時代の正体〈448〉「自由」差し出す共謀罪 倉持麟太郎弁護士
共謀罪考
- 神奈川新聞|
- 公開:2017/03/01 03:43 更新:2017/03/01 06:55
いま議論されている、犯罪を計画した段階で処罰する「共謀罪」について仮に違憲審査した場合、どうなるだろうか。
憲法学的に共謀罪は刑法による「人身の自由」ないし「思想良心の自由」の制限に当たりうる。人身の自由は、数ある人権の中でも最も重要であるとされる。それは、表現の自由や思想良心の自由といった重要な人権も、人身の自由が侵害されてしまえば全て無きものとされてしまうからだ。
そうした極めて重要な人身の自由に対する規制には最も厳格な違憲性審査基準が使われる。
厳格な基準の一つ「目的審査基準」では、目的が必要不可欠で、その目的を達するための手段が必要最小限であるかを審査する。
テロを防止し人の命を守ったり、国の治安を維持したりする目的は必要不可欠だと言えるだろう。
だが手段はどうか。裁判例や憲法学説で「LRA」という基準がある。これはある規制が、「より制限的でない他の選びうる手段」がある場合には、その規制は違憲である、と判断する基準。これを共謀罪に当てはめてみる。
包括的に数百という犯罪に共謀罪を適用するという規制の方法より、個別の犯罪について未遂処罰を付け加えたり、処罰対象となる行為を明示して増やしたりする方法の方が、「より制限的でない」と言える。従って論理的には違憲の問題をはらんでいる。
めちゃくちゃな論理
このような前提を踏まえた上で、「現行法上、的確に対処できないと考えられるテロ事案」として政府が1月23日に示した三つの事例について検証してみたい。果たして本当に対処できないのだろうか。
この事例が該当しうる法令は現行法では「サリン等による人身被害の防止に関する法律」が存在する。その第2条で処罰対象の物質については「政令で定める」としている。
つまり仮に現在規制されていない危険な化学薬品でも、新たに危険な物質が登場すれば行政府が「政令」で加えれば足りる。
また、「原料の一部を入手した場合」についても、現行法の条文の文言に書き加えればよい。
では現状で対処できない危険な薬品はどれだけ存在するのだろうか。
2月3日の衆院予算委で民進党の山尾志桜里議員が「(現行法上規定されている)サリン等に当たらないけど殺傷能力の高い薬品の名前を挙げてほしい」と質問したところ、金田勝年法相は「具体的な薬品を想定していない」と答弁した。
さらに安倍首相はこう答えた。
〈テロ組織あるいは国家ぐるみで、化学兵器になる毒性物質をひそかに開発しているのは当然のことであろう。(中略)未知のものであっても準備を行っていることが明らかになれば検挙できる〉
未知の薬品もある。だから共謀罪が必要だ-。こんな論理がまかり通るだろうか。罪と刑を事前に法定しなければならならい「罪刑法定主義」(憲法31、39条)に反する疑いすらある。
指摘しておきたいのは、政府が例示した一つ目の事案は「政令」で危険物質をその都度加えたり、既存法の条文の細部を改正したりすれば足りる。共謀罪がないと「現行法上、的確に対処できない」とは到底言えない。
立法事実のでっち上げ
次にこの事例。
〈航空券を買ったという場合にも、ハイジャックをやるというその目的でその当該の航空券を買ったというような場合が第3条の予備に当たるわけでございます〉
つまり現行のハイジャック防止法でも、航空券購入段階を予備罪で処罰できると過去に政府が法解釈しているにもかかわらず「対応できない事例」として、いまさら例示したわけだ。
むしろこれほど典型的なテロ事例を「検挙できない」と政府答弁することの方がよっぽど危険だ。信じがたい曲解と欺瞞の合わせ技が繰り出されている。
そして三つ目。
これは2011年に成立した刑法改正で盛り込まれた「不正指令電磁的記録に関する罪」(168条の2、168条の3)が問題となる。
ただこの犯罪は現行法上未遂が処罰されない。法案を検討する際に、あまりに広範な処罰の恐れがあると指摘され、あえて未遂を処罰しないという政策判断があったようだ。
だが、もし事例に挙げているようなサイバーテロの恐れがあり、既遂以前の段階を処罰する必要性があるなら、個別に未遂や準備・予備、さらにそれ以前の共謀・陰謀を処罰対象にすれば足りる。
このように分析してみるといずれも「より制限的でない手段」は明らかに存在する。
政府はこの三つ以外には事例を挙げておらず、野党が立法事実として第4、第5の事例があるのか問うても金田法相は「多数存在すると思います」「私の頭の中にも、あることはあります」などと具体性を欠く答弁しかしていない。
架空の立法事実をでっちあげ共謀罪を成立させようとしているとしか思えない。
これはいつか見た光景ではないか。そう、安全保障関連法審議のとき、法整備の必要性を政府が説明する際に、ホルムズ海峡での米艦防護の事例を立法事実として挙げていた、あの状況だ。
法案の必要を訴える柱としていたにもかかわらず強行採決直前になって「立法事実ではない」と折れてしまった。でっち上げを再び繰り返させてはならない。
自由とのトレードオフ
だが、考えてもらいたいことがある。これまでも共謀罪は、例えば特定秘密保護法に規定がある。他の犯罪でも未遂以前の段階を処罰する規定はおおよそ70ほどある。
つまり私たちは既に安全や治安維持を手にするために「自由」を差し出し、あるいは後退させることを受忍してきた。
問われているのはすなわち「自由のトレードオフ(一方を求めれば、もう一方は犠牲にせざるを得ない関係)」をどれだけ認めるのか、という問題だ。
共謀罪という、これほど大幅に自由を奪うまたは萎縮させる法律を私たちは受忍するのか。その矛先が自らに向けられることをも受け入れられるのか。
民主主義社会における立法は、主体であろうが客体であろうが、自らがどんな立場になろうがその適用を受け入れるという基本的な共通認識がなければ、人が法に求める「正義」を満たせない。これが担保されてはじめて民主主義は単なる多数決主義でないのだと言いうる。
こうした視点を欠き、自らの安心や安全のためだけに、法律で既遂犯の前段階をどんどん処罰していくという発想は恐ろしい。自らが適用対象となったとしてもよいか、という思考が民主主義社会を構成する私たちには求められているはずだ。
共謀罪の本質は「危ないやつだから捕まえておこう」という発想だ。これはすぐに少数者への弾圧に転化されていくだろう。なぜなら「自分はその人たち(少数者)ではないから」。この思考は常に自己と他者を分断し、他者を支配や抑圧の対象としていく。
ところが、これは常に反転可能性があることを忘れてはならない。
いまこの社会に決定的に欠けているのは、実は自分の問題であるという視点だろう。すなわちリアリティー(現実感)の欠如に他ならない。
「権力の拡大」の是非
最後に手続きの話をしておきたい。
刑事訴訟法上の捜査では通信傍受の拡大という話になる。つまり実体上、自由を売り渡せば、手続き上も自由の中に捜査という名目で権力が入ってくるということ。国家権力の目や耳が私たちの生活に入り込んでくる。あらゆる網の目を私たちの私的空間に張り巡らせてくる。
それでもいいんですか、と問われている。
日本という島国に住み、世界を見渡し比べれば私たちはいったいどれだけ平和なのか。それでもなお自由を放り出して「テロの脅威から解放されたい」と欲求するのか。
そもそも、その「テロの脅威から解放されたい」という恐怖や萎縮を生み出すことこそがテロの目的に他ならないということも忘れてはいけない。
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