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法華経の智慧・神力品より

 投稿者:臥子龍メール  投稿日:2017年 3月 7日(火)17時50分5秒
  「心」がどうかで全ては決まる!

斉藤 池田先生は、世界の大学からの名誉博士号(名誉教授称号を含む)だけでも六十近いわけですが、普通では考えられないことです。(=二〇〇一年二月現在、二百四)

池田 全世界の学会の同志の福徳の象徴として、受けとめてもらいたい。
私は大学に行けなかった。青春を戸田先生に捧げました。先生の事業が失敗したゆえに、私は大学へ行く予定を変更した。「先生、何も心配なさらないでください。私が働いて、全部、立派に立て直します。どうか、ご安心ください」と言いました。言った通りに、全部やりました。どん底であった創価学会を、世界の創価学会にしました。戸田先生、牧口先生を世界の偉人として宣揚しました。

戸田先生を守ることが、広宣流布を守ることであり、仏法を守ることであった。それ以外に道はなかった。自分中心ではなく、戸田先生中心に私は生き抜き、尽くしきった。「師弟の道」に私は徹しました。
先生を支えるために、喜んで進学まで断念したその「心」が今、世界の大学の名誉博士号となっていると私は信じている。因果の理法は、厳然としています。

須田 後世永遠に残る仏法証明のドラマだと思います。

池田 「心」です。徳勝童子は、砂の餅を釈尊に供養した「心」によって、アショーカ大王と生まれたのです。

遠藤 先ほど″飾らない″というお話がありましたが、「心」がどうか、本当に「人間としての力」があるかどうかですね。

池田 日蓮大聖人が社会の″最底辺″の庶民としてお生まれになった意義を、よくよく考えなければならない。
「世情に応ずる」随他意の仏法を説くのであれば、貴族とか名家に生まれたほうがよかったかもしれない。しかし「民が子」(御書一三三二ページ)として、お生まれになった。あれほどの大難が続いた理由のひとつは、大聖人が貴族の家のご出身でなかったことがあるでしょう。

遠藤 大聖人は御自身のことを「日蓮今生には貧窮下賤の者と生れ旃陀羅が家より出たり」と仰せです。

池田 逆縁の仏縁を結ぶためにも、あえて大難を受け、大難を忍ばれた。その大慈大悲を忘れて、門下生までもが大聖人を小バカにした。

「日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等」がいたのです。

(「日蓮を信じているようだった者どもが、日蓮がこのように〈流罪の身に〉なったら、疑いを起こして、法華経を捨てるだけでなく、かえって日蓮を教訓して、「自分のほうが賢い」と思う、心の曲がった人間ども」)
情けないことだ。師弟の道をなくしたら、仏法はもはやない。

斉藤 そういう増上慢の人間の末路を、こう仰せです。
「念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし」(「念仏者よりも長く阿鼻地獄に堕ちているであろうことは不憫としか言いようがない」)
これは現在も未来も変わらぬ法則です。

池田 ともあれ、凡夫だからこそ凡夫の心がわかる。庶民だからこそ庶民の心がわかる。日蓮大聖人は、あえて一番、虐げられた庶民──「旃陀羅が子」として誕生なされたのです。

この夏(一九九八年)で終戦から五十三年になる。あの沖縄戦で、こんな話があった。それは″沖縄にいた日本軍の将校や兵士の多くが、沖縄の人々への差別意識をもっていた。しかし、アイヌ出身の兵士だけは、そうではなかった″と言うのです。

斉藤 私も「日本軍は、自分たちのわからない沖縄の言葉で話している県民を、スパイ呼ばわりして殺した」とか、信じられない、ひどい話を聞いたことがあります。

池田 アイヌ民族の兵士は、違った。どうして違ったのか。それは自分たちも差別を受けていたからだと思う。
軍隊のなかでも差別され、虐待もあったようだ。だからでしょう、沖縄の人々に対して親切であったし、たくさんの住民の命を救ったと伝えられています。崇高です。

須田 すばらしい話ですね。永遠に「民衆の側に立つ」、永遠に「虐げられている人の側に立つ」──これが本当の人間性だと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
自称直弟子等は本質的に肌が合わないちか生理的に受け付けないとか言って先生をバカにしている。
決して面と向かって物も言えないくせに。
ペンの力は剣よりも強し!
声を張り上げ、叫びに叫んでいきましょう。

 

 投稿者:十円玉  投稿日:2017年 3月 7日(火)17時29分13秒
   一杯、ありますね。

http://sgi-shiteifuni.com/?p=7457
投稿者:ダメよ~ダメダメ   投稿日:2015年 8月 6日(木)17時05分51秒     通報 編集済
散々先生から気合が入っていたのは事実ですよね。

2008年10月の本部幹部会。当時の衛星録画中継は編集し当然カットされている部分です。本部にはノーカットのアーカイブが
存在しているはずですし、全国の区、圏、県、総県、方面幹部の代表の何百人の皆様が参加し見ておられます。

 冒頭、「今は、学会が貴族仏教だと云われている。難も無く、金があって。。。。。将来、ダメになります。衰亡しますよ。私は戸田先生の言うとおりにやってきた。私は自ら難を起こしてやってきた、なのに今は何だ?」と。

 「去年の1月(2007年の1月)、(秋谷は)私を追い落として財産を全部、自分のものにしようとしただろう!」(秋谷さん黙っていた)

「先生は全てお見通しで怖いと云っていただろう!」(「はい!」と秋谷さん返事)

「秋谷!」「おじぎしろ!」その後、先生の前で秋谷さん、原田会長壇上にて土下座を。

「私をバカにして。。。。」と仰り、土下座している秋谷さん、会長両名に向かって「どうだ、負けただろう!」と。

「悪い奴、悪い議員は学会から追い出せ!この1点を今日、決議したい!」

「みんなが偉くなって、私を護りなさい。それが師弟である!学会員が一番偉い。議員や金持ちよりも偉い!国宝なんだ!」と仰られ、「私が亡くなったら、選挙も無いよ」とも。
この前月の9月の本部幹部会では、「学会が崩れていくならそれは幹部(職員)と議員からだ。議員は学会を舐めてはいけない!公明党は竹入、矢野を攻めたのか!」(参加の場内の公明党議員

からは一人も反応無し。)と。

又、秋谷さんに対しては「2年間、私を先生と呼べなかった。何で尊敬出来ない。」等々


 

【再】組織擁護に書きかえてる。嵐の4.24とは全く違う新・人間革命 大山の章

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 7日(火)17時08分10秒
  Twitterより。嵐の4.24を再度読む。いまの組織擁護に書きかえてる。  投稿者:ツイート人
投稿日:2017年 3月 4日(土)21時38分31秒   通報
今回の新・人間革命 大山で、あの時の思いを書かれると思っていたが、嵐の4・24 桜の城 随筆を再度 読み起こした。

こんなにも怒りがなくなった いまの組織擁護を書き換えている。もう新聞も手紙ではなくなった。先生の指導と信心で歩かねば。
 

Twitterより。大山の章、このままでは真実がぼやけてしまいます。54年問題を知らない人が多いのです。今後は、獅子身中の虫を出さない為にも。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 7日(火)17時05分24秒
  宗門との間で暗躍した内部の反逆者の事をもっと書いて頂きたいですね。

このままでは、真実がぼやけてしまいます。

後世に大切なのは獅子身中の虫、城者の城を破る悪人を出さないことだと思います。
読み手が54年問題を知らない人が多いのです。

幹部も。
 

同じ

 投稿者:信濃小僧  投稿日:2017年 3月 7日(火)15時44分14秒
  ルネッサンスさんのいう通り

やることなすこと国家権力と同じです

こちらの皆さんはご承知のように

世間より先に共謀罪も既に会内で実行されている、だから公明党も反対しない

共謀罪賛成は本部の意向

日蓮大聖人も初代会長、2代会長、そして3代会長もお嘆きになっていることでしょう
 

権力者

 投稿者:ルネッサンス  投稿日:2017年 3月 7日(火)13時36分46秒
  先日、自民党が総裁任期を3期9年に延長を決定したのと、2015年に会長の任期を延長したことに
権力者として、権勢を振るいたい意図が同じように感じてしまいます。
 

人生の座標から~

 投稿者:うーこメール  投稿日:2017年 3月 7日(火)13時05分24秒
  結びつきを断たれたならば、人間の魂は、孤独地獄の闇の中をあてどもなくさまよっていく以外にない。精神医学の言葉でいえばコミュニケーション不全というのでしょうが、この問題は、総じて人間関係が希薄化しつつある現代という時代がはらむ病理ともいえます。  

