激しい律動の後のーー弛緩した穏やかな静寂。果ててもなお、きみのなかから去り難くて、躯を重ねたままきみの額に口吻ける。瞼を震わせて、ゆっくりときみは俺を見上げた。
「ーー…死なないで、ね」
「それは俺の台詞だろう?」
指をくわえてきみを見送るしか無い、俺の。祈る事しか出来無い、俺のー…。
「あなたは先走るところがあるから」
きみの掌がうなじに伸びて、俺の頭を引き寄せる。
「わたしの訃報を聞いたりしたらーー後を追っちゃうんじゃないの」
「間違い無く」
「それじゃ、わたしは何処に還ったら良いの」
忍び笑い。額と額をくっつけて、囁き合ったーーこのまま朝が来なきゃ良いのに。そう願う。
「簡単に信じたりしないで。必ず還るからーーわたしを諦めないで。生きて、いて」
「じゃあ、俺も」
頬を撫でるきみの手を、唇に当てた。
「待ってるから。必ず還って来るんだ。
手足の一本や二本無くなったからって気に病むなよ、きみはきみだ」
何か言い返そうとしたきみを遮るーー俺は、真面目だよ。
「どんな姿になってでも良い、必ず還ると約束してくれ。俺もちゃんと生きてるから、さ」
「ー…ふ、ふふ。変ね、わたし達」
「変かな?」
「変よ」
もう一度、口吻け。また、昂って来るのを感じてるーーきみが、低く呻いた。
中途半端な温度の湯が、爪先を濡らしていた。
何時の間にかバスタブから溢れ出ている。不意に、気付いたーーあれから、どのくらい経ったのだろう。
きみが消息を絶ってからーーうっそりときみの『相棒』が玄関に立った日から。
捜索が打ち切られた、とだけ奴は言った。そうか、と俺は答えた。やっぱり奴も、自分の爪先だけを見て話していた様に思う。その時奴がどんな貌をしてたかなんて、記憶に無い。葬儀の案内を持って来てたが、その場で破り捨てた。
どうしてこんなに大事な約束を忘れていたんだろうーー大切なきみの言葉を。待っていてくれと、きみは言った。待っていると俺は応えたのに。
きみは還ってくるーー約束したから。他の誰もが諦めても、俺は諦める訳には行かない。還って来いと言ったんだ。俺が潜るとバスタブの湯は大半が毀れたが、気にならなかった。快哉を叫びたい気分だ。眼の前の靄がすっきりと晴れた様だった。
そうだ、俺だって初めは信じていたーーだけど、信じ続ける事は難しい。なにも掴め無いままどんどんきみの面影が消えて行く。流され諦めた方が楽だったから、そうした。だけど想い出したから。
莫迦だなと自分でも思う。きみを待ち続けるーー本当は、もう全て終わってるのかも知れないと怯えてる。ーーけれど、それがきみの希い。
生き存える事。きみがいない毎日を、それでも繰り返す事。ぬるま湯の中で手足を伸ばせばかつんとバスタブにつかえる。不自由な日常を過ごして行く他無いーー非道い女。あっさり死なせてくれれば良いものを。仕方無い、きみの希いを叶えられるのは俺だけだ。
ーーきみが信じていた様に、貫き通せばそれが真実に変わるだろうか。何時かきみに辿り着く日が来るのだろうか。意を決して立ち上がる。
床に散らばった水滴が、一瞬の陽光を弾いて輝いていた。
(了)
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