見た目を変える手法ってさぁ(・∀・)

無題
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00320882.html

 大変な事をしでかしたのに、髪を切る時間はあるんだ...(゚∀゚)

 老舗料理店「京都吉兆」は特定秘密?

■回収ローストビーフ、客に提供 丹波ワイン「廃棄忘れ」印刷用画面を開く 【 2016年04月06日 05時19分】 京都新聞
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20160406000001

20160406000004tanba
賞味期限切れだったローストビーフを、客に提供していた丹波ワイン(京都府京丹波町)

 ワイン製造販売や飲食事業を展開する「丹波ワイン」(京都府京丹波町)が、2013年に結着剤を使ったローストビーフを販売して食品衛生法違反を指摘され、廃棄すると府南丹保健所に伝えながら、賞味期限切れの状態で14、15年の一定期間、客に提供していたことが5日、同社への取材で分かった。同社は加熱処理をせず、牛ロースト丼としても提供した」と説明。同保健所は廃棄処分するよう文書で指導した。

 食品衛生法の「特定加熱食肉製品」の基準では、半生状態のローストビーフは食中毒菌の混入の恐れがあり結着剤の使用を認めていない。同社の黒井衛社長は5日、京都新聞社の取材に対し、「牛ロースト丼は加熱処理せず、スライスしただけ」と、製造基準違反のローストビーフを提供していたことを認めた。客の健康被害は確認されていないという。

 丹波ワインは13年当時、京都市内の老舗料理店の了承の下に複数のブロック肉を結着剤で固めて製造していた。同料理店が百貨店などで販売し、丹波ワインも自販していたが、製造基準違反が発覚し、すべて販売中止に追い込まれた。

 同保健所によると、丹波ワインは13年の問題発覚後、回収した製造基準違反のローストビーフ約50キロを「廃棄処分する予定」と保健所に伝えた。実際に処分したのは約1割で、残りは同様の手法で製造されたローストビーフの在庫計約220キロと冷凍保存していた。

 このうち約80キロを同社の関連会社が運営するレストラン(京丹波町)で提供。15年4月には同社での2日間の催しで牛ロースト丼として、14年4月~11月には「赤ワイン煮込み」やサンドイッチとして販売していた。

 同保健所によると、今年2月の調査に対し、同社は「いずれも加熱処理した」と説明したという。廃棄方針だったローストビーフは13年9月までの製造で、提供時は同社が定める賞味期限(製造後180日)を、1年以上過ぎていた恐れがある。

 黒井社長は「回収した商品と在庫が混在し、廃棄するのを忘れていた。ご利用のみなさまに、大変なご心配をおかけして誠に申し訳ない」と謝罪した。

 「加熱処理」も嘘だったのね(;´Д`A ```

 牛肉そのものより、飾り付けの方が高そうなボッタクリ偽装商品だったよなぁ。



吉兆(きっちょう)は、大阪市に本拠がある日本料理高級料亭である。なお、「吉兆」の屋号で店舗を運営する4社と関連法人を纏めて吉兆グループと称する。

「吉」の正確な表記は「Tsuchiyoshi.svg」(「土」の下に「口」、つちよし)である[注釈 1]



この株式会社船場吉兆による一連の不祥事を受け、2008年に吉兆グループ会社の役職員や第三者の専門家からなるコンプライアンス委員会が設立された[6]しかしながら2013年京都吉兆から自社オンラインショップやデパートのカタログギフトなどを通じて1年以上に渡り販売していたローストビーフ商品「京都吉兆 京都牛ロースト」(製造:丹波ワイン株式会社、小売価格:1万500円)が、実際は食品衛生法で認められていない結着剤でブロック肉を成型したものであったことが発覚(ローストビーフは複数のブロック肉を使うと食中毒の菌が混入するおそれがあるため、単一の肉の塊を使用しなければならないと定められている)。京都吉兆は商品を自主回収し、購入者に代金を返却することとなった[7]。この不祥事に関して、京都吉兆は「2度とこのような事態を発生させることがないよう法令順守の徹底に努めます」とコメントした。


 「十」の下に「10」、十字架である、とか言ってくれた方が救われる気がするw

 クズ肉をつなぎ(結着剤)で重ねたブロック肉を「ミルフィーユ」(業界用語?)と呼ぶそうな。事情が分かっている業界の人は、牛肉のミルフィーユは食べる気がしないらしい(ボソ

