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池田先生の女性に贈ることば365日より

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 3月10日(金)00時24分24秒
  三月十日

生きることは戦いである。人生は、自分自身との

戦いである。負ければ、この人生を存分に生きた

との喜びはない。悔いと苦悩を残すだけである。

私は、私らしく勝ったと、自分に胸を張れる

人生でありたい。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 3月 9日(木)23時40分28秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
皆様が健康でありますように
おやすみなさい
 

同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 3月 9日(木)22時56分51秒
  23時に開始致します。よろしくお願い致します。
池田先生、奥様のご健康を祈ります。
 

名声に傲り同志を見下すものを許すな

 投稿者:賢くなりたい婦人部  投稿日:2017年 3月 9日(木)22時49分39秒
  ……………………………………………………………………………………………

「うそのお偉方はすさまじくて寄りつけない。

彼はそのいんちきを知っているから、隠れている。

少なくとも正面切って出てこない。

姿を見せても、ただ人を欺くに必要なだけ、

自分の正体を即ち本当の卑賤ぶりを見られないために

必要なだけ、にしておく。

本当の偉い人は、物事にとらわれず、優しく、

親しみやすく、庶民的である。」

                                                 (ラ・ブリユイエール)




「和合僧を尊重して我見や増上慢の幹部を叱り飛ばし、

異体同心の理想的な広宣流布の前進へと戦う人こそが

信心強盛な仏法者である。」(戸田先生)


婦人部の皆様方が先頭に立って、

聡明に、毅然と、学会精神の神髄を堅持して

世界第一の和合の世界を厳護していただきたい。


……………………………2007/11/28各部合同協議会…………………
 

無題

 投稿者:同志の歌(正義の師子同盟)  投稿日:2017年 3月 9日(木)21時09分21秒
編集済
  先日ブログの三名に直接会って話をしました。

金銭の話もし、特に注意しよう、また、本部に戻って何ができるのかと本音で打ち合いました。

彼等は、真剣に、自分達の話を聞いてくれました。

何処までいっても、弟子の自分達が決意し、自分に打ち勝つ信心で仇討ちをと誓い会うことができました。

今後も、天魔打倒の祈りで戦う同志の絆ができたと思っています。

人は、桜梅桃李です。それぞれの使命を自覚し、先生の弟子として真剣に祈り、戦いきる、ことに尽きるとおもいました。
 

「安倍晋三記念特別枠」とは

 投稿者:感性  投稿日:2017年 3月 9日(木)21時08分12秒
  「九州北部」限定のはずが首相の地元「山口県」も対象に 早大の新たな推薦入試はまるで安倍晋三記念特別枠@日刊ゲンダイ
http://blogs.yahoo.co.jp/akaruria/35208006.html

荒船清十郎の深谷駅急行止め事案や大野伴睦の新幹線駅「岐阜羽島」事案に並ぶのですかね。
http://blog.goo.ne.jp/jiten4u/e/2149745983517f6820fe3e85c5f98839
 

他にもこういう洞察もありますね

 投稿者:太ちゃん@平らかなるは人編  投稿日:2017年 3月 9日(木)21時03分58秒
  新・人間革命 2017年3月9日
大山五十六
より

▼▼▼▼▼▼
戸田城聖は、

「これは、威音王仏(いおんのうぶつ)の名を冠(かん)した

『組織』

『和合僧団(わごうそうだん)』

とはいえまいか」

と鋭(するど)く洞察(どうさつ)していた。
▲▲▲▲▲▲


戸田先生は組織の別の側面も鋭く洞察してますね

http://6027.teacup.com/situation/bbs/65159
人革第12巻後継の章より「敵は内部だよ」 投稿者:臥子龍
より

▼▼▼▼▼▼
 また、理事室をはじめ幹部たちが、挨拶にやってくると「今のうちに何でも聞いておけ」といいながら、一つ一つの質問に、全魂をこめて指導するのであった。

 ある時、報告にやってきた参謀の滝本欣也が、戸田にたずねた。

 「先生が一日の落慶法要でいわれましたように、御書も発刊され、大講堂も建立された今、学会は身延をしのぎ、もはや、敵はなくなったと思います。これからの学会は、何を敵として進んでいけばよいのでしょうか」

 戸田は、横になっていたが、質問を聞くと、布団の上に起き上がった。

 そして、滝本の顔を見て、言下に答えた。

 「敵は内部だよ」

 実は、そのころ、学会員同士の共同事業の失敗や金銭貸借から、怨嫉が起こり、それが組織での人間関係に亀裂をもたらすという、由々しき事態が生じていた。

 また、一部に、学会の組織を利用して、保険の勧誘や商品の販売を行う者があり、いたく戸田を悩ませていた。

 ことに、それを行った者が幹部である場合には、会員は無下に断ることもできず、不本意ながらも、勧めに応じてしまうというケースも、少なくなかった。

 戸田は、広宣流布の組織である学会が、個人の利害によって攪乱されることを深く憂慮し、それらの行為を、「信心利用」「組織利用」であるとして、厳しく戒め、固く禁じていた。

 学会の組織は、広宣流布という聖業の成就のための組織である。

 戸田が会長に就任してから七年に満たない短日月のうちに、学会がこれだけ大きな飛躍を遂げたのも、どこまでも清浄に、いっさいの不純を排して、厳格な運営が行われ、広布の聖業に向かって邁進してきたからにほかならない。

 その組織が、私利や私欲によって利用されれば、学会の崇高な目的は汚され、異体を同心とする同志の団結も破壊され、広宣流布は根底から蝕まれることになるだろう。

 戸田城聖は、まさに、佐渡御書に仰せの、「外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食」との御聖訓が、現実となりつつあることを、強く実感せざるをえなかった。

 学会は、信仰によって結ばれ、相互の信頼を基調とした善意の人の輪である。同志というだけで人を信じもし、安心もする。困っている人にはなんらかの手を差し延べてあげようとする思いも強い。

 それだけに、悪意の人に、利用されかねない面があることも事実であった。いわば魔は、会員の信頼と善意に、巧妙に付け入ってきていたといってよい。

 戸田は、それを防ぐために信仰のうえで知り合った同志間の共同事業や金銭貸借、また、組織を利用しての商売を厳禁し、学会の鉄則としたのである。

 そして、これを破り、会員に迷惑をかけた幹部は、解任も辞さぬ決意をしていた。

 彼は、邪悪の付け入る余地を、微塵も与えまいとしていたのである。

 しかし、自己の利益のために学会の組織を利用しようとする者は、今後、学会が大きくなればなるほど、さらに、出てくるであろうことを、彼は予見していた。

 それゆえに、戸田は、今後の学会の敵は何かという滝本欣也の質問に、即座に「敵は内部だ」と答えたのである。

 しかし、それは同時に、滝本自身に対する、戸田の警鐘でもあった。
▲▲▲▲▲▲


全国的な査問・除名・活動停止を行うのが「和合僧団」なんですか??

本日の新・人間革命は、『和合僧団(わごうそうだん)』を徹底的にぶっ壊してきてる事実から注意を背けることを目的とした戸田先生利用でしょうがさ
現実逃避を会員へそそのかした悪行じゃないですかまったく

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

エアコンゲット!

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 3月 9日(木)21時02分37秒
編集済
  今日夫婦で家電量販店に行ったついでに今のうちに
エアコン買っておこうか、ってなってエアコンを
見ていたのですが速攻で店員さんにつかまりすぐに
値段交渉(笑)

「あれ?そういえば部屋にエアコンの穴はあったけど
コンセントが無かったよね?」

という話になってその場は保留で家に帰って見てみたら
ホントにコンセントが無い!

管理会社に電話して「無いんですけど・・・」って電話
したら「えっ!?部屋にエアコンありませんでしたか!?」

ってなって「わかりました!こちらでエアコンつけさせて
いただきます!」という事でただでエアコンをつけてもらえる
ようになりました!ちなみに12畳の部屋です。

いや~功徳でした!ラッキー!^^
 

そんなに学会嫌いなのに積極的に関わるのはなぜ?(笑)

 投稿者:太ちゃん@平らかなるは人編  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時54分30秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/65873

以前に、この掲示板とシニフィエさんとでトラブルがあったことから、そちらの方々とこの掲示板とで喧嘩するようそそのかした『策』ですかねぇ?
以前のトラブル当時、こういう乱入する人はいませんでしたけどね?

「第三者」を利用した喧嘩に仕向ければ、どっちが倒れようが4人組にはなんらデメリットはないってか?(笑)

あのな、あちらさんは学会を毛嫌いしてるのに、こうまで積極的に関わりたい人なんていないっての(笑)

追伸:
掲示板の話題と関係ない、実質かく乱状態でしかない。
削除でよろしいのでは?

追伸2:
話したついで。
その後、あちらさんのブログにて「同士討ち」の状態になったようなんですけどね。
おそらく工作員がそのようにそそのかしたのでしょうねぇ?
「同士討ち」に仕向けようと、この掲示板でも過去から常習的に何度も行われてきてますもんね。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

たぶん多重ハンドルだよ

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時49分14秒
編集済
  昨日きてた
アンポンタンだよww

正体みたり
反学会www

複数の仲間でやってるんだろうね
だいたいわかるよね~

癖があるからね~www
 

Twitterより。森友の滅茶苦茶、喚問を妨害する人々こそ犯人。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時46分26秒
編集済
  森友の滅茶苦茶はもうわかった。問題はこんな凄まじい学校の名誉校長を引き受けた安倍昭恵氏の道義的責任と、8億円を値引きした「主犯」は誰かである。そっちの見地で籠池氏の証人喚問が必要なわけだから、それを妨害する人々こそ「犯人はおまえだ」って事だよ。  

変なのが乱入してるけど

 投稿者:太ちゃん@平らかなるは人編  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時45分5秒
  掲示板の趣旨と関係ないですし削除でよろしいのでは?

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

Twitterより。竹谷議員も籠池氏の参考人招致に反対。トホホ。民衆の思いとは逆行。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時44分51秒
  公明党の竹谷議員も籠池氏の国会予算委員会への参考人招致に反対してるのか!
個人的見解というよりは、党としての態度を代弁せざるを得ないんだろうな~~。本人も同意なら論外だが。
有能な人を学会総体で当選させて議員活動に専念させているんだろうけど、結局民衆の思いとは逆行する役回り
 

Twitterより。私は創価学会員、公明党支持、南京事件は捏造だ。とのたまう活動家が。日本会議化している。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時42分14秒
  私は創価学会員です、支持政党は公明党です、とのたまう公明党の支持層の、南京事件は捏造だ、村上春樹許すまじみたいな怪気炎をfacebookで見かける。しかし、これ「たまに」ではなく「よく」あるです。一体ぜんたい、どうなってしまったのだろうか。日本会議化してるのか?  

