彼女と自転車<1>ブルべで目覚めた冒険心 不器用な彼女が「シュペールランドヌール」になるまで
『Cyclist for Woman』では、女性サイクリストに焦点をあてた新連載「彼女と自転車」をスタートします。それぞれの自転車との付き合い方や楽しみ方を通して、輝いている女性たちの姿を紹介します。第1回はロングライドイベント「Brevet」(ブルべ)に目覚め、周囲も驚く変貌ぶりを遂げた女性のお話です。
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「Super Randonnes」(シュペールランドヌール)─フランス語で「すごい自転車乗り」を表すこの言葉は、「ブルべ」で600kmまでの全ての距離を走破したサイクリストに贈られる称号だ。それを2回も手にした女性、杉渕ひとみさん。“超人”という言葉が縁遠い、小柄で色白な一般女性だ。ロードバイクを始めて4年、自転車を始めた当初は「ちょっとした坂も上れなかった」という杉渕さんだが、今やブルべを運営する立場となった。何がどうしてそうなったのか。彼女のインタビューを通じ、女性目線で見るブルべの魅力に迫った。
最初は「環八」の坂さえ上れなかった
ブルべとはタイムや順位は関係なく、制限時間内で一定の距離を完走することを目的とするロングライドイベント。フランスをルーツとするイベントで、意味は「認定」。200km、300km、400km、600km、1000km、1200kmなどのコースから成り、それぞれのコースを完走すれば、証としてメダルと認定証が与えられる。
認定者数は日本国内でも年々増加しており、「Audax Club Parisien」(ACP)の公式記録によると、2015年の国内の認定者数は延べ9305人と過去7年間で2.5倍以上に増えている。
イベントとはいえ主催する運営企業などなく、基本的にすべてが参加者の自己責任。寝食を自力で確保し、定められた「コントロールポイント」の通過証明を取りながら走る。通過証明はコンビニのレシートだったり、指定場所での自転車の写真だったりと様々だ。
ブルベのうち200~600kmまでの各距離を1年間で制したサイクリストが敬意を込めて「シュペールランドヌール」(SR)と呼ばれる。杉渕さんはこのSRを2015年、16年と続けて獲得し、さらに2015年には600kmを合計6回も走破した。
そんな杉渕さんが自転車に本格的に乗り始めたのは2012年末。最初から走れたわけではなく、むしろ自他ともに認めるほど「走れなかった」。とくに坂が苦手で、本人いわく「環八(環状八号線)の坂さえ上るのに苦労していた」という。
1人で走れるようになりたい
杉渕さんがブルべを知ったきっかけは、あるサイクリストとの出会いだった。思考が理論的で、当時自転車を始めたばかりの杉渕さんにとっては、自転車について自分が知らないことをたくさん知っているように感じた。その人がブルべライダーだった。
ブルべに興味をもち、手にしたのが当時ブルべ界でバイブル的存在となっていた『ランドヌール』という雑誌だった。そこに書かれていた「ブルべは1人で走るもの」という言葉に、目から鱗が落ちた。当時、「走れなくて周囲に迷惑をかけている」と引け目を感じていた杉渕さんは、誰かに頼って走っている自分に気付いた。
すぐに行動に移した。ブルべにエントリーする前にインターネットでブルべの200kmのコースを探し、1人で走れるかを試した。初めて漕ぎ出した1人旅は、スタートから最初のコンビニまでの約50kmがとても長く感じた。仲間とはし100kmを走ったことはあったが、こまめに休憩を挟んでくれていたことを改めて実感した。
最初の挑戦は160km地点で日没とともに強制終了。1人輪行して帰路についた。次の挑戦も途中で引き返し、3度目でようやく完走した。9月から1人で挑んだ200kmライド。気付いたら、12月になっていた。
「誰かについてけばよかったそれまでのライドと違い、1人で走ってみたら他にも考えなきゃいけないことがあると気付いた」という杉渕さん。しかし自分のペースで走ることができ、上りで皆を待たせることもない。心細いが自由で、それまでに感じたことのない解放感を感じた。
「やればできるじゃん!て(笑)。峠を上ったとき達成感て何かわからなかったけど、200kmを走ったときようやくわかりました。走ってるときはつらいけど、“思い出フィルター”がかかって全て良いことに思えた(笑)。自分の乗り方がそこで見つかった感じでした」─。
一度でだめなら何度でも
その1カ月後に200kmブルべにエントリーした。自分のペースで走りつつも、他のサイクリストたちと走る場を共有できる安心感が良かった。
結果、制限時間13時間半のところを11時間で完走。そのとき1人の女性スタッフに声をかけられた。
「よくやったわね!今度『鎌倉300』というのがあって、人気のブルべだけど女性枠があるから出ない?」
