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古龍の昔話 作者:理不尽な孫の手

後編

20/22

20.離反


 私が戻ると、龍神様は床に臥せっておられた。

 酷いお姿だった。
 肩口からは血が流れ、片目は閉じられ、片足が萎えていた。
 そのうえ、魔神との戦いで片腕に大きなキズを負われていた。
 満身創痍。
 まさにそう言うのが正しいお姿だった。

 神が神に与えた傷というのは、すぐには癒えない。
 これから長い時間……それこそ数十万年という時を掛けて、ゆっくりと癒やしていかねばならない。

「ラプラスか、ご苦労だった」

 しかし龍神様は、穏やかな顔をしておられた。
 傷は多いが報復が終わった事に、安心なさっていたのだろう。
 犯人がどこにいたのであれ、あるいはまだ生きているのであれ、世界を滅ぼしたのなら、もう十分だとお考えになっていたのだろう。

「魔界は無事、沈みました」
「そうか……。ならばお前も休むといい。流石に疲れただろう」

 穏やかさの中に、少々の不安と後悔の色が見られた。
 やはり、やりすぎてしまったと後悔していらしたのだろう。
 ルナリア様が望むようなことでも、なかったしね。
 このまま何事もなく時が過ぎ去れば、何万年と経過すれば龍神様の頭も冷えて、今回の一件に対する後始末にも頭が回っただろう。

「いえ、その前にお話が」
「む……なんだ?」

 だが、その機会は永遠に失われた。
 私がネクロスラクロスより得た知識を、龍神様へとお教えしたからだ。

「崩壊する魔界で、ネクロスラクロスを発見しました。奴の話によるとキリシスカリシスは――」

 龍神様は私の話を、無表情で聞いていた。
 何を今更、と言わんばかりだった。
 だが、話が進むにつれて、龍神様の表情に変化があった。
 険しさ、いぶかしさ、そして思慮。
 最後まで話す頃には、龍神様は難しい顔で考え込んでしまっていた。

「以上です」
「……」
「……あの、龍神様?」

 龍神様は深く考え込んでおり、私の声には応えない。
 しかし、報告は終えた。
 ひとまずは命令どおり、下がって自分も休もう。
 そう思った時だ。

「……そうか、奴か」

 龍神様はそうつぶやき、起き上がった。
 寝台から出て、部屋の外へと行こうとする。

「ど、どちらへ!?」

 慌ててそう問いかけると、龍神様は答えた。

「人界を攻める」

 馬鹿なと思った。
 なぜと思った。
 人族は今回の一件においては、むしろ被害者だったはず。
 我らの暴虐の後始末を付けてくれた、ありがたい存在だったはず。

 まさか、全ての元凶は人族だというのか?
 人族が、龍族と他の種族を争わせたというのか?
 しかし、なぜ?
 理由が無い。
 ルナリア様が生きていれば、人族は龍族と共に各種族の頂点に立ったはずだ。

 そもそも、人神は滅んだ世界の者達を受け入れたのだ。
 もしかするとそれが何か、人族にとってプラスになることかもしれない。

 だが、それなら私の仕事……外交官としての仕事を手伝ってくれればよかったのだ。
 そうすれば、いずれは各世界に様々な種族が溢れたことだろう。
 滅ぼすまでもなく。

 もし人族が元凶なのだとすれば、その行動は支離滅裂なのだ。

 だから私は混乱した。
 龍神様の行動も思考も、まるで意味がわからなかった。

 ……今思えば、聡明な龍神様は、私の言葉を聞いて全てを察せられたのだろう。
 ほんの僅かな情報で、ほんの僅かな引っ掛かり。
 それだけで、本当に悪いのは誰なのかを、本当に倒すべきだったのは誰なのかを。
 無論、それは私の知り得ない情報を持っていたからこそ、出来たことだとは思うがね。

