と、書いたところで、理解しない人間には理解できんやろけど、人間のココロは”資本家階級””労働者階級”なんてキレイにスパッと分かれるものでもない。
人間は人間や。
”労働者階級”と思っていても、実際はスターリンにしろ毛沢東にしろ金日成にしろ、独裁主義者が出て来る。
じゃあそれをこんどは”スターリン主義”と新しく名づけるわけやけれども、それでも新しく出てきたら、”ナントカ主義”って新しく作って批判する。
それではダメ。
人間がひとたび権力を持ったらどうなるか、を考えたら自明や。
”人間の品性は、その人が権力を持ったらわかる”みたいな名言を誰かが言うとった気がするけど、そんなカンジやな。
そういうふうにして大局的に考えなアカンねん。
まあええわ。
カーネギーって人間の本質をよく捉えている。
階級対立の構図を信用する側としても、資本家階級が労働者階級をこう見ているのだ、と思ったら、自分ら労働者は、もっと労働者のことを知らなアカンのは自明と思うハズやろ。
そこに中核派の過ちの根本があるんやけど、カーネギーも書いとるように、過ちを指摘してわかるようならば、中核派はココまでおかしなところに転落してない。
http://iyashitour.com/archives/19807
他人に興味を持つことによって
自分自身を忘れよう。
毎日、誰かの顔に
喜びの微笑が浮かぶような善行を心がけよう。
「ウンドーガ!ウンドーガ!」って言ってビラ配るのは、誰にも興味を持ってないから無駄というのがよくわかるやろ。
私なんか機関紙はもっともっと具体的で、人々の話題に出るようなハナシのほうがいいと思う。
だって、人々のウワサにできるようなネタならば、それをウワサして、ウワサを一刻でも早く広めるために買うやろが。
それが人々の興味なんやから。
じゃあどんなものがウワサなのかというと、たとえば芸能ネタなんか格好のニュースやろな。
けど中核派は芸能ネタなんか取り扱わんねん。
芸能ネタに絡めて、それが自分らの生活にどう影響を与えるのか?を考えたら、ウワサにできるネタなんていくらでもひねり出せるのに。
私はイチゴクリームが大好物だが、
魚はどういうわけかミミズが大好物だ。
だから魚釣りをする場合、
自分のことは考えず、
魚の好物のことを考える。
上で書いたことに繋がるよなあ。
中核派は
「私はイチゴクリームが好きだから、魚もイチゴクリームが好きになるべきだ!
その上でさらに、川にイチゴクリームが流れてこないことはどうしてなのか?と、魚もJR東日本とか日本政府に対して団結して訴えるべきだ!」
と、1段階ならばまだしも(それでも難しいけど)、2段階で難しいことを言うとるねん。
”国鉄闘争”とか”ストライキ”とか、食べ物で言うとそれこそミミズとかイモムシとか、人間がおよそ食わんような何かについて一方的に訴えて、団結せよ!ってビラ配っとるのが現状やねん。
・・・違う言い方で言うと、中核派に向かって、魚が困っていると言ってきたら、魚がどうやってミミズを獲れるかを検討するのが最初なんちゃうん?