Twitterより。アベ友学園、籠池、維新の松井、公明党の石井国交大臣

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時37分0秒
  【アベ友学園43】籠池理事長がもっともコケにしたのは国土交通省だ。大阪維新の松井知事が「詐欺師」から逃げ出しても、国土交通官僚出身の石井大臣が、籠池がバカにしても、何一つできないことを見越しているのだ。公明党が「史上最低のアベの下駄の雪」であることが証明され続ける。  

新しい会員の人は、三代のあとの会長が立派な人だと勘違いしないように。新・人間革命 大山の章

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時33分40秒
  新しい会員の人は、あの新・人間革命読んで、三代のあとの四代めの会長が立派な人だと勘違いしないようにしてください。  

Twitterより。新・人間革命を 自分達の言い訳、言い逃れに利用する人達を私は容認しない。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時31分35秒
編集済
  新・人間革命を、自分達の言い訳・言い逃れの小説にする人達の行いを、私は容認しない。  

かつての聖教新聞

 投稿者:太ちゃん@平らかなるは人編  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時29分3秒
編集済
  かつての聖教新聞では、連日のように宗門の悪口を紙上座談会にて行われていたね。

この掲示板でハッキリしたことは、最高幹部たちの裏切りの事実に注意が向かないよう、宗門へ責任転嫁していた実態が浮き彫りとなったね。
宗門へ敵対心が向くようにした、裏切りの事実の隠蔽工作。

同様に、会員が最高幹部の腐敗に注意が向かないよう、共産党をロコツに敵視するようそそのかしての公明党支援活動。

手口がこうもワンパターンとはね。


http://6027.teacup.com/situation/bbs/65860
http://6027.teacup.com/situation/bbs/65858

↑コレもそういうものなんじゃないのか?

追記:
と、コメントしたそばからさらにかく乱ですねぇ
http://6027.teacup.com/situation/bbs/65864

そんなに宗門に関心あるならこういうものでも出しますかね
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12726/1443666726/
一般会員を不当に除名!富士宮特区編 コメント2より


平成3年より、調子に乗った日顕宗坊主や妙観講が、富士宮で虻や蚊のようにしつこく飛び回っていた。
連日、学会員宅に押しかけたり電話をしたりして、池田先生や学会の批判をしまくっっていた。

彼は、この嫉妬に狂った批判と攪乱をしまくる輩共を徹底的に厳しく呵責し、学会員宅から追い払っていた。
破邪の題目を上げ抜く中で、仏敵と闘い、三変土田していく上で最も大事な事を観念ではなく生命で実感していた。
しかし、日顕の天魔としての出現と、それとの真っ向からの闘いは、次の、
獅子身中の虫たる内部からの天魔の旬動の始まりだった。

平成11年。
ある日彼は学会員に嫌がらせを続ける坊主や妙観講の実態を警察にも知らせる為に警察署に行った。
これは事前に日顕宗らの方が警察に学会や会員のデマ情報を通報していたからだ。

彼は警察にすべて事情を説明した。
警察は事実をほぼ分かっていた。
分かった上で警察は言った。

「あなた方学会員が大石寺の坊さんの所へ行くと、必ず警察に通報があるが、
富士宮の学会の責任者と大石寺の責任者とは付き合いがある。あなた方が大石寺に正しい主張をしても
双方は通じているのだから…」

真剣に邪悪と闘ってきた彼にとって、その事実には驚くと共に言い知れぬ怒りが込み上げた。

日顕宗の役僧と学会の幹部が、裏ではつながっているというのである。

これほどの裏切りがあるのか?

警察が教えてくれた事が実際に起きた。
当時、O元副会長は彼を国際文化会館(現池田文化会館)に呼び出して、こう言った。

「もう日顕宗への破折は幕を下ろしてくれませんか。これだけ攻めればいいでしょう。
お願いです一時止めてください」

媚びるような声と、狐のような目でそう懇願した。

日顕宗の本拠地で闘う富士宮の全会員を統率するOが、臆病でずるがしこい本性を出し始めた。
そればかりか、表向きは、「行くな」という日顕宗の寺まで指名し、
地元墓園の職員幹部Hや会館職員O、Sを通じて本部とも連携を取り出したのである。

これまで、いくら仏法の使命と正義感で邪悪な坊主共を破折し闘ったとしても、
これでは逆に内部の不正者に貶められるのも無理ないのである。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

Twitterより、聖教新聞に電話で聞いてみた。森友の件なぜ掲載しないの?座談会で公明擁護とは。元が腐るからか?

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時22分2秒
  聖教新聞社にTelし社会面に森友学園の件ナゼ掲載ないのかと。翌日と翌々日、11面ニュース欄に小さく掲載(森友学園小、開校延期、不認可も視野)事実関係はすぐ変わるから確認できた内容のみ載せると。今日はニュースもナシ、紙面座談会で公明擁護。  

Twitterより、公明党に電話で聞いてみた、えー知らないの?混迷党か

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時18分39秒
  今公明党本部に電話をしてみた
電話に出た広報のひと
2016年4月核兵器使用保有容認閣議決定を知らなかった
公明党の職員も見るな聞くなと言われてるのか
 

戸田先生指導:御本尊に関する質問

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時06分35秒
  質問:奉安殿の(現在は正本堂の)大御本尊様、あるいは客殿の御本尊様、御形
木御本尊様といろいろありますが、これらの御本尊様に違いがあるかどうか、お
うかがいいたします。

戸田先生:むずかしい問題です。がっかりすると悪いし、よほど信心のしっかり
している人であれば、きちんとわかってくれることなのですが、初信の人だと説
明の仕方がヘただと、ふと迷ってしまうのです。気が弱ります。御本尊様には違
いがあります。仏法の上で分身散体ということがあります。私なら私の心と同じ
心にできているのを分身体というのです。奉安殿の(現在は正本堂の)大御本尊
様、ここの客殿の御本尊様、私どものいただいている常住御本尊様、あなた方が
拝んでいる御形木御本尊様、それぞれ違うのです。違うのですが、こちらの信心
の仕方で少しも違わない結果を出せるのです。すべてそれは信力の問題です。あ
なた方の御本尊様の力をいえば、釈尊時代からある仏と菩薩とを、みないっしょ
にしたその功徳の何億倍と違ってくるのです。釈尊時代にもその前にも仏はいた
でしょう。それらの三世の諸仏の功徳がぜんぶ出ているのです。これは観心本尊
抄に「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持す
れば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(御書全集二四六㌻)ときちんと出
ています。

質問:御本尊様は一つだといわれておりますが、いろいろ違った御本尊様があり
ます。どういうわけですか。また懐中御本尊様とはどういうものですか。

戸田先生:御本尊様は一つしかありませんが、無量義経に分身散体の法というの
があります。この分身散体の法というのは、日蓮正宗を除いて日本広しといえど
も絶対に説いておりません。分身散体の分け方により種々分けられますが、すべ
て一閻浮堤の大御本尊に帰一するのです。いま、懐中御本尊といいましたが、ふ
ところに入れるなのはなんでも懐中ですが、これはお守り御本尊といって、われ
われが身をもって守る御本尊であります。むかしは功労のあった人に御下付され
ましたが、現在も功労によっていただけます。純真に信心に励んで、お守り御本
尊を受けられるようになりたいものです。

質問:弟の御本尊様と私のと、家に二体の御本尊様があるが、それでよいでしょ
うか。

戸田先生:いろいろ家庭的な事情がありませんか。御本尊様のことだけの返答で
いいですか。(ハィ)二体の御本尊様をまつる必要がありませんから、あなたの
御本尊をかざって、弟の御本尊は将来家庭をもつときまで、仏壇の中なり大事に
おしまいしておけばいいのです。ただし、長期にわたる場合は、一度寺院ヘご返
納したほうがよいと思います。いずれにしても、状況によって違いますから、先
輩とよく相談するように。

質問:御本尊様をそまつにした場合、いろいろの罰を受けると聞いています。た
とえば錐で穴をあけたりした場合、七つあければ、それと同じように、自分が与
太者にどうとかされるとか、夫が傷を受けるとかという話が、一部いわれており
ますが...。

戸田先生:御本尊様をおそまつにするということは、仏罰をこうむります。しか
し、あなたのいうように、御本尊様をそまつにしたら、愛する夫がヤクザに乱暴
されるとか、御本尊様に七つ穴をあけたら、自分が七つ穴をあけられるとか、そ
ういうふうに、さもわかったようなことをいう人はおかしい。そんなばかなこと
はありません。それなら仏罰はないか。あります。ありますが、その仏罰は、こ
んなものが出るとか、あんなものが出るとかは、いえないのです。

ただその人が、幸福になれないということはたしかです。この御本尊をそまつに
した人は、ひどいものです。その貧乏な姿を、見せにきます。不幸になった姿を
見せにきます。それを、乱暴されるとか、なんとかというのは軽率です。そうい
う場合もあるかもしれませんが、それは、その人のもっている不幸をば、とくに
現してくるのですから、どういう形で出るとはいえません。御本尊をそまつにし
た人は、ひじょうに気の毒です。じつに気の毒です。ですから、かわいそうだと

思って、よく、こんこんと改めて信心するように、教えておけばよいのです。あ
まりくどく、御本尊様をそまつにした者を追いかけてもだめです。いまに姿を現
してきますから、そのときに折伏してあげればいいのです。私は、いまから二十
五年前くらいに、三人の方に御本尊をお持たせした。女の人です。しかもそれは
常住御本尊様でした。二人の人はごくまじめに信仰を続けてこられた。一人は、
ともかく聞くところによれぱ、一億からの財産をつくられたそうです。もう一人

の方も、りっぱな生活をしておられます。いま一人の人が御本尊様をそまつにし
ています。そまつといっても、不敬したわけではないのです。ただ拝まなくなっ
てしまったのです。ありがたいと思わなくなってしまったのです。どうですか、
二十二、三年たってから、一昨年でしたか、私のところヘ、御本尊を持って、出
てきたではないですか。私はなにもいわずに、すぐ「あなたは幸せですか」とい
った。「幸せではない」という。もう、それこそみすぼらしい姿なのです。私は

まえにその人を、総本山での夏季講習会にいっぺん連れていったことがあるので
す。そのときの喜びというものは、ひじょうなものでした。年をとった人ですが、
女学生にかえったみたいな姿でした。私はその姿をまざまざと目で見ているので
す。「あなたは、あのときの幸せをすっ飛ばしてしまったね」といってあげまし
た。もうぬけたみたいな顔になってしまっているのです。そして、蹌踉としてや
せ犬みたいなかっこうで、私の前ヘわざわざ御本尊を持って現れたのです。

これは恐ろしいものです。ほんとうに恐ろしいものです。そういうふうな現証は、
かならずあるのです。さきほどのように、どうなるこうなるなどと決定したよう
なことは、いうものではありません。ただ仏罰の恐ろしいというだけは、いって
おかなければなりません。ある男ですが、これは御本尊を受けて、少しも拝まな
いで、ゴミだらけにしておいた。それが、犬のような生活の姿を、わざわざ私に
見せにきた。ひどいものです。だからじっと見ていなさい。いらないことをいう

必要はありません。ただひとことだけ「御本尊をそまつにしたら仏罰がでますか
ら、よく考えておやりなさい」とやさしくいって、現証を見ておきなさい。それ
が一つの折伏です。罰はかならずでます。あたるのではない。でるのです。罰と
いうのは、その人の生命の状態が生活に現れるのですから「罰をあててやるぞ」
などというものではありません。
 

世界はなぜ名誉会長を讃えるのか

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 3月 9日(木)17時36分17秒
  聖教新聞2011年9月22日

◇「物づくり」と「人づくり」の共鳴

わが国とグラスゴー大学との緑は深い。幕末期から明治期、日本の近代化を開いた外国人技術者の中に、多くのグラスゴー出身者がいた。その一人がヘンリー・ダイアー。日本の工業教育の中心となる
工部大学校(東京大学工学部の前身)の初代校長を務めた人物である。