製造委託先の社員自殺
  京都吉兆ローストビーフ偽装問題

高級料亭の京都吉兆(京都市)からローストビーフの製造を委託されていた「丹波ワイン」(京都府京丹波町)の食肉加工責任者の男性社員(39)が、岡山県高梁市の山中で首をつって自殺をしていたことがわかった。同社は結着剤で固めたブロック肉を使って製造・販売していたことから、京都府南丹保健所から食品衛生法(規格基準)違反に当たると指摘されていた。

府警によると、男性は4人いる肉加工担当者の中で唯一資格を持つ食品衛生管理者で、遺体の近くには遺書のようなものがあった。同社によると、走り書きで「大変なことをしてしまいました。申し訳ありません」と記していたという。府警はローストビーフの問題を苦にして自殺したとみている。

朝日新聞 Web版
2013年12月18日 11時54分
http://www.asahi.com/articles/ASF0OSK201312180001.html 

引用元:http://hypertree.blog.so-net.ne.jp/2014-01-24

 ホントに自殺?w

 京都吉兆(笑)

■最も高価なレストランの世界ランキング、人気サイトが発表 2013年11月19日 13:37 発信地:米国 AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3003547

【11月19日 Relaxnews】おいしいものを食べるためにはお金に糸目を付けない人のために、人気ウェブサイト「デーリー・ミール(The Daily Meal)」が最も高価なレストランの世界ランキングを発表した。

「世界で最も高価なレストラン」に輝いたのは、京都の日本料理店「吉兆(Kitcho)」で、伝統的な懐石料理を味わえる。1人当たりの予算はなんと約600ドル(約6万円)。

 トップ10には、日本から3店が選ばれ、最多。また、フランスとスイスから、それぞれ2店舗がランクインした。

 もう1つ注目のレストランは、海面下5メートルに設置された透明トンネルの中で、食事をしながら美しい海中の景色を見ることができるモルディブのレストラン「イター・アンダーシー・レストラン(Ithaa Undersea Restaurant)」だ。

■デーリー・ミールによる世界で最も高価なレストランのトップ10は以下の通り。

1位「吉兆」京都 600ドル(約6万円)/1人当たりの予算
2位「ル・ムーリス(Le Meurice)」仏パリ(Paris) 509ドル(約5万900円)
3位「雅(Masa)」米ニューヨーク(New York) 450ドル(約4万5千円)
4位「メゾン・ピック(Maison Pic)」仏バランス(Valence) 445ドル(約4万4500円)
5位「麤皮(Aragawa)」東京 370ドル(約3万7000円)
6位「イター・アンダーシー・レストラン」モルディブ 320ドル(約3万2000円)
7位「ロテル・ドゥ・ヴィル (l'Hotel de Ville)」スイス・クリシエ(Crissier) 318ドル(約3万1800円)
8位「アラン・デュカス・アット・ザ・ドーチェスター(Alain Ducasse at The Dorchester)」英ロンドン(London) 289ドル(2万8900円)
9位「ミシェル・ブラス・トーヤ・ジャポン(Michel Bras Toya Japon)」洞爺(Toya) 287ドル(約2万8700円)
10位「シュロス・シャウエンスタイン(Schloss Schauenstein)」スイス・フュルステナウ(Furstenau) 269ドル(約2万6900円)

(c)Relaxnews/AFPBB News

 怒り通り越して大笑いしたよなぁw



中国向いてる?

会社名 丹波ワイン株式会社(英語表記 TAMBA WINE Ltd.)
設立 1979年4月1日
事業内容 果実酒・甘味果実酒の製造及び販売、飲食事業、食品加工事業
住所 〒622-0231 京都府船井郡京丹波町豊田鳥居野96
電話番号 0771-82-2002
代表取締役 黒井 衛
ホームページ http://www.tambawine.co.jp/
オンラインショップ http://www.tambawine.com/
関連会社 クロイ電機株式会社・丹波ワインハウス事業株式会社

http://www.tambawine.co.jp/history.html#kaisha


・西岸寺 曹洞宗
・円正寺 真宗大谷派





クロイ電機 ― あかりガラス




クロイ電機 ― 丹波ワイン


食文化の延長線のワイナリー

創業当時、照明器具メーカー社長であった故黒井哲夫が、海外で駅のホームやカフェで気軽に愉しめるワインの旨さに驚き、そのワインを日本へ持ち帰りました。しかし、海外で味わったワインも日本で味わうと何かが違う…。何度試しても同じ結果。そこには臭い、言葉、気候、調味料などによって自然に形成された食文化こそが重要であることに気づきました。 
そこで今まで勤めてきた会社を辞め、私財をなげうって自ら日本、京都の食文化に合うワイン造りを目指しました。

