2大政党制を取る米国では、多くの政治問題において共和党と民主党による綱引きが繰り広げられる。その典型例の1つとして銃問題が挙げられる。銃規制に熱心な民主党のオバマ氏が大統領職に就いていたのだから、本来なら銃犯罪は減少に向かうはずだった。だが、彼がその座にあった8年間は、米国史上まれにみる乱射事件多発期間になった。『現代アメリカのガン・ポリティクス』(東信堂)の著者、鵜浦裕・文京学院大学外国語学部教授は「オバマ氏は在任中は無力、無策だった。だが、これからの彼に期待したい」と話す。
(聞き手は上木貴博)
銃規制に積極的な民主党政権が8年続きました。オバマ大統領(当時)は米国の銃規制問題においてどのようなリーダーだったのでしょうか。
鵜浦:オバマ政権下ではかつてないほど乱射事件が起き、結果を出せませんでした。振り返ると、初当選時の公約を「常識ある銃規制」としていた時点で弱腰だったと言えるでしょう。これは購入時の犯罪歴チェックや高性能銃器の規制などを指す民主党候補のスタンダードな表現で、NRA(全米ライフル協会)を含む銃所持賛成派の反発を避けるための穏便な表現です。今回大統領になれなかったヒラリー・クリントン氏も同じ姿勢でした。
大統領に就任した2009年時点では、民主党が連邦議会の上下両院で多数を占めていました。彼はこの恵まれた政治環境で、医療保険制度改革(オバマケア)を銃規制より優先したのです。
銃保有を認める法案にいくつか署名しています。その選択が間違いとは言えません。ただ、現在オバマケアは廃止の方向に向かっています。もし就任直後の2年間に銃規制に熱心に取り組んでいたら、その実績がレガシー(遺産)となっていた気がします。
その後3年目以降は弱腰というより無策に転じます。象徴的なのが2011年の一般教書演説です。この時はツーソン銃撃事件(2011年1月8日にガブリエル・ギフォーズ下院議員をはじめとする19人が銃撃され、9歳の少女を含む6人が死亡)が起きた直後でした。それにもかかわらず銃規制についての発言を避けています。翌年に大統領選挙を控えており、中西部や南部の州で農村地帯の浮動票を失いたくなかったのでしょう。
オバマ氏は詩人ではあったが…
乱射事件の後でも銃規制の法案は通らなかったのでしょうか。
1955年生まれ。上智大学大学院博士課程修了(文学博士)。著書に『進化論を拒む人々―現代アメリカにおける創造論運動―』(勁草書房)、『チャーター・スクール―アメリカ公教育における独立運動―』(勁草書房)など。(撮影:稲垣純也)
鵜浦:さすがに2012年12月に起きたサンディフック小学校銃乱射事件(児童20人、教員6人が死亡。容疑者は自殺)の後は、銃規制に関する法案を民主党がいくつか提案しています。この時は共和党が審議を遅らせる作戦に出ました。事件に対する社会的な関心が続くのはせいぜい3カ月だと分かっていたからです。結局すべて否決されました。
連邦議会の議員構成は有権者や利益団体の意向が反映されており、銃規制派だけで多数を占めるのは難しいのです。銃規制を巡る政治的なパワーバランスを象徴した出来事でした。
2期目に入ると、サンバーナーディーノ銃乱射事件(2015年12月2日に障害者支援施設で14人が死亡。容疑者2人も警察に射殺された)がありました。オバマ氏はこの時、大統領演説の途中で、怒りと悲しさのあまり涙を見せています。感動的な映像でしたが、結局は何もできませんでした。
米国のメディアは指導者たちの振る舞いを「○○・イン・チーフ」と表現します。例えば、トランプ大統領は選挙期間中に「グローパー(まさぐる人)・イン・チーフ」と呼ばれました。彼の女性蔑視の言動を捉えたものです。
オバマ氏の場合は「モーナー(慰める人)・イン・チーフ」でした。「銃乱射事件の遺族を慰めることしかできない」といった意味です。彼は“詩人”ですから、追悼集会などで話す言葉は聞く人の心に残ります。ただ、遺族が求める銃規制は何も実現できなかったのです。