彼が日本にもたらした「エンジニアの思想」――それは物をつくる技術を尊び、現場で拝して働く人を讃える思想であった。

江戸期の日本は、士農工商の身分制度によって社会体制を維持しており、職人たちは低い地位に留められていた。グラスゴーの新思想は、科学技術の導入と共に、日本の旧制度の壁を破り、新しい創造性の緑野を聞く力となったのである。

スコットランドでは、19世紀末という早い時期から、「名誉博士」の制度が生まれている。身分や肩書ではなく、実際に何をしたか。何を残したか。大学の教員ではなくても、社会のため、人のために貢献した人物を正し顕彰したい。この“スコッチ精神”の結晶ともいうべきものが「名誉博士」であった。

それを物語るエピソードがある。1990年、マンロー博士が初来日した。創価大学や学会本部を訪問し、関西の学会員の前で講演も行った。帰国の際、博士が関係者に語った。

「私が関西でお会いした創価学会の方々は、だれもが、平和を愛する立派な人々でした。しかし学会は常に中傷されています。事実に反する不当な評価に、どうして抗議しないのですか。私は行動します。私の見た事実をもとに」と。

この4年後、SGI会長への名誉博士号の授与式が挙行されている。創価大学との友好の歴史も光る。1987年以来、創価大学からグラスゴー大学に約270人の学生が留学。卒業生は学術界や経済界などで顕著な活躍を見せており、彼らの学問と生活への真摯な姿勢がグラスゴー大学の関係者に感銘を与えたことも事実である。

「物づくり」の殿堂が何より讃えたのは、SGI会長の「人づくり」への貢献献であったに違いない。ここに、21世紀への鍵があると。グラスゴーの名誉学位には、「新しい時代を切り開く人」を顕彰する伝統がある。
 

法華経の智慧観世音菩薩普門品より

 投稿者:臥子龍メール  投稿日:2017年 3月 9日(木)17時35分1秒
編集済
  国家主義の″毒″を見破れ

斉藤 ″毒″というと、思い出すのは、ユダヤ人への迫害の歴史を探求した学者の言葉です。
どうして文明国ドイツで、ヒトラーのような人間が首相になれたのか? どうして「ユダヤ人こそ一切の悪や不幸の根源で、迫害するのが当然」などという荒唐無稽な思想に人々が染まってしまったのか? それは「反ユダヤ主義の毒を少しずつ服用させられていたおかげで、ヒトラーという致死性薬物にまで免疫になっていた、ということなのだろうか」「何世代もつみ重なった激しいユダヤ人排斥主義の効果のせいで、彼らの倫理感覚、少なくともユダヤ人に関する倫理感覚が退化してしまっていたからなのだろうか」(ルーシ・S・ダビドピッチ『ユダヤ人はなぜ殺されたか・第1部』大谷堅志郎訳、サイマル出版会)
″少しずつ毒に慣れさせていく″というお恐ろしさを強く感じます。

池田 日本も同じです。人権感覚がますます狂ってきている。民衆を国家の犠牲にして恥じない国家主義が強まっている。危険です。だからわれわれが立ち上がる以外にない。

遠藤 日本国憲法の根底には、いわば「ソフト・パワーで平和を創造していこう」という理想があると思うんですが、それが踏みにじられようとしています。

須田 侵略戦争の正当化も、すごい勢いで進められていますね。とくに、若い世代に対して影響力の強いメディアでも、それが顕著で、危険な限りです。

斉藤 その一方、″抵抗の精神″がなくなり、いよいよ「長いものには巻かれよ」という雰囲気になっている。マスコミもそうです。現状追随の卑劣な国民性が、つくづく、なさけなくなります。

日本の宗教は「権力の奴隷」

池田 日本人に「権力に抵抗する精神」が弱い根本は、宗教が骨抜きにされてきたからです。これは福沢諭吉が明快に論じている。

遠藤 『文明論之概略』の中の「僧侶は政府の奴隷」なりという強烈な言葉を覚えています。(以下、同書より引用・参照。引用は現代語訳)

池田 彼は「宗教は人間の心の内部で働くものであるから、最も自由、最も独立してあるべきで、微塵も他から制御されず、微塵も他の力に頼らないで、社会に存在すべきはずであるのに、我が日本においてはそうではない」と嘆いている。(現代語訳)

仏教も、はじめから権力者の庇護を頼み、権力者にすり寄り、権力の余光を借りようとし、はなはだしいのは政府から爵位(貴族の階級)をもらって喜んでいる僧侶がいる、と。

寺がいっぱい建って、仏教が栄えているように見えても、それは「権力の威光」を借りたものであって、独立した「宗教の威力」によるものではない、と。

近年(明治五年)は、政府が僧侶の肉食妻帯を許した。これはつまり″宗旨を守って肉食せず妻帯しなかった″のではなく、″政府が禁じていたから、しなかった″──実際は陰で相当していたわけだが──ということであろう。

これでは「僧侶が政府の奴隷であるだけでなく、日本国中、すでに宗教はないと言ってよい」と、痛烈です。

斉藤 人間の「心の独立」の支柱となるべき宗教が、こうですから、日本人に″権力と戦う精神″が弱いことも当然です。

池田 だからこそ、私たちの運動が、日本の根本的な文化革命、人間革命、精神革命なのです。日蓮大聖人は、″権力の奴隷″の僧侶たちから総攻撃を受けながら、権力者自身をも「わづかの小島のぬし」と見おろしておられた。世間は有上道、仏法は無上道。どんな権力者といえども、妙法にはかなわないし、謙虚に正義を求めていくべきだという信念であられた。

先ほど牧口先生の価値論の話が出た。「人を救い、世を救ってこそ宗教だ」という牧口先生の叫びは、まさに日蓮大聖人直結です。宗教の源泉から、社会へ社会へと精神的水流を送り続けていく。社会とかかわり続けていく運動です。それが観音菩薩の三十三身の精神でもある。

斉藤 経文に挙げられていない姿も含めて、「あらゆる姿で」ということですね。

池田 だから、どんな立場の人でも、尊敬していかねばならない。その人が仏菩薩の現れかもしれない。仏菩薩の働きをする場合がある。立場や職業や見かけで、人を判断しては絶対にならない。

「宗教なき政治は『死体』」──ガンジー

須田 法華経は「社会に向かっていく」経なんですね。

池田 「向かっていく」のです。宗教という根源的次元から、社会を常に浄化し、リフレッシュし、蘇生させていく。

宗教と政治についても、ガンジーはこう言っている「宗教の欠如した政治は、国家の首を吊るロープであります。いつの場合でも、政治は宗教の説く真理の道にしたがって進むべきであり、一方、政治を忌み嫌う宗教は、宗教の何さえ値しないものです」(ハリーバーウ・ウパッデャイ『バープー物語』池田運訳、講談社出版サービスセンター)

斉藤 その通りだと思います。

池田 福沢諭吉は、日本の宗教は「政府の奴隷」と言ったが、ガンジーは反対に、宗教的精神によって政治を道徳的な慈愛あふれるものに変えよと言っているのです。

日本でも聖徳太子の十七条憲法には「篤く三宝を敬へ」とある。政治的権威も、普遍的な真理に従っていくべきだという思想があった。

宗教の中には、権力に協力し、「権力の奴隷」になる宗教がある。また「政治とは一切、かかわらない」と閉じこもる宗教もある。これもまた消極的に、権力の悪を助長し、野放しにすることになる。

「権力と一体化して権力者を助ける」のでもなく、「政治から身を引くことによって権力者を助ける」のでもない。第三の道。

それが日蓮大聖人の「立正安国」です。
正法という″永遠の真理″の側から、現実へ常に「向かっていく」「かかわっていく」「変革していく」。これこそが、権力の奴隷にならない唯一の宗教の道なのです。だからこそ、この道には弾圧がある。難がある。だから本物なのです。


「経済にも倫理を」──アマーティア・セン氏

斉藤 観音品ということで「現世利益」が話題になったわけですが、″現実生活上の価値″を否定する観念的な宗教観では、社会へ脈動はありません。かといって、安易な「ご利益信心」もまた、民衆の内面を開拓することはなく、「わが身を犠牲にしてでも、社会を変革していく」という力を与えることはできません。

両者は、両極端のようでいて、ともに権力者にとって都合のよい宗教になっていると思います。

池田 日本では、僧侶だけが「権力の奴隷」になってきたのではない。ほとんどの知識階層も、財界人も、民衆も、同じであった。

本来は、権力者・指導者は「民衆の手足」です。民衆の手段です。民衆の公僕です。僕です。それが反対になっている。

遠藤 口では「公僕」といっても、その「公」とは「民衆」のことではなく、「国家」とか「現体制」のことになってしまっている。民衆に仕えるのではなく、体制に仕えるのが「公僕」だという恐るべき錯覚です。

須田 やはり「国家は手段であり、国民の幸福こそ目的なのだ」という民主主義の基本を、徹底的に、日本人の腹の底に叩きこまなければ、何も変わりませんね。

池田 目に見えない精神的権威(宗教)をもたない人間は、目に見える権威(体制)に従いやすいものです。

「社会へ向かっていく」「脈動していく」という創価の仏法の舞台は、政治だけではない。三十三身とあるように、社会のすべての領域にわたる。
たとえば経済もそうです。

ガンジーは「正義の経済学」を論じた。「拝金主義を教え込み、強者が弱者の犠牲の上に富を増やすことを容易にする経済学は、誤った、荒涼とした科学である。それは死を意味する。これに対し、真の経済学は、社会的正義を象徴し、弱者を等しく含む万人の幸福を促進する」(「私の宗教の目標」梅田徹訳、『私にとっての宗教』所収、新評論)
「拝金主義」は強者を傲慢にし、弱者を卑屈にし、両者の魂をからっぽにする。

貧しき人々をはじめとする「万人の幸福」をどうするか。そこに智慧をしぼるのが経済学の真髄です。「正義の経済学」です。「経世済民(世を治め、民を済う)」という「経済」の本義にかなう道です.

