貿易相手国ともめごとが生じた際、好き勝手に制裁措置をとれるとすれば、制裁が報復を招き、泥沼の紛争があちこちに広がりかねない。自由貿易をゆるがせ、世界経済を混乱に陥らせる危機が迫る。

 そうした事態を防いでいるのが、世界貿易機関(WTO)の紛争処理機能だ。不満のある国からの提訴を受け付け、裁判所のような役割を果たす。多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)が頓挫し、二国間や地域ごとの通商交渉が中心になった今も、WTOが自由貿易体制の要とされるゆえんだ。

 その「最後の砦(とりで)」を、トランプ米政権は壊すつもりなのか。

 議会に提出した通商政策の報告書は、WTOについて「米国に不利な決定がされた場合、それは米国の法律を自動的に変えるものではない」と明記した。さらに、通商法301条を「適切に使えば強力な武器になる」と評価した。日米経済摩擦が激しかった1980年代以降に米国が使い、今はWTO違反の可能性があるとされている一方的な制裁措置である。

 国際的な決めごとでも、自国に不利と見れば無視する。ルールを決め、それに反しているかどうかを判断するのは米国だ――。そんな傲慢(ごうまん)な宣言だと言わざるをえない。

 「米国第一」を掲げるトランプ政権は、環太平洋経済連携協定(TPP)から離脱するなど多国間から二国間の交渉に軸足を移し、自国に有利な枠組みを目指す姿勢を鮮明にしてきた。だが、すでに定着している国際ルールをふみにじる危うさは、はるかに大きい。

 トランプ政権は、報告書をただちに撤回すべきだ。第2次世界大戦へとつながった保護主義を再来させかねない暴挙に踏み切ってはならない。

 報告書の背景には具体的な政策がある。米国にとって最大の貿易赤字国である中国への報復的な高関税案や、輸出企業の税負担を軽く、輸入企業の負担は重くする「国境での課税調整」案だ。ともにWTO協定違反となる可能性が指摘されている。

 経済で深く結びつく中国と制裁合戦になれば、悪影響は米国にはね返る。国境調整は、輸入が多い小売業界を通じて、米国民の家計を圧迫する恐れが強い。そんな現実もわからないのだろうか。

 各国は協力して米国に翻意を促さなければならない。日本はその先頭に立つべきだ。安倍首相は首脳会談を通じて築いたと誇るトランプ氏との良好な関係を生かし、直言してほしい。