 ともあれ、当時の私にはわからなかった。
 愚かと言って笑ってくれても構わない。
 だが、一連の出来事の裏で人族が暗躍していたとは、どうしても思えなかった。
 今でこそ、なぜ気づかなかったのかと思えるような事だが……。
 でも、その時はとにかくわからなかったのだ。
 私には、知恵が足りなかった。
 いや、奴に何手も先をイカレていた、ということだろう。

「五龍将を招集せよ。まだ戦いは終わっておらぬ……」

 そして、龍神様はお言葉が足りなかった。
 今まで我らは、龍神様が右を向けと言えば右を向いてきた。
 ゆえに、詳しい説明など不要と思ったのだろう。

 無論、そのお考えは間違っていない。
 我らはそのようにあるべきなのだからね。
 でも、その時だけは、説明が欲しかった。
 必要だったのだ。

 その時だけは……。



「以上だ。各員、準備を開始しろ」

 龍神様は五龍将が集まると、即座に人界を攻める命令を与えた。
 命令だけだ。
 何の説明もなかった。
 そして、傷ついた己の体を引きずるように、すぐに会議室を後にされた。

 龍神様は、何か焦っておられるようだった。
 しかし、そのことを疑問に思う余裕は無かった。
 それ以上に、受けた命令が衝撃的だったのだ。

「そんな、馬鹿な……」
「この戦いはルナリア様の弔い合戦だったはずだ。人界はルナリア様の故郷、そこを攻め落として、何の意味がある?」
「わからぬ。だが、龍神様には何かお考えがあるはずだ、何か……」

 五龍将は誰もが愕然としていた。
 当然だ。
 彼らとて、もう戦いは終わりだと思っていたのだから。
 あとは傷ついた体を癒やし、崩壊した町を再建設し、死んだ者を弔い、未来に向けて再出発をすべき時だったのだ。
 なのに、まだ戦えというのだ。
 それも、これまで味方だった相手と。
 戦う理由の無いはずの相手と。

「だとして、一体どんなお考えがあるというのだ」
「人界は常に我らの味方だった」
「攻め滅ぼすだけの理由があるというのか……?」

 龍神様を抜きにした会議というのは、珍しいものだった。
 普段なら、龍神様に命令を受ければ、そのまま行動に移すのが我ら五龍将である。
 だというのに、その日に限ってはいつまでも会話を続けたのだ。

 理由はいくつもあった。
 人界がルナリア様の故郷であること。
 人神は常に龍族の味方であり、これまで何度も助けてくれたこと。
 私を例に上げるとわかりやすいが……実の所、他の五龍将も、人神に何度か助けてもらったことがあるそうだ。

 人界を攻め滅ぼすとなれば、今までの世界に較べて容易であること。
 今までの戦いは、ルナリア様の弔い合戦であったこと。

 そうした要因が、私達の行動にブレーキを掛けた。

 議論は白熱し、行き詰った。
 龍神様のお考えが、まったくわからなかったからだ。

「ラプラス。貴様は一体、何を龍神様に吹き込んだのだ」

 しばらくして、シラードが私にそう問いかけてきた。
 ゆえに私は正直に答えた。
 魔界で聞いたことを。
 魔界で起きたであろう出来事を。
 それを聞いて、シラードは「なるほど」と得心のいったような顔をし、言った。

「きっとお前は、騙されたのだ」
「騙された? 私が?」
「そうだ。ネクロスラクロスは、お前から逃れるため、そして魔神の娘を逃がすため、さらに我ら龍族と人族を違いに争わせるため、でまかせを言ったのだ」

 ネクロスラクロスが嘘をつけるとは思わなかった。
 だが、彼の言葉が嘘だとすれば、全ての辻褄が合う気もした。
 愚かな私はシラードにそう言われ、いかにネクロスラクロスとてあの非常事態で懸命に頭を働かせれば、嘘の一つも吐けるだろうと考えたのだ。
 嘘を付ける男ではない、と考えていたはずなのにね。
 まぁ、いつも世界同士の平和について語っていたとはいえ、自分の愛する世界が滅ぶとなれば、それぐらいの事はして当然だろう。
 彼が敵である龍族と人族を争わせようとするのは、自然なことなのだ。
 もしかすると、彼が戦争に顔を出さなかったのは裏で暗躍していたからで、いつもの馬鹿な態度は、最後に裏切るための芝居である可能性まで考えた。