斉藤 池田先生とともに今回、デリー大学の名誉博士になった方に、アマーティア・セン氏(英国ケンブリッジ大学教授)がいます。(一九九八年十二月十三日)
教授も「正義の経済学」を提唱しています。

池田 アジア人初のノーベル経済学賞を受けた方です。幼少期はタゴールの学園のある町で生まれ、タゴールが名づけ親だという。

斉藤 セン教授は九歳の時に、ベンガルの大飢饉を体験しました。約三百万人が餓死。その体験から「貧しき人々を救う」ための経済学を志したといいます。「経済に倫理を」と主張されています。

池田 すばらしいことです。
牧口先生の価値論も「美・利・善」というように、「利」を価値体系の中に、きちんと位置づけておられる。「善(公共の利益)」に背く「利」は「悪」であり、反価値であることを、はっきりさせている。

こういう「何のため」という価値観がなければ、経済活動も″金もうけのための金もうけ″″経済成長のための経済成長″というように、野放図に暴走してしまう危険がある。

遠藤 バブル経済が、まさに典型でした。

池田 その意味で、価値論は「正義の経済学」を志向しているといってよい。

須田 今、日本では″景気の回復″だけが論じられています。まるで景気が回復しさえすれば、すべて問題は解決するかのように。もちろん、それも極めて大事です。しかし社会の根底の価値観が変わらないままで、いまだに経済至上主義の夢を追っているとしたら、こんな不毛なことはありません。

斉藤 「第二の敗戦」と言われるバブル崩壊から″何も学んでいない″ことになります。
日蓮仏法は「誓願の仏法」

池田 そういう「哲学なき非文化国家」日本を、心豊かなヒューマニズムの国に変えていくのが、広宣流布の運動です。

ともあれ、日蓮仏法であっても「広宣流布」への戦いを忘れれば、これまでの利己主義の宗教と同じになってしまう。

須田 宗門がその典型です。

池田 広宣流布への不惜身命の「行動」があってこそ、わが小宇宙の生命が大宇宙と冥合し、祈りも叶うのです。と大聖人は「法華経の行者の祈りのかな叶はぬ事はあるべからず」と仰せだ。ならば、自分が法華経の「実践者」であるかどうかだけが問題になる。

日蓮仏法は「誓願の仏法」です。自分が自分の立場で、御本尊に「私は、これだけ広宣流布を進めます! 断じて勝利します!」と誓願することです。その「誓願の祈り」が出発点です。

観音品には、観世音菩薩の由来について述べたなかに「弘誓の深きこと海の如し」(法華経六三四ページ)とある。(広宣流布しようという誓いは海のように深い)
その結果、観音は「福聚の海無量なり」(法華経六三八ページ)という大境涯を得たのです。(無量のの福が聚まった海のごとき境涯)
日蓮大聖人は、この経文について「依正福智共に無量なり所謂南無妙法蓮華経福智の二法なり」と言われている。依正──周囲の境涯も自分自身も、無量の「福徳」と「智慧」にあふれてくるのだと。

人間には「智者タイプ」の人と、「福者タイプ」の人がいる。それはそれで個性なのだが、智慧があっても福運がなければ、努力は実らず、幸福な人生は創れない。

福運があっても、智慧がなければ、多くの人に信頼されることはむずかしいし、多くの人々を救っていくこともできない。両方、兼ね備えた人生が最高です。

広宣流布という人間性の真髄の軌道を生ききるときに、そういう「無上道の人生」になっていくのです。ゆえに一歩も退かず、押して押して押しきっていくことだ。遠慮してはならない。

全幹部が一兵卒になって、コマネズミのように動いて動いて、獅子王のごとく語って語って、魂魄をとどめた広布勝利の歴史をつくっていくことだ。その分だけ、自分自身の三世永遠の旅路が黄金に輝いていくのです。

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これが本として出版されたのが2000年8月です。(法華経の智慧第六巻)
国家主義に公明、学会本部は取り込まれたのでしょうか。
あれだけ言ってきたのにと先生の心中は如何に。

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◇池田名誉会長講義御書と師弟第1回三変土田(下)

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 3月 9日(木)17時10分25秒
  2008-12-12

信心の力で人生を勝ち開け

わが師・戸田先生は、よく言われました。「私は、信心のこととなると、強情な
までに辛抱強いんだよ」と。広宣流布は、巌窟王の如き執念をもって、たゆみな
く挑戦を続ける大闘争です。わが学会の闘士が、悪口罵詈の渦巻く中、どれはど
忍耐強く勇気と誠実の行動を重ねて、わが国土を変えてきたか。それは、まさし
く「三変土田」に通じます。三変土田──この婆婆世界の変革は、なぜ、三回に
わたって行われたのか。この点について天台大師は、婆婆世界を浄め、「方便土
」「実報土」そして「寂光土」にした、と意義づけています。

「方便土」とは「二乗」などが住む世界、「実報土」は「菩薩」が住む世界、「
寂光土」は「仏」が住む世界です。天台はまた、「三惑」という惑いを破ること、
すなわち一回目は「見思惑」を破ること、二回目は「塵沙惑」を、さらに三回目
は「無明惑」を破ることだ、とも論じています。この三惑に打ち勝って、仏の境
涯を顕す象徴とするのです。ともあれ、大事な点は、釈尊が、間を空けずに、二
度、三度と、連続して国土を変え続けたことにあります。第二波、第三波とうね
りを起こし続けてこそ、偉大な変革は成し遂げられる。

人間革命のドラマ

実は、もう一歩深く日蓮仏法から見れば、この挑戦を起こした瞬間、生命は大変
革を遂げています。一念が深く定まれば、三惑は瞬時に打ち破られるからです。
だから国土も変わらないわけがないのです。三変土田とは、狭い心のカラを決然
と破る「人間革命」の挑戦そのものなのです。そのために、妙法を朗々と唱え、
師の心をわが心として広宣流布の行動を勇敢に開始するのです。「いつか」では
ない。「今この時」が勝負です。

人類を結ぶ大瑞相

「文明論」の観点から言えば、三変土田は人類文明の共和の象徴です。十方世界
のそれぞれにいた仏が集まり、一つの仏国土の中に遍満し、融合する。虚空会の
舞台は、人種や民族、文化や国士の違いを超えて結び合う理想郷です。また「生
命論」から言えば、妙法は大宇宙の法則です。私たちが妙法を弘めるところ、全
宇宙の諸仏・諸菩薩が喜び来って、必ず、その人を讃え守護する。三変土田から
始まる虚空会の説法は、この約束といってよい。この法理を、現実の荒れ狂う世
界で展開しゆくのが広宣流布です。広布に生き抜くことは、貪・瞋・痴という三
毒に満ちた社会を、仏国土に大転換しゆく三変土田の戦いなのです。

さらに三変土田を「境涯論」から論ずれば、釈迦・多宝の二仏が、いかに無量無
辺の徳を具えていたかを示しています。三変土田は、三世分身の諸仏の統合の原
理でもある。全宇宙の仏菩薩が、法を求め、師を求めて、はるばる娑婆世界に来
下してきたのです。法華経を説く仏とは、それほどまでに広大無辺な慈悲と英知
に満ちた偉大な境涯なのです。それは、根底にある妙法の偉大さです。そして、
妙法に生き抜く創価の友も、この境涯を開いていけるのです。

今、世界中から多くの指導者が続々と、創価の城に来訪されております。中国を
はじめアジア各国、そしてキリスト教・イスラム教・ユダヤ教など諸文明を代表
する賓客が、創価の哲学と運動に、心から共感されております。妙法を根幹とし
た我らの人間主義に深い共鳴を示され、連帯していかれるのです。世界中の都市
からも、最高学府からも、名誉称号をお贈りいただいております。すごい学会に
なりました。この姿こそ、人類を結ぶ三変土田の大瑞相ではないでしょうか。

粘り強く現実変革に挑戦を!

満々たる生命力で

さらに、全国の津々浦々の学会の集いにも、地域の名士の方々が喜んで参加され
る時代になりました。我ら師弟の大城は、まさに千客万来です。皆様方のお力で
、「妙法独り繁昌せん」(御書502ページ)の御金言は現実のものとなったの
です。わが支部、わが地区、わがブロックで懸命に友を励まし、心を変えゆく対
話。その真剣な戦いは、すべて三変土田の栄えある勝利の劇です。小さな地域で
あっても、大変な地域であっても、ここがわが今世の黄金の晴れ舞台である──
この一念髄喜の心が一切を決めるのです。戸田先生は言われています。

「日本国中に、さかんなる力士のごとき人々が充満するならば、生産に、復興に
、文化に、芸術に、その最高度の能力を発揮するがゆえに、国土の再建は、うた
がうべくもない」「さかんなる力士のごとき」とは、一人一人が満々たる生命力
で躍動している様子です。「人間革命」に挑み、幸福の実証を勝ち示している姿
です。こうした勝利の活力が充満すれば、社会を大きく変えていける。やがて世

界の宿命をも大転換していけるのです。私は戸田先生の不二の分身となって、死
に物狂いで戦った。正義の叫びで、一人一人の心を一変させていった。その地そ
の地に、師匠の大生命を打ち込む決心で戦い抜きました。仏法の眼で見れば「娑
婆即寂光」です。国士も「心の一法」から出来する。わが一念から起こり、わが
一念に収まるのです。地震や台風や冷害などの災害に見舞われた地域の方々に、
私はこの三変土田の法理を語り、共に祈ってきました。

阪神・淡路大震災をはじめ、北海道、中越、東北、北陸などの大地震。長崎、三
宅島などの噴火。また沖縄、九州、四国、中国、中部など豪雨による被害……。
どの地でも、学会の同志の献身的な救援活動や復興の努力が希望と勇気を広げ、
地域の結束を強めました。「わが町の復興は、学会があればこそ」などの感謝と
感動の声が、私のもとにも数多く寄せられてきました。皆様は、見事に変毒為薬
してこられたのです。中国の高名な歴史学者であられる章開●(しょうかいげん)
先生(華中師範大学元学長)は、私との対談で、中国が雪害や大震災などの苦難

を乗り越え、本年、北京オリンピックを大成功させたことにふれ、こう述べてお
られました。「温家宝総理が被災地の人民のために『多難興邦(難が多いはど奮
起して国を興そう)』と揮毫したように、震災は全国人民、ひいては全世界の華
人(中国人)の心と力とを、祖国の復興という一点に向かわせました。全国の人
民が奮起し、心を一つにして困難を乗り越えようとした結果、千年に一度あるか
ないかの巨大な災難に打ち勝つことができました」と。

民衆の「心の力」は偉大です。それを無限に引き出す哲理が、一念三千の法理で
す。一人一人が地涌の底力を出せば、三世十方の仏菩薩にも勝る力が涌現する。
断じて宿命を転換するのだ!この国土世間を三変土田し、安穏にして天人が充満
する楽土を必ず建設するのだ!──これが大聖哲の御確信です。

必ず打開できる!

今、日本も世界も、大変な経済不況の中にあります。しかし、仏法では「一心の
妙用」(一念の不思議な力)を教えている。断じて負けない信心の一念があれば
、必ず必ず打開できることを確信していただきたいのです。私も妻も、全同志の
皆様方が厳然と守りに護られ、一人ももれなく勝ち栄えていかれるよう、一心不
乱にお題目を送っております。仏国土を開く儀式は、二度、三度と繰り返されて
成就しました。三変土田の挑戦は、粘り強く、繰り返すことが大切なのです。苦
しいときこそ、「強盛の大信力」(御書1118頁)で、祈りに祈り、何度でも
挑戦し、断じて断じて未来を勝ち開こうではありませんか。

詩聖タゴールは謳いました。「国は人間が創造したものです。国は土からできて
いるのではなく、人々の心でできています。もし人間が輝いていれば、国は顕現
されます」(我妻和男訳)今や妙法は世界192カ国・地域に広がりました。創
価の運動は「人類模範の善の連帯」と期待されております。私たちの“地涌の三
変土田”が、世界を大きく動かしつつあるのです。広宣流布の舞台は新段階に入
りました。大聖人の仰せ通り「二陣三陣つづきて」(御書911頁)、新しい人
材が勇み立つ時です。これこそ「青年・勝利の年」です。全国、そして世界の各
地で、創価の師弟の旗を掲げ、社会に貢献しゆくわが同志こそ、誉れも高き三変
土田の仏の大行進なり!私は心からこう賞讃したいのです。

池田名誉会長講義御書と師弟第1回三変土田下〔完〕
 

補足

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 3月 9日(木)16時48分2秒
  種子法廃止に続いて、水道法“改正案”が3月7日に閣議決定されたのを書き忘れていた。

新聞、テレビ等の主要メディアは両件とも殆ど触れることなく、興味本位で森友学園関連の報道を引っ張る。
17日か21日か、正確な日付はともかく月内には共謀罪も閣議決定されることだろう。

