私は音楽にかんしては登山家タイプだ。なにを言っているのか。探究心の話である。ワンダーフォーゲルの話ではない。思ったので書き留めたい。
日曜日。ふと、さいきんの音楽を聴いてみよう、と思い立ち、アップルミュージックをスクロールしていた。「新着ミュージック」みたいな項目があったのでそこをタップ。ははは、最新の情報が指先ひとつで入手できる。いい時代になりましたね。って情報閲覧。わお。聴きたいものが、いっこもない。
見知らぬものはすべて排除だ、といわんばかりのオッサン的思想に自分がきらいになりそうだったので、無理やり適当な音楽を選びました。項目は「オルタナティブ」というラテ欄から。なぜならオルタナは好きだから。アリス・ジェミマ。イギリスの女性作詞作曲自演一匹オオカミ。なぜ素直に女性ソロシンガーソングライターといわないのか。
デジタルであるが素朴。アッセンブリーであるが煩雑でない。貧弱でないシンプル。無機質な仮想音源に有機的なウィスパーな声。メロディはリフレインが多いが存立している。深夜の高速で流れるテールランプを見つめながら聴きたいタイプ。ふふふ、よかったです。
しかしなぜかどこかで聴いたことあるような感覚。まぁそれが「なにか」わからないのですが。流行の音楽なんでしょうか。得るものはあまりなかったです。
こうしてけっきょくジェフベックのアルバムを聴き、関連項目を採掘、出会ったのがマリア・マルダー。1970年代の「真夜中のオアシス」という曲。ギターが鬼神であった。これどうやって弾いてんだって、調べるとエイモス・ギャレット。ポールバターフィールドのギタリストですね。
世間的に新しくても、自分のなかで量産的で既製品なものがある。しかし時代的に古くても、自分のなかで新鮮で真新しいものがある。私は後者の、古いものをよく聴き、それを寵愛するタイプ。
現在、さまざまな音楽がちまたに溢れている。私はそれを海のように思う。表層的に寄せては消えるさざ波のような音楽もあれば、時代におおきなキズを残すようなでっかい津波のような音楽もある。それはどこから来るのかっていうと海域や海流、まぁジャンルですね。そこからやってくる。
いろんな海でいろんな音楽が生まれている。深海というのは宇宙と同じくらい不明確な部分が多い、と聞く。あたらしいものもぽこぽこ生まれている。いろんな派生ジャンルもある。
そこに潜って探索する人。あたらしい発見をこころみようとする人は探究心という意味でダイバータイプだと思っている。アンテナの感度が良く、時代の潮流にびんかんで、その感性を羨ましくおもう。まじで。
私は冒頭で申し上げた通り、そういったタイプでなく、登山家タイプ。つまり、海に流れ込む源流を探しに河川をなぞり歩き、山岳に迷い込むタイプ。
現在、さまざまな音楽が林立するのは源流となるものがあるからでは、と思い、好きな楽隊の好きなものなどを追っていたり、やはりロックの起源はブルースだろう、などと勝手に決め打ちをして、ひたすら古いブルースを聴いたりするタイプなのです。言うなれば鮭。時代を遡っていくのです。登山どこにいった。
好きな楽団の聴いてきたものを聴く、って人は多いかと思います。しかし、それじゃあつまらないっつって新しい音楽も聴きたいですよね。ようはバランスが大事だと思いますが、私はなかなか新しいものを手に取る勇気がなく、やはりなんだかんだでポールマッカートニーのベストなんかを聴いたりしちゃうのです。ちなみにジョージ派です。
これは音楽だけでなく、いろんなものごとに言える気がする。
現世の海で新しいものを探しに行くか、または、歴史を辿りその源流を探しに行くか。それを言うなれば、ダイバータイプと登山家タイプに分けられるのでは、なんて思った日曜日の絶望的夕暮れ。
時間は有限で、どっちもうまくやるってのは、社会的畜生である私にはちと難易度が高い。しかし、やはりブログなどの情報発信は、かくじつに前者のダイバータイプが向いていると思いますね。さて、あなたは海派?それとも山派?なんちって。