神奈川新聞と戦争(20)1910年「人道」理由に正当化
- 神奈川新聞と戦争|神奈川新聞|
- 公開:2016/12/21 09:42 更新:2016/12/21 09:50
社説「韓国併合と人道」を掲載した1910年8月30日の横浜貿易新報。下の写真は現在のソウルで「朝鮮画報」「京城全景」とある
この「構造」は、満州事変の20年余り前、既に確固としていた。1910年、韓国併合を巡る記事は、優越主義に基づく記述にあふれていた。日清、日露の両戦争に相次いで勝利した経験に基づく「先進国」の自意識が見て取れる。
併合条約の発効翌日である同年8月30日、横貿は「韓国併合と人道」と題した社説で論じた。併合に対する海外からの批判に対し「抑(そもそ)も韓国の併合なるものは、之を世界の人道より見るも、宇内文明の進歩普及より見るも、将(は)た又(また)仁義に問ひ道徳に問ふも、毫(ごう)も疚(やま)しきものにあらず」。英国とインド、米国とハワイの関係を挙げ「文明先進の国家が、半開若(も)しくは野蛮の後進国に対して、其(そ)の保護誘導の為(ため)にして以(もっ)て其の主権を収めたるに外ならず」と正当性を主張した。
そして「先進国・日本」の責任を高らかにうたった。「文明の先進国は、其の国力国富を以て、半開若しくは野蛮の国民を開導誘掖(ゆうえき)[導く]する所以(ゆえん)の責任を、世界同胞の義、人類兄弟の教(おしへ)よりして明(あきら)かに付与せらる」。遅れた韓国を植民地として経営し、開発するのは日本が負うべき役目だ、というのだ。
同社説は「米国が率先して我帝国の開港を迫り、通商貿易の大義を説きたるが如(ごと)き」と、黒船来航を引き合いに、日本が二つの戦争に挑んだのも、韓国の「開明」のためだった、とした。「我帝国が韓国に対して夙(つと)に其開明を誘導するの任に当り、屡(しばし)ば国命を賭して外戦の危険を冒したる所以のものも亦(ま)た是れ也」
そして、続ける。「被開導国百万の民衆の為めに、一主権者の位置に変更を求むる、何ぞ必ずしも不当ならんや、寧(むし)ろ人道の為に仁義の所置に出でたるもの也」。日本に主権が移ることは不当ではない、むしろ人道的である-。
「有能、賢明、仁慈の主権者」たる日本の支配下に入った韓国の人々は「名に於て失ふも実に於て得る所甚だ多きを感ずべき也」。500年にわたる韓国王朝が主権を明け渡すことを、名を捨てて実を取ると表現した。当時の新聞は、そのことを「民衆の為め」の「人道」と称した。
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