ネット社会の進展で「悪事千里を走る」利点も大きくはなったが、
市井に暮らす一人ひとりが拱手傍観していては災厄の芽を摘むことは出来ない。
 

人生の座標から~

 投稿者:うーこメール  投稿日:2017年 3月 9日(木)16時37分5秒
  一人は全体のために、全体は一人のためにこの自覚と思いやりは、殺伐とした人間関係が嘆かれ、危機打開へ展望のもてない今こそ求められよう。  

梶岡さん

 投稿者:ルネッサンス  投稿日:2017年 3月 9日(木)16時35分2秒
  以前、関西参与だった梶岡さんは、正木さんが理事長を辞任させられた時に、副会長を解任されたという話を聞いたのですが、理由を御存じの方がいらっしゃれば教えていただけないでしょうか? 正木派粛清の為? 今の主任副会長達は、相が悪い人が多いような。  

「人は変われど 関西の同志は変わらじ」

 投稿者:賢くなりたい婦人部  投稿日:2017年 3月 9日(木)16時24分5秒
  ……………………………………………………………………………………………」
私の小説『人間革命』の原稿は、

学会本部に永久保管されている。

その原稿の゛綴り″の第4巻の扉に、

私は、こいこ関西の地で、一文を書き記した。

「『人間革命』の此の原稿は

わが師 戸田城聖先生の真実の

大ロマンにして

弟子 池田大作が

確かに書き留めしもの也

一切の批難と謀略の言を

信ずること勿れ

わが門下に深く留む」

嵐のなかで迎えた昭和55年の5月3日、
私は、こう厳然と綴り、恩師に捧げたのである。


………………………………2007/11/8本部幹部会…………………

当然、『新・人間革命』の原稿も、学会本部に永久保管されますよね。


 

◇池田名誉会長講義御書と師弟第1回三変土田(上)

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 3月 9日(木)13時10分17秒
  2008-12-11

御聖訓心の一法より国土世間も出来する事なり(総勘文抄、563頁)

わが一念で仏の国土に!
世界を変えゆく生命の光

「大作、行ってこい!あの地に広宣流布の旗を堂々と打ち立ててくれ!」恩師・
戸田城聖先生の命を受け、私は若き日、電光石火で転戦しました。蒲田へ、文
京へ、大阪へ、山口へ、札幌へ、夕張へ。いずこでも、その地の「三変土田」
すなわち国土の宿命転換を祈り戦った。戦い走った。行くところ向かうところ、
私は大地に妙法をしみこませる一念で、唱題を重ねた。大地から地涌の菩薩を
呼び出す誓願で、対話を続けた。そして厳然と師の構想を実現してきました。

法華経に説かれる「三変土田」。その通りの実践が、我ら創価の同志の「人間革
命」の行動です。「三変土田」の本質は、一人一人の生命を変えることに他なら
ないからです。「正義」が勝てば、「国土」は変わる。ゆえに「三変土田」とは、
正と邪の熾烈な闘争なのです。創価学会の大興隆が大いなる力となって、日本は
敗戦の焦土から発展を遂げた。この点に、大歴史家のトインビー博士も刮目され

ておりました。妙法流布こそ、この地上を平和の楽土に転換しゆく根本のエネル
ギーです。皆様は、私とともに、この誉れの大使命を担って日夜戦ってくださっ
ている。それが、どれほどすごい人生であるか。大福徳の道であることか。「心
の一法より国土世間も出来する事なり」(御書563ページ)との御聖訓は、仏
法の奥義です。「一念」は即「三干」の次元に広がる。人間の「心の一法」の在
り方しだいで、国土が善くも悪くもなる。

人類の精神史は、この「心の一法」の探求の歩みでもあったといって過言ではな
い。戦争も、飢餓も、地球環境の間題も、煎じつめれば、すべて人間の「心の一
法」に帰着するからです。

国土にも「境涯」が

一念三千の法理に照らせば、国土にも「境涯」があります。「依正」──「依報
(環境)」と「正報(主体)」は不二ですから、そこに住む人間の境涯が乱れれ
ば、国土も荒んでしまう。人間の境涯が強く高く輝けば、国土も光を放っていく
のです。この青き地球を、平和と繁栄と幸福の光で包むには、「心の一法」を究
め、深め、磨いていくことが、絶対に不可欠です。科学技術や情報技術も、この
根本を疎かにすれば、人間の幸福に生かすことはできない。国土をも栄えさせゆ

く「心の一法」──その究極が、妙法への信心です。戸田先生は「広宣流布への
信心があるところが、仏の国土なのだ」と断言されました。わが尊き地域本部
(団地部・地域部・離島部・農村部)や社会本部(社会部・専門部)の方々をは
じめ、学会の同志の奮闘は、力強く地域を、社会を支え守っています。皆様方が、
一人ももれなく幸福と健康に輝く人生を勝ち飾ることが、そのまま一国の宿命転
換の道となる。庶民が立ち上がり、青年の熱と力を引き出すことが、国土全体の

繁栄につながります。その意味において、私とともに「"まさか"が実現」の歴史
を打ち立てた関西をはじめ、宿縁深き同志が、幸福・勝利の人生を歩んでおられ
ることが、私の何よりの喜びであります。古くから、「天下の台所」と呼ばれて
きた大阪。そして大関西。ある学者は、昭和二十年代から三十年代初頭の関西の
庶民の熱気が、日本の高度経済成長の推進力になった、と着眼されていました。
わが常勝関西が日本を動かしてきたのです。私がお会いした経済学者のサロー博

士や、アメリカのシーファー大使など、多くの識者も異口同音に感嘆しているよ
うに、関西の力は、まだまだ無限です。ともあれ、必死の一人の力は、百万軍に
勝る。「心の一法」を変革し、自分が変われば周囲が変わる。周囲が変われば世
界が変わる。混迷の闇が深いほど、仏法の智慧が光ります。勇気が光ります。私

たちの前進は、日本、そして世界の輝ける未来を開く前進です。ゆえに、断じて
歩みを止めてはならない。戸田先生は叫ばれました。「『仏法は勝負』である。
本当の仏法は社会での大闘争の中にある。仏法を現実社会の中で行じ、人間のた
め、国のため、世界のために戦ってこそ、真の大聖入門下であり、真の革命児で
はないか。これが創価学会だ」

3回にわたる浄化

さて「三変土田」とは何か。これは、今いる国土を仏国土に変えていくという変
革の法理です。法華経の見宝塔品第11に説かれています。「三変」とは、三度
にわたって変えること。「土田」とは、国土・土地・場所の意味があります。法
華経には「虚空会の儀式」が説かれます。すなわち、輝きを放つ巨大な宝塔が大
地から出現し、全宇宙から諸仏が集まって、虚空(空中)で釈尊の説法が行われ

ます。ところが、最初は、宝塔の中にいる多宝如来は姿を現しませんでした。宝
塔の扉は固く閉ざされたままです。この扉を開く条件として、諸仏が来集するこ
とが必要であった。そのためには「仏が集うにふさわしい国土(仏国土)に浄め
ることも必要となる。そこで釈尊が、三回にわたって国土を浄めたことを「三変
土田」というのです。一回日──釈尊は眉間から光を放って、無数の国士にいる

仏たちを見ました。それぞれの国土では、さまざまな仏と菩薩が妙音(みょうお
ん)をもって法を説いていた。この仏たちが、それぞれに従う菩薩に「私は今、
まさに婆婆世界の釈尊の所へ行く!そして多宝如来の宝塔を供養するつもりだ」
と告げる。宝塔が涌現したことを知るや、釈尊と多宝如来にお会いするために、
無数の仏たちが続々と結集してくるのです。無数の国土とは、現代的に言えば他
の無数の星々といえるかも知れない。宇宙のすみずみで活躍してきた諸仏が、弟

子たちを引き連れて、この地球上の霊鷺山に集ってくるのです。何と雄壮なスケ
ールでしょうか。この仏菩薩を迎えるために、釈尊は大地を瑠璃で彩り、宝の樹
で荘厳しました。芳しい香りが広がり、曼陀羅華で敷き満たされます。この浄土
に大宇宙から集まった諸仏は、一人ずつ「師子の座」に座る。これが一回日の儀
式です。二回目──最初の浄化が行われても、全宇宙からやってきた緒仏は膨大

な数で収まりきれません。そこで釈尊は、さらに八方のおのおの二百万億那由他
もの国土を浄めます。それら無数の国土は、すべてつながって、想像を絶する広
大な一つの仏国土が出現します。しかし、ぞれでも、全宇宙の仏が集まるには十
分な広さではなかった。三回目──二回目と同様に、八方のおのおの二百万億那
由他の国土を浄化し、すべての国土がひと続きとなった、さらに壮大な仏国土が
出現します。三回の浄化の結果、この娑婆世界と、合わせて八方の四百万億那由

他もの国土が全部一つの仏国土と化して、そこに十方の分身仏が満ちあふれるの
です。これで条件が整い、ついに宝塔の扉が開かれます。多宝如来が見守る中、
大衆が空中に導かれ、虚空会の説法が始まる。釈尊は大音声で告げました。「誰
か能く此の娑婆国土に於いて、広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり」未
来の弘教の呼びかけです。

未来を担う人材群

「三変土田」の本質とは、宇宙大の広がりをもって、無数の弟子が勇んで師のも
とに馳せ参じる荘厳な師弟のドラマといってよい。ここから、遠大な未来の広宣
流布へ誓願の人材群が打って出るのです。師弟こそ、一切の原点です。師弟こそ、
勝利の源流です。この虚空会の儀式の開幕は、法華経の「本門」への起点となっ
ています。久遠の師弟が織りなす「本門の舞台」を開いたのが、この「三変土田」
です。仏限・法眼で見れば、今、日本そして世界のあらゆる所で、仏国土が築かれ
つつあります。絢爛たる民衆凱歌の「本門の舞台」が実現しているのです。

いよいよ、「本門の弟子」が躍り出る時代が到来しました。
 

森友学園問題、共謀罪の案件もさることながら、、、

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 3月 9日(木)13時06分50秒
  さる御仁が現れて掲示板がヒートアップした2月10日。

---主要農作物種子法の廃止、閣議決定---

板の主旨から外れるのでその意味するところをここでは詳述しない。。

翌日からの日米首脳会談に、副総理で本来なら留守居役のアホウタレーまで呼び出され、
ペンス副大統領とNo.2のラインで「経済対話」を開始した意義、、、

気になる方は「麻生太郎 水道民営化」で検索してみればよい。
水道事業の民営化に積極的な大阪維新の動向と併せて森友学園問題にも重大な関連性が浮かび上がる。
(自称・妙法のジャーナリストよ、貴君に価値ある仕事を与えよう)

種子法廃止と水道民営化。この二つのカードを基に日本国民は外資に文字通り生殺与奪の権を握られる。
ある意味、共謀罪等よりもはるかに深刻な事案が大多数の預かり知らぬところで進行している。

いわんや手の施しようのない原発(無論フクイチに限った話ではない)の惨状においておや。。

・・・コップの中で吹き荒れる嵐に目を奪われ、轟音を立てて背後に迫る竜巻に気付かぬことがないように・・・

忠臣蔵のようなノリで、時勢から外れたドメスティックな仇討ち劇で54年問題を昇華してはなるまい。。

 