本日の政教珍聞で~す、付録

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 3月 7日(火)13時00分14秒
  1982年、3月22日、関西青年平和文化祭。

>今から十七年前(1982年ー昭和57年)の、忘れ得ぬ三月二十二日のことである。
 その日、大阪の長居陸上競技場を舞台に、歴史的な第一回の関西青年平和文化祭が開催されたのであった。
 午後一時二十九分。関西発足三十周年を記念する大祭典は、新入会の青年たちによる行進で幕を開けた。
 各部の友が、息もつがせぬ名演技を繰り広げていったあと、二時四十八分、精悍なる四千の若人が躍り出た。男子部の組み体操である。
 八基の五段円塔も”八葉蓮華”のごとく見事に花開いた。そして、フィールドの中央に、もう一つ、新たな青年のスクラムが組まれ始めた。
 会場のすべての目が、そこに注がれた。いや、全関西の同志が、その”庶民の勝鬨の塔”の成功を祈り、見つめていた。
 「六段円塔」である。
 一段目六十人が、しっかりと肩を組んだ。その土台の上に、二段目二十人、三段目十人、四段目五人、五段目三人、そして最上段に立つ一人が乗った。
 ゆっくりと、二段目が立ち上がり始めた・・・

 蓮祖の御請訓通りに、わが学会に対して、この数年来、激しい批判と中傷の風が吹いていた。
 事実でもなく、真実でもない。悪趣味と陰険な凶器の言論の波である。
 それらの三類の強敵に対しても、わが関西は微動だにしなかった。特に、婦人部、女子部の方々は、柔和な天使の笑顔で、学会活動にいそしんでいた。
 関西の友は、卑劣な悪口罵詈の暴力に裂かれても、刺されても、ちぎられても、厳然たる、また勇敢なる行動と雄叫びを忘れなかった。<
(随筆、桜の城、見よ!創価の誇りここにあり より引用)


当時の背景が描かれない政教珍聞、新・人間革命に代わって、当時の状況を紹介しま~す(笑)
 

新 あの日ある時

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 3月 7日(火)12時29分10秒
  【第7回】池田先生と横浜市
2009-8-4

世界一の「勝利の港」に

開港150年

神奈川県の横浜は本年6月2日、150周年の開港記念日を迎えた。わずか100軒ほ
どの半農半漁の村が、大きく世界に開かれたのは、1859年(安政6年)だった。
江戸幕府がイギリスと修好通商条約を交わした時、英国側の特命全権大使は、第
8代エルギン卿だった。そのエルギン卿の直系の子孫が、チャールズ・ブルース
である。ブルースは、グラスゴー大学名誉教授のマンローと交友がある。同大学

は1994年(平成6年)6月、池田大作名誉会長に名誉博士号を贈った英国の名門
である。ブルース自身、SGI(創価学会インタナショナル)に友人がいる。そ
の一人から、学会の神奈川文化会館のゆかりを聞いて驚いた。正面にある赤レン
ガの洋館(戸田平和記念館)。一帯では、関東大震災で残った唯一の英国商館(
1922年建造)だった。世界の港を結んだ英国の魂は、創価学会の中で生きていた
のか!

恩師のために

名誉会長と横浜。その絆は60年にわたる。──連合国軍総司令部(GHQ)のジ
ープが土ぼこりをあげて、鶴見市場の駅前を走り抜けていく。小さな家が並んで
いた一角に、飯島キヨの家があった。ほそぼそと鶏卵を商っていたが、車が通る
たびに屋内で鶏の羽根が激しく舞い上がる。夫は脊椎カリエス(結核菌が病巣を

作る病)を患い、寝込んだまま。学会の幹部がやってきても、鶏の糞で臭う室内
に上がりたがらない。1951年(昭和26年)の寒い日。一人の青年が訪ねてきた。
使い古したカバンを手に、長靴を履いている。「お母さん、お題目をあげましょ
う」。礼儀正しく長靴をぬぐと、仏間で一緒に題目をあげてくれた。病床の夫の

枕元に座り、固く手を握る。「お父さん。まじめに信心をやり抜けば、必ず春が
来ます」池田と名乗るその青年は、毎月のように通ってきて、御書の一節を引い
てくれた。偶然、京浜急行線の踏切で出会うこともあった。「女性が持つのは大
変ですから」。魚のアラでいっぱいのバケツを、家まで運んでくれた。少しでも
栄養になればと思い、キヨが選りすぐりの生卵を割り、醤油をたらして差し出し

た。池田青年は、実に美味しそうに飲み干す。「戸田先生は、お体の調子がすぐ
れないんです。この新鮮な卵を、ぜひ毎月、購入させてもらえませんか」恩師の
ため、古新聞にくるんで、大切に持ち帰った。横浜の下町、南区吉野町。入り口
に「日本橋」と書かれた小さな商店街のアーチが掛かっている。その下に学会員
の営む下駄屋があった。この界隈に数世帯しか学会員はいないが、池田青年は、
こまめに通ってくれた。ある時は、やかんや鍋を持っている。理由を聞くと、恩

師の事業を支えるため、金物まで売り歩いているという。ひと仕事を終えるとア
ーチ近くの銭湯「大和湯」で汗を流した。食事は近くのうどん屋で、手早くすま
せているようだ。下駄屋の主人は感心した。ここまで身を粉にして師匠に尽くす
のか!この青年なら信頼できる。思い切って商売の悩みも相談した。いかに下駄
の売り上げを安定させるか。できれば芸者衆など大口の顧客をつかみたい。「ち

がう、ちがう。同じ花街の人でも、下働きの人に買ってもらうんです。口から口
へ評判が広がるじゃないですか。一番安い下駄を買いに来るお客さんを大事にす
ることですよ」目の前がパッと開ける思いだった。日本一になれ!第3代会長を
辞任後に回数を重ねた功労者宅の訪問。1979年(昭和54年)6月22日には、横浜
の上郎《こうろう》悦子の家で当時の心情を明かしている。「立場がどうあれ、
学会の師弟の絆は永遠に変わらない。どんなことがあっても、私が会員を守る。
今度は世界が舞台なんだ」上郎の目頭が熱くなった。先生は、あの時と微塵も変わ

らない。──53年(昭和28年)春、文京支部の田中正一宅。池田支部長代理が上
郎夫婦を面接してくれた。「広宣流布のためなら、何でもやる。そう決めること
が大事だ。私も戸田先生のもとで、何でもやらせていただいた。だから今がある
んです」師弟に徹すれば、無限の力が出る。「僕は、日本一の力をつける。あな
た方は、神奈川一になりなさい」神奈川で一番!夫と顔を見合わせると、一段と

力強い声が響いた。「いや、僕は、世界一になる。あなた方は、日本一になりな
さい!」ちっぽけな悩みで汲々としていた心の壁が、一気に吹き飛んだ。保土ケ
谷の一家横浜中華街の朝陽門《ちょうようもん》をくぐった先にある喫茶店「ミ
カド」。池田名誉会長が保土ケ谷区の大川剛行《たけゆき》一家を招いたのは、
80年5月18日の午前10時半である。名誉会長のテーブルに、次男の輝男《てるお》
(5歳)が、ちょこちょこ寄ってきた。「先生、お口を見せて!」名誉会長が、

にこにこしながら、大きく口を開く。輝男の顔が、ほころんだ。彼には知的障害
があった。長男で言語障害のある周一(6歳)は、店内のインベーダーゲームに
熱中している。まだ乳児だった長女を抱き、母の茂子は、兄弟の様子をパラパラ
と見つめるしかなかった。池田名誉会長の口調は温かかった。「お母さん。子ど
もは誰でもみな福子なんだよ。たとえ、どんなことがあっでも、どんと構えるん
だよ」障害のある二人の子育ては、並大抵ではない。世間の目。学校でのいじめ。

突然、次男がてんかんで倒れ、救急車で運ばれたこともある。“どんと構えろ”。
何度も自分の胸に言い聞かせ、歯を食いしばった。あれから30年目。長男の周一
は、学校を出て焼き鳥店で修行した。焼き場で腕を磨きながら、牙城会員として
横浜池田講堂に着任する。保土ケ谷養護学校を卒業した次男の輝男は、大手食品
メーカーに就職。今では、創価班員として学会本部の担当につくまでになった。
母の腕に小さく抱かれていた長女の江里子は、保土ケ谷を朗らかに走る区女子部
長(星川太陽区)である。

