ここから本文です

「怒りを自ら作り出す人」の残念な思考回路

東洋経済オンライン 3/8(水) 8:00配信

「事実と妄想は違う」

 つまり、過去も、判断も、ひとごとも、心の状態としてみるなら「妄想」です。これにとらわれると、暗い怒りが募っていきます。

 「小さなことに腹が立つ」「なぜかいつもイライラしている」「最近楽しくない」と悩んでいる人は、大勢います。

 こうした怒りの根っこにあるのは、妄想なのです。

 <対策>

 妄想への対策は、仏教の世界にはたくさんあります。今回は、なかでも決定的に大事な心掛けを、ひとつ紹介しましょう。それは、

 「事実と妄想は違う」

 という理解です。これはシンプルですが、革命的な力をもった理解です。

 事実とは、妄想の外にあるもの。いわば、脳の外・自分の外に客観的にあるものです。

 今目の前にあるもの――その相手や、家族や同僚や、モノや、職場は、自分の妄想以外のところに存在している事実です。

 これに対して、頭の中で、言葉で考え、映像で見るものは、妄想です。

 この妄想が消えると、どうなるでしょうか?  すると、妄想が作り出す怒りも、消えてしまいます。

 たとえば、人間関係で考えてみます。相手がこちらに視線を向けてきた、イヤミを言ってきた、非難・中傷をぶつけてきた、としましょう。

 ここで反応すると、瞬時に妄想にのまれます。つまり記憶に刻んで、思い出して、相手を裁いて、攻撃して、という精神状態に陥ります。これが、妄想が作り出す怒りです。

 では「事実確認にとどめて、決して妄想しない」という態度なら、どうなるでしょうか。求めないし、思い出さないし、判断もしない、としたら? 

 そのときは、「相手の言っていることは、理解できます(でも反応しません)」という態度に変わります。

 もちろんなかなか難しいことです。でも、妄想さえ捨ててしまったら、多くの怒りは消えてなくなります。そのことは、理解してもらえるのではないでしょうか。

■ブッダは妄想ではなく理解で返した

 興味深い例として、『原始仏典』という古い仏教書のエピソードを紹介しましょう。

 ある日ブッダは、嫉妬に駆られたバラモンに、さんざん悪口をぶつけられるという災難に遭遇しました。周りの人は青ざめたり、激高したりと、騒然となりました。

 でも、このときブッダが返したのは、意外な言葉でした。

 「あなたがふるまったごちそうを客人が食べなかったら、その食事は、あなたのものになるだろう」と語り、こう続けたのです。

 「私は、あなたが差し出す食事(つまり怒りの言葉)を受け取らない。だからそのまま持って帰るがよい」

3/4ページ

最終更新:3/8(水) 8:00

東洋経済オンライン

本文はここまでです このページの先頭へ

お得情報

その他のキャンペーン