秘蔵の金庫!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 3月 9日(木)12時55分21秒
   まだ幼少の眼ではありましたが、思えば、草創期もいい加減なものがありました。思い思いに理想を掲げ、それを“確信”という言葉で押し切っていったものです。庶民の集まりです。道理とか、論理が打ち消されることも少なくはなく、それでも、みんな従ったものです。“信心”という言葉に乗せるようにしてです。
 そのすべて否定すべきものだったのでしょうか。そうは思いません。少なくとも、その確信の言葉を述べる人には「嘘」はなかったからです。みんな、それぞれに理想を描き、むしろその理想を描く“情熱”に乗せて、語り、そして行動していったところがあります。ジャーナリズムが、それを「真実に足る」と報道した場合には、名誉棄損とならないのと同じです。

 とはいっても、御書に向き合う心構えにしても、先生の指導を求める姿勢にしても、一言でいえばいまの時代よりも、もっともっと「厳しかった」点は指摘しておかなければなりません。下手を言えば、「外」からも、また「内」からも攻撃されたからです。“剣豪の修行”という言葉も、そこから生まれてきたといっていいでしょう。

 その、語り、行動に向かわせしめた「心」というのは、一体、どういう「心」だったのかということです。語るその言葉や振舞いよりも、その「心」の波動に打ち振るわされて「共鳴」していった時代だった言えるのではないのではなかったのか、ということです。いまは、事務的で、その波動がほとんどありません。この一点が、非常に重大です。
 いまにして思えば、その時代、その場所で語られてきた“言々区々”は、いい加減なものなのか、確かなものなのかはさて置き、その「心」の波動に打ち振るわせる、共振、共鳴の心を湧きたたせる言葉ではなかったのかということです。それぞれの理想、最高峰を目指す「心」を引き出す、大きなきっかけだったのではないかと。

 私の危惧は、「すべて」を滅多切りするのは、その一番大切な共振、共鳴の心を失ってしまわないか、ということです。自・他ともに。滅多切りは、人を敬う心を、何かを求める心を、最高峰を目指す心までも、失うことになってしまわないか、ということです。「悪」を滅したところで、それでは、何も残らないことになってしまいかねない。否、自身も、その滅多切りの心に染まってしまうということです。
 「ないものねだり」が何も生み出さないことは確かです。「楽於小法 徳薄垢重者」ということもあります。
 何かを「仰ぐ心」は、何かに「帰する心」が根幹にあります。「南無妙法蓮華経」は、一面から覗けば、その「仰ぐ心」を醸成する心の持ち主といえるのではないでしょうか。「悪を滅する」というのは、実に、用心のいる作業です。

 せっかくつくった、感動とか、感謝とか、報恩とか、信頼とかの、師弟の“秘蔵の金庫”は決して失ってはならないということです。

 

岡山へGOGO ~55年の時を越えて~

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2017年 3月 9日(木)12時23分19秒
  3月20日岡山座談会へ参加予定です。

岡山と言えば
今から55年前1962年(昭和37年)の3月
会長就任二周年が目前であった池田先生の
岡山での「種種御振舞御書」の講義があり
300万世帯への大飛躍の前進をした歴史がある。

ttp://www.3colorflags.net/sintyaku/200201212.txt
(引用元テキスト)

~~~~~
随筆・新・人間革命(246)  2002.1.21


春呼ぶ岡山の躍進

正義の勝利へ 勇者は立ちたり




 仏法は「宇宙究極の法」である。
 ゆえに、その信心は「最極の正義」であり、「賢者の大道」である。
 そしてまた「金剛の勇気」であり、「和楽の根源」である。
 ゆえに、大仏法の信心のある人は「生命の宝冠」を勝ち取った人生となる。


 いわゆる、その道の学問の専門家であっても、この深遠な大仏法を探究するという次元に
あっては、誰人も初歩である。
 有名な学者が、社会的に偉いという錯覚から、未だ究めていない仏法を下に見たり、何も
わからずに、秀才ぶった浅薄な非難をすることは、根本的に誤りである。
 自身の学び究めた道は、その道として尊い。
 だが、永遠不滅の大法であり、人間学の真髄ともいえる仏法を学ぶ心は、初心者としての
謙虚な求道の精神がなければならない。
 仏法は道理である。ゆえに仏法を知ろうとせず、傲慢にその道理に反することは、愚人で
あり、増上慢である。その人は、根本的な人間としての偉さは、一つもないことになるだろ
う。

 それは、今から四十年前の春のことであった。
 中国の各県は炎のごとく燃えていた。
 「連続日本一の折伏、万歳!」
 四月、そして、さらに五月と、中国の総支部は、広宣流布の全国制覇を成し遂げたのであ
る。
 三百万世帯の実現をめざして、前進そして躍進を続けるわが創価学会の、大飛躍となる歴
史であった。
 そのドラマの発火点こそ、わが決意の炎が燃え立つ岡山であった。
昭和三十七年の春来る三月、私は大好きであった、遥かなる岡山の小さな城(会館)で、「種
種御振舞御書」を講義し、仏法の正義を訴えた。
 「千春の人生、万歳! そして、千秋の人生もまた、万歳!」との思いを込めて、真剣に
日蓮大聖人の御書を訴え続けた。
 「正しい仏法に生き、正しい仏法を弘め、自分も永遠の幸福という人生の目的に生き、人
びとをも救いきっていく学会活動に生きることが、最高に幸せな人生です」
 皆様も真剣に聞いてくださり、私も真剣であった。
 そして終わりに、片手をあげながら、私は「戦いましょう!」と叫んだ。
 すると、わが岡山の友らからも、一斉に「戦いましょう!」「勝ちましょう!」と、元気な
声が跳ね返ってきた。
 当時、私は三十四歳。そして、会長就任二周年が目前であった。
 皆が生き生きとしていた。
 こんなに素晴らしい人間の集いが、世界のどこにあろうかと思わせる春であった。
 「やります! 断じて戦います! 一度、口にしたことは、絶対にやり遂げます」と、岡
山の人びとは、瞳を輝かせながら、決然と言い切っておられた。
 広布大業の波は、日本中、あの地この地で、盛大な広がりであった。私は嬉しかった。
 否、宗祖・大聖人のお喜びはいかばかりか。
 そして、その仏法の広宣流布に殉教なされた牧口先生、また、戸田先生のお喜びも、目に
浮かぶようであった。
 師も喜び、弟子も喜ぶ。ここに「師弟不二」があるからだ。
 以来、岡山を先頭に、中国全県の勇気ある同志は、火の玉となって、勝利への拡大の怒薄
の前進を、堂々と開始したのであった。

(中略)

 地域の広宣流布を推進するうえで、第一に重要なことは、いつも常識を重んずることだ。
 隣近所を、絶対に大切にすることだ。
 そして自分の魂は、「我こそが、この自身の生き抜く大事な地域の広宣流布の全責任を担い、
主役となって戦ってみせる!」との決意に立つことだ。
 いつまでも、人に頼る心では、自身の向上も、戦いの勝利も栄光も、絶対につかめない。
 「一人立つ」ことだ。
 「一人立つ」ことは、「千人万人を立たせる」ことだ。
 一人立つ「一念」こそが、一切の勝利の根源となり、宝になり、そして武器になることを
忘れてはならない。
 今日まで、折伏戦も、広布の戦いも、どこの地域にあっても、最初から楽々と進んできた
ことは、決してなかった。
 むしろ、旧習の厚い壁に阻まれ、非難中傷の飛礫(つぶて)を浴びてきた所ばかりである。
 そこで、あきらめるか、執念をもって勝利への道を、耐えながら戦い歩みゆくかだ。
 やはり、分かれ道は、自分自身の「一念」だ。
 いかなる社会の事業もまた同じだ。
 また、一口に「地域広布」と言っても、都会、農村、漁村、山間部など、その環境はさま
ざまである。
 大聖人は、「国をし(知)るべし・国に随って人の心不定なり」(御書一四九五㌻)と仰せ
である。
 それぞれの地域の個性と複雑性をよく認識して、どうすれば、その地域の人びとの「平和」
と「幸福」と「友情」に貢献していけるかを第一義としていくべきだ。

 岡山からは、陰険で愚劣な反逆者も出た。
 戸田先生は、よく言われた。
 「学会は清浄な世界である。これが仏法の世界であり、心の世界だ。
 広布破壊の反逆者は叩き出せ!」と。
 尊極の世界を凝乱しようとする悪党に対しては、先生は、烈火のごとく厳しく戦われた。
 その極悪の魂を叩き伏せるごとく、容赦なく弾呵された。
 そして常に、皆に、「裏切り者、不知恩の者と戦うのが、仏法の慈悲だ。
 わが学会は、宇宙最極の和楽の世界である。
 決して、魔に崩されてはならない。
 厳然と、わが崇高なる学会に、一人たりとも魔を寄せ付けるな!
 これは、私の厳格なる遺言である」と語られた。
 牧口先生も言われた。
 「悪と戦い抜くことは、善である。悪と戦わぬ善はない」
 これが、学会精神であり、岡山の闘魂である。

(後略)
~~~~~

岡山座談会の詳細は
SaySaySayさんの投稿を
http://6027.teacup.com/situation/bbs/65216
 

風向きが変わる・・?

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 3月 9日(木)12時08分30秒
編集済
  森友学園問題は大変な問題のよう・・

とうとう犠牲者が・・

<貼り付け>
未確認情報とはいえ、第一次安倍政権でも、自殺に見せかけた暗殺が複数あったことから、

今後も、次々と不審死が出てくる可能性がある。安倍政権では、こうした不思議なことが

日常茶飯事のように起こるのだ。だから、次の不審死を抑止しなければならない。

どうやら、森友学園の建設を請け負っている藤原工業の、そのまた下請けの田中造園土木の社長が“

自殺”したとの「噂」だ。
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-4855.html

<貼り付け終わり>

軍国主義をひたすら走る安倍政権・・これで、少し風向きが変わるかも・・に期待・・

帝釈天が動いた ?

アクセル踏んだ混迷党・・真っ青か・・?

いや、いや、しぶとく、さっと色を変えるカメレオン党でごサル・・

そういえば、ウチのかみさん曰く『最近、小さな会合で幹部様が頻繁に創価学会仏・創価学会仏と・

みなさん、我々は創価学会仏デス・・よかったですね~」と・・そうデスカ、みなさんの所も?

あっそ~いえば、ドミサイル様もよく書かれてますね・・「創価学会仏・創価学会・公明党仏」と

地区で言われると・・

本当だったんですね~

とにかく創価学会員は全員「創価学会仏」だそうです・・

題目で罪障消滅・・悪事は全て免除?
 