旭区と「共戦」

2009年4月14日の火曜日。名誉会長は、79年5月3日に神奈川文化会館でしため
た「共戦」の大書を初めて公にした。力感のある太い墨痕が目に飛びこんくる。
その場にいたSGI理事長の大場好孝の脳裏に、一つの出来事がよみがえった。
先生が神奈川文化に!旭区の土屋トメ子は思わず立ち上がった。79年5月。そ
れまで名誉会長の動向は、誰に聞いても分からなかった。ひと目でいい。晴天の

早朝、近隣の婦人部二人とバスに飛び乗った。満員の車内でもみくちゃになりな
がら到着したのは午前10時前。会館前の大きな樹木の陰に陣取った。「先生にお
会いできるまで帰らないからね」。3人でうなずき、じっと正面玄関を見つめた。
1時間、2時間。初夏の大陽が、ぐんぐんと中天に昇る。レンガ色のタイルに照
り返す光が眩しい。3時間が経過した。土屋が汗ばんだ額に手を当て、何気なく

見上げた。あっ、7階の窓!名誉会長が、こっちに向かって右手を振っている。
左手にカメラを持っていた。先生、先生!身をよじるようにして手を振り返した。
元気だ、お元気なんだ!その3カ月後、土屋は思いがけず神奈川文化会館に招かれ
た。会館の事務局長だった大場好孝が足早に近づいてくる。茶封筒から3人分の写

真を差しだした。「先生から『この方々を探して、差し上げてください』とありま
した」六つ切りサイズの写真には、大樹の陰で、深い決意をみなぎらせた土屋たち
3人が、それぞれ写っていた。3枚とも、撮影した角度が違う。名誉会長は、一人
一人をレンズ越しに見つめ、一番いい瞬間に、シャッターを切ったのである。池田

名誉会長の「共戦」の大書。その脇書には「真実の同志あるを信じつつ合掌」と、
したためられていた。大場は深く息をのんだ。この30年間、師は、誰と共に戦って
きたのか──。わずかばかりの社会的地位、財産を鼻にかけて「いざ鎌倉」の土壇
場で逃げ去っていった者も多く見た。小揺るぎもしなかったのは、庶民である。あ
の日、神奈川文化会館の前で立ちつくしていた名もない人々ではないか。「神奈川
は、一番大事なところだ。私が会長を辞めて、真っ先に来たんだから」開港150年
の港に、いま、共戦の旗は天高く翻る。
 

マネー・チェンジズ・エヴリシング

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 3月 7日(火)12時13分46秒
  古い連中はダメだ。新しい人に期待していたのに、これか……。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/65714
http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20170306/p1
「売国土」って、笑うに笑えんなぁ……。『実現力は、聴く力』って、何、聴いとったんかなぁ。こんな奴を当選さすために「不在者いってくれ! 選挙おわったらメシおごるから!」と言って「買酷奴」をやっていた者が周りに何人かいたが、「選挙は金がかかるなぁ」という台詞を聞いて、自民党のことかと聞き逃していたが……よう聞いたら公明党やないか! なんでこないなったんやろなぁ。ホンマに好きやったのになぁ……知ってる? 入信前の俺。後で知ったんやけど、マル外とかって呼ばれとったんやで。その俺はさらにマル外を作っとったんやで。俺もその子も学会員ちゃうのにF(その言葉も知らなかった)取りに回ってて友達から不思議に思われて。学会員のところへ自分からパンフ貰いに行って、読み込んで、何を言われても説明できるように反論できるように理論武装して。
俺のF活動のやり方は義理人情頼みやないから、数は少ないかも知れへんけど、話に相手は納得してくれよるから、ほっといても勝手にまた他の友人に居酒屋とかでネタとして話してくれていたりして、後になってから、俺のFが実はマル外になってたということを知ることもあった。
選挙の時だけ公明党の話をしたわけでもなかった。居酒屋や茶ァしばいたときにでもよく話した。仕事の話が野球(あの暗黒時代にも毎年、阪神が優勝すると言っていた。あと巨人の悪口)の話に変わって、女の子の話に変わって、洋楽の話に変わって、それが仏法につながって、公明党の話に変わったら、すんなり聞いてくれて、けっこう皆(巨人ファンを除く)、公明党を好きになってくれていた。それを知るのも後になってからのことが多い。
去年の参院選の時はそんな友人に謝って回った。スマン! 公明党はイカレてもうた! 悪かった!
友達もFだからといって公明に投票していた訳やなくて、俺に対する義理なんかやなくて、自分自身が好きやから投票しとったから、アッサリと公明支持をやめよった。
お偉いさん方よ! なめたらアカンで! 民衆を!
学会の幹部や議員は「お偉いさん」になってもうたら終わりや!

“彼らは握手をして微笑む そして君に飲み物を買う 君の友達になると言う 最後の時まで君から離れないと言う”
“でもみんな自分のことしかみていないのさ”
“そして君が誰を信頼するのかとたずねれば 誰のものでもないお金だと答えるよ”
“お金が全てを変えてしまう お金が全てを変えてしまう”
“自分達が何をしているか分かってると思っている”
“そんなこと何の意味もない 今ではみんな過ぎたこと”
“お金が全てを変えてしまう”
『マネー・チェンジズ・エヴリシング』シンディ・ローパー
https://www.youtube.com/watch?v=m1wj3tqRI6Y

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
http://amzn.to/2fxRlFX
 

「大山の章」は学会黒歴史の資料になる?

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 3月 7日(火)11時33分41秒
  Hさんが紙上掲載当時の切り抜きを出して、言いました。


Hさん「これだよ」(仏間のフスマを開けると、切り抜きの壁が登場)

ひかり「すごい切り抜きですね」

Hさん「聖教新聞がワカメみたいになるほどの切り抜き魔でしたから」

ひかり「今も?」

Hさん「まさか! 読んでて奮起する記事だけだよ。選んで切り抜くんだ」

ひかり「ふむふむ」

Hさん「ほーら、これ」(「嵐の4・24」登場)

ひかり「あー、まじだー」(ざっと読むひかり)

Hさん「ね、おかしいだろ?」

ひかり「うん。 確かに」

Hさん「あのころ、これを暗記しなきゃだめだって、言った奴がいるじゃないか」

ひかり「覚えてます私も」

Hさん「だろー? 言ってたよなあ?」

ひかり「言ってました、言ってました、暗記するほど、読めって。 幹部が言ってた」

Hさん「読み合わせしたよ、うちで。 座談会でみんなで。 しなかった?」

ひかり「やったかな? あ、活動者会かなんかで 婦人部幹部がマイクで読み上げた」

Hさん「なあ? そのくらいはやったよなあ。 何だよ、この「大山」ってよ」










 

沈黙の罪

 投稿者:賢くなりたい婦人部  投稿日:2017年 3月 7日(火)11時25分55秒
  森友学園問題、聖教の社会面にも、公明にも全く載らない不思議?

都合の悪い事実には触れない?沈黙する!
これって2006年からの池田先生のスピーチを本にしようとしない心と同根?
 

自分の顚倒に気付かぬ公明党国会議員

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 3月 7日(火)11時04分44秒
  感性様の御投稿に同感です。

ここまで庶民感情から離反したツイートを、公然と発信するとはね~。

森友疑獄の地元、豊中の公明党国会議員がこんな風で、目を覆いたくなるよ。

この人は、国民の空気がわかってない。

公明党党是を読みなさいと言いたい。「大衆」って何回出てくる?

お粗末すぎる。 軽すぎる。

今の公明党って、こんな国会議員ばかりなの?

一昨年、安保採決の時、公明党議員たちが笑っていたシンジラレナイ場面に愕然とした私。

この人達、国民の税金で食べてるんだよね、こんな風でも。

アベ自民に追随&学会執行部ピロシなんかの筋書きで動いて、庶民からズレまくりだ。

もう戻れない地点に行ってしまった哀れなヤツラに、ハンカチひらひらサヨウナラしたい。

国民である会員の気持ちなんか、知ったこっちゃないってことね。

票としての「足元」しか見ていない。足元しか。




まるで他所事   投稿者:感性   投稿日:2017年 3月 7日(火)07時52分56秒   編集済


   >日記:森友学園疑獄に、地元豊中の公明党・参院議員石川ひろたか氏が火消しに躍起のご様子。
>国の土地 格安で売る 売国土を庇って大勝利とはこれいかに。
http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20170306/p1

 

これって秋谷元会長のホンネなんでは?