非難は愚者でもできる、
理解は賢者しかできない。
私はどうしても、JR東日本に対しても、日本政府に対しても、自分ならばこうやる、という案を出したりする。
それは相手ができないというのがわかってはいるんやけど。
まず相手がどう出て来るかまで読んで、手を出さなアカン。
中核派はそういうのがゼンゼンない。
それに、私は創価学会の人が来たってスッと話を聞くやろ。
中核派はそういうのはないわな。
理解しない、というのは、それ自身がもう分断なんやけどな。
およそ人を扱う場合には、
相手を論理の動物だと思ってはならない。
相手は感情の動物であり、
しかも偏見に満ち、
自尊心と虚栄心によって
行動するということを、
よく心得ておかねばならない。
中核派は外部に論理の動物を装いながら、内部は感情むき出しなのはよくわかった。
”偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって行動する”
というのも、一般的にヒトはそう動くけれども、中核派の歴戦の闘士たちは違うと思いたい、甘い思いが私の中にあった。
逆に私なんていっつも、誰よりも苦行に喘いどる。
家族や友人や同僚の
やる気を起こさせる唯一の方法は、
協力したいと思わせることだ。
そして、
感謝して正当に評価することと、
心から励ますことなのである。
私けっこうこういうの上手いやろ。
中核派に結集してもらうことは失敗した・・・って中核派に結集してもらっても、現状人々の人生をめちゃくちゃにすると思って、私はじっと伏せていた。
けど、とにかく、そんな中で、ささやかながらも私に対して言葉をかけてくれる人が何人もいる。
そういえば、私のおばあちゃんは、伊達娘と同じ5月13日生まれやったけど、感謝する天才やと思うとった。
「ありがとう」という言い方がホンマにうれしそうやねん。
大西弘子は、「うれし。」とか言うとったけど、なんか利己的でうれしそうに見えんねん。
ココロから励ますというのは、私はやっとるつもりやけど、まあ伊達娘に対してはやってきたけど、それ以外はまだまだな気がするなあ。
議論に負けても、
その人の意見は変わらない。
けっきょく、議論をするっていうのは実は無意味やと言うとるなあ。
議論じゃなくて討論やねん。
中核派は討論の前に、もう役職が上の人間が決めたことがゼッタイ、みたいな前提があって、その上でカタチばかりの”討論”があって、反論は認めないみたいな・・・、ゼンゼン民主的じゃないねん。
だから私は追い出された&飛び出てきたというのがある。
そこをホンマに直さななあ。
いやホンマに、自分らは正しいことを言っているのに、日本共産党等々はクチだけで実行できない、とか言うとったって、私から見たらオマエらもクチだけで実行する気ないやろ、と思うてまう。
実行するのは自分ら的に面白いと思うとるらしい、ストライキと団交とビラまきと集会くらいや。
とりわけ若者を獲得したいならば、若者の言い分を聞けばええのに。
私なんか、私だけでなくて、世の中の大勢が結婚できない、彼氏彼女ができない現状があって、だからアイドルとか2次元とかに行ってまうというのもあるんやけど、そんなのを前面に押し出せと何度も言うたんやけど、ジジイだけでなく若者も、そういうのじゃなくて労働運動としてなにか出さねば、というふうに、考えがガチガチに固まってもとるねん。
笑顔は1ドルの元手もいらないが、
100万ドルの価値を生み出す。
コレ、マクドナルドの”スマイル0円”そのまんまやなあ。
けど、表情だけで人間って印象がゼンゼン違うというのはある。
私なんて博昭から、
「あんたんとこの子、アホみたいなカオしとるけど、勉強できてんらしいなあ」
とか言われたと言われた。
アホみたいなカオで悪かったなあ。
けど、この”アホみたいなカオ”だからこそ、ヒトが寄ってくるし、場合によれば高圧的な態度を示して来るねん。
コレが学者っぽい気難しい、如何にもインテリっぽいカオやと、話しかけづらいやんなあ。
いや私も、いまこうして中核派の後ろ盾がなくなった状態で、公安から不当逮捕されたら問題なところあるんやけど、そもそも中核派は私のことを、動労として活動しはじめたから怖れたと理解しとった。
だから、公安がいま私に対して攻撃を加えてくるとすると、中核派は中核派ではなくて、私自身について怖れていたのだと考え直すことになって、中核派が自分らのことを反省する機会を与えてまう。
それに、不当逮捕~拘留後に私が顛末をブログに書くやろ。
それは公安にとっても中核派にとっても、双方にとって都合の悪いことになるねん。
そもそも、公安が逮捕してくるとなったら、もともとないことにしてきとった、中核派的に考えるとインターネット上の仮想の”上申書”が、リアルに存在することが証明されて、岩田華怜の電話のやり取りも全部蒸し返される。
それは公安のほうが都合悪いよなあ。
そこまで考えてブログに書いたら、公安もそうそう手を打ってこんやろ。
それと、私はひとつカーネギーと違うんやけど、誰もが考えてない手を自分で発明できる。
いっくら工作員が”車輪の再発明”とか言うてきとっても、それをそのまんま受け取ったらアカン。
”車輪の再発明”ができる人材ってものすごく重要やねん。
いまインターネットの世の中で、ものごとについてなんでも検索したら知れると思って、自分で考えん人間がいる中で、再発名になってさえも発明をできる意思、コレがある人間が少ないと感じている。
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