健常者と発達障害者の境目はどこか?
これね、ここ最近ずっと考えていた。グルグルぐるぐる考えて至った結論は、「はっきりした境目なんかなくて、育った環境や取り巻く環境が大きく左右する」。
そもそも発達障害自体の境目が曖昧
アスペルガー高機能自閉症 自閉症スペクトラム連続体なので境目は非常に曖昧。
療育を受けたか、自己肯定感、親の育て方、学校での身の置き方、学校の先生との関係、周囲の理解、自分に合った仕事、自分に合った環境、いじめ体験、二次障害あるかないか。
発達障害でも何の問題もなく自覚もなく働いている人もいる。
健常者だってニートや引きこもりになるのと同じで、周囲の環境や人間関係次第な部分は大きい。
また幼少期の育てられ方も大人になれば影響がでる要素も大きい。いわゆる普通の人だって、育った環境や親の関わり方によって大きく左右される。
自己肯定感が高いかどうかは、健常も発達障害も関係ない。
子供に合った、その時々のベストな環境を整えてあげることが大切。
大人になってみないと分からないし、どんな大人になるかも分からない。
幼少期に自閉症スペクトラムゆえのこだわりが強くても、その特性はそのうちに薄れていくかもしれない。
そういった意味では、重度の場合は別として、ごくごく軽度の場合は、健常者も発達障害者も同じ条件である。
発達障害を逃げ道にしている人、発達障害を免罪符にしている人も確実にいると思う。
そのせいで、本当に発達障害で困難を感じている人の妨げになるかもしれないよ。
大袈裟だって?10年後もそう言えるかな?
発達障害という言葉がメジャーになってきているが、免罪符にしてはダメだと思う。
そして周囲の人も、発達障害者と積極的に関わろうと努力してもらいたい。「何が苦手なのかな?」の思いやりの気持ちで関わってほしい。
適切な環境で、周囲の理解と協力が得られ、日常生活が送れているなら、もはや発達障害ではない。
発達障害ではなく健常者でも鬱などの精神病で苦しんでいる人も多い。
精神福祉障害者手帳はうつにはでても、自閉症スペクトラムには出ないかもしれない。
息子は自閉症スペクトラムだ。
いい環境や人間関係に恵まれ、いわゆる普通の社会人として仕事をしているかもしれない。ちょっと個性的な所もあるが、それが彼の魅力になるかもしれない。
そうなるように努力し続ける。
今は本人は当たり前だか自覚はない、だから親の私が環境選びや接し方を努力している。
発達障害だから生きづらいわけではない。健常者だって生き辛く感じている人は大勢いるはず。
自分に合った環境かどうか、育ってきた環境や親の接し方次第なのだ。
発達障害で生きづらい生きづらいと良く聞くが、発達障害児を育てる親からすると夢も希望もない。
一生懸命育てているので、夢くらい見たいし、希望は捨てたくない。
もしかすると、発達障害の人が生きづらいのは育てられ方が一番大きいのではないか?
今の時代のように、療育や福祉支援がメジャーになってもまだ、我が子が発達障害と認めない親も大勢いる。親が認めず拒否した場合、子どもが社会に出て強く生きていけるのだろうか。
発達障害と健常者の境目、そんなものはない。
どんな人間も、愛されて育てられ、適切な環境を与えてもらい、周囲の人に認められる環境に居続けられるならば、障害かそうでないかを区別する必要すらないだろう。
ではなぜ過剰に区別しようとする人がいるのか?
それはやはり誰もが生き辛さを感じる社会だからだと思う。何のストレスもなく生きていける人はいないと思う。だから区別しようとするのだろう。でもそういった意味では健常者も発達障害者も条件は同じだ。
発達障害という言葉だけを一人歩きさせるのは危険だと思う。
そして生き辛さを過剰にアピールするのは、発達障害児育児をしている私のような親から夢と希望を奪う。
「甘いこというな。それが現実だ」
だったらそうならないように息子を育てるまでだ。努力して努力して育てるのだ。
将来辛い現実が待ち構えているかもしれないと、誰よりもシミュレーションしているのは、発達障害児育児をしている親だ。
アインシュタインになんかなれないと一番分かっているのは発達障害児育児をしている私本人だ。
過剰な期待はしていない。
現実は理想通りに行かないのも分かる。
それでもそれでも夢も希望も捨てたくない。
発達障害発達障害とごく軽度の人がアピールしているのは違和感を感じる。
適切な育てられ方をしていないと辛いだろう。これは発達障害に限った事ではない。健常者も同じだよ。毒親は子どもの人生を左右しかねない。
発達障害だけど、存分に親がありのままを認めてくれて自己肯定感を高められるよう接してくれて、周囲人の理解もあって、それでも社会に出て死にたいほどの生き辛さを抱えている人はどれくらいいるのか?
実は幸せな発達障害者の方が多いかもしれない、自覚があるかないかは別として。
辛い辛い言っている方に世間は注目しがちだから。
精神障害ビジネスは存在するし、発達障害ビジネスももちろん存在しているから。
いわゆる「発達障害生き辛いブーム」の影で、コツコツ努力している発達障害者の方が多い事を忘れたくない。
コツコツ努力することは、目立たないから。
そう考えても、やはり発達障害(特に軽度)と健常の境目ははっきりしなくて、むしろどちらであろうが関係ないのかもしれない。
「生き辛い生きづらい」と言っても
『生きてこそ』だから、全ては。
将来息子が「生きづらい生きづらい」とツイートしたり、ブログでも書きながら、それでも生きていれば、それだけで良いんじゃない?と思った。
さらにイイね!なんて押して貰えれば、なんだかんだ幸せなんじゃない?と思う。
グダグダ言ってないでさ、生きづらい自分を発信できる事に幸せを感じ、ネットができる環境に自分がいる事を感謝している人ってどれくらいいるのかな?
そういうこと全てに有り難さを感じつつ、それでも生きづらいなら、それはそれは生きづらいんだろう。
でも大人になっても発信すら出来ない、病気や、重い脳の障害や、大人になれないかもしれない長く生きれない子どもが私の周りにも沢山いるから。そんな子どもの親の苦悩を身近で感じているから。