ども!鍵盤シンガーソングライターの前田凜です!
3月なって春を感じてきたのでブログを開設する事にしました。
タイトルの通り僕は「落ちこぼれ音大生」でした。それでも音楽が好きで好きで大好きな僕のこれまでのお話です。
簡単な経歴
前田 凜(まえだ りん)
1991年8月19日生まれの25歳
名前で間違われるが男(異性同名さん多い)
母の実家がある山形県で生まれ
その後千葉県で暮らしていたが
親の転勤で三重県へ
大学入学を機に愛知県へ
愛知県立芸術大学音楽学部卒業(ユーフォニアム専攻)
現在、名古屋を拠点に鍵盤シンガーソングライターとして活動中
ざっくり言うと作詞・作曲・ピアノ弾き語り・楽器や歌などのレッスンやってます
誕生〜小学校時代
母親の実家がある山形県の病院で生まれました。
文字通り凜とした人になってほしいという願いから凜(りん)と名付けられました。
両親は『りんたま』という名前にしたかったそうだけど友人に小学生になったら名前でイジメられるぞと却下されたみたい。
あだ名が「きんた◯」なる可能性を無事回避しました笑
僕が幼少期に過ごした場所は千葉と言ってもほとんど茨城県との県境で周りには田んぼや畑しかないような田舎だった。(千葉⁈都会じゃーんみたいな反応が結構多い笑)
なんとなくだった
音楽を始めたきっかけは5歳の時、親に「習う?」と言われてなんとなく始めたエレクトーンの音楽教室
先生は優しくてグループレッスンの他の生徒とも仲良かったので楽しかった(練習は嫌いでした)
音感を身につけさせる事が上手な先生だったお陰で知らないうちに絶対音感も身につきました。
この頃に英会話教室にも行ってました(僕の英会話力はどこに…)
イジメに遭う
小学生になってからは個人の先生(この先生も優しかった)のピアノ教室でゆるゆる習ってました(英会話も継続)
習い事は楽しかったのですが小学校入ってから何故かやんちゃな上級生に目をつけられる事が多くてよくイジメにあってました。
上級生に意味もなく投げ飛ばされたり絞められたりした結果…
周りの目を気にして胸張って堂々と歩けなくなった(自信なさそうとか、オドオドしてるとか)
小学校生活で本当に楽しかったのは小学6年の1年間だけです。
当時の夢
小学4年から運動部なるものをやってました。春は陸上、夏秋バスケ、冬に駅伝と季節と共に競技が変わるシステムでした。
当時は身体を動かすのが大好きだった(夢はスポーツ選手)
小学6年の秋に親の転勤で三重県四日市市に引っ越し。田舎からの引っ越しだったので四日市が都会に見えた。
そんで方言にめちゃテンション上がった。
千葉ではあまり方言らしい方言を使ってる人がいなかったので方言に対する憧れが半端なかった。(語尾に〜やんとか素敵やん)
中学校時代
市内の公立中学校に進学
成長を見越して大きめの制服を購入する(失敗)
部活は小学校からの流れでバスケ部に入部
しかし夏過ぎに退部してしまう
ここで確信したのが
俺、体育会系無理だわ。
簡単に言うとまたイジメにあいました
幼馴染も女の子、習い事も女の子ばっかりの環境で昔からやんちゃな男の子と遊ぶ事があんまりなかったのもあり体育会系的なノリ(?)がわからなかった(ウェイウェイ力欲しかった泣)
吹奏楽に出会う
帰宅部はダメだったので次に選んだのが吹奏楽部でした。
吹奏楽部は全国大会にも行った事のある強豪校でした。
やりたい楽器もなくトランペットやクラリネットくらいしか知らなかった僕が担当したのはユーフォニアムでした。
大抵の人に通じないのでいつも説明に困るけどよく人にはチューバの小ちゃいヤツと説明します笑
チューバもわからない人にはラッパていう(大雑把)
このユーフォニアムが面白いように上達したのもあってすっかり吹奏楽にハマり気がついたら部長になっていた。
なにより楽器を吹いてる時、音楽をしている時は楽しくて堂々としていられたのだ。
プロになりたい
コンクールは夏にあってコンクール前になると外部講師を呼んでレッスンするのだが初めてレッスンを受けた時
こんなに一瞬で音変わるんか⁉︎すんげええ!!!
