、あるいは体験をもったいぶらずに適正な方法で発信しているから、読み手の役に立って人気も出るわけで、つまり乱暴に言ってしまえば、ブログを成功させたいと願うのならば、今やっている自分の仕事を全力でまっとうして、そこで得た体験を適正な方法でブログに昇華させるだけでいいということになる。もちろんそこを詳細に分解すればやるべきことはたくさんあるし、「適正」な方法に辿りつかない人が多いのだけれど。

仕事っていうか、人生すべてだよねそこは。主婦だって子育てだって立派な仕事だし、うつ病になった体験だってラーメンばっかり食ってるジロリアンだって、ニートでネットやテレビばっかり見てる人だって、なんだっていいわけで、ブログなんて単なる個人メディアでしかないけれど、たしかにブログは適正な方法を用いることで、あらゆるタイプの生き方をしている人たちを救済したり、ありのままで自分らしく人生を楽しむ手助けになる大きな可能性を孕んでいるのも事実である。

話が壮大にとっちらかってしまったけども、それより今もっとも大きな問題は、いつの間にかテレビのHDDが満タンになってて『カルテット』の第六話と七話が録れてないってことなんだけど、いやあどうしましょう?TBSオンデマンド契約するか、Amazonなら一話からレンタルできるらしのだがそもそも見る時間があるのかムムムム。