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【東京】

民間の空襲被災者に補償を 72年後の今なお救済法案ならず

空襲を受けた街の写真などが並ぶ会場=江東区北砂の東京大空襲・戦災資料センターで

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 東京大空襲・戦災資料センター(江東区北砂)で、太平洋戦争中の空襲で負傷した被災者、遺族の補償を求める歩みをたどる特別展「空襲被災者と戦後日本」が開かれている。十万人が犠牲になったとされる一九四五年三月十日の東京大空襲の被災者証言や、補償を求める訴訟資料も展示。被災者の思いや補償立法運動の歴史を紹介している。 (奥野斐)

 民間の空襲被災者への補償を巡っては、旧軍人・軍属のような援護制度がなく、七〇年代から各地で立法運動や国に対する訴訟が活発化した。七三年以降、計十四回、戦時災害援護法案が国会に提出されるも、すべて廃案に。現在、超党派の国会議員連盟が今国会での救済法案提出を目指し、準備作業を続けている。

 特別展では、全国戦災傷害者連絡会の会長を務め、昨年九月に百一歳で亡くなった杉山千佐子さんの寄贈資料や名古屋空襲訴訟の資料など約百四十点を展示した。杉山さんは四五年三月の名古屋空襲で被災し、戦後は補償立法運動の先頭に立った。政府に援護法制定を求める決議文や、会の機関誌、集会時の写真、証言集などが並ぶ。

 見学に訪れた舞台俳優の井口愛さん(32)は「当時の講演会のちらしや写真を見ると、被災者の思いがより伝わってくる」と話した。

 また、東京大空襲では、今回初めて警防団の被害の実態が明らかになった。遺族から提供された名簿などを調査した結果、四四年秋から終戦までの空襲で、都内の警防団員約千二百人が犠牲になり、約八割が三月十日に亡くなっていた。調査した山辺昌彦主任研究員(71)は「犠牲者は幹部ではなく、実際の消火に当たった末端の町のお父さんたちが多かった」と説明する。

 戦後、警防団員には軍属に準じる補償制度ができたが、大部分の民間人への補償はいまだ課題になっている。山辺さんは「空襲が戦後も人々に傷痕を残し、解決に至っていない点に目を向けてほしい」と語った。

 四月九日まで。月、火曜休み。開館時間は正午〜午後四時。入館には協力費として一般三百円、中高生二百円が必要。問い合わせは、同センター=電03(5857)5631=へ。

 

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