見世物サーカス
誰も知らないままに悲喜劇あふれるショーは幕を開ける。
舞台に上がるは道化師一人。主役は名前も知らないどこかのだれか。
さぁさお手を拝借。
これは世界一可哀想で世界一可愛らしいきみに送る道化芝居。
◆
物心ついた時から知っている景色は病室の白い天井。窓から見上げる人工物の空。
そして入れ代わり立ち代わりやってくる看護師と他の患者の見舞客だった。
自分の周りにはいつも人がいた。いつだかわからないほど、幼少の時から。それを当たり前だと思っていた。
そんな世界が崩れ去るのは少し頭が働くようになった頃。
看護師は人工呼吸器と点滴に縛られベッドから起き上がることもできない自分を『可哀想』と言い、やたらと世話を焼きたがっていた。特に看護師長にはいたく気に入られたのか、用もなく部屋に来ることが多かったような気がする。
これは後々分かったのだが、自分が入院していた部屋は小児病棟ではなく呼吸器系の病棟、つまり大人も入院している病棟でその中に一人いる子供がもの珍しかったのだろう。
この街において先天性の重篤な疾患を抱えて生まれる子供は本当に数が少ないらしい。それは最近分かったレプリカント云々の事象も合わせれば案外納得のいくことだ。そのためか小児病棟は比較的元気な子供の入院患者が多いらしく、体調に触ることを懸念して専門病棟に部屋を用意されたのだろう。
物心ついたころ、親の顔を知らなかった。母親は俺を産んですぐ体を壊して死んだと聞いている。父親はそれが原因か否かは知らないが、一度も病室に顔を出したことはなかった。ただ機械的に振り込まれる入院費で自分を生かしているだけのようだ。
そして他の患者の見舞客は見舞いついでのような様子で部屋に訪れ、呼吸器に阻まれ声の出ない自分に延々と『自分がいまどれだけ不幸か』を語り掛け続けた。
親の顔も知らないあなたは可哀想、でも自分はもっと可哀想。大なり小なり差はあれど内容はそんなことばかりだった。
幼いころは見舞いに訪れる人以外に時間をつぶせるものがなかったこともあり、来てくれる人たちを喜んだ。
だがそれは物心と知性がつくにつれ、徐々に失望に変わった。
誰もかれもが、結局は自分が一番なんだ。自分が一番可哀想。あるいは可哀想な子の世話を焼く自分が一番かわいい。
そうして病室のベッドの上で学んでいった。
世界には二種類の人間がいる。自分が一番可哀想な人間と、自分より可哀想な人を欲しがる人間。
そんな人間のために『世界で一番可哀想』と『貴方の方がかわいそう』のどちらもを演じ分けなければならない自分。
あまりに滑稽な芝居。その芝居は呼吸器が外れ、人と話せるようになってから瞬く間に加速した。
相槌を打ち、話を聞き、その人がどちらかを知る。そして必要とされる方に成りすます。
その人間が喜ぶ返事を、表情を、懸命に考え、笑顔の化粧で降り積もる感情を上塗りしていく。
きみが苦しいなんて知らないよ。哀しいなんて知らないよ。付き合いきれないんだ。
不幸自慢以外に取り柄がないきみを構っていられないんだ、俺だって苦しいんだよ。
そんな本音を飲み干して、笑顔で耐えるんだ。
まるでサーカスで妙技をふるうピエロ。だが、そうしなければ生き残れないことも薄々感づいていた。
人の手を借りなければ生きていけない。呼吸器が外れ多少は動けるようになっていたものの歩いて移動できる範囲は狭い病室の中だけ。緊急時用のボンベが積まれた車椅子は自力では決して動かせない。
端的に言ってただのお荷物だ。だから生き残るために、誰かの手が必要だった。
そしてその手を借りるために、妙技をふるい続けなければならなかった。
誰にでも好かれるように。
ちょうどその頃だったか。ただの一度も顔を見たことがなかった、『父親』を語る男が部屋に訪れたのは。
正直父親と言われてもいまいち実感はわかなかった。だがテレビや本で得た知識は、『親は何があっても子供の味方』だと綺麗な世界を歌っていた。だから期待していたのだろう。今思うと何故生死の境を何度も彷徨った子供の見舞いにも来ない父親に期待を抱けたのか疑問でしかないのだが。
部屋に入ってきた男の口から真っ先に飛び出したのは『まだ生きてたのか』という心の底からの侮蔑の籠った言葉だった。呆然とする自分に男はその後一時間ほど滾々と恨みつらみの籠った言葉を吐き掛け続け、最後に『生かしてもらえるだけありがたいと思え』と締めくくると部屋から出て行った。
これは後から知った話だが、父親はかなり高名、と言うか実績のある天蓋の技術者らしい。母親は同じ大学の同期の出で特に何事もなく結婚し子供を産むはずが、その時まで気づかれていなかった先天性の心疾患が原因で命を落としたそうだ。そして残されたのは生きることもままならない自分と、愛した人を失った悲しみを叩き付ける先を求める父親だけだ。
そして父親は行くあてのない恨みを俺にぶつけ、歪んだ矛先は自分の研究の方にも向いていた。このことに関しては全く知らなかったし知る由もなかったが、研究所で国春が見つけた資料に名前が載っていたことからなんとなく憶測はできる。
なんでもいいから怨む対象が欲しかった。大義名分を付けて呪いを叩き付ける対象が欲しかった。つまるところはそれだけなんだろう。
そうして俺は改めて現実ってものを知らされた。
それと同時に、俺の中である宗教が出来上がりつつあった。