 投稿者:太ちゃん@平らかなるは人編  投稿日:2017年 3月 7日(火)09時57分53秒
  本日の新・人間革命より

『未来への大いなる飛翔(ひしょう)のためには、確たる構想と緻密(ちみつ)な計画が不可欠である。』

これって秋谷元会長がこの当時、虎視眈々と「組織乗っ取り」を狙ってるホンネなんでは?

http://6027.teacup.com/situation/bbs/65657
↑こういう感じにね

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、本日も「3・16」の記載がありませんデスた~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 3月 7日(火)09時36分4秒
  おはようございます。原田怪鳥様、1982年3月22日関西青年平和文化祭を祝しての「関西錦州城拡大月間」誠におめでとうございま~す(笑)

3月22日は語っても、「3・16」は語らない、おかしな「珍聞」で~す(笑)当分の間は「3・16」の記載に注意致しま~す(笑)

「拡大月間」ってナニを「拡大」するんですか~、まさか、「東京に友人・知人はいないか?」とか「東京へいくのが信心だ」なんて・・・(笑)

「3・16」は師匠もあらゆる面から語られていますが、少し引用しま~す。
>大儀式が終わって間もないある日、宗門の腐敗の兆候を感じられた先生は、厳として言われた、
「追撃の手をゆるめるな!」
 先生は、必ず宗門が「濁流」となりゆくことを、明らかに予見しておられた。この言葉は、恩師の遺言となった。<
(随筆、桜の城、「3・16」の大儀式を偲びつつ、我は師弟の誓いを果たせりより引用)

何回でも言いますが、「3・16」は師弟の絆を学ぶ、大切な佳節の日なので~す。

政教珍聞で「3・16」がいかに語られるかを楽しみにしてま~す(笑)


さて、本日の「新・人間革命」大山五十四

執筆チームの皆さ~ん、「やっと4・24が終わった~」と胸をなでおろしていませんか~(笑)

何の背景も書かず、何のエピソードも書かず、回りの人物についても何も書かない、おかしな章の構成で~す(笑)

>創価の新しい前進の歯車は、山本伸一が見守るなか、回転を開始していったのである<
(新・人間革命」大山五十四より引用)

モノも言い様で~す、「これで、宗門との軋轢も無くなるだろう」という首脳幹部の目論見も見事に外れま~す(笑)

宗門からの学会員に対する攻撃はますます激しくなり、裏では「ヤマトモ」が金をせびり出し、にっちもさっちもいかなくなる。

上っ面だけをなぞった「珍・人間革命」では「真実」は学べませ~ん(笑)

明日からも、楽しく拝見させていただきま~す(笑)
 

Twitterより。54年会長辞任後、本部には私の指揮を執るべき席はなかった、冷たい執行部だった。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 7日(火)09時15分3秒
  「学会本部には、私の指揮を執るべき席はなかったからである。
時として、小さな管理者室で執務することもあった。それほど冷たい執行部だった。」
 

まるで他所事

 投稿者:感性  投稿日:2017年 3月 7日(火)07時52分56秒
編集済
  >日記:森友学園疑獄に、地元豊中の公明党・参院議員石川ひろたか氏が火消しに躍起のご様子。
>国の土地 格安で売る 売国土を庇って大勝利とはこれいかに。
http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20170306/p1


時間稼ぎ無用!公明  投稿者:感性  投稿日:2017年 3月 6日(月)06時50分13秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/65633
時間稼ぎ無用!公明 ②  投稿者:感性  投稿日:2017年 3月 6日(月)06時57分29秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/65634
 

わが友に贈る 2017年3月7日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 3月 7日(火)07時11分27秒
  経験豊かな
副役職の友の活動が
団結と前進の力だ!
リーダーと心一つに
盤石なる組織を築け!
 

新・人間革命に未掲載になった事実

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 3月 7日(火)06時47分37秒
編集済
  新・人間革命 大山の章には、池田先生が会長辞任と共に名誉会長になった背景が書かれていません。

事実は、北条氏と総務部(執行部)全員の総意の元に行われたのです。

辞任と名誉会長就任を別に考えてはいけない。

何よりも「全総務の総意で名誉会長になっていただきました」という言葉から、不知恩で傲慢な命を感じる。

これは、弟子の発する言葉ではありません!



【54年問題(第一次宗門問題)の文証】

■聖教新聞1979-04-26掲載(昭和54年4月26日1面)「北条新会長の話」より
「また池田先生には、昨日の総務会で、全総務の総意で名誉会長になっていただきました。(拍手)」

■聖教新聞1979-04-25掲載(昭和54年4月25日)「総務会」より
さらに北条新会長は、会則の定めるところに従って、秋谷 栄之助、和泉覚、辻武寿、青木亨、山崎尚見、上田雅一、柳原延行、和田栄一、原田稔を副会長として任命した。
また、会務の執行に関する決定機関である中央会議の議長として秋谷副会長、教義研さんの機関である師範会議の議長として辻副会長、さらに中央会議員五十二人、常任中央会議員十五人の任命が発表され総務会としてもこれを了承した。
最後に北条会長は、池田前会長に名誉会長就任を要請したい旨提案し、全員一致で賛成。
これによって、創価学会は、盤石の体制と重厚な人事、そして新生の息吹をもって、二十一世紀への新たな前進を開始することとなり、記念すべき第一回臨時総務会は、午後四時、閉会した。


 

またかよ

 投稿者:太ちゃん@平らかなるは人編  投稿日:2017年 3月 7日(火)06時24分24秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/65699

↑「編集済」とあり、信濃町の人びととハンネになってますが、信濃町の人びとさんがこういうコメントをすることになんの意味もないことです。

この掲示板はメインのこの板の他に、こういうサブ板もありますね。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/t3/l50
アラシ行為記録 投稿者:管理人

管理人さんによる記録をみればわかるように、これまでにも同様な行為があったことがわかるものです。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

池田先生の女性に贈ることば365日より

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 3月 7日(火)04時07分53秒
  三月七日

強くあれ!

強くあれ!

希望は 未来の勝利の旭日

幸福は 自分自身の権利なり
 

桜の城 嵐の「4・24」 5/5

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 3月 7日(火)03時24分25秒
  桜の城 嵐の「4・24」5/5

やがて、暗き四月二十四日を迎えた。火曜日であった。
全国の代表幹部が、元気に、新宿文化会館に集って来た。

しかし、”七つの鐘”を打ち鳴らし、新たな出発となるべき、意義ある会合は、
私の「会長勇退」と、新会長の誕生の発表の場となってしまったのである。
大半の幹部にとって、まったく寝耳に水の衝撃であった。

私は途中から会場に入った。
「先生、辞めないでください!」「先生、また会長になってください!」
「多くの同志が、先生をお待ちしております!」などの声があがった。

皆、不安な顔であった。
「あんなに暗く、希望のない会合はなかった」と、当時の参加者は、皆、後に、
怒り狂っていた。

私は、厳然として言った。
「私は何も変わらない。恐れるな!

私は戸田先生の直弟子である!正義は必ず勝つ!」
と。
あまりにも 悔しき この日を 忘れまじ
             夕闇せまりて 一人歩むを

これは、四月二十四日に記された日記帳の一首である。

わが家に帰り、妻に、会長を辞めたことを伝えると、妻は、何も聞かずに「あ
あ、そうですか……。
ご苦労様でした」と、いつもと変わらず、微笑みながら、迎えてくれた。
 

桜の城 嵐の「4・24」 4/5

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 3月 7日(火)03時21分11秒
  桜の城 嵐の「4・24」 4/5

情けなく、また、私はあきれ果てた。
戸田会長は、遺言された。

「第三代会長を守れ!絶対に、一生涯、守れ!そうすれば、必ず広宣流布できる」
と。

このこの恩師の精神を、学会幹部は忘れてしまったのか。
なんと哀れな敗北者の姿よ。

ただ状況に流されてしまうのなら、一体、学会精神はどこにあるのか!