赤胴鈴之助様

 投稿者:mission  投稿日:2017年 3月 9日(木)10時14分31秒
編集済
  おはようございます。
赤胴鈴之助様が3月8日に投稿して下さった【桜の城 3/5】
「ー宗門と結託した学会攪乱の悪辣なペテン師たちは……仏閣の下僕になってしまうことは、根本的に間違いである」
宗門を→ハラダ執行部や傲慢な幹部、参考人招致に尻込みする公明党に置き換えると、その者達の行動にピッタリ当てはまります。
やはり今の現象は、54年を繰り返してる事に繋がるんですね。

赤胴鈴之助様の「桜の城」や、虹と創価家族様を初め何人かの方達が投稿される、40年以上も前の貴重な聖教やグラフの実証、太ちゃん様の衛星中継ノーカットは、宿坊の掲示板で伝えていくべき大事な文証だと思います。
その度に遮る者が多々出てきますが、ここには閲覧だけの人達も沢山おられるので、同じ文証でも何度も何度も投稿し「気付く」人達が少しでも増えてもらいたいです。


今朝の「桜の城 まえがき」で本を お持ちで無い人達にも、 先生が本の題を『桜の城』とされた理由が理解できたと思います。
戸田先生と一緒に散歩した一文…先生の文章は、頭で鮮明に映像化できる様な言葉なんですよね。
流れる様な描写と心の内は、誰にも真似できない。

カンピース様が投稿されてる様に、先の掲載文と何日か後の掲載文に辻褄が合わなくなる…読んでて何度も数日前を読み返さなあかん「大山」

【「さくら」は、その名の中に「咲く」意志を宿している。
それと同じように、人の胸深くにも、開花のその時を待つ、尊き人生と使命の花が宿っている】

今の創価に憂いを抱き、傲慢な幹部の言動に心が折れた事もありましたが、私にも「使命の花」が宿ってる。
「使命」とは、命を使う。命を懸ける。
時々凹む私ですが、今この時代に生まれ合わせ、使命を全う出来る事に感謝します。

 

公明党「清潔政治」の原点

 投稿者:mission  投稿日:2017年 3月 9日(木)09時26分26秒
編集済
  《小池氏を阻む「都議会のドン」の壁》のテーマで、渡瀬裕哉氏が書かれた文章に目が止まりました。
渡瀬氏は、都議会について調べていたら公明党HPの面白い(公明党が1963年に初めて東京都議会に進出して1965年東京都議会解散に至るまで振り返る)記述にたどり着いたそうです。

 【公明党HP「清潔政治」の原点】
1963年の都議選で当選した公明党議員は「17人のサムライ」と呼ばれ、伏魔殿東京都政の改革を看板に掲げ、次々と不正をただしていった。

その後1965年3月の議長選をめぐる贈収賄で、自民党議員が17人も逮捕される事態となった大疑獄事件が発生し、公明党は野党連合の一角として都議会リコール運動に参加し、都議会自民党を妥協させて自主解散までの流れを作った。

『筆者は公明党支持者ではありませんが、その政党人としての初心は非常に立派なものだったと感じます』と。


公明党は、1961年11月27日に誕生したのですが、当初の名を公明政治連盟(公政連)としていました。
1962年7月1日、第7回参院選→9候補が当選。
1964年11月17日「公政連」から、現在の「公明党」という名称に変更。
1967年1月29日、第31回衆院選→25議席。
1975年には、公明党の地方議員が3000人を超える。


【1963年の都議選で当選した公明党議員は「17人のサムライ」と呼ばれ、伏魔殿東京都政の改革を看板に掲げ、次々と不正をただしていった】
公明党が大きく飛躍できた因は↑国会議員では無い「都議会議員」の奮闘だったと思います。

今の公明党国会議員は、1963年に当選した「17人のサムライ」の心意気を見習うべきです!
1961年に誕生した(公政連)… たった3年半後、知名度も全く無いのに恐れることなく「不正をただし」たんですよ!

今の時代は議員自身だけが死ぬほど苦労せずとも、沢山の会員が手弁当で向こう鉢巻きでFも金も集まる。
早創の公明党を支えた議員の方達に、恥ずかしく思わないのですか?

 

池田先生の「許可」を得られる状態ですか?

 投稿者:太ちゃん@平らかなるは人編  投稿日:2017年 3月 9日(木)09時15分42秒
  池田先生の陣頭指揮時代
池田先生の書籍なり聖教新聞の池田先生の記事とかを活用して折伏をしているのが活動家の普通の姿だったように感じるね
だいぶ長いことその実態であるものを池田先生が「知らなかった」のでしょうか?
さすがにそんなわけもないでしょう
むしろ池田先生はそういう折伏を認めてたようにしかみえないですが
「著作権」をいうなら池田先生はとっくの昔に言われてることでしょう
しかし、著作権を言うことに池田先生になにか「意味」がありますでしょうか

別に歪曲目的でも商売目的でもない
池田先生が後継に望んでることは「著作権」でしょうか?

池田先生は後継に決着を任せてる上に、執行部は池田先生の真実を残そうという気はサラサラないばかりか、事実の隠蔽と歪曲です

・・・と思いますが、どのように戦うかは「人それぞれ」でもありますね

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

「随筆 桜の城」と真実の弟子への発迹顕本

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 3月 9日(木)08時55分7秒
  学会員で池田先生への報恩を語る幹部は多い。
しかし残念ながら、池田先生の御心労を知らないで恩を語る幹部が多いのも事実です。

創価学会は、何度も滅亡の時を迎えました。
しかし三代の師匠の、死身弘法の戦いにより、創価学会は滅亡せずに蘇生したのです。

初代牧口先生と二代戸田先生のご心労は、人間革命にきちんと書かれています。
しかし三代会長であった池田先生の事については、きちんと書かれていない。

54年当時の、池田先生の胸の痛み、悔しさを知っていますか?
責任ある幹部として、後継の青年や、新入会の会員に語る事ができるでしょうか。

このご心労を知らずして「報恩」を語る幹部は、薄っぺらい弟子のように感じます。
池田先生の苦労を知らずして感謝を語る、それでは聞いている会員に実感が湧かないからです。

もし、牧口先生の獄死と、戸田先生の怒りと仇討ちを知らずして、牧口先生と戸田先生への報恩を語るなら、感謝の念が薄くなるのが当然です。

だからこそ54年問題を知らない方々に「随筆 桜の城」を読んで頂いているのです。
報恩を深めるなら、池田先生と奥様のご心労に一歩でも近づくこが必要だからです。

最近ですが、ツイッターを始め各種SNSで「随筆 桜の城」が話題になっているのを嬉しく感じます。
自ら「随筆 桜の城」を語る所に、報恩の深さが増してゆきます。

池田先生は仰られました。

『一人、孤独になった私は、無言のうちに、必ずや、真実の伴侶はついてくるであろうと信じていた。
 師弟の両者が一つの姿で、無限に戦い、舞い、走り、勝利しゆく。私は、その新しき時代の、新しき伴侶を待っていた。』
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64487

新しき時代の、新しき弟子へと発迹顕本するきっかけが「随筆 桜の城」にあると確信し、これからも啓蒙を続けます。

 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、ついに「珍・人間革命」は「洗脳小説」となってしまいマスた~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 3月 9日(木)08時34分57秒
  おはようございます。原田怪鳥様、誠に残念ながら、執行部の皆様方は「珍・人間革命」は「洗脳小説」にしていまいマスた~(笑)

>「創価学会仏」とは、初代会長・牧口常三郎、第二代会長・戸田城聖という師弟に連なり、広宣流布大誓願に生きる同志のスクラムであり、地涌の菩薩の集いである<
(新・人間革命、大山の章五十六より引用)

なぜ、第三代会長・池田大作の名前がないのでしょう?

「創価学会仏」については、政教珍聞に戸田先生の御指導をふまえてこうありますよ~(笑)

>大聖人に直結した広宣流布遂行の和合僧団である創価学会は、それ自体、仏そのものであり、未来の経典には「創価学会仏」の名が記されるであろう<
(2016年11月5日政教珍聞1面より引用)

イイですかぁ~、「未来」に「~だろう」デスよぉ~! 「~である」と断定できるものではありませ~ん(笑)

昨日の大山五十五では、改竄して、このように記されていま~す。

>未来の経典には、「創価学会仏」という名が厳然と記されるのだよ<
(新・人間革命、大山の章五十五より引用)

「~だろう」が「~される」になって、より強調されていま~す(笑)

イイですかぁ~! 遠い未来のハナシとして、広宣流布が成し遂げられたならばという前提のもとに、未来の人が過去を見すえた際に、

そのとき初めて、「創価学会仏」の名前が出てくるだろう、といった想像のオハナシなので~す(笑)

それを無理やり「現在」に当てはめて、ナニ言ってんのぉ~?ってことデスよぉ~(爆)

目標として、目指していくのには、何の不都合もないでしょう。しかし、「創価学会仏」の名前を現在に当てはめて、公にする意図はなんデスか~、

創価学会員であれば、「仏」デスか~? 「非活」でもいいんデスか~? 処分・除名された人は「仏」じゃないんデスか~?

「仏」とは、「個人の生命」に帰結するものであり、「組織」そのものに帰結するものではありませ~ん(笑)

「集団」に属することで、「安心感」を与え、「他からの情報」を与えずに「組織」の安泰を図る。

これって、「洗脳」の手法じゃなぁ~い(笑) 恐ろしい「組織」デスね~(爆)

そもそも、「永遠ならしめていく要点」に今の執行部の皆様方は合致してるんデスか~?(笑)

第一、「広布誓願」の生涯を生き抜いているか?
 師匠を裏切り、自らの安泰しか図っていないアナタ方がナニ言ってんのぉ~(笑)

第二、「師弟不二」の大道を歩むことである?
 師匠が前面にでないコトをいいことに、勝手に「教義改正」したのは誰ですかぁ~(笑)

第三、「異体同心」の団結?
 異体同心の要は、まず、個々人を認め合うことから始まりま~す。
 逆らう者、意見する者を排除し、処分し、除名したのは、いったい誰でしょ~う(笑)

三つの要件に一つも合致していない執行部の皆様方(笑) こんな方々が牛耳る今の創価学会。

「仏」の称号が与えられるワケがないでしょ~う(爆)


 

クリアの件

 投稿者:謎の弟子X  投稿日:2017年 3月 9日(木)07時47分7秒
編集済
  赤胴鈴之助さん、寝たきりオジサンさん

まずはじめに、投稿者の皆さんには、いつも感謝しております。

掲示板の流れを止めてしまうのは良くないと思い、素通りしておりましたが、
話題が出てしまったので、一言。
私は、一応、著作権料の上前でゴハンを食べたことがあるので、その観点から申し上げます。

まず、作者の著作した権利と、出版している本や新聞の著作権の話は「別のもの」です。
著作権 引用 転載 本 新聞 などのキーワードでご自身で検索してください。

そして、引用は許諾がなくても認められる範囲ですが、転載(丸々写して掲載すること)は、
著作権者(著者や権利を管理している出版社)の許諾が無ければ、著作権法違反になります。
わかりやすく言うと、365~とか、桜の~とか、本が売れなくなってしまうからです。

なので、正義を主張している私達が、法律上やってはいけない無断転載は、すべきではありません。

特に、悪と戦っている現在、隙を突かれないように注意をしましょう。
他のみなさんも、御用心。御用心。
 

著作権の範囲?

 投稿者:あきらか  投稿日:2017年 3月 9日(木)07時34分35秒
  赤胴鈴之助様

著作権に関して、私の疑問ですが、

例えば、3人の元職員の方が言っている様に先生の名前で書かれている
かなりの数の本、指導、講義などが、代筆で書かれているとしたら、
こういう場合の著作権はどうなるのだろうと考えていました。

先生自らが公的に自分の名前を使って書いていいとおっしゃっていたら、もしかして
その時点で、著作権を放棄している事になるのではないでしょうか。

そして、学会は非営利団体であり、その指導に使われており、公に公開されているその様な
資料は著作権の枠外のような気もしますが、、。

これは全く私の私見です。
間違っていたらすみません。
専門の方の意見が聞けたらいいですね。

そういえば以前にも、どなたか、教義の先生の対談を連載で投稿していた時に、批判の投稿がありましたね。
でも大丈夫だったと思いますが、、。
 

わが友に贈る 2017年3月9日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 3月 9日(木)07時14分13秒
  何のための信仰か。
何のための人生か。
わが使命を自覚した時
計り知れない力が出る。
信念の道を朗らかに!
 

