こんにちは、ジュリー下戸です。
「中村勘三郎」という歌舞伎役者の名前は、おそらく歌舞伎ファンでなくとも聞いたことがあるかもしれませんね。わたしも名前だけは、歌舞伎を観る前から知っていました。歌舞伎を好きになってようやく、「中村勘三郎」とは芸名であり、江戸時代から代々受け継がれてきた名で、わたしが知る勘三郎さんは十八代目にあたるということを知りました。
さて、去る2月、歌舞伎座で、中村勘九郎丈のふたりのご子息・勘太郎丈と長三郎丈が初舞台を迎えました。彼らは勘三郎さんの孫にあたります。勘三郎さんの初舞台も、その息子の勘九郎丈と七之助丈の初舞台も、今回勘太郎丈と長三郎丈が演じるのと同じ演目「桃太郎」でした。
しかし、その舞台に勘三郎さんの姿はありません。孫の初舞台を待たず、勘三郎さんは2012年に亡くなってしまったのです。わたしが歌舞伎を好きになって色々と知るようになったのが2015年の秋のことでしたが、そこまでの数年間で、歌舞伎界は名優を何人も失っており、勘三郎さんもそのひとりだったのでした。わたしはこれまで、勘三郎さんの舞台を、ただの一度も観たことがありませんでした。それでも、勘三郎さんが亡くなってから何年も経っているというのに、みんないつだって勘三郎さんに思いを馳せているように思われました。
「十八代目中村勘三郎」とは、どんな役者だったのだろう。好奇心は募るばかりです。「門出二人桃太郎」を観る前に、勘三郎さんのことを知っておきたいと思っていました。そう思っていたら、タイムラインに興味深いイベントのお知らせが流れてきました。
その日はわたしも仕事がお休みの日!勘三郎さんのことを深く知る、またとないチャンスです。大慌てで予約の手続きをしました。
文七元結
イベントは、シネマ歌舞伎「人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)」 の鑑賞からスタート。主人公の長兵衛を勘三郎さんが演じています。
あらすじ
いい年して博打とお酒が大大大好きな長兵衛(ちょうべえ/勘三郎さん)の娘・お久(おひさ・中村芝のぶ丈)が失踪した。見つかった先は、吉原の女郎部屋。事情を知る女将さん(いい女!)の話によると「お久は、自らを買ってほしいのだと、そのお金で父が作った借金を返し、父の博打癖を治したいと言ってきた。親孝行な娘に免じて、お前に50両貸す。もし来年の大晦日までに返せなかったら、お久に客をとらせる。それまではわたしの傍に置いておくよ」。長兵衛は泣きながら「絶対に返す。博打もお酒もやめる」と約束する。
50両を抱えて家路を急ぐ長兵衛だったが、川に身投げを試みる若者・文七(ぶんしち/中村勘九郎丈)に出くわす。文七は旦那のお使いから帰る途中、悪い輩にお金をスられてしまっていた。その金額、きっかり50両!長兵衛は悩みに悩んだ末、女将から借りた50両を文七に押し付けてしまった。
話を聞いた奥さん、博打で50両使い込んだに違いないと思い込みブチギレ。大乱闘を繰り広げているところに、文七とその主が、長兵衛を訪ねてくる。「あなたのお陰で助かりました。50両は盗まれたんじゃなくて、出先に忘れてしまっていました」と言うドジっ子文七。文七の主人は長兵衛の行いにいたく感動しており、なんとかお礼を差し上げたいと言う。そこに、文七の主人によって身請けされた娘が、見違えるほど美しくなって帰ってくる。さらに、文七と夫婦になってはどうかという話まで出てくる。文七は新しく店を出すというから...もう、こんなに一度に良い事が起こって、長兵衛は大混乱。とにもかくにも、めでたし、めでたし!
勘三郎さんの情感たっぷりな演技に、涙が誘われます。1番後ろの席での鑑賞だったのですが、ホールのお客さんも随所で涙をぬぐっていらっしゃる。長兵衛の博打好きのせいでオンボロ長屋暮らしを強いられる奥さんとお久がかわいそうすぎるのは事実で、そういう意味で長兵衛はクズなんだけれど、それでも憎めないのは勘三郎さんの力だと思わずにいられませんでした。特にわたしがグッときたのは、女将さんらの計らいで美しく身なりを整えてもらったお久が帰ってきた場面。
「お前......みなさんに、親切にしてもらって.....」長兵衛がお久に向かって涙を流します。だって、まだ娘は女郎ではなくこま遣いでしかないのに、娘の親孝行な気持ちを汲んで、こんなにも素敵な格好を用意してくれたのです。長兵衛のこの台詞が、お久が帰ってきた喜びと同時に、女将さんらへの感謝の気持ちに満ち、本当にたまらないのです。「人情噺」の名の通り、登場人物がみんな人情みあふれ、あたたかく迎えるエンディングが幸福すぎて、涙が止まりませんでした。観客であるわれわれが長兵衛を愛することができるかどうかが物語のキモな気がするのですが、勘三郎さんはわたしたちの心をがっしと掴んで離しませんでした。
もうひとつ、長兵衛の台詞で好きな台詞があります。文七との縁談が出た時の長兵衛のお久に対する、
「お久、おめえそれでいいのかい」。長兵衛なら、「そりゃいい、もらってもらえ」みたいなこと言いそうなのに。この時代、後ろ盾のある店を持たせてもらう正直で愛嬌のある若者の嫁だなんて、願ってもないことでしょうに、お久に意思確認するんですよね。お久がいなくなったと言われても取り合わず「いないとこばっかり探すからいねえんだよ」なんて茶化すような、あの父親が!幸せそうに頷くお久を見つめる優しい瞳。噛み締めるような表情。本当に素晴らしかったです。
