2013-08-12 白川静VS藤堂明保:漢字の語源を巡って
■白川静VS藤堂明保:漢字の語源を巡って

私は漢字の語源を知るのが好きで、その種の本を読んだり、通信教育で学習したこともあります。その中で、極めて読みにくく、途中で読むのを止めた本が白川静さんの著作でした。一方、めちゃめちゃ面白く読み終わったのが藤堂明保さんの「女へんの漢字」でした。私のなかで極めて評価が変わったという珍しい対比です。そして、この両者は漢字の語源について、お互いの業績を完全否定しあっています。これは何故なのでしょうか?
1910年4月9日 - 2006年10月30日)は、日本の漢文学者・古代漢字学で著名な東洋学者。学位は文学博士(京都大学)。立命館大学名誉教授、名誉館友。福井県福井市生まれ。
1962年、博士論文「興の研究」で、文学博士号を取得(京都大学)。古代漢字研究の第一人者として知られ、字書三部作『字統』(1984年、各.平凡社)、『字訓』(1987年)、『字通』(1996年)は、白川のライフワークの成果である。
白川は、甲骨文字や金文といった草創期の漢字の成り立ちに於いて宗教的、呪術的なものが背景にあったと主張したが、実証が難しいこれらの要素をそのまま学説とすることは、吉川幸次郎、藤堂明保を筆頭とする当時の主流の中国学者からは批判され、それを受け継いでいる阿辻哲次も批判的見解を取っている。
しかし、白川によって先鞭がつけられた殷周代社会の呪術的要素の究明は、平勢隆郎ら古代中国史における呪術性を重視する研究者たちに引き継がれ、発展を遂げた。万葉集などの日本古代歌謡の呪術的背景に関しても優れた論考がある。
問題は、漢字の成り立ちに宗教的要素、呪術的要素を重視する点にあったのですね。
一方、対する藤堂明保さんの略歴は同じくwikiから
1915年9月20日 - 1985年2月26日)は、日本の中国語学者、中国文学者。
専門は音韻学で、1962年「上古漢語の単語家族の研究」で東京大学から文学博士号を授与される。漢字の意味(語源)の遡及において、字形の異同から共通する意義素を抽出しようとする伝統的な文字学の手法ではなく、字音の異同を重視し、字形が異なっていても字音が同じであれば何らかの意義の共通性があると考える「単語家族説」を提唱した。
1970年に刊行された白川静の『漢字』を全否定し、白川の反論を受けている。日本の漢字改革についても発言したが、「単語家族説」の発想に基づいて、発音と意味の一部を同じくする漢字を統合することにより、字数を削減できると主張した。また、独自の観点に基づく『学研漢和大字典』を編纂し、漢文学の知識をよりわかりやすい形で提供する新しい漢和字典の嚆矢となった。
このように並べてみると、同じ漢字学者とは思えないほど、二人の立場が違います。彼らのお互いに対する否定的言辞を挙げますと、
いちいちの字について、このような推測をもちこまれたのでは、たまったものではない。
一つ一つ神様や家廟や、さては呪術にかこつけねば気がすまぬという、強引なあやりかたが全書にわたって現れる。それは主観的であり、個々ばらばらであって、そこには語学で用いるような方法論がない。
これが、藤堂による白川漢字学評。漢字の成り立ちに、いちいち呪術的な解釈を持ち込むことの不可を説いています。
これに対し、白川は、同年9月号の「文学」で反論を書く。高島によると、白川は、藤堂が漢字を「音をあらわすだけの記号」としかとらえていない点を批判の中心に据えた。
「漢字がことばの音をしるすだけなら、なぜこれほどの多数の漢字があるのか。単音節語である中国語はもともと百数十の音を持つにすぎず、文字もその数で十分であるはずではないか」(白川)
http://blogs.yahoo.co.jp/soko821/25703327.html (風船子・迷思記より)
今日のひと言:「告」という漢字一文字でも、「牛」と「口」にそれぞれ呪術的要素を付与して解釈されれば、理解できないこともあり、その点が不満だったので白川静さんの著作から私は離れたのだと思います。二度と手にすることはないでしょう。また、白川流の解釈はかなり恣意的であるように思います。この論争、私は藤堂明保さんに軍配を上げます。私も「単語家族説」にあたる事例を経験していますので。
そして、両者の不仲は、片や「京大閥」、片や「東大閥」の軋轢だったのか、とも思えるのです。(ただ阿辻哲次さんは京大卒ですが)
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@肉のエゴマ巻き
切る前
切った後
巻いたとき
エゴマはシソによく似た草で、英語ではどちらも「peril」と言いますが、シソよりも風味がまろやかなため、肉を巻いて食べるのに向いています。この食べ方は韓国由来で、主に牛肉のカルビなどを巻くのに使われますが、わが家ではいろいろな肉を巻くのに使います。また、エゴマの種は山間部では得難い「青魚」のDHA,EPAなどに化ける油脂成分(ω3脂肪酸?)を含むので貴重な作物でした。韓国人は、エゴマの葉をコチュジャンなどを挟み、何枚も保存するのが好きなようです。
(2013.08.11)
@この植物はなんでしょう?