熱い想いの同士が集まった

ワイナリーは京都市の北西約50Km位置し、丹波で生食用葡萄農家経営者であった 山崎高明のと黒井哲夫2人が中心となって設立。醸造技術者として、当時山梨の洋酒工場に勤務していた大川勝彦が参加しました。当初は丹波の山崎が経営する葡萄園から産する生食用葡萄(デラウェア、マスカットベイリーA等)を使ってワイン仕込みを行いました。山崎の長男である山崎高宏が、3年間ドイツのガイゼンハイムH・ベッカー博士のもとへ留学し、それとともに年を追ってヴィティス・ヴィニフェラ種と呼ばれるワイン醸造用の葡萄の栽培を丹波の自園で手がけるようになりました。

http://www.tambawine.co.jp/history.html 




平成23年10月 京都・京都西政経文化会合同例会
参議院議員 福山 哲郎氏 時事報告
衆議院議員 北神 圭朗氏 時事報告
テーマ:「ワインについて」
講 師:大川 勝彦
丹波ワイン株式会社 顧問

 陳さん。


2011年03月10日
丹波篠山

丹波ワイン(TAMBA WINE)は、日本人がつくったワインとしては
初めて欧州のモンデセレクションでグランプリに輝いたワインである。
しかもそこから6年連続のグランプリという快挙であった。
某都市銀行の社内報に、5ページにわたって特集が組まれていたこともある。
つまりTAMBA WINEは国際的優良企業なのである。

京の都から北東にむけて走れば百キロに満たないこの盆地は
物なりもよく、山奥でありながら実に豊かな国柄である。
本能寺の変直前の明智光秀が、この土地をおさめて見事な
統治能力を発揮して領民から慕われていたというのは
有名な話だが、土地自体が風光明媚、地味豊饒であり、
信長からこの領地を召し上げられるのはいかにも無念であったろうと
察せられる。

丹波ワインの創業者である黒井哲夫と私は、早稲田で同期であった。
ただし彼は卒業してはいない。
大学に7年もいたのにである。
京都の黒井電機のオーナーの御曹司だった彼は、
跡取りの特権というべきであろう、
卒業しなければ食いはぐれる当方などと違って
いつはてるともない日程でよく世界中を歩きまわり
各国の大学につまみ食いのように留学していた。
無論当然ながらいずれも卒業はしていない。
途中いろんな国から戻ってくるたびに、新しい文化の香りを身に付けていたのが
可笑しかった。中でもお気に入りなのがフランスとドイツであった。

あるとき東京の私のところにやってきて、
「丹波に5万坪の土地を購入したのだが、何か効率的な利用法はないか」
などと言う。
一介の出版屋にそんな智恵が浮かぶはずもないから
当時大手建設会社の役員だった身内に相談してみたのだが、
そんな雲をつかむような話に乗ってくれるわけもない。

その後その広大な土地を、
電機会社で出た不良品を廃棄する場所にしたりしていたようだが、
そのうち、目を輝かせてやってきて
「おい! いいことを想いついたぞ。泥鰌の養殖だ!」

なるほど5万坪もあれば、泥鰌の養殖も簡単かもしれないなと
感心していた。
しばらくして東京で出会い食事をしていたのだが、
泥鰌について何も語らない。
「君、泥鰌の養殖はその後どうなったんだい」
「いや、あれはダメだ」
「ダメだって、やってみなかったのかい?」
「いや、僕も小なりとはいえ松下流経営学を学んでるから、
やらないでダメとは言わないさ。ちゃんと5万匹の泥鰌を仕入れて放したのさ」
「5万匹? 5万坪の土地に5万匹とは妙に平仄があってるな」
「5万匹の泥鰌を飼うのに5万坪は要らないさ。ほんの片隅で大丈夫だよ。
ただそのやり方が問題でね。四方に巨大な鋼鉄板を立てて密閉し
どろどろの泥水の中にドジョウの一個師団を解き放ったのさ」
「へえ、壮観だな。それで何が問題なんだい」
「君知らないだろ。泥鰌ってのはね、水系の方に向かって土の中をどこまででも潜
っていくものなんだ。鋼鉄板を少々深く埋めたからってそんなものは平気で外に出
てってしまうのさ」
「じゃあ、集団脱走されてしまったのか」
「うん。入れた翌日に見たけど一匹もいないんだ。
30キロも離れた川に向かって、土中をはるばる行進して行ったようだね。
この水の匂いを探っていく能力たるや物凄いもんだね。
あきれたね。驚いたね。じつに感服したよ。君知らなかっただろ」

