はっけんの水曜日
2017年3月8日
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15年でこの進化
石の上にも三年とか、雨垂れ石を穿つみたいなことわざはよく知っている。知っているけれど、実際にこういうことなんだよっていう例はあんまり見たことが無い。
最初はバカにされつつも、地道に続けて行くうちに、いつのまにか誰にもまねできないような高みにのぼってしまったことなんて、この世にあるのだろうか。 青森県にありました。 > 個人サイト 新ニホンケミカル TwitterID:tokyo26 田舎館村の田んぼアート青森の、とくに津軽の人はでかいものが好きだ。木造駅の土偶や立佞武多なんかのでかさをみるとそう思うし、もちろん、田舎館村(いなかだてむら)の田んぼアートも、宇宙から見えるぐらいでかい。
田んぼアートは、ぼくも何度か記事にもしている(「青森でかいものめぐり」)が、ご存知ない方にざっくり説明すると、毎年、青森県の田舎館村が、村役場の裏にある田んぼに、色付きの稲を、ひとつの絵になるように植えて田んぼに巨大な絵を描くというイベントである。
2011年の田んぼアート
先日、田舎館村の村役場を訪問する機会があり、田んぼアートの話をうかがうことができた。
田舎館村役場。天守閣みたいなのは田んぼアート観賞用の展望台
田舎館村の浅利高年さん
取材に応じてくださったのは、田んぼアート担当の浅利高年さん。
もともと米のPRのためだったいまや津軽地方を代表するほどの観光地となった感のある田んぼアートだが、もともとなんのために行われるようになったのか?
「もともとは、お米のPRだったんです」
――PRですか。 「そうです、つがるおとめという品種がありまして、そのPRに、田植えや稲刈りの体験イベントをやってたんですが、そのさいに、ただ植えるだけじゃ面白くないので、ちょうど稲の品種も三種類、色も三種類あるし、簡単な絵をかけば面白いんじゃないかと考えついた職員がいまして、実行してみたんです」 その時の、田んぼアートがこちらだ。 1993〜2001年の田んぼアート。すべてはこれからはじまった
上の写真は1993年から2001年までの田んぼアートだ。そして昨年、2016年の田んぼアートはこちら。
2016年の田んぼアート、全く別物だ!
1993年の簡素すぎる岩木山にくらべて2016年の真田丸の美麗さがすごい。大阪城の細かさや真田昌幸の表情など、そのクオリティに天と地の差がありすぎるのがわかる。
見てくださいこの細かさ
――昔と見比べると、今の田んぼアートめちゃくちゃすごいですね。これはどうやって作ってるんですか?
「まず、元になる絵のデザインをお願いしているのは、山本さんという村内在住で県立養護学校の美術の先生にお願いしてます。山本先生はコンピューター上で絵を作成してくださってます、こういう感じですね」 2013年の元のデータ
――これ、絵が歪んでるのは展望台の位置から眺めるときれいに見えるように計算されてるんですね。
たしかに目線を下げると、ちゃんとみえる!
で、こうなる
「山本先生の絵を、今度は村内に在住の元測量会社にお勤めの方に渡して、座標点を計算してもらいます。絵の作成に2週間、座標点の計算に2週間ぐらいですかね」
――もうこれは、プロジェクトとして工程管理が必要な感じですね。 「山本先生は学校の先生ですので、年度末などが忙しくて、絵ができるのが、ゴールデンウィーク前後になるんです。そこから座標の計算、測量という感じですすめます」 ――測量……完全に土木工事ですね。 「計算した座標に基づいて測量して、苗を植えるための目印の茅の杭を差し込んでいくんです、これが設計図ですね」 設計図
――この設計図に沿って、杭を打っていく?
「はい、役場の職員が1週間ほどかけて杭を打っていきます」 ――これ総出でですか? 「半分……30人ぐらいの職員に手伝ってもらって1週間ほどですね。だから、外から連絡があっても、担当者がいま田んぼに行ってていないとか、そういうこともたまにありますよ」 ――宮沢賢治みたいですね「下ノ畑ニ居リマス」っていう……。 まずは測量
苗を植える場所の目印にする茅の杭を差し込んでいく
うっすら絵が見える
杭に色の目印をつける
――1週間で杭を打ち終わったら、今度は田植え?
「そうです、毎年5月末から6月の最初の日曜日に田植えイベントをやるんです、ただ、イベント前日に、農家のご婦人方に細かいところの田植えは事前にやっていただきます、プロの手植えです」 ――苗は等間隔に植えていくんですか? 「ご婦人方がおっしゃるには、これはぬり絵と同じで、色の境目のところは密度を濃く植えると見栄えがよいらしいですね」 ――植え方ひとつとってもノウハウがあるのか。 プロによる手植え
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