きわめて小さな植物で、その花は白を基調、花の根本はちょっと青く、蕊のあたりがオレンジ色です。
(2013.08.10)
今日の一句
我が犬は
健啖なりき
蝉を喰う
午後の散歩に行く前、行動エリアに蝉が羽根だけ散乱していました。なんたる健啖さ加減。もっとも、私は蝉の幼虫をから揚げにして食べたことがあるので(エビのような味わい)、犬を笑えませんが。
(2013.08.12)
両者の不仲、素人の私にはわからない世界です。
花の名前は何でしょう。オオイヌノフグリに似ている気もするけど、季節はあちらは春ですね。
そのときにも思ったことなのですが、双方を否定するあまり両極端に向かっている気がします。
学問の世界ではありがちなことのようでもあります。
ときには数十年以上の冷却期間を経て、後世人が再構築することもあるのでしょうね。
花の印象しか無く、葉の形状などは記憶にない体たらくですが・・・・
http://d.hatena.ne.jp/Tpong/20070504
漢字の語源に限らず、「その道の専門家同志」は不仲なことが多いようです。素人にも解りやすい論争をしてもらいたいですね。
白川さんも藤堂さんも、記述していることには一理あると思います。それがお互いの業績を全否定しあう、というのも大変なことです。
植物は、オオイヌノフグリとは違うようです。推測、ありがとうございます。
仰る通り、白川静さんと藤堂明保さんは、「不毛な論争」を行い、極端に走ってしまったのでしょう。
白川さんの節は、葬り去られることなく、死後10年くらいでも盛んに読まれているようなので、その意味では彼の勝ちです。(それでも読みにくいので私は読むまいと思っていますが。)
ムラサキサギゴケ、形はそっくりなのですが、花自体「白」が基調なのでちょっと違うか・・・と思います。サジェスチョン、ありがとうございました。
それなら、と「シロサギゴケ」で検索してみたら、これでいいようです。
どちらの考えに固執するのもいいかもしれませんが、二つの違う考え方があるのでしたら、どちらも、相手側の立場に立って考察する必要があるのかもしれません。
そもそも、漢字とか文字は一朝一夕に発明されたものではないので、時代時代によって、いろいろな意義があったのかもしれません。学閥で、意見を分つのは残念話しだと思います。
漢字は色々な面で面白みがあると思います。
おっしゃる通り、白川さんも藤堂さんも自説に固執していたようですね。たしかに甲骨文とか金文に使われる漢字は「呪術的」要素が強かったので、白川さんの説は成り立つようですが、藤堂さんの指摘のように「すべての漢字を呪術に関連つけるのは異常である」という意見もあって当然ですよね。また、藤堂漢字学の「音節が共通な漢字は同族」と言い切るのは白川氏の言うように「それでは漢字はあんなに要らない」という逆批判に遭遇するでしょうね。
漢字、文字が一朝一夕に発明されたものでない以上は、学閥で裁断するのは不可でしょうね。視野が狭くなりすぎます。
白川さんとの間に激しい漢字を巡る論争があったのは知りませんでした。
私も説教の際は、よく漢字とその語源について触れる機会が多いですが、まだ白川さんの三部作に触れた事はありません。暑い中図書館に行ってじっくり調べるという手もありますね(笑)。
そのようですね、藤堂さんは全共闘を支持して、こと破れたあとは潔く東大教授の地位を投げ捨てた信念の人でした。
説話に漢字の語源を、というのは洒落ていますね。