そんな渦中の、四月十二日・私は、中国の周恩来総理の夫人である鄧頴超女史
と、元赤坂の迎賓館でお会いした。
その別れ際に、私は、会長を辞める意向をお伝えした。

「いけません!」
"人民の母"は、笑みを消し、真剣な顔で言われた。

「まだまだ若すぎます。何より、あなたには人民の支持があります。人民の支
持のあるかぎり、辞めてはいけません。一歩も引いてはいけません!」

生死の境を越え、断崖絶壁を歩み抜いてこられた方の毅然たる言葉であった。
 

桜の城 嵐の「4・24」 3/5

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 3月 7日(火)03時20分25秒
  桜の城 嵐の「4・24」 3/5

━━ これ以上、学会員が苦しみ、坊主に苛められることだけは、絶対に防が
ねばならない。

戸田先生が「命よりも大事な組織」といわれた学会である。民衆の幸福のた
め、広宣流布のため、世界の平和のための、仏意仏勅の組織である。

私の心中では、ただ一身に泥をかぶり、会長を辞める気持ちで固まってい
った。
また、いずれ後進に道を譲ることは、何年も前から考えてきたことであった。
ある日、最高幹部たちに、私は聞いた。「私が会長を辞めれば、事態は収
まるんだな」。
沈痛な空気が流れた。やがて、誰かが口を開いた。

「時の流れは逆らえません」
沈黙が凍りついた。


わが胸に、痛みが走った。
━━ たとえ皆が反対しても、自分が頭を下げて混乱が収まるのなら、それでい
い。実際、私の会長辞任は、避けられないことかもしれない。

また、激しい攻防戦のなかで、皆が神経をすり減らして、必死に戦ってきたこ
ともわかっている。

しかし、時流とはなんだ! 問題は、その奥底の微妙な一念ではないか。

そこには、学会を死守しようという闘魂も、いかなる時代になっても、私とと
もに戦おうという気概も感じられなかった。

宗門は、学会の宗教法人を解散させるという魂胆をもって、戦いを挑んできた。
 それを推進したのは、あの悪名高き元弁護士たちである。
 それを知ってか知らずか、幹部たちは、宗門と退転・反逆者の策略に、完全に
虜になってしまったのである。
 

桜の城 嵐の「4・24」 2/5

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 3月 7日(火)03時19分29秒
  桜の城 嵐の「4・24」 2/5

この日、私は、十九年間にわたって務めた、創価学会第三代会長を退き、名誉
会長となった。

全国の、いや、全世界の同志は、その発表に、愕然として声をのんだ。

 その背後には、悪辣なる宗門の権力あり、その宗門と結託した反逆の退転者

たちの、ありとあらゆる学会攻撃があった。

 なかんずく、私を破壊させようとした、言語に絶する謀略と弾圧であった。
 正義から転落した、その敗北者たちは、今でも、その逆恨みをはらさんと、
卑劣な策略を続けている。これは、ご存じの通りである。

御聖訓には、随所に説かれている。
「法華経の行者は、諸々の無智の人のために必ず 悪口罵詈等の迫害を受ける」
(趣旨、御書一四〇ページ等)と。

広宣流布の大闘争のゆえに、「悪口罵詈」されるのが、真の法華経の行者とい

えるのである。さらに「佐渡御書」には、「賢人・聖人は、罵詈して試みるもの
である」(通解、御書九五八ページ)と。

真実の信仰者は、罵詈され、讒言され、嘲笑されて、初めてわかる。

畜生のごとき坊主らの暴圧による、わが友たちの苦悩を、悲鳴を、激怒の声を
聞くたびに、私の心は血の涙に濡れた。心痛に、夜も眠れなかった。

私は、健気な創価の同志を守るため、一心不乱に、僧俗の和合の道を探り続け
た。しかし、後に退転した、ある最高幹部の不用意な発言から、その努力が、
いっさい水泡に帰しかねない状況になってしまったのである。

それは、最初から、学会破壊を狙っていた仮面の陰謀家どもの好餌となった。
坊主らは、狂ったように「責任をとれ」と騒ぎ立てた。
私は苦悩した。
 

桜の城  嵐の「4・24」 1/5

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 3月 7日(火)03時17分6秒
  嵐の「4・24」

断じて忘るな! 学会精神を

一九九九年四月二十七日

先日、ある著名な学者から、ご伝言をいただいた。
それは、私を励ましてくれる好意的な内容であった。
「これだけ壮大なる創価学会になったからには、苦労も苦難も多いでしょう。
日本を動かす原動力の一つになったことは、まことに偉大なことであります。
若い時に、身体が弱かった貴方だから、健康のことを心配しておりましたが、
この何十年もの間に、いよい大偉業を完遂して姿に、心から感嘆し、頭が
下がる思いです」

また、ある高名な方からも、励ましのお手紙をいただいた。
「これほどまでに、平和勢力を築き上げた大事業に・喝采を送ります。
戦前戦後を通じて、これほどの業績は、誰も成し遂げることができませんでし
た。政治家でもない、著名人もない、一民間人が、戸田会長という偉大な師匠
があったことは事実としても、これほどの大業は、とうていできないものです。

しかも、悪意の中傷を数多く受け、さらにまた、反対勢力の策略と陰謀を撥ね
返してこられた。日本狭しと見下ろしながら、全世界を志向してのご活躍、そし
て、巨視眼と先手を打ちながらの平和活動は、それはそれは、歴史に残ることは
絶対に間違いないでしょう」
また、長年、おつきあいした文化人からは、「奇跡という他ない。誰から誉

められず、嫉妬され、けなされながらも、現実に未だかつてない偉業を創り上げ
た大芸術は、ナポレオンもユゴーも、きっと賛嘆するであろう」と。

一九七九年(昭和五十四年)の四月二十四日━━。
 

カンピース さん、同感です

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 3月 7日(火)03時11分48秒
  カンピース さん、同感です、しばらく時間をください。
>随筆、桜の城より、 ??
>(随筆、桜の城より、「広布誓願」の獅子よ 一人立て、より引用)

全文テキスト化を目指しています。
まず、嵐の4・24
獅子となりて、我はゆく
広布誓願」の獅子よ 一人立て
の順に進めていきます。

今日の投稿ラッシュには、すさまじいものがありました。
現執行部、副会長達の、だらしなさ、混迷党の裏切りと節操のなさ、怒り狂うのは私も同じです。

報恩抄に、「日蓮が、慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外、未来までもながるべし」
(0329-03)と仰せられている。
私はこの御書が、目に付きました、広宣流布は、日蓮大聖人、三代会長がレールを引いてくださっている
絶対に何があっても、創価の旗を掲げて、戦うことは、覚悟しています。

そこに、三類の強敵が襲いかかってくることは、必然です。

第一 勧持の事の講義に・・・
だが、現在は、身命におよぶような難などは、ほとんどない。それは今、化儀の広宣流布は眼前であり、
御本尊の大功徳は、中天の太陽のごとく光り輝き、われわれが護られているからである。

しかし必ず、それぞれの立ち場で、難があるのは当然である。難がなければ、宿命転換できず、真実の幸福
も確立できないのである。

難があったときが大事である。成仏するか地獄に落ちるか、その時の一念が決定する。難を乗り越えたとき
は、台風のあとの晴天のごとく、真実の幸福感にみちみちてくるのである。以上
・・・・・・・・・・・・・
わたしは、この先生の言葉を深くかみしめて、雲の上には太陽が光り輝いていることを信じて、自分の使命
を果たしていこうと、決意しています。

桜の城を「嵐の4・24」全文アップします。
 

公明党と執行部の失態

 投稿者:mission  投稿日:2017年 3月 7日(火)01時34分33秒
   【永遠の原点】
いかなる時代、いかなる社会にあっても『大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく』との誓いを貫き、常に民衆の側に立つことを信条とします。

われわれが内に求め、行動の規範とするのは、高い志と社会的正義感、モラル性、強い公的責任感、そして民衆への献身です。これこそ公明党議員が身上とすベき特質です。

私たちは常にこの永遠の原点に立脚し、『日本の柱』たらんとの創立の決意に立ち、自己研鑽に励み、どこまでも誠実・清潔・正義の党として戦う。
 【公明党綱領】
「公明党」は〈生命・生活・生存〉を最大に尊重する人間主義を貫き、人間*人類の幸福追求を目的とする、開かれた国民政党です。

いかなる主義*主張であれ、機構や制度、科学や経済であれ、それらはすべて人間に奉仕すベきです。
これが〈生命・生活・生存〉を柱とする公明党の人間主義=中道主義の本質です。

・大衆と共に戦い、民衆の側に立つ事が信条?
・民衆への献身?
・どこまでも誠実*清潔*正義の党?
・人間*人類の幸福追求が目的?
・人間主義=中道主義が本質?

