小沢健二の新曲を発表したことで何やらタイムラインが騒がしい。
各メディアの発表によると、「19年ぶり」の新作だという。「小沢健二が帰ってきた」とかつてのファンが喜んでいる。
さて、奇妙なのは、実はこういう状況というのはここ10年ほど、定期的に繰り返されているのだ。その度にファンは「小沢健二が帰ってきた」と騒ぐのである。
小沢健二は「ずっと沈黙」していた音楽家ではない。むしろ活動はずっと続けている。
2002年にアルバム、2006年にもアルバム、2010年にライブツアー&新曲の音楽配信、2012年にライブツアー&ライブCD、2014年にライブCDの再発売、2016年にライブツアー。
こうやって並べると数年に一回は必ず新曲を出しているし、ライブも行っている。こんなに活動しているのになぜ毎回「帰ってきた」と言われるのだろうか?
特にアルバムは『Eclectic』と『毎日の環境学』はほとんどなかったものとしてされている。『Eclectic』なんて彼が作詞・作曲した最新のアルバムなのに!(今回のシングルが「文学的」という評価がされているが、それは『Eclectic』でも徹底されている。なのに、なかったことにされている)
要するに小沢健二に何か動きがあるたびにファンは『LIFE』のような楽曲、活動が求めるのだが、それは叶えられない。
なので、しばらくすると小沢健二が活動していたことを忘れてしまうのだ。だから、何かあるたびに「LIFEのころの小沢健二よ、戻ってきてくれ」という意味を込めて「帰ってきた」と騒ぎ立てる。
もう小沢健二の才能は枯れ果てて、「あの人は今」「一発屋」商法で食ってるだけなんだよ。 周りの人間とファンはそれを認めたくなくて毎回「帰ってきた!」って騒いでるだけに過ぎ...
ほぼ同世代のおばさん増田からすると、あの90年代後半の一瞬のオザケンブームの方が違和感があったなぁ 紅白出たんだよね。紅白。そういうタイプには見えなかったし、王子様だとも...