彼の実演は聴いたことがない。その気になれない。

でも彼の演奏は、主にTVでかなり聴いた。
「サイトウ・キネン・フェスティバル」は日本が世界に誇る一大クラシックイベントだったから、ことあるごとに観てきた。
彼のCDも1、2枚持っているが、一回聴いたっきりどっか行った。
ウィーン・フィルとの「アルプス」だったかな、何はともあれ、とうとう日本人がウィーン・フィルでCDを!と思って、記念に買ったが、ガッカリした。

ことある度に何度聴いてもあれぇ?あれぇ?と思って、乗れない。
でもウィーン国立歌劇場を任された日本人だぞ!過去にはマゼールとかアバドとか・・・と思って、そこで萎える。


彼はもともと、相当ヤンチャな人である。
そして、粗暴な人であると思っている。
古い映像とか、78年に手兵ボストン響と来日した時の「幻想交響曲」とか、まぁなかなかにヤンチャだ。
洗練とは程遠い、ハチャメチャな音楽だ。まぁベルリオーズだからそれもいいんだけど・・・。


知識として「N響事件」とか、そういうのも知ってるから色眼鏡で見てしまうのかも知れないが、小澤征爾は、ドキュメンタリーとかTVの前で愛くるしい表情を浮かべているのとは真反対に、粗暴な人だと勝手に思っている。
別に粗暴な芸術家でもいい。俗物でもいい。クレンペラーテンシュテットも、人格破綻者と言われるが、音楽は本当に素晴らしい。

でも、小澤にはどうもそういうものを感じない。
ずーっと、彼のドキュメンタリーがTV放送される度に観て、確認するが、その印象は変わらない。
いわば彼は、ずっと自分に嘘を吐いて、指揮表現をしてきたような、そんな気がするのだ。

それは何より、彼が奏でる音が証明している。
何度聴いても、彼の心ここにあらずのような、軽薄な音だ。
パフォーマンスだけはカッチョイイけどね。


僕は自分に正直なのが表現者だと思っている。芸術であろうがエンタメであろうが。
自分に嘘を吐いている表現者は、絶対認められない。
それが芸事の、基本的なマナーだと思うからだ。

そう思うたび、彼の本当の音は、例えば60年代日本フィルを指揮棒ブンブン振り回してドヤ顔で指揮していた、乱雑なあの音なんだろうなぁと思い、最近の音は、まるで〇池〇夫のような、「どや?格言がボコボコ出てくる俺サイコーやろ?」のような、表現とは無縁な、聖人ぶったビジネスマンとしてのにやつきが見え隠れするだけだ。

そう言えば、バーンスタイン・ミュンシュ・カラヤンと、巨匠に近づいてはその名前を利用して自分を築いてきたところも、なんか似てるね(笑)。


とは言え、実演聴かないままお別れするのはもったいないので、今年どこかで聴こうかなぁと思っている。