とりあえず個人的にまとめてる掲示板にて

 投稿者:太ちゃん@平らかなるは人編  投稿日:2017年 3月 9日(木)07時06分10秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/65806
同時中継ノーカットアーカイブ廃棄について   投稿者:太ちゃん@平らかなるは人編   投稿日:2017年 3月 8日(水)19時29分5秒

かなりの長文となるため、上記は「まとめコメント」として、過去ログになったタイミングで文面も出します。
とりあえず個人的にまとめてる掲示板にて文面を出しておきました。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

池田先生の女性に贈ることば365日より

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 3月 9日(木)04時43分24秒
  三月九日

幸福というも、地獄というも、皆、自分自身の

胸のなかにある、心のなかにある。
 

赤胴鈴之助さま

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 3月 9日(木)04時37分59秒
  >寝たきりオジサン 様の体験談は、著作権者はクリアされているのですか。<

キビシイとこ突いてきますね(笑)
わたしの投稿している体験談は以前にも書きましたが学会本部から流れて
来たものです。

現場の男子部に降りてきて、仏法対話などで外部の友人に配ったりするもの
だったので事実上世間に公開している事になります。

他のものは聖教新聞に掲載されたものなので投稿しています。
先生の書かれたものについては赤胴鈴之助さまと同じく
後世に残すことが、わが使命だと思って投稿しています。


 

桜の城 まえがき 3/3

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 3月 9日(木)02時42分13秒
  「創価」とは、また「創華」である。
それは、遙かな万年の未来へ、人類平和と価値創造の人華の園を広げていくこ
とだ。

万人が、苦悩と不幸の冬を乗り越え、人生の勝利の春を謳歌しゆくことだ。

わが創価の宝の城は、御聖訓のままの苦難を生き抜き、勝ち抜いてきた、師弟
の誇りと民衆の歓喜の桜花で彩られた、永遠の桜の城なのである。

私が、この本の題を『桜の城』とさせていただいた理由も、そこにある。

ここに収めた三十数編は、一九九八年(平成十年)の一月、私が七十歳を迎え
た時から、「随筆新・人間革命」と題して、聖教新聞に、発表してきたもので
ある。

医者から「三十歳まで生きられない」と言われた私が、全世界を舞台に、いよ
いよ元気に戦っている。

しみじみと、「更賜寿命」「不老不死」の妙法の大功力を実感する。

「随筆」とは「筆に随う」と書くごとく、折々の心境そのままに、自由に筆を
とってきたが、いつしか数巻の本ができる分量になった。

今回は、そのなかから、師弟の黄金の闘争で築いてきた創価の歴史を綴ったも
の、また、わが同志との共戦の歩みを記したものを中心に収録し、これに、わが
創価大学、創価学園の若き友らに贈った長編詩二編を加えさせていただいた。

なお、ここに未収録の随筆のなかには、あまりにも多忙なため、十分、推敲で
きないまま、紙面に掲載してしまったものもあった。

時間のゆとりができた時に、大幅に添削させていただくつもりであることを、
ご了承いただきたい。

結びに、「随筆のカットを担当してくださった、画家の内田健一郎.文子ご
夫妻に謝意を表するとともに、連載中、聖教新聞社の前谷秀学記者らの多大な協

力を得たことを感謝する。

二〇〇〇年四月吉日
著者

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

戸田先生、池田先生は桜を、こよなく愛されています。

日顕宗は、その桜をことごとく、切り倒しました。

宿坊の情報で知ったのですが、北海道の嵐桜が、切られたとのこと・・・( ;∀;)

腹堕、勃起は桜墓園、青年桜、創価学園、大学の桜の切り倒しを、図って来ると思いますので、

学園生、創価大学卒業生の皆さん、絶対にそのような事に成らないように、祈っていきましょう。

池田先生がうとましい、いやがっている、族は、当てつけに桜の木を伐採しようとします。
 

奇怪な公明党

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 3月 9日(木)02時41分16秒
  自民党と歩調を合わせ、参考人招致に反対する公明党。

反対する理由は「何を言い出すかわからぬ籠池氏は参考人としていかがなものか」



「森友疑獄の解明のために、首相と官僚諸氏の発言では、らちが明かぬ」から

参考人を呼んで聞くべしと言っているのだ。

いかがなものか、疑われているのは、首相答弁と官僚答弁のほうである。



籠池氏が「何を言い出すかわからぬ人」だから呼ぶのを反対するとは、

「言われては困ること」を言われそうだからだ、と見える。

言われそうなことが、やましい内容でないのなら、つまり公明党がシロなら、

何ら反対することはないわけで、維新のように参考人を呼べと言うだろう。



国有地を激安で売られてしまった国民の立場なら、与党の義理でモノ言うべき場面ではない。

実に奇怪な党になったものである。

 

桜の城 まえがき 2/3

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 3月 9日(木)02時29分23秒
  桜、日蓮大聖人は、仏の尊極な生命が人間に具わる譬えとして、「さくらは
をもしろき物・木の中よりさきいつ」(御書一四九二翼-)と仰せである。

「さくら」は、その名の中に「咲く」意志を宿している。
それと同じように、人の胸深くにも、開花のその時を待つ、尊き人生と使命の
花が宿っている。

一生とは、いかなる風雪にも耐え抜き、人が見ようが見まいが、自分自身の生命の
花を、悔いなく咲かせ切っていくことではないだろうか。

信濃町の学会本部前には、たくましき腕のように豊かな枝を広げた「青年桜」
が、万朶と咲き誇る。

樹齢は何年になるであろうか、ともかく立派な風格のソメイヨシノである。

三十年ほど前、この桜の傍らにあった青年会館が改築される時に、伐採の話が
出た。

しかし、私は反対した。「自然を大事にしていきたい。あとになって、必ず
"残してよかった"と思う時が来るよ」と。
いま、本部を訪れる方々は、感嘆の声をあげて、この大樹を仰ぐ。二十一世紀
を担う"花の青年部"もかくあれと、私は見つめている。


沖縄の平和墓地公園は、日本一早く桜が咲くく名所・本部町に、昨年(一九九九
年)、開園した。桜の山・八重岳に抱かれ、碧き大海原を一望する。

この"桜墓園"の「永遠平和の碑」の除幕を見守りながら、私は「もう二度
と、沖縄に戦争はない。絶対にできない!」と宣言した。

創価大学にも、東西の創価学園にも、私は多くの桜を植樹した。開学当初の小
さな苗木も、今や、十重二十重の燃え立つような「桜の園」となった。

創価の学舎は、さながら花の雲上にそびえる知性と青春の城となって、今年も
新入生を迎えている。
 

桜の城 まえがき 1/3

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 3月 9日(木)02時27分50秒
  少年の日、私の一つの夢は、日本中の駅に、桜の木を植えてみたい、というこ
とであった。
あの駅にも、この駅にも、春爛漫と、桜の花を咲かせたならば、人々の心は、

どれほどか、晴れやかになるだろうか。

幾千幾万の「桜の城」をつくりたい。

暗い戦争の時代にあって、小さい頃から、私は、平和への願いを、桜の花に託

してきた一人である。

いつの年だったか、懐かしい市ケ谷の創価学会本部分室から、わが師である

戸田城聖先生と一緒に、散歩した。

一陣の風に、青い空に映えて咲き匂う桜の枝が、白き波のごとく揺れた。

先生は、お堀端に佇み、笑みを浮かべて、「厳寒の冬を耐えて、また、あの桜
が咲いたな」と言われた。

ご自身も、厳しい寒夜を耐えて迎えられた春であった。

「冬は必ず春となる」
と、つぶやくように語られた言葉は、私の胸にずっしりと納まった。

桜は咲く時を知り、散る時を知る。

「桜の花の咲くころに死にたい」と告げておられた先生は、生涯の願業をすべ
て成し遂げ、その言葉の通りに逝かれた。

一九五八年(昭和三十三年)の四月二日のことである。

この大英雄の姿は、弟子たちの心のなかに、「われ人生に勝ちたり。
汝らもかく生きよ!断じて生き抜け!」と、厳として教えてくださったように
思えてならない。

四月八日の告別式の日、目黒の御自宅を出発した御遺体にお供して、車は青山
墓地の満開の桜並木を通った。

落花紛々、白い雪のごとく花びらが舞い、荘厳なる王者の葬列を包んだ。
 

桜の城 序文 投稿します

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 3月 9日(木)02時21分52秒
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寝たきりオジサン 様、いつもたくさんの、投稿ありがとう御座います。

桜の城の著作権は池田先生にあると思います。
全文、投稿はダメですよね、このことに、詳しい人、法律に明るい人、教えてもらえますか・・・?
寝たきりオジサン 様の体験談は、著作権者はクリアされているのですか。

《著作権は、権利を得るための手続きを何ら必要としません。著作物を創作した時点で自動的に権利が発生
(無方式主義)し、以後、原則として著作者の死後50年まで保護されます》
このような、ネットでの情報です。

わたしは、池田先生の教え、思想を後世に残すことが、使命だと思って、書き込み、テキスト化、等々努力
しています。

「桜の城」序文が季節にぴったりですので、投稿します。
 

参考人招致

 投稿者:mission  投稿日:2017年 3月 9日(木)00時12分59秒
編集済
  【5日、NHK「日曜討論」自民党*中川雅治参院副会長《公明党*魚住裕一郎参院会長》は、問題の国有地の売却は適正に処理されていると繰り返し、会計検査院の調査の結果を待つべきだと述べる】

【8日、自民党の二階俊博《公明党の井上義久両幹事長》は、東京都内で会談し、大阪市の学校法人「森友学園」の国有地取得問題に関し、野党が要求している学園の籠池泰典理事長の国会への参考人招致には応じない方針を確認した】

【8日、日本維新の会の松井一郎代表は「本人に聞くのが一番だと思うので、参考人招致を決めてもらいたい」
「国に対する補助金詐欺の疑いもあるわけだから、これはやはり呼ぶべきだ」
と語った】

【また、野党の一部から府の私学課職員の国会招致を求める声が出ていることについて
「僕を呼べばいい。全部、議事録を持って行く」
と述べ、要請があれば招致に応じる考えを示した】


「参考人招致には応じない方針」ってなんだよ!
民進・共産・自由・社民の野党4党、それに維新も籠池の招致を求めているのに、公明党…何やってんだか。

証人喚問(虚偽の発言をした場合→罪に問われる)より軽い、参考人招致(証言で嘘を述べても罪に問われない)にも応じないなんて…公明党やっぱり噛んでるのか?

今の与党にいる公明党なんて、支援させられてる会員は誰も求めてないよ。
必要に求めてんのは、自民にズブズブの癒着関係となってしまった、腹駄率いる幹部達と公明党の国会議員だけ。

市町村の公明党議員達は、これからは大変な時代になるね…可哀想に。
こんな公明党を「これからも支援し続けろ!」「陣中見舞いも宜しく!」ってか?
冗談も休み休みに、ゆーて欲しい。

 

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