仮設住宅経験者の7人に1人 “同居家族亡くした”
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東日本大震災の発生から6年になるのを前に、NHKが岩手・宮城・福島の被災者などを対象に行ったアンケートで、仮設住宅での生活を経験した人のうち、7人に1人が同居していた家族を亡くしたと回答しました。徐々に健康状態が悪化して亡くなった人も多くいて、復興の遅れで仮設住宅での生活が長期化していることによる影響が広がっています。
このアンケートは、NHKが岩手・宮城・福島の3県の被災者や原発事故の避難者、合わせて5000人を対象に去年11月から先月にかけて行ったもので、全体の3割近くにあたる1437人から回答を得ました。
このうちプレハブの仮設住宅や、賃貸住宅を利用したいわゆる「みなし仮設」でいまも生活している人や過去に生活したことがある人、合わせて1137人に尋ねたところ、7人に1人にあたる174人が仮設住宅での生活中に同居していた家族を亡くしたと回答しました。
家族が亡くなったときの状況について自由記述で聞いたところ、祖父を亡くした岩手県の65歳の女性は「仮設に移ってからトイレへ行くだけの生活でだんだん足腰が弱った」と書いたほか、91歳の母親を亡くした福島県の69歳の男性からは、「見知らぬ場所で好きな野菜づくりなどもできずに閉じこもり、体力が低下した」という回答が寄せられ、仮設住宅で生活するうちに徐々に健康状態が悪化し、亡くなった人が多くいることがわかりました。
また家族を亡くした人の中には、孤立感を深めたり自宅を再建する気力を失ったりしたなどと答えた人もいて、復興の遅れで仮設住宅での生活が長期化していることによる影響が広がっています。
このうちプレハブの仮設住宅や、賃貸住宅を利用したいわゆる「みなし仮設」でいまも生活している人や過去に生活したことがある人、合わせて1137人に尋ねたところ、7人に1人にあたる174人が仮設住宅での生活中に同居していた家族を亡くしたと回答しました。
家族が亡くなったときの状況について自由記述で聞いたところ、祖父を亡くした岩手県の65歳の女性は「仮設に移ってからトイレへ行くだけの生活でだんだん足腰が弱った」と書いたほか、91歳の母親を亡くした福島県の69歳の男性からは、「見知らぬ場所で好きな野菜づくりなどもできずに閉じこもり、体力が低下した」という回答が寄せられ、仮設住宅で生活するうちに徐々に健康状態が悪化し、亡くなった人が多くいることがわかりました。
また家族を亡くした人の中には、孤立感を深めたり自宅を再建する気力を失ったりしたなどと答えた人もいて、復興の遅れで仮設住宅での生活が長期化していることによる影響が広がっています。
「亡くした母の思い胸に帰還へ」
アンケートに答えた福島県浪江町の佐藤俊一さん(69)は、去年11月、仮設住宅で生活した母親のミツさん(91)を亡くしました。
浪江町の自宅がある地域は、東京電力・福島第一原子力発電所の事故の影響で「避難区域」に指定されたため、佐藤さんたち家族は事故のあと、しばらく仙台市の妹のマンションに身を寄せたあと、6年前の7月から50キロ余り離れた福島県桑折町の仮設住宅に入居し、生活を続けてきました。
浪江町の自宅は、山の中の自然豊かな場所で、広い庭もあります。原発事故が起きる前、ミツさんは庭で落ち葉を集めてカブトムシを飼育したり、畑で野菜を栽培したりするなど元気に過ごしていました。
しかし、仮設住宅には庭や畑がなく農作業もできないため、入居後は外出することがほとんどなくなりました。徐々に足腰が弱り、仮設住宅の中であまり動かず、ベッドの上で過ごすことが多くなっていったといいます。
当時のミツさんの状況について佐藤さんは、アンケートに「見知らぬ場所で好きな野菜作りなどもできずに閉じこもり体力が低下していった」と記しています。入居して1年後には歩くことも難しくなり、仮設住宅のすぐ近くにある介護施設に入所。その4年後の去年11月、91歳で亡くなりました。浪江町はこの春、一部で避難指示が解除される予定で、佐藤さんの自宅のある地域も含まれる見込みです。
佐藤さんは、一時帰宅を繰り返して自宅の片づけをするなど帰還への準備を進めています。自宅に戻ったら、ミツさんが愛した自然豊かで四季折々の草花で満ちあふれる、かつての庭に戻したいと考えています。