あきれたのはこちらだ、と言いたかったが
笑いすぎて腹が痛くて皮肉も言えなかった。

ずいぶん経ってから、彼はここに本格的なブドウ畑と
ワイナリーを造った。
今度は泥鰌のときのようなへまはしなかったようで、
フランス仕込みの葡萄職人とソムリエを連れ帰って、雌伏すること10年、
ようやくワインらしきものが出荷できるようになったのである。
日当たりがよく、寒暖の差の激しい丹波はワイン葡萄にピッタリだったらしく
上京するときはいつも新聞紙に包んだ紅白のワインを両手に抱いて、
得意満面の笑みでやってきた。
それからほどなくこのワインは
モンデセレクションの「大衆部門」でグランプリを受けた。
その得意や思うべし、である。

ある年の早春の夕暮れどき、彼の訃報を受け取った。
享年50歳。早すぎる死であった。

「丹波篠山、山家の猿が、花のお江戸で芝居する」
世に名高いデカンショ節の
もともとの出だしの文句なんだそうである。
私はこの有名な俗謡のルーツが丹波篠山であることを
知らなかった。
黒井哲夫は晩年、酔うとこの歌をよく口ずさんだのである。
自らの夢を託した丹波の里にかぎりない愛着を抱いていたのであろう。

古今東西のあらゆる知識をその小柄な躯体に満載していた彼は
またこうした俗謡をも愛する「豊かな」男であった。
丹波ワインの事業はそのあと、奥様からご子息に受け継がれ
フランス料理だけでなく、和、中華などにもフィットするワインとして、
斯界にその名をひびかせている。


サスペンダーの独り言 矢次 敏(廣済堂あかつき 顧問)
http://www.kosaidoakatsuki.jp/blog/2011/post_48.html

 この時代の養殖用ドジョウって、外来種カラドジョウじゃねーの??


安井飛行場

安井荘次郎 やすい-そうじろう

?-1928 大正-昭和時代前期の飛行家。
京都西陣の人。大正6年大阪子供博覧会で飛行機を購入し,岐阜の各務原(かがみがはら)飛行場で独習し二等飛行士となる。12年の関東大震災では各務原-大阪間の郵便飛行をおこなった。のち京都府船井郡須知(しゅうち)町(丹波町)に飛行場をつくり後進を指導した。墜落事故により昭和3年10月30日死去。

https://kotobank.jp/word/安井荘次郎-1116404

京都・安井飛行場で、小型機が見物客に突っ込む ――死者一、負傷者八――

昭和という元号が始まったのは、西暦でいうと一九二六年十二月二十五日。その前日までは、大正十五年であった。昭和元年は、僅か七日間しかなかった計算になる。翌一九二七年は三月には、京都府北部を襲った北丹後地震(死者****人)が発生している。今から歴史を振り返ってみると、昭和という時代は“激震” からスタートしたと見ることもできよう。
 
 一九二七年(昭和二年)十一月三日、同じく京都府の船井郡須知町にある安井飛行場で、死者一名負傷者八名の航空機事故が生じている日本損害保険協会企画・編集『昭和災害史』(一九九〇年、日本損害保険協会)。『昭和災害史』には、事故の状況として、「民間飛行大会で小型機が群集の中に突入。見物客被災」と記載されている。また、日外アソシエーツ編集部編『昭和災害史事典』(一九九五年、日外アソシエーツ)を見ると、事故状況としては「曲芸飛行機墜落」と簡単な記載があるのみ。もう少し詳しいことが知りたくて大内健二『日本の航空機事故90年』(二〇〇三年、成山堂)を参照してみたが、京都の飛行機事故については、記述がない。ちなみに、『日本の航空機事故90年』によると、日本で最初の航空機事故は一九一一年(明治四十四年)、所沢飛行場から川越市街に向かったプレリオ機の麦畑への不時着事故。乗っていた徳川好敏大尉と同乗者一名は、幸いにもかすり傷ひとつ負わず無事であった。さて、京都の航空機事故について当時の新聞記事を見てみよう。 一九二七年(昭和二年)十一月四日付朝日新聞には、「飛行機突入して死傷者十数名 満員の見物人席へ 京都府下須知町の惨事」の見出しのもとに事故の状況が報道されている。以下は、その抄録である。
                            
