こんにちは、かみーじょ(@kamiiiijo)です。
連載「おしえて企業さん」第14回は、懐かしい駄菓子「きなこ棒」を製造する株式会社鈴ノ屋。
小さいころ一度は食べたことがある駄菓子の定番「きなこ棒」ってどうやって作ってるの?
そんな素朴な疑問から、鈴ノ屋の製造工場におじゃましました。
きなこ棒ができるまで…
訪れたのは、東京都荒川区にある工場。
閑静な住宅街の中にあります。
入り口の黄色いカーテンは、虫が好む紫外線をカットし、工場内の光に虫が集まることを防いでくれるそう。
まず見せてくれたのは、きなこ棒の主な原料となる黒蜜。
水飴と黒糖を独自の配合で混ぜ合わせた、鈴ノ屋の特製品です。
ぐつぐつと煮詰めた黒蜜ときなこを機械で混ぜ合わせます。
この機械で一度に約2000本のきなこ棒が作れます。
出来上がった生地はトロトロと柔らかめ。そしてあつあつ。
素手で生地を掴むスタッフさんは「これ結構熱いんですよ」と言いながらも、涼しい顔で作業を進めていました。
生地を機械に入れると、1本の長いきなこ棒ができます。
そこへ、大量のきなこをまぶし……
食べやすい大きさにカット!!
1つずつ梱包されて完成。こちらはコンビニやスーパーで販売されるもの。
駄菓子屋で販売されているものは、1つずつ手作業で棒をさしています。
医療界から「きなこ棒」の道へ
株式会社鈴ノ屋は、平成23年に設立した比較的若い会社。
なぜこのタイミングで駄菓子製造に踏み切ったのでしょうか。
オーナーの小林鈴子さんによれば、「もともと実家が『きなこ棒』の製造会社を営んでいて、平成23年に独立という形で、私と旦那とで鈴ノ屋を設立しました」とのこと。
実は小林さん、大学卒業後は今の仕事とは全く違う、医療界で3年ほど仕事をしていました。
ある日、両親から実家のきなこ棒工場を手伝って欲しいという依頼を受け、実家の工場へ就職。
両親とともに会社を切り盛りし、数年後、現パートナーの旦那さんと結婚しました。
旦那さんは、工場を継ぐことを視野に入れ、食品メーカーで食品ビジネスを学び、数年後に同工場に勤務。
小林さんの両親、小林さん、旦那さんが共に働く形となりました。
「独立の提案は父からでした。私の父は、主人が自由に働ける環境を望んでいました。義理の両親と働くのは疲れるだろうし、独立して夫婦2人で気兼ねなく働いて欲しいと言われ、独立を決意しました」と小林さん
独立を促す父の言葉には、義理の息子を気遣う優しさが詰まっていました。
そして夫婦2人で株式会社鈴ノ屋を設立。
独立を振り返ると「今は独立してよかったと思っています。辛い時もありましたが、両親と共に働いていたら甘えてしまうばかりで、自立できなかったかもしれません」とのことでした。
現在は、15名の従業員を抱えるまでに成長。1日13〜15万本のきなこ棒を製造し、日本各地に出荷しています。
消費者からの温かい手紙
「年に何通か、消費者の方から手紙をもらうことがあります」
小林さんによると、小さな子どもから“きなこ棒おいしかったです。これからも頑張って作り続けてください”という内容や、大学生から“駄菓子が好きで、卒業論文で駄菓子について研究しました“といった内容の手紙が届いたそう。
「こういった消費者の声は励みになります」と笑顔で話してくれました。
町の駄菓子屋が減っていることについては「正直寂しいです。しかし、最近ではコンビニやスーパーなどでも駄菓子コーナーを設けているので、そういった場所で『きなこ棒』に触れ合っていただけると嬉しいです」とのこと。
安くなきゃ駄菓子じゃない
1本10円という価格設定はこだわりがあるようです。
「駄菓子って安くなきゃ、駄菓子じゃないですもんね」と小林さんはさらりと言ってのけましたが、実際は国産大豆の価格高騰により、試行錯誤を重ねているそうです。
「昨日も卸業者と打ち合わせをしてきました……」という小林さんの言葉から、昔ながらの価格をキープするための涙ぐましい努力が垣間見えました。
幼いころに経験した、小銭を握りしめ、限られた金額の中で駄菓子を選ぶあのワクワク感。
それを守り続けることは、決して容易いことではないのです。
まさか、レジの横にあったあの「きなこ棒」にこんなストーリーが隠れていたとは。
そういった思いを感じながら、懐かしのきなこ棒に舌鼓を打ってください。