尤もらしい道理を謳うのは、簡単だ。
安保法制から自民党を追随し、強行採決に加担。
共謀罪や憲法改正も、自民党と共同歩調を取るのか?
「平和」と「福祉」を掲げていながら腹駄執行部に迎合し、これからも党の存立と選挙に勝つ事だけを優先していくつもりなのか?

臆病者の無様な姿を曝し続ける事が、腑甲斐ないと思うなら、森友の教育勅語の如く、公明党綱領を実行できるまで復唱し胸の中に叩き込むべきだ。


ハレンチ主任副会長と仲良しこよしの、佐藤浩が菅義偉官房長官と安保決議の前に密談。
自民党が握っている「究極のカード」にさえも、見抜けて無い行動に呆れる。
それは「政教分離」という問題のカード。

今後、公明党が自民党に逆らう事があったら、直ぐに「政教一致」と追い込みにかかるょ。
↑飯島勲氏が、ワシントンの公演で語ったんだって。
でも↑それも「佐藤浩の入れ知恵」どこかの新聞に載ってたょ。←責任もとれない黒幕だ。

もし内閣法制局が、今までの意向を変えたら、必ず「政教一致」で叩かれるからね…創価学会と公明党。
暗黒に落ちていくなら、腐った馬鹿なリーダーどもだけに してくれ!

 

随筆、桜の城より、

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 3月 7日(火)01時07分35秒
編集済
  >また、会長就任から二十年目に入る、七十九年の「5・3」も・・・・この直前、私は、名誉会長となった。
 その陰には、私を追い落とし、広宣流布の指導者不在の学会にして、意のままに操ろうとする、謀略の輩の画策があった。


 狂気そのものの中傷の集中砲火のさなかにあった七十九年五月三日、本部総会が創価大学の体育館で行われた。
 首脳幹部も、不安と戸惑いを隠せなかった、私への拍手も遠慮がちな姿が痛々しかった。いな、浅ましかった。
 総会が修了し、渡り廊下を歩いていると、数人の婦人たちが、「先生!」と叫んで、駆け寄ってきた。お子さん連れの方もいた。一目、私に会おうと、ずっと待っていてくださったのであろう。目には涙が光っていた。
 「ありがとう! お元気で!」
 私は、大きく手を振り、声をかけ、全力で励ましを送った。そして、思った。
”これから、こういう人たちを、本当の善良の市民を、誰が守っていくのか! 誰が幸福にしていくのか! 冷酷非道な法師の皮を着た畜生たちが、民衆の上に君臨すれば、どうなってしまうのか!”


 私は信濃町の本部には戻らず、総会の会場から神奈川文化会館へ向かった。
 世界につながる平和の港を望む横浜の地から、新たな戦いを起こすのだと、心に決めていたからである。
 五月五日、戸田先生のお顔を胸に描きながら、わが誓いを筆に託して、私はしたためた。
 ---「正義」。
 その脇に、「われ一人正義の旗持つ也」とつづった。<
(随筆、桜の城より、「広布誓願」の獅子よ 一人立て、より引用)


非常識な方がいるようデス、

「先生」と呼びながら、「歴史上の偉大な人物」と同等に扱ったり、どうにも師匠は「自分の意思」で「勇退」したとしたいようデス(笑)

その割には、師匠自身の言葉で証明できないものだから、回りの人師・論師の意見で詭弁を組み立てていらっしゃるようデス。

「随筆、新・人間革命」「随筆、桜の城」等の著書や数々の音声等、師匠自身の言葉で、4・24を語られています。

もし、大山の章が真実であるとするならば、師匠自身の「文証」を挙げて論じてほしいものデスが・・・(笑)

しっかりと、明日からの大山の章も検証していきたいものデス。
 

追記しておきました

 投稿者:太ちゃん@平らかなるは人編  投稿日:2017年 3月 7日(火)00時11分54秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/65657
【北条元会長の『心臓の持病をお持ち』とは池田先生だけが知っていたのか?】

検索していてさらに詳しいノーカットを見つけたので追記しておきました。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 3月 6日(月)23時45分55秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
学会職員の残忍な方々が自身の残忍さに
速く、きずけますように
おやすみなさい
 

北条第四代会長・秋谷第五代会長

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 3月 6日(月)22時56分44秒
編集済
  北条、秋谷、青木は山友に80億と言われて実際は55億取られた。
その時の会長も死んだ。馬鹿者だ。臆病だから。