 人は混乱している時は、自分の中にある確かな情報より、外の情報に頼ろうとするものだ。
 ネクロスラクロスは嘘をつけない。
 そんな事実は、「嘘をつけるかもしれない」という情報の前には無力なんだ。
 確証が無いからね。

「かも……しれません……」

 とはいえ、何か。
 何か心に引っかかる所はあった。

「普段の龍神様なら騙されぬ所であろうが……他ならぬお前の報告だ。そのままお信じになったのだろう」

 でも、そう言われてしまえば、私は二の句を告げなかった。
 龍神様が私の報告をそのままお信じになられたのは、私を信頼してくださっているからだ。
 その私が、嘘の情報を龍神様に与えてしまったのだとすれば、それは私の責任だ。

「我らは五龍将、龍神様の手足だ。普段なら疑問など持たず、かの御方の命令に従うのみ……しかし」

 次の言葉は、五龍将始まって以来の決断を迫られる言葉だった。

「今回に限っては、お止めすべきではないか?」

 五龍将の誰もが息を飲んだ。
 いかに私の誤情報が元であったとはいえ、すでに命令はくだされたのだ。
 命令がくだされたということは、龍神様は決定なされたということだ。
 それを止めるということは、龍神様を否定することにも繋がる。
 決定する前に意見を言うのとは、ワケが違うのだ。

 神の否定。
 己が心の奥底から信じているものを否定する。
 それは、とても勇気のいることなんだ。

 君は、大いなる意志に逆らったことはあるかい?
 私はその時が初めてだった。

「……わかった」

 最初に同意したのは、カオスだった。
 彼は、同胞たちの死を誰よりも悲しんでいた。
 最も好戦的であった彼は、誰よりも戦いの終わりを喜んでいた。
 必要な戦いであれば、彼も反対はしなかっただろう。
 むしろ誰よりも交戦を臨んだだろう。
 しかし無用な戦いとあらば……。

「だな。いかに人族が最弱とはいえ、人神も神の一柱。龍神様のお怪我も深い。身を案じていただかねぇとな……」

 マクスウェルも同意した。
 龍神様への労りの気持ちもあった。
 これ以上戦えば、龍神様が死んでしまうかもしれない。
 龍神様が負けるとは思わない。
 だが、もし取り返しのつかぬ怪我を負われてしまえば、命に関わりかねないのは確かであった。

「……」

 ドーラ様は迷った。
 最も忠義深い彼女にとって、龍神様の命令に背くというのは、とても難しい事だった。

「……それが、龍神様のためとあらば」

 だが、最後には同意した。
 彼女の忠義が、誰よりも厚かったからだ。
 もし今回の一件が龍神様にとってよくない事であるなら、自分の矜持を曲げてでも止める。
 彼女には、それだけの気概があったのだ。



 そうして、私達は龍神様の元へと走った。

 最初は言葉で、あの御方を説得した。
 人族はずっと味方だった。
 今回の事も魔族が苦しまぎれに吐いた嘘に違いない。
 龍神様のお体も心配だ。
 だから行くのをやめてくれ、と。