 京都府船井郡須知町の安井飛行場が、創立五周年記念と安井航空研究所一周年記念を兼ねて冒険飛行大会を三日午前十時から同飛行場において興行した。午後四時半頃、パラシュートの演技にいり安井飛行士が操縦着陸しようとしたが、舵機が故障して機体が満員の見物客にすべりこんだ。この事故により、即死一名、危篤一名その他重軽傷者十数名をだした。所管の園部警察署では急報を受け、警察官、医師等立ち会いのもとに検視を行い、原因その他を取調中。
この新聞記事により、事故の状況はよりリアルになってくる。この時代、飛行機は未だ珍しい存在。世間では見世物のように扱われていた。『昭和災害史事典』の表記「曲芸飛行機墜落」は、当時のニュアンスを伝えている。
本稿は六〇年余続いた昭和時代の事故や災害を辿っていこうという企画。俎上に乗せる事故等は、必ずしも大きい(または重要な)ものに限らないことを、あらかじめお断りしておきたい。
 
http://blog.goo.ne.jp/tatsuouemura/e/5a53169ea45dba82df6302d79dd04090

2012年04月10日(火)
<愛国飛行場・大本教婦人会>《安井荘次郎》[丹波町誌]

[丹波町誌]
昭和60年10月15日 発行
編集 丹波町誌編さん委員会
  (株)ミマスプランニングサービス
発行 丹波町役場
   山崎高明
印刷 野崎印刷紙業株式会社
 
大正一一年 曽根に民間飛行場開設 p410

六 愛国飛行場 p414-415
昭和八年九月六日、大阪毎日新聞に左のような記事が掲載された。
亀岡の大本教関係婦人会が、約五万坪の愛国飛行場を、
綾部・亀岡附近に設け、完成後これを陸軍に献納するから、
その場所の選定をしてほしいと申し出た。
京都師団としては、丹波地方に飛行場設置を希望しているので早速、
候補地の選定に乗り出した。」
須知町では、大本教婦人会とも連絡をとり各方面の情報を集め、
京都師団へ請願書を提出した。
その要旨左の通り

「当須知町ハ、綾部・亀岡ニ接セズト雖モ其ノ中間ニアリ、
先ニ民間飛行場ノ開設セラレタル所ナリ。
大正一〇年、京都出身ノ民間飛行士
故安井荘次郎氏ノ選定要望ニヨリ、
荒地ヲ開キ無償貸与セシモノナリ、
航空研究所ノ開設、練習生ノ養成、宣伝飛行ニアタリ、
其間、八日市陸軍飛行隊ノ演習ニモ使用セラレタリ。
ソノ位置ハ須知町曽根、院内ニアリ、旧山陰道ニ沿ヒ、
三〇万坪の一大高原盆地ニシテ、
其中央ニ三万坪ヲ拓キ飛行場ニアテシモノナリ。
安井氏ハ先年、御大典記念飛行ニ参加シ、当町ヘ帰路、
機体ニ故障ヲ生ジ墜落横死ヲ遂ゲラレ、
飛行場ハ閉鎖サレテ今日ニイタレリ。
今回、愛国飛行場献納ノ美挙ヲ聞キ、
献納者ト協議ノ上、充分ニ御便宜ヲ計ルベク、
過去、現在ノ事情ヲ述ベテ、御高配ヲ願フモノナリ。
須知町長 田端長久郎
京都第一六師団長閣下」

このことについては、町会にもはかり、一部用地買収も進めたが、
色々と経過があって、遂に愛国飛行場の実現を見ることはなかった。
わが国が中国と戦争を始めた昭和一二年の秋、
再び飛行場設置の話がもちあがった。
鈴木陸軍中将・塩原民二らが代表する大日本航空義会は、
陸軍飛行場設置を計画しており、
須知町は国会の斡旋により、陸軍飛行場用地として
曽根の安井飛行場跡地を陸軍省へ献納することにした。
須知町議会記録に

町有地ヲ陸軍飛行場用地ニ寄附ノ件
本町字曽根地内ノ町有地参万坪ヲ、
同地ニ陸軍飛行場設置ヲ条件トシテ無償寄附セントス
昭和十三年九月八日
須知町長 高谷安平

とあり、この議案は、飛行場設置の場合は
附近の土地(蒲生野競馬場跡地附近)も
無償貸与することを了解のもとに議決された。
しかし、この議案もまた実現するに至らなかったのである。

img20120410132526259
元安井飛行場(曽根院内幸野) 

http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/275/

・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/大本事件



黒井 衛

黒井 衛(くろい・まもる)
96年(平8)同志社大商卒
同年平和堂入社。
00年丹波ワイン入社、
03年専務。
滋賀県出身、32歳。
黒井多美子社長は相談役に
交代理由=若返り。衛は創業者の故哲夫と前社長の多美子の長男
就任日=2004年5月25日
酒類製造
http://www.sanbou.net/retsuden/new_president2/kako/1359.html

 同志社ワインw



 こんだけやらかしたら、もう廃業じゃねーの?w



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