行動経済学ーあなたは不正をしますかー
こんにちは。えびです。
今回の記事は、僕が行動経済学の本を読んでいて面白いな、と思った逸話を紹介するという、コラムチックな投稿です。
話を読んでいただくとわかるのですが、僕たちの身の回りにはよくよく考えると、僕たちが意識をしている使われ方と異なる使われ方で効果を発揮しているものが多くあります。
こうした視点を持って物事を考えることは、もしかしたら…キャッチ―なフレーズを思いついたり秀逸なマーケティング技法を編み出すのに一役買ってくれるかもしれません。
行動経済学と不正
まず初めに、タイトルを見て少し気になった人もいるかもしれません。
「経済学と不正って関係あるの?」
これに対する僕自身の答えは、”大いにある”です。
経済学を専攻していて気づいたのですが、経済学と意思決定論はすごく密接に結びついています。
なぜなら、
「国家・個人ともに最大幸福を達成するためにはどうするべきか。」
という点をメインテーマとして扱うことも経済学の一部として存在するからです。
それに輪をかけて心理学的要素も取り入れたものが、行動経済学です。
そして、僕たちの意思決定の内には、”不正をするか・しないか”という問題が日常茶飯事で含まれてきます。
「いやいや、そんな日常的に不正やずるなんかしないよ!!」
と思った人がいるかもしれません。
そんな人は嘘つきです!(笑)
不正やずる
というと、何が頭に浮かぶでしょうか。
例えば学生の場合、期末テストでのカンニングやレポート課題の剽窃なんかが浮かぶかもしれません。
あるいは、スポーツ選手の場合であれば、ホームゲームでの誤審やドーピング、シュミ―レーションなど色々浮かぶかも……
他にもビジネスに携わっている人であれば、インサイダー取引、粉飾決算などが頭によぎることもあるでしょう。
確かに、こういったニュースになるような不正やずるが、個人に日常茶飯事的に起こることはありません。
でも、もう少し柔らかく考えてみると、小さな事象にもずるはあります。
例えば、紙屑のごみをペットボトルのごみ箱に捨てたり、寝坊で遅刻したのに電車が遅延していたと説明したり、かっこよく思われたくて嘘をついたり……
これらも一種の不正やずると言えます。
そう考えると、先ほど僕が述べた”日常の中に不正やずるがたくさんある”ということもイメージしやすいと思います。
ここまで説明すれば、今回のテーマである「行動経済学と不正」の間には密な関係があることも理解していただけると、信じています!
ちょっと前置きが長くなってしまったのですが、上記に並べたことをテーマとして研究している行動経済学の教授がいます。
デューク大学の教授であるダン・アリエリー (Dan Ariely) という人です。
2014年にイグノーベル賞を受賞したことで、有名になったので名前を耳にしたことがある人もいるかもしれません。
僕が、読んだ本というのもこのダン・アリエリー教授が著者である
『ずるー嘘とごまかしの行動経済学ー』(THE [Honest] TRUTH ABOUT DISHONESTY – How We Lie To Everyone, Especially Ourselves -)
という本です。
この本の中で一つの教訓として紹介されている小話を引用して紹介したいと思います。
錠前屋の教訓
いきなりですが、質問です。
読者の皆さんは、何のために鍵を使っていますか?
おそらく、全員が「大事なものを守るため」と答えるでしょう。
では、”誰から”その大事なものを守っているのでしょうか?
今回の話は、これがテーマとして語られています。
今胸に思い浮かべた人物を頭の片隅に置いておいて、話を読んでください。
ある日、家にカギを置いたまま閉め出されてしまったピーターは、慌てて錠前屋を探し回った。市に認定された業者を探すのに手間どったが、最後には錠前屋がトラックでやって来て、ものの一分ほどでカギを開けてくれた。
「あんなにすばやく簡単にカギを開けるのを見て、驚きましたよ」とピーターは言った。そして彼は、その日錠前屋から学んだという、道徳についてのちょっとした教訓を教えてくれた。
錠前屋は驚いているピーターに、ドアのカギは、正直な人を正直なままでいさせることしかできないのだと諭したそうだ。「一%の人はいつも正直で、けっして盗みなどしない」と錠前屋は言った。「もう一%はいつも不正直で、よその家のカギをこじ開けてテレビを盗むことばかり考えてる。そして残りの人たちは、条件が整っている間は正直だーしかしある程度誘惑を感じると、やはり不正直になる。カギは、家を泥棒から守るためにあるんじゃない。泥棒は本当に入りたけりゃ入るもんだ。カギのないドアを試してみたくなる、おおかた正直な人たちから家を守るために、カギというものはあるのさ」
鍵は僕たちが正直であるためにある
錠前屋が言った通り、僕たちが想像する極悪人の前で、鍵はおそらく無力でしょう。
極悪人や泥棒は鍵がかかっていても、どうにかして入ってきてしまうはずです。
では、鍵は何のためにあるのか?
それは、錠前屋がいったように、僕たちが正直、つまり不正やずるをしたくならないために一種の戒めとしてあると考えられるのではないでしょうか。
鍵がかかっていない超豪邸があれば、入りたくなる気持ちになるでしょう。そんな気を起こさせないために、鍵や門、監視カメラといったものがあります。
もう一つこの教訓から、大事なことを再認識することができます。
僕たちは、ちょっとしたことで正直で誠実な人間ではいられなくなるかもしれない
ということです。
このことに気を付けて、道徳心を持って生活していきたいものです。
また、以上の知識は自分がルールを作ったり、不正を防ぎたい時にも役立つと思うので、有益に使ってほしいです。
文責:えび
参考文献
ダン・アリエリー(Dan Ariely)(2014)『ずるー嘘とごまかしの行動経済学ー』(櫻井裕子訳)早川書房(原 著は2012)