織田信長はいつの頃からか相撲好き(見る専門だが)になって
いた。どれくらい好きかというと、暇さえあれば一年に二、三回
相撲大会を開くほどだった。
信長は優勝した者、健闘した者、気に入った者たちに褒美を与え、
時には家臣にしてくれたので参加者が千人を越えることもあった。
取り立てられた者の中には素姓の怪しい、侍ではないであろう者
もいて、秀吉のようにとはいかないが立身出世のチャンスだった。
宮居眼左衛門も相撲大会で活躍した男であった。信長は彼を賞して
重藤の弓を授けた。しかし彼はそれ以来、相撲をぱったり辞めて
しまう。「なぜ相撲をとらないのか」と信長は宮居に疑問をぶつけた。
彼の答えは「相撲は強いから勝つというものではないのです。
あの時は勝ちましたが、今度は負けて弓を取られるかもしれません。
もし私を負かした者があなた様の敵になったとしたら、せっかくの
名誉が虚しくなることでしょう」というものだった。道理にかなう
と思った信長は、それ以来、弓を与えなくなったそうだ。
安土城跡の近くに眼左衛門という地名があるらしいが、その由来は
そこに信長に召し抱えられた宮居の屋敷があったからだという。
890 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 00:24:21 ID:cv8S2gap
ただ、信長の相撲大会で勝っても、取り立てられて家臣になれるのは、最初から侍身分の者だけで、
それ以外は褒美の品が下される程度だったそうな。
やはり厳然とした身分の壁があったんですな。
891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 00:25:33 ID:J5JKEtl/
>>889
ああ、虚しいというのは、戴いた弓が信長に向けられるってことね
894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 01:01:38 ID:ey87axoL
>>890
侍身分でなくとも仕官した例はありますよ。ただし、もとからの侍身分と
比べれば、付けられる地位仕事には差があった。
これはある意味当然で、それまで戦場で戦った経験もなく、事務仕事を
したわけでもないものをいきなりそういった仕事を任せられる訳がない。
あと、この故事が、後の大相撲の弓取りの由来になったとされているが、
真実はどうなんだろうね?
逆に言えば能力があれば取り立てられたわけでもある。例えば埴原植安
という人物は清洲城代として尾張の政務を委ねられたほどだが、前身は
巡礼つまり侍ですらない諸国流浪のものだった。
相撲取りも、相撲の能力(≠戦場の能力)で取り立てられたのだから、
仕事(地位)に元からの侍身分と差をつけられるのは当然。
895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 01:24:10 ID:uQjEZW5C
この時代の身分制度の研究は過剰な同和教育と過激な人権団体の強かった時代の影響もあってか、
いまいちハッキリしないんだよな…実際にはどうなんだったんだろうね。
896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 01:54:07 ID:pLvmWKOt
一方一豊は相撲大会に出た人を(ry
897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 02:05:28 ID:nsvXlfP8
>>896
ありゃ酷いハナシだが
大河ドラマではそこんとこも映像化したの?
898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 02:49:29 ID:w5BjPQcv
>>895
大半の戦国大名の氏素性がはっきりしないってことで大体推し量れるんじゃないか
899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 04:05:50 ID:lUfTvGr8
Q.「君の先祖にはどんな人がいたの?」
A.「今、林羅山に家系図作ってもらってるところだから、できたら教えるね♪」
900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 09:15:31 ID:cv8S2gap
しかし戦国大名の氏素性って、過去下克上史観が盛んだった頃にはそう言う、
素性がはっきりしないって捉えられ方が多かったけど、研究が進むにつれて、
例えば北条早雲こと伊勢新九郎が素浪人ではなく幕府の高級官僚だとわかったり、
それこそ秀吉の実家が、代々織田家に足軽を出している歴とした素性のある家だったりと、
戦国大名の氏素性に関してはむしろ、高く見られるようになっていると思うぞ。
901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 09:35:31 ID:GBYCI+Xx
秀吉のほうもそんな確定的な話になってたっけ?
902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 10:54:39 ID:pWasBlNY
>>900
名門今川家だから、幕府の官僚から嫁貰ったわけで、浪人はないよね。
信玄の正室も公家だったかな。
903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 11:26:07 ID:4v6QMGYf
>902
本願寺顕如と嫁さんが姉妹、つまり義兄弟なんだよね
……べつにウホッな意味ではないが
904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 12:15:14 ID:ChODSm4g
>>899
池田輝政明朗すぎワロス
905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 13:28:41 ID:qrZfPH/i
島津も大友も、初代は頼朝の妾の子だって主張してるだけで
明確な根拠が無いんだよなぁ…
906 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/24(日) 13:42:58 ID:AP/hIv4g
結城もそうじゃなかったっけ?
907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 13:47:00 ID:qrZfPH/i
あっちこっちで隠し子をでっち上げられて、
頼朝さんも難儀だなぁ…
908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 13:49:38 ID:Nmr+vcWV
あの時代なら鎌倉以来の武家ってだけでも価値ありそうだけどなぁ
909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 14:21:49 ID:Te9c4zA+
>>907
弟を大事にしとけば隠し子の数も分担できたのに。
910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 14:23:32 ID:48sMojcN
>>903
本願寺顕如は親鸞から女系で源義家に繋がるよ
顕如が武家の名門ってなぜか違和感あるがw
911 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [] 投稿日:2009/05/24(日) 15:33:07 ID:M/0hyp+i
>>910
そういえば顕如から親鸞までが父系でつながらない雑系なのが残念だな。
912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 15:58:20 ID:yRZll4XE
>>911
昔もowdやms子みたいなのがおったんか
913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 16:15:32 ID:jb9CH1zO
こんなのも
Q「先祖は藤原氏だけどどこの藤原なの?」
A「北南それとも知らずこの糸のゆかりばかりの末の藤原」
914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 16:21:20 ID:GBYCI+Xx
でも、時代人口差考えたらどっかでなんか混じってそうだし
あながち間違ってないかも知らんw
915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 16:33:20 ID:4Kn4d1tN
>>895
実は緩かった、ならば人権団体的には困るんだよねw
916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/24(日) 16:37:06 ID:uQjEZW5C
>>911
別に残念ではないだろw
本願寺はたしか、元々が親鸞の娘さんからの系統なんだよな
コメント
香辛料(75)の中身 | URL | -
信長の時代に相撲の現在の形式が形作られたと聞いたことがある。それも陰陽道や何やらの当時としては最先端の中国式に則って。
岐阜と命名したことといい、信長は相当中国の故事に通じていたか優秀なブレーンがいたんだろう。本人の学は上総守って名乗っていたことがあるんで、ブレーンの方なんだろうが。
( 2009年05月26日 11:22 )
人間七七四年 | URL | wZ.hFnaU
「岐阜」と言うのは信長以前からあのあたりを呼ぶ地名として
使われてた。それも周の文王が云々、ではなく
単純に「川のほとり」と言うのを、かっこよく言った
程度の意味だそうな。
中国の故事から取った、と言うのは後世の作り話らしい。
( 2009年05月26日 11:54 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
親鸞は確か武家だったんだよね。
新聞の連載小説に書いてあった
( 2009年05月26日 20:02 )
人間七七四年 | URL | -
>それこそ秀吉の実家が、代々織田家に足軽を出している歴とした素性のある家だったりと、
仮に本当だとしても、全然由緒ある家柄じゃないだろw
( 2010年03月14日 03:27 )
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