「働き方改革」で焦点となっている残業時間の上限規制をめぐり、経団連と連合のトップが会談した。3月末の政府の実行計画策定に向けて協議を重ね、合意を目指す。

 今は実質青天井の残業時間に、年720時間(月平均60時間)の上限を新たに設けることでは、労使の足並みがそろった。焦点は、繁忙期など特定の月に残業が集中する場合に、どこまで特例を認めるかだ。

 政府は、脳・心臓疾患の労災認定の基準である「1カ月100時間超」などのいわゆる「過労死ライン」を上回らないようにするとの考えで、経団連も受け入れる姿勢だ。一方の連合は「到底あり得ない」と反発し、100時間を下回る水準にするよう求めてきた。

 安倍首相は「多数決では決めない」として労組の理解が重要との認識を示しつつ、「合意が得られなければ(改革のための)法案は出せない」と述べた。このため労組側には、自らの抵抗で上限規制自体が頓挫しかねないとの危機感から、歩み寄りを探る動きもあるようだ。

 だが、月100時間の残業といえば、月20日働くとして毎日午前9時から深夜23時まで仕事をする状態だ。過労死で家族を失った人たちなどからは、「過労死ぎりぎりまで働かせることにお墨付きを与えるようなものだ」との声が出ている。

 そもそも月100時間の基準を下回れば過労死が起きないわけではない。現状を追認するような規制で、先進諸国の中でも突出する日本の長時間労働を断ちきる決意を示すことになるだろうか。

 経営側は、「働く人たちを大切にする」と強調するなら、再考すべきだ。労使がともに問われていることを自覚し、協議を急いでほしい。

 もちろん、規制に実効性をもたせるには、働く現場の実態に合った内容にすることが必要だ。急な変更が難しいのなら、移行期間を設けて段階的に実施する、中長期の目標を掲げて工程表を示すといったやり方もある。大事なのは、どこに向かって進むのかを明確にすることだ。

 長時間労働が当たり前という職場環境が、仕事と家庭の両立を難しくし、女性の活躍や、男性が育児などを担う妨げとなってきた。こうした現状を改めなければ日本が少子化から抜け出すことも難しい。改革は日本の将来のためでもあるということを、いま一度確認したい。

 どのような社会を目指すのか。その覚悟が試されている。