初恋の女性から、結婚することになったとメールが届いた時、ぼくの右手は震えていた。
みなさんは、自分の「〇〇ちゃん、カワイイ」という感情に自信がありますか?わたしはというと、てんで自信がございません。思い出してみると、好きになる女の子は、少し個性的な方が多かったと思います。
修学旅行の夜とか、友達同士で好きな女の子を言い合うことがありますよね。中学校時代なんて、「お前何で、〇〇好きなの?」と聞かれるのが怖かったので、みんなが好きという安全牌的な女の子(好きといっても波風が立たない女子)の名前をあげたりしていました。
考えてみれば、なぜ、思春期の時に限って、そのような「好きな女の子」として名を挙げやすい異性が存在するのか?と、疑問に思います。
おそらく、そこには、クラスの中の権力図、キャラ付け、スクールカーストなど力関係が存在し、カワイイを決定づけているのではないか、と思うのです。
こんな話がありました。
中学生時代、部活の地区大会で、隣の市の中学校の女の子Aさんがカワイイと、わたしの仲間連中で、話題となりました。そして、わたしたちは、Aさんに近づくべく、その中学校の友達に紹介してくれるように頼んだのです。友人の答えは、「Aさんよりも、お前の部活にいるBさんの方がカワイイだろ!他の中学のやつも、そう言ってるよ。」というものでした。わたしたちは、「え、Bさんは、Bさんだよ。」と、困惑したのを覚えています。小学校から中学まで、一緒に過ごしたBさんを、美少女だと扱うことも、思うこともなかったのです。
その10年後、久しぶりに、たまたまバス停で、Bさんを見かけました。満島ひかりさん似で、びっくりするくらい美人になっていたのです。(思い出してみると、もともと美人なんですが。)
これに似た経験がもう一つありました。同じ部活のコジマくんという、幼馴染に言われた言葉です。「お前らは、Cっち(あだ名)をブサイク扱いしているけど、よく見ろ。ニキビあるけどカワイイぞ!」と言われたのです。その時も、おろかなわたし達は、いや「Cっちは、Cっちだから」と思ったわけです。
ただ、思い出してみるとCっちは、カワイイのです。性格も優しかったし、良い子でした。Cっちとは、よく話をしていたのですが、恋愛対象として考えることは全くなかったのです。
なぜ、自分たちのカワイイ尺度は、見誤ることがあるのか。それは、その子を取り囲む、環境が大きな要因となることは確かだと思います。
ただ、より重要なことは、「わたし達のカワイイという感覚は、見誤るものだ」と考えることではないでしょうか?
ここで、その女性を取り囲む環境や、力関係によってカワイイが変動することを、「政治的カワイイ」と名付けたいと思います。
先ほど、例に出したわたしの幼馴染、コジマくんは、政治的カワイイの尺度に影響されることなく、Cっちの可愛さを指摘し、わたし達を諭した彼は、自分自身にカワイイ尺度を持っているのです。それを、「俺的カワイイ」と名付けたいと思います。
「俺的カワイイ」を貫くことは、難しいことです。かくいう、わたしも、初恋の女の子は、完全に「俺的カワイイ」でした。
最近、その初恋の女の子が、結婚することとなり、小さな同窓会が開かれたそうです。わたしは、仕事で行くことができなかったのですが、友人から、「〇〇が、すっごいキレイで驚いた」と、言われ、わたしは「そりゃそうだろ!!」と思いました。
わたしは、中学校時代に気づいていたことが、友人達はまったく気づかなかったのです。これこそが、カワイイとか、キレイのあやふやで、あいまいで面白ことなのではないか、と思うのです。
カワイイと、モテるは違いますが、カワイイの中にもたくさんの種類があると思います。今回は、「政治的カワイイと俺的カワイイの相克」について書きました。
自分の感覚に正直になることの方が、幸せになるのかなと思う今日この頃でした。
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