佐藤さんは「長期間の仮設生活で母はやることがなく、どんどん元気がなくなっていきかわいそうだった。いつも自宅の話ばかりしていたので戻りたかったんだと思う。地域の見本になるよう先んじて戻りたいと思う」と話していました。
浪江町の自宅がある地域は、東京電力・福島第一原子力発電所の事故の影響で「避難区域」に指定されたため、佐藤さんたち家族は事故のあと、しばらく仙台市の妹のマンションに身を寄せたあと、6年前の7月から50キロ余り離れた福島県桑折町の仮設住宅に入居し、生活を続けてきました。
浪江町の自宅は、山の中の自然豊かな場所で、広い庭もあります。原発事故が起きる前、ミツさんは庭で落ち葉を集めてカブトムシを飼育したり、畑で野菜を栽培したりするなど元気に過ごしていました。
しかし、仮設住宅には庭や畑がなく農作業もできないため、入居後は外出することがほとんどなくなりました。徐々に足腰が弱り、仮設住宅の中であまり動かず、ベッドの上で過ごすことが多くなっていったといいます。
当時のミツさんの状況について佐藤さんは、アンケートに「見知らぬ場所で好きな野菜作りなどもできずに閉じこもり体力が低下していった」と記しています。入居して1年後には歩くことも難しくなり、仮設住宅のすぐ近くにある介護施設に入所。その4年後の去年11月、91歳で亡くなりました。浪江町はこの春、一部で避難指示が解除される予定で、佐藤さんの自宅のある地域も含まれる見込みです。
佐藤さんは、一時帰宅を繰り返して自宅の片づけをするなど帰還への準備を進めています。自宅に戻ったら、ミツさんが愛した自然豊かで四季折々の草花で満ちあふれる、かつての庭に戻したいと考えています。
佐藤さんは「長期間の仮設生活で母はやることがなく、どんどん元気がなくなっていきかわいそうだった。いつも自宅の話ばかりしていたので戻りたかったんだと思う。地域の見本になるよう先んじて戻りたいと思う」と話していました。
仮設住宅生活 異例の6年
岩手、宮城、福島の各県と内閣府によりますと、東日本大震災の被災地では一時、最大で11万4000人近くがプレハブの仮設住宅に入居し、震災の発生からまもなく6年になる今もおよそ3万5500人が生活を続けています。
仮設住宅での生活が長期化している理由については、津波による被害を繰り返さないよう被災地の各地で地盤のかさ上げなどの大規模な工事が必要になったため災害公営住宅の整備や住宅の高台移転が遅れているほか、福島県では原発事故による避難指示が続いていることなどが理由として挙げられます。
プレハブの仮設住宅からは、阪神・淡路大震災でも発生から5年を迎える前にすべての被災者が退去しました。東日本大震災では仮設住宅での生活がこれを超える6年になるという異例の事態となっています。
仮設住宅での生活が長期化している理由については、津波による被害を繰り返さないよう被災地の各地で地盤のかさ上げなどの大規模な工事が必要になったため災害公営住宅の整備や住宅の高台移転が遅れているほか、福島県では原発事故による避難指示が続いていることなどが理由として挙げられます。
プレハブの仮設住宅からは、阪神・淡路大震災でも発生から5年を迎える前にすべての被災者が退去しました。東日本大震災では仮設住宅での生活がこれを超える6年になるという異例の事態となっています。
専門家「継続的な支援が必要」
今回のアンケートの結果について防災社会学が専門で兵庫県立大学の木村玲欧准教授は、「仮設住宅は仮の住まいであって、ついの住みかではない。それなのに自宅や生活の再建が遅れ、この仮の住まいでの生活が長引く中で、高齢の方や持病を持っている方が多く亡くなっているという今回のアンケートの結果は、非常に悲しく、震災の影響の大きさというものを改めて感じさせられる」と話しています。
そのうえで、「家族を亡くしたあとも仮設住宅にとどまっている人は孤立感や閉塞(へいそく)感をさらに強める可能性がある」と述べ、行政やボランティアによる支援や見守りを今後も継続的に行うことが重要だと指摘しています。
そのうえで、「家族を亡くしたあとも仮設住宅にとどまっている人は孤立感や閉塞(へいそく)感をさらに強める可能性がある」と述べ、行政やボランティアによる支援や見守りを今後も継続的に行うことが重要だと指摘しています。