200kmを走り終えたばかりで300kmを走るなんて考える余裕もなかった。が、1カ月後には「走る」と返事をしていた。なんとか完走したものの、200kmでは感じなかった痛みを感じ始めた。とくに膝は自転車を下りて歩けないほどに。誤ったポジション、足りない筋肉などフィジカルな課題が見つかった。サイクリストとして自分の身体と初めて向き合った。
その後、体の不調を治すとさらなる高み400kmに挑み、見事完走。そして600km…と挑戦するも再びの膝痛、初めての熱中症、大雨とメカトラブルでタイムアウトになるなど4度にわたるリタイアに見舞われた。
それでもあきらめることはなく、むしろ何か課題がみつかるごとにそれを糧にした。水分補給には塩分やミネラルも必要、機械トラブルへの備え、悪天候に対する判断力─サイクリストとしての体験や知識をブルべを通して学んだ。自転車が彼女を未知の冒険へとかき立てた。
2015年3月に5度目の挑戦でようやく完走し、初のSRを獲得。さらに翌年もSRとなり、実力を確かなものにした。その彼女の変貌ぶりには周囲の誰もが驚いた。そして1200km。初回はメカトラや体の不調に見舞われ、600km地点で断念。現在はまだ達成していない。
「いつも1回じゃできない」と笑う杉渕さん。「なんでも1回でできる人はすごいと思うけど、もし私に何かすごいところがあるとしたら、どうせ1回じゃ無理だからといって挫けないところかな。最初からできないことはわかっているので、『だめだったからもう挑戦しない』ではなくもう一回やってみようと気負わずにできます」
そして「1000kmと1200kmも、あと何回チャレンジしたら完走できるのかなー(笑)」と続けた。
ライドで迎える夜明けは格別!
杉渕さんに率直な疑問をぶつけてみた。
600km走るときって何を考えているの?
「600kmを走る」と考えたら走れないと思う(笑)。私は地図をPCごとにしてマインドセットも細切れにして走ります。PC間1つ分走り終えたら次に気持ちを切り替えて、それを積み重ねながら走っている感じです。
ブルべの魅力は?
いろいろな楽しみ方が出来ること。速くゴールすることに挑戦する人もいるし、私のように速くない人でも準備とマネジメントで完走できる。景勝地や名所観光を楽しむ人もいれば美味しいものを食べることを楽しみにしている人、自転車で遠くへ走ることそのものを楽しむ人もいるし、向上心やチャレンジのために走るのももちろん。そしてそれぞれの楽しみ方を否定しないのが良いところだと思います。
景色を楽しむ余裕もある?
もちろん!とくに素晴らしいのは夜が明ける瞬間。夜通し走り続けて朝日が昇る瞬間の景色を見れたときは、体も温かくなって“あ~、生きてる~”って感じがして、まさにブルべの醍醐味を感じるときです。とくに北海道PBP(比布〜別海〜比布)600kmを走ったときに観た津別峠の雲海は絶景でした。
途中でやめたくなったらどうする?
やめたくなるときは毎回必ずあります(笑)。そんなときは、いつも完走するベテランの人や強い人たちを思い浮かべます。あの人たちならトラブルでもないのにやめたりしないだろうな、って。自分もそうなりたい。
「やめたい」って思う気持ちが出るのは当たり前なのでそれを否定しないことが大切。「弱い自分」を否定せず、「そうだよね、でもまだ走ろうか。えらいな、自分!」なんて語りかけてます(笑)。
ブルべは“自由”を楽しむもの
「トライアルブルべ」というイベントも開催され、女性の参加者も増えつつあるそうですね。
2011年から「AJ(Audax Japan)千葉」が主催するブルべの体験イベントで、私も昨年ブルべ経験者として参加しましたが、当時の参加者47人中14人が女性でした。それまでは例年女性は1、2人だったそうで、SNSの広がりも影響しているのかと思います。
すごくうれしいことですが、一方で男女問わず中には準備不足な人もいて、それによるトラブルも目立ってきています。夜間走行時の安全や体力的な問題を考えると、1人で走ることは絶対ではないと思いますが、最初から誰かについていくと考えて走る人もいて、ブルべ本来の趣旨からずれてしまっているという指摘もあります。
裾野が広がってきたということでもあると思うけど、運営側(AJ神奈川)になったいま、一般のロングライドイベントとの違いをどう伝えれば良いのか、考えているところです。でもどんなイベントでも共通しているのは「安全」と「交通ルールを守る」こと。これは絶対です!安全より大事な認定なんてないし、道交法違反する人は走る資格はないと、自分自身にも言い聞かせています。
ブルべは自己責任でサイクリストとしての力を試す場所。ここでは「走れる力」とは走力や速さでなく、自由を楽しむために自分をマネジメントすることだと思うんです。せっかくブルべに挑戦するなら、それを楽しんでほしい。大切なのは焦らずに自分のペースで楽しむこと。誰でもできます。私にだってできたんですから(笑)。
(取材協力:PÂTISSERIE ASAKO IWAYANAGI)