洋の東西を問わず、それぞれの文化には宗教的な地獄という概念があり、
そしてその地獄は決して終わりのない絶望的な苦痛と恐怖の繰り返しというイメージがある。
そこには当然、救いなど無い。
救われるのならとっくに天国に行っているので、
文字通り救いようのない人間こそが地獄に落ちることになっている。
つまり、地獄という概念の存在が、すでに、人に対する救済の断絶という選択肢を用意してしまっているのだ。
例えば憎まれ口を利く時に「地獄に落ちろ」などといった時代がかったことを言う人は少ないが、
だがしかし地獄という概念を理解しない人はほぼゼロと言っていいくらい、人々の深層意識には根付いている。
その深層意識が、現実世界の犯罪者に向かって浮き彫りになってきているのではないか。
そして、厳罰を望み、更生という認識が薄い人たちの思考の原理には、
つまり「犯罪者は悪人だから地獄に落ちるべきだ」という深層意識があるからこそ、
犯罪者には極刑を、という認識に結びつくのではないかという仮説を唱えたい。
そこで更に論を進め、この問題を解決するには、地獄の内部にも更生施設を設置してはどうかというのが私の提案だ。
悪人正機説は現代でも未だに根強い支持を得ているが、それを更に進めて、
昔の人はまあやることがなくて暇だったのだと思うのだが、
それはそれは多種多様のあらゆるニーズにお応えする地獄の責め苦が用意されている。
余談だが、このイメージは人気マンガ「ワンピース」のインペルダウンにも投影されている。
LEVEL1~7とあって、深い階層に進むごとに責め苦が増大するのだ。
そこで見どころのある罪人は救済措置の適用を受けても良いという教義を今からでも導入できないのかということだ。
ワンピースの例えがピンとこない人は、ロンダルキアの大地におけるセーブポイントとしての教会を思い浮かべてくれれば良い。
要は、地獄に落ちてもまだワンチャンあるで、という認識を浸透させることが、
巡り巡って犯罪者更生の理解に繋がるということが言いたいのだ。
これは千年からの歴史がある三大宗教には少しばかり荷が重い要求だ。
あそこまで超巨大な宗教体系が出来上がってしまっているものに、いまさら大きな変更を加えることはまず不可能であろう。
そこで注目すべきは、
何かというとマインドコントロールやお布施を利用した金品の収奪で不興を買いまくっているのが現状だが、
ここで一発逆転、地獄にも救いはあるんですよ、という人類に優しい宗教観を喧伝すれば、
三大宗教にも対抗しうる一大勢力を築き上げることも不可能ではなかろう。
例えばイスラムでは天国に行くと72人の処女とムフフ♡三昧の日々が送れると言われているが、
地獄に落ちてもちゃんと更生すれば3人くらいはおっぱいを揉ませてくれるよ、
という救いを用意するのだ。
ちょっと世の中しくじっちゃったやつも、そっかおっぱいもめるなら頑張れるかも!と思える。
(女子は適宜イケメン等に置き換えて各々の嗜好に合わせたストーリィーをこしらえてくれ)
本稿の結論としては、
新教祖として前述したような地獄における救済を設定した宗教観を世界に広めて頂くことが最も現実的なシナリオだろう。
お前らはぜひ我が教団の信徒になって天国や地獄を目指して欲しい。
言いたいことは以上だ。