 だが、ダメだった。
 龍神様は聞く耳を持ってはくださらなかった。
 なぜと説明をされても、龍神様は理解の出来ぬ事を言うばかりだ。

「すでに人神は人神であってそうでないモノになっている。奴の目的が何かはわからぬが、殺さねばならん」

 そう言われても、当時は意味がわからなかった。
 人神は私が最初に見た時からなんら変わってなどいなかった。

 むしろ、変わってしまったのは龍神様であった。
 私達の知る、慈愛に満ち、平和を尊んだ龍神様が、今では戦いの権化のような存在になってしまっていた。

「我らは人族とは戦いたくありませぬ。どうか、龍神様も矛を収めてくださりませぬか?」

 ならばと、我らは戦いを放棄しようとした。
 自分たちは戦わぬと。
 だから龍神様も、と。

「構わん。お前たちは残れ。一人でゆこう」

 しかし、龍神様はお聞きになられなかった。
 自分一人でも行くと強く言い放ち、そのまま人界へと飛び立たれようとした。

「お待ちください! どうか、どうかお考え直しを!」
「できん」
「なぜですか。人神は常に我らの味方だった。龍神様も仰っていたではありませんか! 現在の我らの繁栄があるのは、人族の尽力あってのことだと!」
「今回の戦い、全ての元凶は人神にある」
「どこにそんな証拠があると言うのですか」
「人界にある」

 押し問答という言葉を知っているかな?
 まさに、それだった。

 説得内容は多岐に渡った。
 我らも龍神様と戦いたくはなかったのだ。
 だが、結論は同じだ。
 龍神様は聞く耳を持ってはくださらず、人界に攻め入ることを強弁した。

 せめて、なぜ人界に攻め入らねばならぬのか。
 人神を殺さねばならぬのか。
 そのことをもっと詳しく話してくだされば、その答えに至る思考を、もっと丁寧にお話くださればと……今になって思わざるをえない。
 だが、仕方のないことだったと、今でも思う。

 我ら五龍将は、龍神様の言葉に従いすぎた。
 龍神様がいかに有能な方であれ、十万年以上も唯々諾々と従い続けた者が、ある日唐突に異議を唱えても、なかなか対応しきれるものではない。
 説明するという、常識とも言える行動がね、できないんだ。
 君は、毎日使っている箒が「もう掃除はしたくない」と言い出したら、どうする?
 箒に掃除の意味と、掃除における箒の役割について説明をするかい?
 無理やりにでも、箒を使って掃除をしてしまうのではないかな?
 あるいは、別の道具を使ったり、作ったりして掃除をするのではないかな?
 結局は、それと同じことだったのだろうと、今は思うよ。

 龍神様が我ら五龍将の忠誠に甘えていた……と言えるかもしれないが、私はそんな言い方はしたくない。
 龍神様はね、我ら五龍将を信頼してくださっていたのだ。
 絶対に自分に向けて牙を向けることは無いと。
 そして、自分が頑固な態度を取り続ければ、いずれは、渋々ながらも従ってくれると思っていてくださっていたのだ。

 だが、我らはその信頼を裏切った。

「もし聞いていただけぬというのなら、我らもは龍神様を、力尽くでも止めねばなりませぬ」

 シラードそう言った時の龍神様の顔は、今思い出しても心が痛む。
 あんなにショックを受けた龍神様のお顔は、今までに無かった。
 私達は、取り返しのつかないことをしているのではないかと思った。
 だが、もし私達が龍神様からの信頼を失っても、それでいいと思っていた。
 それだけの覚悟があった。
 五龍将という地位を失い、龍界から追放されたとしても。
 それでも、龍神様が生きていて下さればいい。
 そう思っていた。

「……やってみるがいい」

 だが、それでも龍神様はお考えを変えなかった。
 変えるわけにはいかないほどの大事だったのだ。
 それを知らぬは、我らだけ。

 ほんのすこし。
 不器用でもいい。時間が掛かってもいい。
 人界に攻め入る理由を、人神を殺さねばならぬ説明を、もっと詳しくしてくだされば。
 そして、私達の内一人にでも、それを理解できるだけの知恵があれば。
 そう思わずにはいられない。

 いや、例えそうしたとしても、この戦いが避けられなかっただろう。
 私はそれを知っている。
 奴は用意周到に、長い年月を掛けて、こうなるように仕向けたのだから。

 それでも、私は思ってしまうのだ。
 何かが一つ違えば、あのような結末にはならなかったはずだと。
 愚かなことだ。

 ともあれ、こうして戦いが始まった。
 私の知る限り、最も悲惨で、最も愚かで、最も意味のない、最後の戦いが……。
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