http://sgi-shiteifuni.com/?p=13564

~~~~~~~

このスピーチを実際に聞いた方々は、今日の新・人間革命を、どのような気持ちで読むのだろう。

「沈黙」は「毒」であり「敗北」です。
厳しいですね。



 

同盟題目!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 3月 6日(月)22時51分34秒
  23時より開始です。よろしくお願い致します。
池田先生のご健康をいのります。

博正氏は池田家を守る為に必死だったという話もありました。
今はどうかは御本人のみぞ知るです。
 

生涯&広布一筋兄弟様

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 3月 6日(月)22時46分9秒
  はい。そのようです。


ところで、公明党はアベシとズブズブ過ぎるのではないでしょうか。

昔っから太田氏とアベシの関係とか、一筋縄ではありませんでしょ。



するってえと、大いに疑問の、公明の残念すぎる参考人招致に尻込みの様子そのものが、

どうも、森友疑獄の核心にアベシがいることの傍証になってる気がしますね。

語らずして、みずから暴露というやつですね。



 

これってなに??

 投稿者:太ちゃん@平らかなるは人編  投稿日:2017年 3月 6日(月)22時42分12秒
編集済
  ▼▼▼▼▼▼
ニコッ     あなたはどのコース?

ダイアモンドコース (3けた)
ゴールド  コース (10 ~ 99)
パール   コース ( 2 ~ 9 )

 ワン ゼロ
 1 ・ 0 運動 1口を0に!

       ――― 毎日財務プラン ―――

      ゴーゴー
それ行け! 5 5   ――→   2口 (1日55円で)

やったで! 300   ――→  10口 (1日300円で)
▲▲▲▲▲▲


画像をみて文面の文字起こししました。
ちなみに、検索にかけてみればけっこう話題になっていたご様子。
僕のみたものは2008年のもの(この掲示板の「ノーカット」は2008年辺りに話が集中されていますが偶然でしょうか?)。

そしてなぜか上記文章画像は消されないまま(消し忘れた?)、現在でもURLを直接入れれば見れますね。
こんな財務って「砂の餅」の逸話からは大きくかけ離れていて、そもそもなぜに金額を指定するんでしょうね?

池田先生のご意思ではない話のようですが??

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

サタン

 投稿者:mission  投稿日:2017年 3月 6日(月)22時26分1秒
編集済
    戸田先生が三ツ沢陸上競技場で叫ばれた【原水爆禁止宣言(1957年9月8日) 】の中に
『権利を脅かすものは、これ魔物であり、サタンであり、怪物であります』
『私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う』
『それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります』
と。

生命尊厳の仏法者として、戸田先生は死刑制度に絶対 反対の立場でした。
それでも敢えて「死刑に」と叫ばれた。
それは原水爆を保有し、使用したいという「人間の己心の魔性」それ自体に、朽ちざるくさびを打ち込む為です。


国内の各地でも「処分」の嵐が、容赦なく吹き荒れている。
池田先生は私達の事を『皆様は仏様の子供 大切な仏子です』と平等に扱って下さいました。

私達は、日蓮大聖人の哲学と池田先生の教えと行動に感銘し、また紹介者の姿を信じて入会したんだ。
決して、アキヤやハラダの言動を見て創価学会員になったんじゃ無い!

なのに何故『法を学びたい!師匠である先生を求めたい!広宣流布の為に身を置きたい!』と叫ぶ私達の首を切るのか!?
仏子である私達を、何の権利を持って切り捨てるのか!?

戸田先生は、断言されている。
『権利を脅かすものは、これ魔物であり、サタンであり、怪物であります』と。
 ※「サタン」
ユダヤ教、キリスト教→神の敵対者。
イスラム教→人間の敵対者。
罪を犯して堕落する前のサタンは御使いであったが、高慢や嫉妬から神に反逆して「敵対者」として堕天使となり、悪魔に変化した。

腹駄達がしている処分や除名は、北の正恩が縛っている国民に見せしめのため、兄である金正男を暗殺した蛮行に匹敵する!
ハラダにアキヤ、貴方達は冷たい仮面の裏に、醜い悪魔の爪を隠し持ってるんだろう。
そのくせ、正しい仏子の力に怯えている。[寸鉄]にも あんな事を書かせる(笑)
貴方達が師匠である池田先生を引きずり下ろした様に、いつ会長の座から下ろされるのか…怖くて仕方ない。

腹駄や空家達は、偉そうな名称が無くなったら、心根が腐った ただの おじいさんだ!
そして、嘘を見抜くネット利用者から「数々の愚行を重ねてきた輩」として断定され続けるのだ!

貴方達がコントロールした者達も、近い将来 必ず気付き「おかしい!」と声をあげ始めるから。必ず!
その日が来るまで、既に気付いた私達は【師匠 池田先生】を叫び続ける。


大聖人は、法華経方便品の一節を引かれて
【増上慢の比丘は将に大坑(大きな穴*無間地獄)に堕ちんとす」(御書152P)
と書かれている。

自分勝手な我見で破壊する「増上慢」の末路は、無間地獄である!
努力(ゆめゆめ)忘るる事なかれ!

 

私たちは学んできたはず!

 投稿者:魂の炎  投稿日:2017年 3月 6日(月)22時12分13秒
  私たちが信頼していた御法主上人猊下様とかいう日達や日顕もおかしくなった!
私たちがおもいっきり応援していた公明党の委員長の竹入義勝や矢野絢也もおかしくなった!

第4代以降の会長、北条・秋谷・原田がおかしくなることがあっても、不思議じゃない!
そのことを私たちは学んできたはず!
時の会長たりといえども、おかしなことする奴は、みんで追い出そうー!
 

御聖訓を拝する者は驕慢謗法

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 3月 6日(月)21時54分32秒
  岩波文庫版の日蓮文集を拝しているのですが、それを何処かで聞きつけた徒輩が地区部長に密告して、私は身延の日蓮観を拝する驕慢謗法者と罵倒されました。御聖訓を拝するの徒輩は我見の徒。撲滅除名の対象となるの由。因みに岩波文庫版の日蓮文集には立正安国論、開目抄、観心本尊抄と御消息文が多数収録されています。  

Twitterより。過去に自ら語ってきたことと違う。おかしいと思う。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 6日(月)21時46分40秒
  会長勇退についての新・人間革命が、過去に名誉会長自ら語ってきたことと違う事について、支部長やってる友人と話す。

「おかしいと思う。俺には信じられない。」
 

Twitterより。公明党絶対論と会長辞任の隠蔽は同根!

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 6日(月)21時44分28秒
  公明党は何をしても絶対に悪くないんだ、という態度は、昭和54年の会長辞任の際、幹部が辞めさせたことを隠蔽する態度と同じ。どちらも自分自身の失敗を隠すという点で同じ。このことから、隠蔽を指示している源が同一人物の可能性があると思う。  

アホか

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 6日(月)21時42分34秒
  全体性を見ても大山の章は違いすぎるってハナシ。
 

再び、違和感です。(6)

 投稿者:コモンセンス  投稿日:2017年 3月 6日(月)21時39分27秒
  『池田大作 思想と行動』(三天書房刊。以下、「思想と行動」と略)の序章のうち、「昭和五十四年四月二十四日」から、次の「池田大作の真実」に進むと、次のくだりが書かれています。

中国の作家代表団が来日し、先生と対談をした時の話です。団長の周楊については、著者は「知る人ぞ知る、中国文化界きっての理論家」と紹介しています。

その周楊団長が、先生から毛沢東や魯迅の人物評を求められて月旦評を試みた後、次のように語ったことに著者は関心を寄せるのてす。

「歴史上の偉大な人物の場合をみても、遺された言葉には相反するものがある。それは、話す対象が違い、その時の事情も、解決すべき問題も異なっているがゆえに当然のことである。したがって、一定のワク内で語られた言葉はかならずしも普遍的であるとは言えない。大事なことは、その人の思想を全体的にとらえ、思想体系の中で判断し、位置づけていかなければならない」

この周楊の鋭い言葉に触発されたのでしょう。
「池田の片言隻語をあげつらうなら、周楊のいう『相反するもの』も山ほどあるはずである」と、著者は述べています。

否々。決して“片言隻語”どころではありません。広布の前途を左右しかねない「嵐の4・24」と「積極的」な勇退とは、ズバリ「相反するもの」そのものと言えるでしょう。

その「相反するもの」が、池田先生という一人の言葉、心情として発せられているのですから、「大山」の章は“改竄”なのではないか、との疑義が浮上して来るのも、当然と言えば当然なのかも知れません。

それでは、先生ご自身のお考えは、どうなのでしょうか?

あっ、その前に、ついでに書いておきますが、この中国作家代表団と先生の会見は、昭和五十四年五月二十九日のことであり、聖教からの引用だそうです。

まさしく勇退直後です。以前と比べれば、決定的に先生の記事が無くなっていることは明白ですが、やはり、必要な時には、きちっと先生が登場されておられたことが分かります。
 

勇退じゃなく追放!

 投稿者:魂の炎  投稿日:2017年 3月 6日(月)21時37分45秒
  昭和54年4月の本部幹部会での北条、青木、山崎尚たちの有頂天な笑み。

池田先生を追放することに成功して喜ぶ、愚かな大幹部たち。
クーデターが成功するかどうか、ものすごく心配だったけど、成功した安堵感とこれからは俺たちが自由自在に組織を操れるという、イヤラシイ笑みの大幹部たち。

池田先生を追放した奴らを絶対に許さない!!
 

ひかり様

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 3月 6日(月)21時27分43秒
編集済
  チョキ

見えすぎのパフォーマンスですね・・キタちゃんとあべ政権ですか・・

今回の件・・

正直な話・・自民党に対し公明党(創価学会)はたくさんの借りがありますから・・

騒ぎようがないですよね・・公明党は・・森友学園の話。

螺髪様もしっかり、見抜いておられる・・

創価学会は大きく舵を切ったんです・・・

どこへ向かっているのか?次第にくっきりと多くの会員に見えてくるでしょう・

路線は決まっているように見えます・・

どの程度騒がれずに・・全体の切り替えを済ませることができるか・・

薄氷を踏むような感じで、執行部は駒を進めていると思います。

だから、宿坊を危険視…反乱分子?を粛清する・・

多くの小型船になるのか?

大型船のままいけるか・・?