と衝撃を受けた。
その先生は東京藝術大学出身というのを知り、音大に行きたい!プロになりたい!もう俺はこれしかない!!と思うようになった。
こうと思ったら一直線!
音大に行きたい気持ちはどんどん強くなり最終的には県外の音楽科ある高校に行きたいと言い出す。それは受験まで半年を切った中学3年の秋だった。
音楽高校は音大進学に特化した音楽科のある高校
突然の意思表示に学校、家族それはもうエライ騒ぎでした。
- 今から音楽一本と選択肢を狭めなくてもいいじゃないかという親
- ええやないと勧める音楽の先生
- 県外受験志望が突然現れて慌てる担任と進路指導の先生
僕含めて緊急五者面談したなあ笑
最初はものすごく反対されたけどそれを押し切って受験させてもらえる事になった。(親に感謝)
そっからは音高受験の為の勉強急いで始めた。正直先生には始めるのが遅いし合格するのは難しいと言われた。(確かにそーだ)
でも県外受験ってなんかカッコいいし
なによりも音大に行ってプロになるんだという気持ちが強かった(若いって最強)
勢いのままなんと奇跡的に合格←
無事、音高生になる。
高校時代
実家から片道1時間半〜2時間の通学生活が始まる。(どーでもいいけど写真若い!細い!)
成長を見越して大きめの制服を購入する(失敗)
授業の半分近くが音大受験に特化した内容
音楽棟と呼ばれる音楽科の生徒が練習や授業を受けるほぼ専用の校舎
音大を目指す為に入ってきた個性的なクラスメイト
憧れの音高生活を手に入れたのだ
往復4時間の通学時間はそんなに苦ではなかった。
青春!部活ライフ!!
吹奏楽をきっかけにこの世界を志したが当時の夢はソロプレイヤーとして活躍する事だった
ほぼ普通科しかいない吹奏楽部にも入っていたが当初はあまり熱心ではなかった。
音大受験には関係のない事だと思っていたからだ。
そんな吹奏楽部、普段の練習を指導してくれる顧問の先生がいなくて(外部講師はいた)生徒が主体になって運営や練習をしている部活だった。
中学時代の顧問の先生がビシバシ引っ張る部活しか知らなかった僕はあまりの自主性の高さに驚き感動した。
そして僕は練習に改善点があると思い1年生ながら先輩にどんどん意見を提案した(マジ生意気でしたすいません)
音楽科という立場もあったのかもしれないが先輩方はどんどん僕の提案を受け入れてくれて合奏の指導をする事が増えていった。
すっかり部活にのめり込む
そして気が付いたら高3年の時には学生指揮でコンクールに出場していた
どうすればこのバンドは上手くなるだろう?もっとよくなるだろう?そんな事をずっと考える日々。朝は始発、夜は終電近くになる事もあった。
自分の楽器よりも指揮や吹奏楽に没頭している僕の事を心配して音楽科の先生には早く部活を辞めるべきだと言われた。
でも高校3年9月の引退まで辞めるつもりは一切なかった。
高校3年間のこの経験は一生に一度しかない素晴らしいものだと思ったからだ(青春☆DANE)
よく部活の時だけキラキラしていると先生に言われてました笑
そして完全に燃え尽きてしまった
9月以降抜け殻のようになってしまい半年後に迫った受験モードに切り替えるのに時間がかかりその影響もあってか現役での合格は叶わなかった。(一般家庭の前田家で私立の音大という選択肢は当然なかった)
浪人時代
ほぼ家に引きこもって楽器の練習、センター試験等の勉強しかすることのない毎日
高校までの反動かめちゃくちゃ怠惰な浪人生活を送った。
体重は10キロ以上増えた。
昼食にいつも生姜焼き食べてた気がする←
あとよく母とラーメン屋巡りしてたわ。
あまりに人に会わなすぎて寂しくて退屈だった(テレビとmixiが娯楽でした)
そしてコミュ障に磨きがかかる
技術と引き換えに
浪人中は受験で合格するために必要なテクニックをひたすら磨いていったが音楽している時の楽しい気持ちや堂々とした感じを忘れてしまった。
1度失敗したし次は絶対に合格しなければ…
そのために良い音や高い技術を身につけなければ…
頭の中はそういった思考でいっぱいだった。
色々と踠きながらもなんとか愛知県立芸術大学に合格
大学時代
(トロンボーンもちょっと吹けるアピール)
ついに憧れの音大生活!!
