子どもを寝かしつけるとどうしても自分も寝落ちしてしまう…。我が家の日常です。
何としても寝まいと必死に、必死に、もがきますが、それでも迫り来る睡魔には連戦連敗です。
うちの息子(2歳3ヶ月)は最近夜の8時には布団に入って、ほんの10分20分で寝てくれます。
朝も早くから散歩で散々歩き回るので、夜は眠くて眠くてしょうがないらしい。その気持ちすげえよく分かります。だってパパもその散歩に付き合わされてるからね。
そのおかげでこのせいぜい20分が耐えれない夜が続出しているのです。
いや、でも朝の散歩だけでは説明のつかないこの眠気。この寝室にはドリエルが充満してるんではなかろうか(そんなことはない)。
今回はこの世界共通の謎に迫ります。
夕方からのスケジュールがタイト過ぎて疲れている説
子どもがいる家庭の夕方はちょっとした戦場です。
我が家の場合は、息子にご飯を食べさせるのにも一苦労、そして自分がご飯を食べるのにも一苦労します。
2歳くらいの子ってみんなああなのか分かりませんが、とにかくご飯に集中しない。最初の数分モグモグすると、すぐに椅子から脱走し、そこからはもう運動会です。ペットの方がまだ行儀よくご飯食べるぞ。
そして、そんな運動会を終えてようやく大人が本格的にご飯を食べようとすると、息子がすっと手を引くのです、「遊べ」と。
急いでご飯を口にかきこみ、息子とまた運動会です。高い高いに、おんぶに抱っこに、まさに縦横無尽。パパの体力ゲージはすぐ赤ランプが点ります。
やっとひと勝負終わったかと思うと、歯磨きでまだひと勝負。さらにそこからお風呂でひと勝負。
そこかしこに勝負が転がり落ちています。いくら何でも短い時間に戦いすぎ…。
そもそも仕事から帰ってきてそれなりに疲れているのに、その後運動会なんてしていたら、もう布団に入る頃にはさすがの私もうつらうつらなのです。
子どもの温もりが気持ち良すぎる説
寝かしつけのときには当然息子に寄り添って寝ます。息子もピタッとくっついてくれます。これが可愛いんだまた。
湯たんぽのような子どもを抱いて横になれば、ポカポカ温もりが気持ち良くなり、気持ちも身体も温かくなり、いつの間にか2人してぐーぐー言ってしまうのです。
数十分ぼーっとすれば誰でも眠くなる説
寝かしつけの20分は当然スマホも見ないし、じっと息子を抱きしめています。部屋の灯りは豆電球がついてるだけで、息子も直ぐにうつらうつらモードなので部屋は静かなものです。
一応、頭のなかでは色んな妄想を広げて眠気を飛ばそうとしますが、暗く静かな部屋の中で湯たんぽを抱えながら20分も横になっていたら眠たくもなります。
しかもその前にひとしきり運動会をしてるんだからなおさらです。慌ただしい夕方を駆け抜けたからこそ、こののんびりとした20分の緩さが身に沁み渡り、睡魔に形を変えるのです。
寝かしつけが至高の幸せだから説
子どもの寝かしつけは、子どもとの最上級のスキンシップです。お互いリラックスしたなかで、親の腕の中・胸の中で寄り添って寝ていくのです。
5秒とじっとできないで定評のある息子でさえ、布団の中では気持ち良さそうに寄ってきます。これ以上のスキンシップはありません。
で、このスキンシップって幸せホルモンのオキシトシンの分泌を促進するらしいのです。
相手がペットでも赤ちゃんでも彼氏・彼女でも同じことなのですが、スキンシップは「愛情ホルモン・オキシトシン」の分泌を促進します。同時に、セロトニンの活性化およびストレス耐性の向上も促します。
子どもの寝かしつけでの寝落ちほど気持ちいいものはないので、スゴい量のオキシトシンが出てるんだろうなぁ。
私の脳内イメージでは、私と息子の並んだ寝顔の背景はお花畑なんです。少なくとも淡いピンク色しています(幸せって淡いピンク色のイメージ)。
なので寝落ちから目が覚めても、ガックリ感よりも満たされた気持ちになっているのです。
おわりに
寝かしつけを無事にやってのければその後には大人のお楽しみの時間が待っています。
お楽しみの時間を楽しむために、必死に必死に眠気に抗いますが、その眠気と一緒に現れる幸せについつい目が眩んで、そのまま無意識のユートピアへと旅立ってしまうのです。
大人のユートピアも楽しいけど、寝落ちのユートピアもとっても幸せな場所なのが悩ましいところです。