先日、結婚式に参加させてもらいました。
女友達の結婚式ということで新婦側での参加でした。
女は喋りたい!語りたい!話したい!
アラサーにもなると学生時代の友達が集まるのは結婚式か葬式ぐらいなものになってしまう。久々に結婚式での集まりは勿論新郎新婦をお祝いするという前提で集まるが開口一番が
「今何してるの?」
近年SNSの発達で何をしているのか?ぐらいはみんな把握しているはずだが、まずは気休めのジャブと言った感じだろう。
最初から自分の話をするのは失礼に当たるのか、まずは相手の話を聞いてそこから自分の話に持っていくという一種の会話のテクニックなのでしょう。
そこから始まるマウンティング。
ワーキングホリデーからの指導
ワーキングホリデーから得た経験で絶対的な広い視野で物事を考える女性に周りはタジタジ。
「もっと日本人はこうあるべき!」
という広い視野で会話で優越感を得ている。
参加女性は主婦が多い中独身で海外に行き普通では得られない経験をしてきた彼女は周りにこう話す。
「日本人は物事をハッキリ言わなすぎてダメだよ!自分をしっかり持っていないと!」
この言葉に心を動かされた女性はいない。
ハッキリと言って1人もいない。
みんな「ふーん。」程度だった。
何故なら彼女達には家庭というものがある。
旦那という武器、子供という盾。
アラサー女子にもなると独身でやりたいようにやっている女性をいいな。と思う人は少なくなってきていて、夢を追う姿よりも、現実を見ている女性が多く、家庭をどうしたら豊かに出来るか、子供をどう育てるのか?それに人生の焦点を合わせているからだ。
20代前半ならかつての友人から
「凄いねー!」
と賞賛を得ていたのだろうけど、今の子育て真っ最中の女性には少し響き辛いと感じた。
公務員の旦那を持つ
公務員の旦那を持つ女性もいた。
余裕はあるように見えるが、実際はない。
何故ならクビにはならないがその職業が教師だから。
まだまだ若い教師というものは、実際に
「勉強になるから。」
という先輩教師からの部活顧問の受け持ち、生徒指導などの係を無理矢理やらされる。
土日もない。
土日は部活動の練習、練習試合で遠出。
時給で換算すると100円程度になる。
平日も忙しく、定時に上がれることはない。
クビにはならないので心配がないわけではなく、体を壊さない限り使われ続ける。
では意味が違ってくる。
みんなには
「安定だねー。」
と称賛を得ていたが自分自身は納得はいってないようだった。
勿論給料もいいとは言えないので今の生活も余裕があるものではなかった。
体か心が壊れるか、無事定年を迎えれるかの勝負になっていた。
旦那はサラリーマン共働き子なし
旦那は営業職。
妻はパート。
もちろん営業職の旦那は帰りが遅い。
ただ自分も仕事があるので特に暇をすることはないが、子を持つことに不安を感じていた。
子供を育てる時に、旦那の事は頼りにならない。
本当に困った時に助けてくれる人がいないからと子供を産む事に悩んでいた。
実際初めての子育てはとてつもなく忙しく自分の時間などない。
今後はお金も必要となってくるからこその不安がある。
旦那には頼れないけど、子育てはしないといけない、稼がないといけない。
不安は隠しきれないようだった。
旦那は婿養子、妻の父親は会社経営
旦那は婿養子で妻の父親は会社経営をしており、旦那は父親の会社に勤めている。
子供は3人。
二世帯住宅で悠々自適。
ここの妻は他の方々よりも大分余裕があるように感じた。
二世帯住宅のおかげで固定費の削減も出来ていて、父親の会社ということで、旦那も融通が利く。
しかも、子育ても母親と祖母との二人三脚で助けて貰っている。
本来の日本ではこの二世帯住宅が普通であったと思う。
しかし、両親と上手く付き合う事が出来ない、気を使うなどで、自分達で自立する人が多い。
それは悪いという訳ではないが、世帯収入で考えると勿論減る訳である。
その事を考慮すると二世帯住宅がいいと言える。
ただ今後先の事を考えると介護などの問題が出てくるが、子供が独立しているであろう時期だからそんなに心配はいらないと思う。
ただ旦那さんが婿養子なので、旦那さんのメンタルがどこまで持つのか?が勝負になると思う。
旦那さんがその妻の家系にどっぷりと甘えているので、父親の会社が倒産でもした場合は何のスキルもなく、ドンっと収入が減ってしまうことが唯一の不安ではないのだろうか。
マウンティング結果
結局、みんなそれぞれが羨ましいと言う一面を隠しつつ自分が1番幸せと思いたい人達ばっかだった。
みんなそれぞれが物凄い自分を意見を言いたいばっかで、相手の意見を聞くのではなく、比べて評価する様子が伺えた。
結局確認したいんだと思った。
今の自分の現状より、この人の方がまだ大変。
自分の方が恵まれている。と。
ただ下を見て安心するということは満更でも無さそうだった。
人と比べての幸せなんかに意味はないと思いますが、生きている限り人の事は気になるということがわかった。
だから、幸せな人ほど喋らない、不満がない人ほど聞き役だった。
本当の幸せは自分の中での勝負なのに悲しい現状です。
みんながみんなそれぞれ違った幸せを得ていると私は思いたい。