ながつま 昭 (長妻 昭)
私は、大学卒業後、NECに入社して大型コンピュータの営業マンを5年間した後、日経BP社に途中入社して、「日経ビジネス」という雑誌の記者を4年間しておりました。親が政治家でもなく、しがらみの無い立場で政治に取り組んでいます。
記者時代、官僚や政治家の取材をしていくうちに、多くの日本の問題点を痛感し、政治家を志しました。
私は、初当選以来、次の目標に向けて取り組んで参りました。
記者時代、官僚や政治家の取材をしていくうちに、多くの日本の問題点を痛感し、政治家を志しました。
私は、初当選以来、次の目標に向けて取り組んで参りました。
- 「官僚の常識」でなく、「国民の常識」で国を運営する。
- 生活する人の立場に立つ格差の小さな社会を創る。
経歴
- 昭和35年6月 練馬区生まれ
- 都立練馬高校卒業
(中野区、練馬区、杉並区が学区) - 慶應義塾大学法学部法律学科卒業
(民法新田敏ゼミ所属 音楽サークルリアルマッコイズでバンド・ヴォーカル) - 日本電気株式会社入社 汎用コンピューターの営業
(当時、メモリー16メガ、ディスク800メガほどのコンピューターが数千万円しており、隔世の感あり) - 日経BP社に途中入社。日経ビジネス誌の記者に。金融危機をはじめ幅広く取材・執筆
(最初は電機メーカー担当、後半は金融、行政、政治担当に) - 平成12年6月衆議院議員初当選・小選挙区東京7区
(渋谷区・中野区) - 元厚生労働大臣・年金改革担当大臣
- 衆議院議員を6期目
役職
民進党東京都第7区総支部長
これまで、厚生労働大臣、年金改革担当大臣、衆議院厚生労働委員長、厚生労働部門会議座長、民進党代表代行などを歴任
趣味
映画鑑賞、カラオケ、サッカー、キャンプなぜ、国会議員になったのか
1984 年に大学を卒業して、NECを経て1989 年「日経ビジネス」という雑誌の記者になり、「不良債権問題、日本経済の時限爆弾」という特集記事のため、官僚や政 治家を取材しました。
そこでの衝撃が、私が政治家になったきっかけです。当時はバブル経済が崩壊して、銀行の不良債権問題が騒がれていました。
しかし、官僚や政治家は深刻な問題とは理解せず、手をこまねいて傷口を広げてしまいました。
結果、長期に渡る経済の低迷を招き「失われた20 年」として歴史に不名誉な記録を残しました。
その間、格差は拡大し親から子どもへ貧困が引き継がれる貧困の連鎖があり、就職氷河期で一生就職できず、アルバイト暮らしのフリーターを大量に生み出すなど一億総中流の時代は崩れました。
経済回復への一時的カンフル剤という美名の下、毎年、莫大な公共事業が実施され、借金は積み上がり、先進国最悪の借金大国となってしまいました。
もはや官僚や既存政治家には任せておけない、自分が政治の世界に入って世直しをしよう!
最も政治を必要とする人は、政治から最も遠くにいる!
こんな思いで議員を目指しました。
最も政治を必要とする人は、政治から最も遠くにいる!
こんな思いで議員を目指しました。