トークショー
波乃久里子さんは、勘三郎さんの実の姉です。勘三郎さんのことが大好きで、自分のことを「いちばんのファン」と言います。「1日1回は、ノリ(勘三郎さんの本名・哲明から)の話をします。今日は、勘三郎のファンの方だらけなのでしょうから、心置き無くお話ができるのが嬉しいです」というご挨拶から始まりました。ざっと見渡すと、なるほど会場の年齢層は高めでした。1時間ちょっとの濃密なトークショーだったのですが、わたしがグッときたお話をかいつまんで紹介します。
勘九郎丈の声
文七元結では、勘三郎さんと勘九郎丈が親子共演を果たしています。この作品の中の勘九郎丈の声は、高めで、澄んでいて爽やかで、わたしが聞いたことのない声でした。それを、久里子さんは「あれが勘九郎の本当の声」だと言うので、驚きました。「勘九郎の本当の声、良いでしょう。心が篭ってる。今が篭っていないというわけじゃないけれど。今は勘三郎に似せている。舞台の声、ソックリでしょう」ここで、会場のお客さんたちが一斉に頷きます。勘九郎丈が意図して勘三郎さんに似せているのか、それとも父の芸を受け継いだ結果似てしまったのか、本人にしか分からないことです。勘九郎丈が正式なご挨拶の場で必ず父親の名を出すのを思い出し、わたしは「偉大な父を持つと大変だな」程度にしか思っていなかったのですが、久里子さんのお話を聞いて、勘九郎丈は、勘三郎さんの不在を自分が勘三郎(新ではなく十八代目の)になることで埋めようとしているのでは、なんて飛躍した嫌な想像をしてしまいました。汚い手拭いをめくっていくこの演技は、勘九郎丈のアドリブ。
歌舞伎ファンには、すでに、勘三郎さんの舞台を知らない世代(わたしのような)もいるわけです。わたしは勘三郎さんの面影を探すために勘九郎丈の舞台を観ているのではありません。もし万が一、勘九郎丈が"勘三郎さんみ"を意識しているのだとしたら、もうその必要はないのになーなんて、のんきに思ってしまうわたしでした(何度も言いますが、本当のところは分かりません。親子だから似ちゃっただけの気もするし)。
質問タイムでわたしも久里子さんに聞いてみたかった。勘九郎さんの、勘三郎さんにソックリなあの声は、意識して似せているのか、無意識に似てしまったのか。でも、本当のことは勘九郎さんにしか分からないよなあ、久里子さんもあえて言及していなかったし、と思ってやめた
— ジュリー下戸 (@jurigeko) February 22, 2017
敏腕課長
「歌舞伎役者って、4,50はハナタレ(小僧)って言うでしょう。60代の中村勘三郎を観たかったなあって。なんだか、敏腕課長で終わっちゃった感じがして」
調べてみたら、勘三郎さんは享年57歳。病床にチューブまみれの状態だというのに、作家を呼びつけて舞台の話をしていたというから驚きです。もし生きていたら、それこそ60代で、絶対に桃太郎の舞台にいたに違いないのです。ありえない事だけれど、だからこそ、そうであってほしかった。
勘三郎さんの存在感というのは、本当にすごいのです。亡くなっているはずなのに、「ああ、勘三郎さんを生で観たいなあ。いつ出るのかなあ」って思ってしまうんです。そして、それがかなわないので悲しくなる。それでワンセット。
忘れないうちにと思ってツイッターに投下したメモ
よみうりカルチャー横浜の波乃久里子さんのトークショー、「長三郎の方が弟(勘三郎さん)に似てる。人を人と思わないところとか」って言っててめちゃくちゃ笑った
— ジュリー下戸 (@jurigeko) 2017年2月21日
勘太郎さんの方は、綺麗好きでちょっと神経質なところがあって、久里子さんの方に似てるんだそう。
— ジュリー下戸 (@jurigeko) 2017年2月21日
トークショーで春猿さん改め雪之丞さんのお名前が何度も出てきたんだけど、久里子さんも鈴木さんも「しゅんえんちゃん」て呼ぶので萌えました
— ジュリー下戸 (@jurigeko) 2017年2月21日
久里子さん、面白い方だった。家系図を見ても「わたしこういうの全然興味無いのよね~、なにこれみんな親戚?」とか「(寺島しのぶの息子さんのことで)ハーフの子が舞台に立つのを嫌がる人もいるけどわたしは良いと思う。かっこいいわよ青い目の役者さんて。いいじゃない、人間が立ってれば笑」とか。
— ジュリー下戸 (@jurigeko) 2017年2月21日
文七に50両を押し付けたあと、長兵衛が「死ぬんじゃねえぞお~!!」と叫びながら花道を駆け抜けて行くのですが。
なに死んでくれちゃってんだよーーー!!!
人間は死ぬ。遅かれ早かれ絶対に絶対に死ぬ。わたしが今観ている、素晴らしい役者の多くも、年齢だけ考えたら、わたしより早く死ぬ人が多い。つらい。それでも、その跡を継ぐ役者が現れる。そうやって、続いてきたのです。たくさんのつらいことと嬉しいことを、交互に乗り越えて。
中村勘三郎丈の芸は、勘九郎丈、そして勘太郎丈・長三郎丈へと受け継がれていきます。
ジュリー下戸でした。ありがとうございました。
また別の記事で、勘三郎さんの孫の初舞台のことを書きます。