来年の11月までが一つの勝負と決めているようでもあります。

我らは堂々と師弟の道を・・・
 

創価文化!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 3月 6日(月)21時08分41秒
   いま明らかなのは、“希望”や“理想”への上昇気運がきわめて薄れていることでしょうか。
  “創価文化”を変えてしまおうとしているのでないのかーーそれが私の気付きです。
 祈り、そして献身の行動。それを保っていては社会から奇異に見られる、怖れられる、そう認識したのでしょう。社会迎合といえばまだ聞こえがいいが、実質、権力迎合、世法迎合です。いまは、それほどが明らかでなくても、やがてはっきり目に見えてくることでしょう。

  きっかけは“裁判”です。そして、欧州の一部での“カルト教団”指定です。ここで、「世法迎合」に大きくハンドルを切ったと見ることができます。

 帰国子女さんの投稿にこんなのがあります。
http://sgi-shiteifuni.com/?p=13530(投稿者:帰国子女 投稿日:2017年 1月29日(日)07時58分43秒)

  国法といっても、世法の延長、収斂(しゅうれん)ですから、そこに棹させば世法に引っ張られます。「世法第一」の考えに陥ります。「弁護士」(ここ大事!)が中心の対応となれば、なおさらです。社会も世法が骨格といえますから、その“世法勢力”は“邪魔者”を葬り去ろうと虎視眈々とねらってくるのはあたりまえです。正法流布の前に「六難九易の客観的原理」(※先般紹介)は“厳然”といえます。

  “国会喚問”と“裁判”に震え上がってしまったと見ることができます。
 「おごれる者は必ず強敵に値ておそるる心出来するなり例せば修羅のおごり帝釈にせめられて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し」(御書957㌻)
 国家という権力を持つ帝釈天(この場合位置づけが逆)に責められて、“小心の者”どもが震えあがってしまったのです。庶民、とりわけ女性はこういうことに強い。同時に、「修羅のおごり帝釈にせめられて無熱池の蓮の中に」ですから、執行部は“修羅のおごり”に陥っていたとみることもできます。

 だが、池田先生がつくった“創価文化”がそう簡単に変えられません。“創価文化”は、「祈り」と「献身」で創り上げられているものが大半です。聖教の多部数購読、無謀な財務、民音購入ばかりではありません。会館守る会、牙城会、王城会、創価班、そして手弁当の支援活動……等々、あげたら切りがないくらいです。「八割はついてくる」なんて考えるのは、とんでもない。妄想です。それは、池田先生が陣頭指揮の時代だったからです。

 自然界もそうであるように、この地球は「天」と「地」の交流でしかない。天とは太陽、地とは地上、天とは仏、地とは衆生です。それを、はっきりと自覚することです。幹部はもちろん、人間はその「天と地」の交流の途中で、ほんの少しの“おこぼれ”を享受しているにすぎない。


 

Twitterより、森友疑獄での公明党の沈黙。なぜ調査を進言しない。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 6日(月)20時16分47秒
  森友疑獄での公明党の沈黙。いったい何なのか、これは。安倍政権の忠実な僕になってからの公明党の惨状は目を覆うばかり。公明はこの件でやましい所がある為沈黙しているのか。自民になぜ調査を進言しない?なぜ重要関係者の国会招致を認めるよう首相に進言しないのか。創価学会史の大きな禍根となる。  

Twitterより、今日の新・人間革命、さすがに当時を知る盲信婦人部も頭クラクラては?

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月 6日(月)20時10分21秒
  きょうの「新・人間革命」 では北条さんがとっても立派な会長に仕立てられて… 笑
さすがに当時を知る超盲信婦人部の頭もクラクラしてくるのではないかっ!
 

あーちゃんと生きた6年

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 3月 6日(月)19時44分0秒
  神奈川県・加賀田さん 女性48

聖教新聞2006年6月6日

きょう6日は女子部「白樺グループ」(看護者の集い)の結成記念日。加賀田さんの長女、二女共に神奈川県内の大学病院で看護師を務める女子部地区副リーダーである。加賀田さん自身も、県内の訪問看護ステーションで管理長を務める。「今こうして娘と3人そろって、尊き看護の道を歩めるのは、三女のおかげなんです」と、加賀田さんは振り返る。

◇◇◇◇◇

長女を身ごもってすぐのことだった。加賀田さんは23歳の時、叔母の勧めで創価学会に入会した。「この仏法は、絶対に幸福をつかめる信仰よ!」

加賀田さんはそれまで、患者の死に接するたびに「幸福とは何か」と、思い考えてきた。その加賀田さんの胸に、叔母のいう「絶対」の言葉が刺さった。「生まれてくるわが子が幸せになるのなら」。そう願ってすなおに入会したのだった。

長女に続いて、二女も無事に出産した。すくすくと育つわが子の姿に、加賀田さんは信心の確信を深めていった。

◇三女は先天性の多発性嚢胞腎のうほうじん

1990年(平成2年)、三女を妊娠して7カ月目のこと。胎児が「多発性嚢胞腎のうほうじん 」を患っていると診断された。袋状の嚢胞が腎臓を覆い、次第に腎機能を低下させていく先天性の病気である。

1991年1月11日、帝王切開で出産。翌日、新生児は突然の呼吸不全に襲われ、救急車で都立の小児病院に運ばれた。嚢胞で覆われた腎臓が肺を圧迫し、呼吸不全を引き起こしていた。

生後3カ月目には、巨大化した左右の腎臓をすべて摘出。人工透析による治療が始まった。この間、信心に反対していた夫が入会した。家族4人の祈りは、さらに深まった。

突然の心不全やてんかん、腹膜炎などが赤子を襲う。そのたびに家族をはじめ地域の同志の強き祈りに支えられ、命の危機を乗り越えた。「あーちゃん、あーちゃん」と皆から呼ばれるようになった三女は、生後8カ月目に、ようやく退院した。

しかし、1日4回の透析、注射や消毒など、毎日、緊張が続いた。娘の世話をする気力を失いそうになることもあった。そんな時は、御本尊の前に座った。唱題で生命力を充電し、再び病魔との闘争を開始した。

◇母から子へ腎移植

1996年5月、加賀田さんは自ら進んで腎臓を一つ、娘に移植した。その1週間後、三女は生まれて初めて自分で放尿することができた。喜びもつかの間、その2カ月後に病状が急変した。突然、透析液が腹部の縫い目から漏れだした。数日後、あーちゃんの意識がなくなった。

加賀田さんは絶望のふちにあった。婦人部の先輩が力強く励ましてくれた。「あなたが泣いていては、あーちゃんがかわいそう。病と闘って一番苦しんでいるのは、彼女なのよ。お母さんが宿命転換することです。そうすれば、必ず娘さんも宿命転換できる!」

加賀田さんは心に誓った。もっと強い自分になろう。以来、泣き言のかわりに題目を唱え、病魔の撲滅を一心に祈った。

1996年8月15日、あーちゃんは家族に見守られて、安らかに霊山へと旅だった。

眠るような成仏の相に、母は確信した。この子は病魔に勝った! 同時に、婦人部の先輩が教えてくれた「生も歓喜! 死も歓喜!」の仏法の生命観が、初めて実感できた。

「娘を亡くした悲しみより、困難を乗り越える強さを教えてくれた彼女に対する感謝の気持ちでいっぱいになったんです」

あーちゃんに負けない人生を歩もう! 加賀田さんはそう誓って、医療の現場に戻ることにした。「特に、家にいながら子どもの看病を続けるお母さんの役に立ちたいと思い立ったんです」

娘の死から10カ月後に始めたのが、訪問看護ステーションの仕事だった。介護支援専門員の資格も取った。

仕事や学会活動を通して、苦悩の人に尽くす日々。そんなある日、加賀田さんは、以前より人に同苦できるようになった自分に気づく。これも、あーちゃんのおかげだ。思わず感謝の念がわいた。

当時、中学生だった長女と小学生だった二女も、あーちゃんから生きることのすばらしさを教わった。二人は決意を一つにした。苦しんでいる人に励ましを送る看護師になろう! 三女が亡くなって満10年のこの春、姉妹は晴れて同じ大学病院の看護師となった。

加賀田さんは語る。

「御書に『病によりて道心はおこり候なり』(御書1480頁・妙心尼御前御返事)とありますが、あーちゃんのおかげで、わが家は大成長できました。この信心があれば、何があっても、怖くない。朗らかに、堂々と前進していける……。これこそが『絶対の幸福』なんですね」
 

虹と創価家族さま

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 3月 6日(月)19時27分3秒
  お気遣いありがとうございます。

やはり真心のひとにはかないませんね。

実は引っ越しでそうとう疲れています(笑)

でも自分でやれる事はやりきろうと頑張っています。

現場を見て感じることは、学会は今でも貧乏人と病人の集まり

だという事です。経済苦と病苦で戦われている会員さんの

何と多い事か!そんなことは気にもかけない職員幹部・・・

そこに池田先生のお心はありません!先生の代わりにと思って

戦っています。
 

桜の城 1/5

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 3月 6日(月)19時07分7秒
編集済
  随筆 桜の城を平仮名化、音声化したいと思い、テキスト化しました。

嵐の「4・24」

断じて忘るな! 学会精神を

一九九九年四月二十七日

先日、ある著名な学者から、ご伝言をいただいた。
それは、私を励ましてくれる好意的な内容であった。
「これだけ壮大なる創価学会になったからには、苦労も苦難も多いでしょう。

日本を動かす原動力の一つになったことは、まことに偉大なことであります。
若い時に、身体が弱かった貴方だから、健康のことを心配しておりましたが、

この何十年もの間に、いよい大偉業を完遂して姿に、心から感嘆し、頭が
下がる思いです」

また、ある高名な方からも、励ましのお手紙をいただいた。
「これほどまでに、平和勢力を築き上げた大事業に・喝采を送ります。

戦前戦後を通じて、これほどの業績は、誰も成し遂げることができませんでし
た。政治家でもない、著名人もない、一民間人が、戸田会長という偉大な師匠

があったことは事実としても、これほどの大業は、とうていできないものです。

しかも、悪意の中傷を数多く受け、さらにまた、反対勢力の策略と陰謀を撥ね

返してこられた。日本狭しと見下ろしながら、全世界を志向してのご活躍、そし

て、巨視眼と先手を打ちながらの平和活動は、それはそれは、歴史に残ることは
絶対に間違いないでしょう」

また、長年、おつきあいした文化人からは、「奇跡という他ない。誰から誉

められず、嫉妬され、けなされながらも、現実に未だかつてない偉業を創り上げ
た大芸術は、ナポレオンもユゴーも、きっと賛嘆するであろう」と。

一九七九年(昭和五十四年)の四月二十四日━━。
 

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