人間は他者の賞賛を、承認を得なければ生きられない。自分が一番可哀想だという自負しか取り柄がなく、それを誰に認めてもらわなければ生きていけない。一方で一番可哀想な子供を懸命に世話する自分を誰かにひけらかし、称賛を浴びなければ生きていけない。
否定されれば。拒絶されれば、生きてはいけない。そこで終焉だ。そしてそんなことをした日には道化師もまた死んでしまうのだろう。
一見明るい照明に照らされた舞台は華やかだ。
だが演目は全て自分のためなんかじゃなくて、自称主人公たちのための道化芝居。
まるで空中ブランコのショーだ。
彼らは勝手に俺を引っ張り上げてそして身勝手に突き落とす。
生き残るためには妙技をふるわなくてはならない。
そして何があっても演技を途中でやめてはならない。
演技をやめれば地面に叩き付けられて死んでしまうのだから。
たとえ差し出されたロープがどれだけ棘だらけで、握りしめた手が深く切り裂かれようと
すべてを飲み込んで、耐えるんだ。
それ以外に生き残る術はないんだから。
そんなある日、体調がだいぶ落ち着いていたからと言う理由で看護師たちの“気遣い”により、小児病棟にいる同年代の子供と初めて交流を持つことになった。交流、と言っても大したことではなく、少し顔を出すだけだったのだが。
そうして子供の前に引っ立てられた俺は、再び道化芝居を披露することになった。確かに最初のうちはうまく言っていたのだろう。看護師により『可哀想な子』として引きずり出された俺をその子たちもそう扱おうとしていた。
だがそれもやはりうまくいかない。次第にその子たちの目は『特別扱い』に対する嫉妬にすり替わっていた。そしてそれに気付かなかった俺は当然のように、看護師がいなくなった隙に車椅子もろとも人の来ない病院の片隅に捨てられた。
前のめりにひっくりかえり、背にのしかかった車椅子と自重を自分の腕で支えることもできない俺は抜け出すことも叶わず、ただ冷たい床に頬を付けて人が来るのを待つしかなかった。
道化芝居に失敗したピエロは床に叩き付けられて死んでしまいましたとさ。
だから、今度はうまくやらなきゃ。そう思う半面、もう何もかもがどうでもよくなっている自分もいた。
どうせ誰も助けてはくれない。泣いたって喚いたって声が届くはずはなくて、誰かにとって都合のいい自分を演じている間だけ人は自分を必要とする。
俺はただ切り裂かれる手の痛みに、芝居を要求する主人公たちの罵声に、心底疲れ切っていた。なぜこんな苦しいことをして生き続けなければならないのか。生きていったい何があるのか。そんな思考ばかりが頭の中を駆け巡っていたその時、ふいに背を圧迫していた車椅子の重みが消えた。
ああ、誰かに見つかったんだなと冷静に考え、少しの間呼吸を整えて何度かそう言う人間の喜ぶ愛想笑いを思い浮かべて。
その誰かに、常に賛辞の言葉を求める人間が欲しがるような、感謝の笑みをくれてやった。
だが、少しだけ現実は思っていたものと違っていた。まず第一に、自分を助け出してどうすればいいかわからないといった様子でおそるおそる手を差し出したのは小児病棟にはいなかった子供だったこと。そして第二に、その子は笑顔を向けられるや否や、今にも泣きだしそうな、深く傷ついた表情をしたことだった。
さすがの俺もこれには少し驚いて、何か間違えたのかと必死にその子供が欲しがる言葉を模索したが何故か出てこなかった。そして、二言目を発するより先に、駆け付けた看護師がこれは何事かと大声を上げた。
その後の成り行きは何せ必死だったものであまり良く覚えてはいない。少し目を離した隙に重い病気の子供が車椅子もろとも病院内の死角で置き去りにされていたなど病院側からすれば大問題だ。責任問題にも発展しかねない。だからだろうか、看護師は患者でも見舞客でもないその子がここに連れてきたことにしようとしていた。
そしてそれを躍起になって庇っていた。理由は何故だかわからない。ただ看護師に鋭く詰問されている間、違うとも言わず泣きもせずただ深く俯いて耐えるだけのその子がどうしても気になってしまったんだ。
努力の甲斐あってかお咎めなしと言うことになった俺はその子を連れて、と言うよりその子に車椅子を押してもらって自分の病室に戻り、あれやこれやと質問を変えていろんなことを聞き出した。
その子、陽光は特に自分が人より不幸だとも言わず、俺の事を可哀想とも言わず、ただ淡々と構えていた。それが何よりありがたかったし、初めて対等に話してくれる相手に会えた気がして、かなり一方的にいろんなことを話しかけ続けた。
そして面会終了の時間が迫ると、明日もまた来てほしいとせがんだ。それを言ったとき、少し嬉しそうな顔をしたことを覚えている。
その理由はじきにわかった。その子もまた寂しい子で、誰かに必要とされたがっていた。そして、ただ居場所を欲しがっていた。
そのどちらも、どうあがいても誰かの手が必要で、見舞いと言う大義名分があれば長い時間居座れる病室にいる自分にとっては簡単なことだった。
そうして必要なものがお互い一致した俺たちのこの奇妙な関係は、たとえふとした拍子に人が増えても全く変わらずに続いていた。
だがそれは道化をやめられたということではない。
確かに二人の時は意識しなくてもよかったが、相も変わらず道化師の悲しい性は拭えないままで、そして根底に根付いていた“人間は拒絶されれば破綻する”と言う宗教もそのままだった。
さぁさ、この世界で一番不幸でかわいそうな皆様お手を拝借。
大丈夫、これは全部ただの法螺話。……たぶんね?