本ブログで触れたように、白川さんの漢字研究は「呪術性を重視する」という立場ですので、字統、字訓、字通の三部作、読みにくいとも思えます。
なるほど、白川漢字学は甲骨文字とか金文とかの呪術的な解釈を行うのですから、ある種の中国人には受けるだろうと推測されますね。
そして藤堂さんらの批評・・・証明できない、ということを突いたことに収斂するのでしょうね。
エゴマの葉のキムチをかなり前に買って食べたことが有りました。細かい味は覚えていないのですが美味しかった印象が有ります。
異体の例として、「暴」などがあります。辞書によっては「米を日に晒して(腐るのを防ぐこと)」ともあれば、「皮を日に晒して(腐るのを防ぐこと)」というのもあります。実用上はたいして違いはないのですが。
日本人はシソの強い風味を好み、韓国人は穏やかなエゴマが好きなのですね。これも文化の違いか・・・
子供たちが小さい頃はアトピーの軽減のために、なるべく多くの食材をと思ってエゴマ油等もあちこち探して買いましたが、最近はどこでも葉っぱや油を見かけるようになりましたね。
蝉の幼虫はおいしかったですか(*^_^*)?
お帰りなさい。さぞや楽しかったと推測します。
おっしゃられるように、全ての漢字の語源を説明する妙手としては、白川さんの説も藤堂さんの説も力不足なのかもしれませんね。多様な漢字、それぞれに独自の語源があり、その辺を認めあえば、この両者、「不倶戴天」の敵にならなかったかも知れません。
エゴマ油ですが、一時期韓国食材店で入手できたのですが、最近は寄らないため、ここ数年、見たことがなく、種を取り寄せて栽培し、葉っぱを食べているのです。
エビと蝉は同じ節足動物、味は上々でした。^o^
そのシソに姿形はそっくりで、よりマイルドな食感を持つのがエゴマです。日本では山間部の「青魚」が入手しがたい地域で、エゴマ(イグサ)を栽培し、種を摺って和え物にして、不足しがちなω3脂肪酸を補給するのに役立っていた草です。まあ、日本人にはシソのほうが馴染み深いですね。
漢字の語源、興味深いですね。^±^
表形文字や表音文字が多いですよね。
またへんやつくりは、それに関連すると考えると、漢字がわかりやすくなりますね。
難しい漢字でも、書けるようになりますね。^±^
たとえば葡萄や薔薇は、くさかんむりであったり、檸檬がきへんであったり・・・。
漢字の魅力には、尽きせぬものがありますよね。
「女」という漢字は「座って両手を交差させている状態を示す」そして「女性の柔軟さを示す」というような語源だったと覚えています(女へんの漢字)
私の場合、中国文明の全てに関心があるのではなく、老子・易経などに出てくる漢字・・・たとえば老子なら「兵」「争」、易経なら「蠱」などの漢字に大変興味がありますが、(後、敢えて言えば「史記」、ただ原文は読んだことがありませんが)漢字一般の勉強に進むことは自分でも想定していません。
そんな訳で「研究を始める」のは、とても、とても・・・という感じです。でも、お誘いはありがとうございました。
逆に堂々氏の、半ば強引な結論は、まさに自論としか捉えようのないエゴイズム、権威主義とさえ感じるところが散在するように観察される。と、私は思う。
白川静さんの漢字論がしっくりくるということですか。私の場合、白川さんが「ほぼ呪術のみ」で漢字の語源とする本を読んで、放り投げたことがあります。私は白川静さんを評価できないです。その点、白川氏と敵対した藤堂さんの論を押すのです。たとえば単語家族説なら、「比」「牝」「秘」など、意味の似た言葉が同じ「ヒ、ピ」と発音されるといった説など。