芥川賞同時受賞から13年後、今度は新作を同時発売 金原ひとみと綿矢りさのいま


綿矢りさ『ひらいて』読了。まぁこれまた、どえらい小説ですなぁ。
でもちょっとセリフ回しが硬かった気もするが・・・。

って、綿矢りさ結婚してたんや!!


本作のAmazonレビューで「綿矢りさはエロ小説家に成り下がったのか!」という批判が書いてあったが、彼(彼女?)は一体綿矢りさの何を見てきたのだろう?

逆にこう言ってやりたい。彼女はれっきとしたエロ小説家だ。エロは言い過ぎか、官能小説家だ。
それが彼女の手にかかれば、恐ろしい程の文学となるのだ。
順番が逆だ。

『インストール』『蹴りたい背中』『夢を与える』など、彼女の描く少女達は、狡猾さや図々しさ、醜い部分を赤裸々に語っていく中に、いつも情念の炎がめらめら揺れている。
斜に構えているようで、いつも何かに飢えている。どうしようもなく肉食系で、涎まで垂らしていると言っていい。その獰猛さが、とてもユニークだ。

世の少女達はこれ程までにエロいのか?と、まぁそれは人それぞれなのだろうが、それにしても彼女の描く女性像の、体温の高さにはいつも感動してしまう。
汗ばむくらいの熱さが伝わってくる。

これもどこかで書いたはずだが、『夢を与える』を読んで以降、僕の少女の描き方には綿矢りさの影響がかなりあると言っていい。
でも、彼女の描く女性たちを見ていると、自分の描いてきた少女達の薄ぺらさ、いや、体温の無さに恥ずかしくなる。
所詮自分が男目線で描いてきた少女達は、自慰のオカズにすぎないのだなぁ、と思ってしまう。


作中に『サロメ』の引用が出てくるが、まさにこれを思い出した。
そう言えば高校2年だったかな、の時、これを文化祭の演劇でやりたいとかなり真剣に熱弁した友人男子がいた。
僕は彼の企画書?プロット?のようなものを見て「さすがにこれはないだろう・・・」と思ったが、あの時の彼の思い詰めた眼差しを未だに忘れられない。
周囲の女子も、熱意を受け止めようとするもやっぱり引いていた。

その眼差しが、作中の木村愛の狂おしい想いと僕の記憶の中で交錯した。


恋とは狂おしいものだ。衝動的なものだ。動物の生殖本能だけでは説明のつかない、野蛮で、粗野で、退廃的で、かつ人間にとって根源的な、魂の深奥にある「正体」のようなものだ。


綿矢りさは、その「正体」に憑りつかれたまま筆を走らせ続ける、ひとつの機関として、本作を書ききった。
やっぱり凄いね。