なんて破壊力のある単語なのだろうか・・・・
僕はこの記事を世の中に投下することを罪に感じている。実際に何度も迷った。
だけど、このことをみんなに聞いてもらいたいから僕は公開ボタンを押した。
みなさんキティちゃんのサンダルをご存知ではないだろうか??
多分このタイトルを見た瞬間泡を吹いて倒れた人もいるだろう。
単語だけでもこんな破壊力を持つキテ●ちゃんのサンダルなのだがここで僕はその写真を投稿していきたい。
多分これでリアルに数人は倒れたと思う。
僕もこの単語がふと出てきたときは発作を起こしてしまった。
そしてブログを書きたいという欲求が出てきたので今こうして記事を書いている。
ちなみに僕も中学校の時キ◯◯ちゃんのサンダルを履いていた。
その当時はそれがおしゃれの最先端だと思っていてあえて外していることがかっこいいと思っていた。
ちなみに僕はこのサンダル履いていた、金と黒というゴージャスな見た目で汚れも目立たない。
履き心地は健康サンダルだったので足の裏が痛くなって最悪だった。
中学生の移動手段は主に自転車だったので、ペダルを踏んだ瞬間足が痛くなった。
僕はプライベートの際は絶対にこのサンダルを履いていた。
近くにあるショッピングセンターに行く際も、好きな女の子と遊ぶときも上下プーマのジャージを身にまといこのサンダルを履いていた。
その当時はそれがおしゃれだと思っていたから、周りの人の目も気にならなかったし、おしゃれは辛い思いをしてやっと手に入るものだと思っていたので我慢できた。
僕は勘違いをしていた。周りの人が変な目でこっちをみていたのは知っていたが、人は新しいものに対しては最初は嫌悪感を持つというあれだと思っていたから彼らは情弱だと思っていて気にもとめなかった。
今思えば僕の周りにもこういった格好の人は多かったし、僕の先輩や後輩もこういった格好をしていた。
今現在にしても、ショッピングモールを彼女と歩いているときに例の格好をした集団とすれ違う時があって頭が痛くなる。
よくいう思春期特有のアレだと思ったが僕はその時期別に尖っていたわけではなかった。しかし、まわりの友達や先輩がこういった格好をして強いあこがれを持っていたから真似した。
僕は手本にすべき相手を完全に間違ったのだ。
人生で会う人によって180度変わってくるとはまさにそのことだ。
結局高校卒業するまでショッピングモールをダサい格好で歩くようになったのは中学時代に出会った人から悪い影響を受け抜け出すことができなかったからだ。
今タイムリープしたらあの頃の自分をぶん殴って
「ジャージとサンダル買うなら黒スキニーと白いシャツを買え!」って言ってる。
あのジャージ上下揃えるのに相当なお金がかかる。
そしてダサい。サンダルも健康サンダルだけど足が痛くなるし寒い。
でも中学生はそういった正しい判断が出来ない。一番はプーマのジャージとキティちゃんのサンダルをこの世から消し去ることであると思っている。
こういったものがなければ将来僕みたいに思い出したぐらいで強い衝撃を受けたりすることもない。
人間が平穏で生きていくためには必要なことだ。
でも、あのころは馬鹿だったと言っても僕はキティちゃんのサンダルによって足を守ってもらったのだから、感謝はしないといけない・・・
そういった過去があったからこそ今があると思えばなんとかメンタルが持ちそうだ・・・
仮に街で彼らを見つけたとしても馬鹿にしないで欲しい。
それは彼らにとって精一杯のおしゃれで好きな人から振り向いてもらえるように努力した結果なのだ。
そして彼らと同じように僕らも同じ時代があったのだから、彼らの心に寄り添うべきなのだ。
結論
このタイトルの通り僕はなぜキティちゃんのサンダルを学生が履くかの謎の結論を出さないといけないからまとめてみる。
・あえて外すというファッションがかっこいいと思う。
・自分のしている格好がおしゃれだということの自覚
・奇抜=かっこいいという考えが歪みまくった
と僕の経験からまとめてみました。
多分人によって理由は違うしそもそもこのファッションをしたこと無い僕の同級生もいるはずだ。
しかし先程書いたように彼らは本気でファッションと向き合った結果だということは理解していただきたい。
ファッションとは本来自由だからどんな格好しても文句はつけてはいけないものだ。
でも僕は思う、この格好は絶対かっこ悪いと・・・