と思いきやちょっとしたギャップに苦しむ。
まずみんな廊下で練習してた笑
練習部屋が少なく先輩優先なので廊下とかたまに外でも吹いてた。
外は外で近くの部屋にいた先輩から「うるさい!」っと怒られたり。
どこで練習すりゃいいんだよおおお!笑
(割とどこの音大も1年生とかは練習場所に苦労するらしい)
そして浪人中に失われた音楽に対する自信がなかなか取り戻せなかった
自分は大学に1度落ちているしそこまで上手くない。もっと基本を磨かなければ…音を良くしなければ…
大事な事だけれど、その考えにとらわれ過ぎていた僕は楽器吹くことが苦しいと思うようになった。
そして体調を崩すようになり家で引きこもってネットしてるか酒飲んでるかのクズ大学生になりました。浪人留年のダブルコンボしました。お父さんお母さんごめんなさい。
あれ?こんなはずじゃ…
中学生の時に音大に入ってプロになるんだと決めて実際に音大に入れたんだ!
これでプロになれる!!
ん?まて??プロってどうやってなるんだ??
就活する人などほとんどいなくて楽器の練習をする日々
楽器上手い人沢山いるんだけど
卒業後どうするか漠然としている人が結構いて
院や他の学校で学び直そうかなとか、留学したいなとか、地元でフリーランスやろうかなとか、そんな感じの人が多くて数年後にはあの人は今?状態になってる人もいたり… (オーケストラの団員になれる人はほんの一握り)
ウワアアアアアアアァアアアァアアアァアアアァアア(絶望)
僕より上手い人達が将来困ってるのにどうすりゃええねん…
突然歌に目覚める
すっかり自信をなくしてしまい彷徨っていた僕はある時気がついた
歌って楽しいな。
大学でやっている音楽と別の世界はなんだか自由に感じた。
そこから人前で歌ってみたいなと思うようになり在学中にこっそりとライブ活動を始めるようになった。
自分で詩を書いて曲を作ってそれを歌う。
活動を続けるうちに曲を聴いて感動してくれたり喜んでくれる人が現れてめちゃ嬉しかった。
やっぱ音楽は楽しい!!
ということで卒業後はシンガーソングライターとして生きていく事にした(単純)
なぜまたブログを??
僕の1番の売りは音楽です。
ですが1000年に1人の天才ではなかったみたいで一生懸命練習して曲作ってライブ活動したり…だけでは売れる兆しが見えてこなかった。
音楽活動して3年くらいになりますがこのままでは正直ヤバイ…
しかーし!
オレは諦めが悪いオトコ
なにより自分に自信を与えてくれるきっかけとなった音楽が大好きだし
自分自身の発信力を高めたくてブログをはじめました。
音楽以外でも武器になるものが欲しかったのです。
なんでこれからブログ頑張るぞーっていうやつです。勢い!!
まとめると
まとめると典型的なコミュ症クズ人間なのですが(あと画力もクソ)音楽が好きで自分から何か発信するのが好きな人間です。
ブログを通じて沢山の人に僕のこれまでの経験や考えそして音楽が伝わってほしいです。
みんな俺を見つけてくれええええええ!!
ポチッとな↓
SNSなど
#マエダの限界アートというクソ画力お絵かきをたまにしてます
ついに pic.twitter.com/R2WX6qfpbk
— 前田凜(まえだりん) (@maedarin0819) 2017年2月13日
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